131話
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「―いたっ」
人差し指の先に、チクリと針に刺されたような痛みが走り、反射的に手を引っ込めた。
「姉上?大丈夫ですか?」
「…大丈夫よ。薔薇の棘が刺さっただけたから。」
自身の指先を見てみれば、ぷっくりと血の玉が盛り上がっている。
自身のそそっかしさに呆れて、私は小さくため息をついた。
「見せてください。」
「別に見せるほどじゃ…」
「見せてください。」
「……。」
彼の圧に根負けした私は、渋々彼の前に差し出した。すると彼のシトリンの瞳が、咎めるような鋭い目付きに変わった。
「…血が出ているじゃないですか。」
「これぐらい平気よ。」
300年前、淑女の教養のひとつとして刺繍を嗜んでいた私にとっては、これぐらいの傷は日常茶飯事だった。
昔は刺すたびに舐めて治していたが、彼の前でそんなはしたないことは出来ない。
「小さな傷でも甘く見ないでください。傷口から雑菌が入り込んで化膿してしまうおそれだってあるのですから。」
ユリウスの瞳がサファイア色に煌めき、私の指先に出来た小さな傷が、すっと消えた。
「あ、ありが…」
と、言いかけて、慌てて口を噤んだ私はそのまま俯く。
…いけない。また騙されるところだった。彼の優しさは私を気遣うものではない。
しばらく沈黙が流れたあと、小さなため息が聞こえてきた。そのため息にふと顔を上げた瞬間、私は息を呑んだ。
彼の瞳が、まるで底の見えない沼のような暗く妖しげな光を帯びていたからだ。
その視線の先にあるのが、彼の手元にある青薔薇であることに気が付いた私は、考えるよりも先に彼から鉢植えを奪い取っていた。
「…姉上?」
私の行動が意外だったのか、いつものシトリンの瞳に戻ったユリウスはキョトンとした表情をしている。そんな彼から鉢植えを隠すように胸に抱え込んだ私は、ユリウスに鋭い視線を向けた。
「…何を…するつもりだったの?」
「その失敗作を燃やそうとしました。」
「なっ、」
彼の口から飛び出した物騒な言葉に、言葉を失う。
ユリウスは静かな口調で、ほとんど関心もないかのように淡々と話しを続けた。
「元々、処分する予定だったんですよ。その花、みすぼらしいでしょう?小さくて、花びらの数も少なくて、色も出ていない。そのくせ棘だけはご立派で……。こんな出来損ないの花、処分する理由としては十分すぎますよね。」
「………。」
空いた口が塞がらない。
人のことは言えないが、彼は人間として大切な何かが欠如している。
何故今まで彼の異常性に気付けなかったのだろう。今更ながら、彼を盲目的に信用していた自分が信じられない。
1歩前に出てきたユリウスは、私に両手を差し出した。
「ですから姉上、その失敗作を僕に渡して下さい。」
「その失敗作って言い方、やめて頂戴。不愉快だわ。」
「…。」
腕の中に居る青薔薇が震えている。果たしてそれは、花が震えているのか、それとも私が震えているのか。
私は鉢植えをギュッと抱き締め、彼に向き直った。
「…貴方は失敗作というけれど、私から見れば奇跡の花よ。」
「…奇跡?」
「だってそうでしょう?どんな姿であれ、世界に存在しない青薔薇が1輪だけ咲いたのだから。これ以上の奇跡があるかしら?」
「……。」
「確かに薔薇と比べたら華やかさには欠けるかもしれないけれど、私はアネモネみたいで綺麗で可愛いと思うし、棘だってこの花が一生懸命生きようとしている証でしょ。」
正直、彼に話が通じるとは思わないが、このまま青い薔薇が処分させるのを黙って見ているつもりはない。
「そうやって貴女がその失敗さ……花に心を砕く必要はありませんよ。花に感情なんてものは存在しません。貴女がどれだけその花のことを想っても、結局は無駄なことなんです。」
呆れ果てたような、冷たく突き放すような、そんな彼の態度に私はムッとした。
「感情がないからといって、貴方のエゴで咲かせた花を燃やしていい理由にはならないわ。」
「……。」
私の言葉が癇に障ったのか、ユリウスの片眉がピクリと動き、氷のように冷たい視線をこちらに向けてきた。その鋭い視線に内心怯んでしまったが、それを悟られないよう私は睨み返した。
つかの間の睨み合いが続いたが、先に目を逸らしたのはユリウスの方だった。
「…貴女が何を言おうと、僕にとっては失敗作に変わりはありません。」
「…っ、貴方はどうしていつも…っ」
「ですが、」
私の言葉を遮ったユリウスは青薔薇を一瞥すると、その視線を地面に落とした。
「貴女が綺麗と思ってくれたのなら、その花が生まれた価値はあったのでしょうね。」
「……。」
目が瞬く。
思わず虚勢の仮面がずり落ちてしまうほど、彼の言葉は私にとって意外だった。
不意打ちを食らい呆気に取られた私は、彼を見つめることしかできない。
再びユリウスはこちらに両手を差し出した。
「姉上、鉢植えをこちらに。」
「…。」
返事もせず、動きもせずに、ただギュッと鉢植えを胸に抱えたままの私に、ユリウスは小さく苦笑いを浮かべた。
「安心して下さい。もう燃やそうとはしません。」
「…。」
今の彼からは、先程の不穏な雰囲気は感じられない。だが、彼は息をするように嘘を言う男だ。そう簡単に信じられるわけがない。
猜疑深い表情をする私に肩を竦めて見せた。
「その花は少し変わっておりましてね、」
ユリウスは話しながら後ろに振り向き、背後にあった柱に付いている扉のドアノブに手をかけた。
「冬の植物の遺伝子を掛け合わせた訳ではないのですが、何故か温室ではなく外の気温を好むみたいなんです。」
ドアノブを回し、ユリウスは扉を開け放った。
その瞬間、針で刺されたような凄まじい冷気が全身に襲いかかってきた。




