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私は貴方を許さない  作者: 白湯子
第9章「愚者の記憶」
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145話



アルベルトside



『大丈夫だよ。』



少女の声無き一言は、呪いのように僕の思考を止めた。


気付けば薔薇園に少女と女の姿は既になく、僕だけがひとり取り残されていた。

呆然と佇む僕の脳裏に浮かぶのは、憎悪に満ちた女の目。



―……毒虫め。



一度落ち着いていたはずの炎が再燃する。

抑えきれず瞳から溢れ出した青い炎は、一瞬で薔薇園を灰に変えた。


あの女は分かっていない。

少女の一言がなければ、今頃自分がこの薔薇のように灰と化していたことを。


僕は足元に転がる焦げた花を踏み潰し、執務室へと踵を返した。



◈◈◈◈◈



執務室に戻った僕はすぐさま〝エリザベータ〟という名前の令嬢のリストを掻き集めた。



「…多すぎる。」



僕は執務机の上にそびえ立つ書類の塔に思わず頭を抱えた。


エリザベータとは、第3代目ノルデン皇帝の名前で、初代皇帝の孫にあたる。

欲しいものは全て手に入れないと気が済まない性格であった彼女は、民衆から〝強欲の女帝〟と呼ばれていた。

その名に相応しく派手な身なりと奔放な性格をしていたが、歴代の皇帝の中で最長在位を誇り、 最も領土を拡大したという輝かしい功績を残している。

最近ではそんな彼女に肖って、自分の子に女帝の名前をつける親が多いのだ。


実にくだらない。たかが名前程度で一体何が変わるというのだ。所詮、名前というものは判別する為の記号にしか過ぎない。


それに女帝がどれだけ偉大な功績を残したとしても、僕から見れば貪欲な賤民と一緒だ。

そんな卑しい女帝の名前など、無垢な少女には相応しくない。花のように可憐な少女にはもっと愛らしい名が似合う。例えば…そう〝エリザ〟とか。



「…。」



……思いつきにしては、なかなか可愛らしい愛称じゃないか。

エリザベータの愛称はリーザやエリィなどが主流だ。

だからこれは僕だけが呼べる愛称のはず。

僕だけが…



「そんなに書類を積み上げて、一体何をお探しで?」



平坦な声で話しかけてきたのは、僕の側近であり叔父でもあるラルフ= ブランシュネージュ=ノルデンだ。

短い金色の髪をきっちり七三に分け、邪魔だと言わんばかりにサイドと後ろを刈り上げている叔父は、真面目を絵に書いたような男である。


…あ、そうだ。

貴族事情に精通している叔父ならば少女のことは分からなくても、あの常識知らずの毒虫のことなら知っているかもしれない。

そう思った僕は今までの経緯を叔父に説明した。



「…恐らくその少女は、コーエン家のエリザベータ嬢かと。」



拍子抜けするほど呆気なく叔父の口からエリザの名前が飛び出した。



「知っているの?」



確かコーエン家は侯爵の爵位を持った古い一族だったはず。

素直に驚いてみせる僕に、叔父は表情を一切変えることなく「えぇ。」と言いながら、くいっと銀縁眼鏡を押し上げた。



「皇宮内では有名ですから。主に母親の方が、ですが。」



叔父に詳しい話を聞けば、エリザの母親は元々父の婚約者だったらしい。

父に婚約者が居たことは知っていたが…まさかその相手が毒虫だったとは。


婚約破棄を言い渡された毒虫は「はい、分かりました。」とあっさり承諾し、その後すぐに遠縁の男を婿に迎えたそうだ。

誰の目から見ても父を深く恋慕っていた毒虫にしては意外な反応ではあったが、彼女なりに整理して諦めることが出来たのだろうと周囲の者達は納得した。


そして毒虫は娘を産み、まだ言葉もろくに話せぬうちから礼儀作法などの教育を始めた。幼少期から教育を始めること自体は決して不思議なことではない。だが毒虫の教育は常軌を逸していた。当たり前のように暴力を奮い、その日の目標を達成出来なかった場合は罰として食事を一切与えないなど、歳を重ねるごとにつれて毒虫の教育はどんどん過激になっていった。


更に毒虫は娘に自分の話し方や考え方、仕草、振る舞い、嗜好など本来ならば必要ないのないことまで教え始めた。


その狂気じみた教育に周囲はようやく気付く。

毒虫は娘を育てていたわけではなく、皇太妃になれるもう1人の自分を作ろうとしていることに。



「…馬鹿馬鹿しい。」



叔父の話を聞き終えた僕は吐き捨てるように呟いた。



「そんなのただの自己満足じゃないか。」



毒虫がやっていることは無意味で無益。

自分と同じ存在を作り上げることなんて、神でない限り不可能だ。



「一体何が夫人をそこまで掻き立てるんだ?僕にはまるで理解ができない。」

「…心理の根っこは本人にしか分かりませんよ。」

「…。」

「ですが、まぁ…。それが夫人の生きがいなのでしょうね。」

「生きがい?」

「えぇ。いい意味で言えば、ですが。」

「…悪い意味で言えば?」

「依存です。」

「…。」

「殿下の仰る通り、人間は不完全で不安定な生き物です。それ故に人は何かに縋っていなければ生きていけません。金、名声、権力、酒、女、宗教…夫人の場合は娘、でしょうか。」

「…依存、ね。」



それはどんな言葉よりもしっくりきた。



「…あぁ、醜い。」

「殿下?」

「それらに縋って依存して、思考も思想すらも奪われて。まるで奴隷のようじゃないか。」

「否定はしません。」

「皇族の老害どももそうだ。偉そうな口を叩いていても、所詮は魔力に依存しきっている奴隷だ。」

「…。」

「あ、安心して。ラルフは老害の中に入っていないから。」



ちなみに叔父は、老けて見えるがまだ20歳。父の10個下だ。



「こう見えて僕は叔父様のことを尊敬しているし、信頼もしている。」

「光栄です。」



叔父は真面目すぎて頭の固いところはあるが、すぐに逆上する父とは違い、常に冷静沈着で物事を俯瞰的に観ることの出来る素晴らしい人物だ。

正直、父よりも叔父の方が皇帝に相応しいとさえ思う。叔父は内面だけでなく魔力の質も父以上に優れているからだ。だが老害どもは父を選んだ。理由は単純。第1皇子である父が皇位継承権を持っていたからだ。弟という存在は、どれだけ能力があったとしても、もしものときの代用品なのである。



「…珍しいですね。」



暫くの沈黙ののち、叔父はぽつりとそう呟いた。



「何が?」

「殿下が一人の人間に興味を持たれていることです。」

「エリザは特別だからね。」

「………。」



叔父は何か言いたげな視線を僕に向ける。視線というものは時に雄弁だ。叔父が今何を考えているのか手に取るようにわかった僕は肩を竦めてみせた。



「安心して。僕はエリザを自分の妃にしたいとかは考えていないから。」

「…本当ですか?」

「本当だよ。神に誓ってもいい。」

「あぁ、それを聞いて安心しました。エリザベータ嬢はビスクドールのように美しい令嬢ではありますが、残念ながら皇后の器ではありません。」



そう言って叔父は僕に1枚の羊皮紙を差し出した。



「これは?」

「見ればわかります。」



言われた通りに羊皮紙に目を通せば、そこにはエリザベータ=コーエンが今まで犯した失態が事細かに綴られていた。



「…わざわざ用意したの?」

「元々用意していたものです。」

「ということは他の令嬢の報告書もあるんだ?」

「勿論。殿下の婚約者候補全ての報告書をご用意しています。」

「へぇ。」

「殿下のお相手は私がしっかりと見極めさせていただきますので、ご安心を。」

「あはは。叔父様は昔から心配性だね。」



僕はエリザの報告書を燃やし、塵に変えた。



「暇なの?」

「殿下に害をなすもの全てを排除するのが私の役目ですから。」



あからさまに機嫌が悪くなる僕を見ても、叔父の顔色はまったく変わらない。



「相変わらず叔父様は仕事熱心で、涙が出そうだよ。」

「お褒め頂き光栄です。」

「褒めてない。」



お堅い叔父に呆れた僕は溜息をつく。そのきっちりと分けられた前髪を燃やしてしまおうか。


叔父の報告書の読む限り、エリザはお世辞にも出来の良い娘とは言えない。

だがあの子を世間の常識に当てはめること自体が間違っている。

エリザは世間擦れしない無垢なる花。人の手がなければ、すぐに枯れてしまうような繊細で尊き存在なのだ。

そんな彼女を醜く貪欲な人間どもと一緒にしないで頂きたい。



「…エリザベータ嬢を自分の伴侶にするつもりがないのでしたら、何故そんなにも気にかけるのですか?」

「そんなに気になることかな?」

「気になることですよ。今まで人間を見下していた貴方が、年端もいかない少女に肩入れしているのですから。はっきり言ってこれは異常です。」



仕上げに眼鏡をくいっと押し上げ断言する叔父に、思わず苦笑いをする。



―…異常、ねぇ…。



僕からすれば、僕と同じように人間に対する興味が希薄な叔父が、こんなにもエリザのことで突っかかってくることの方が異常だ。

それほどまでにエリザの存在をよく思っていないのだろう。

やはり彼女の本来の価値を分かってあげられるのは僕しかいない。



「…ひとつ例え話をしようか。」

「例え話…ですか。」

「そう。」



頬杖をついた僕はそばに立っている叔父を見上げて、にっこりと微笑んだ。



「もし神蟲(しんちゅう)を見つけたら、ラルフはどうする?」







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