129話
ユリウスに手を引かれながら、奥へ奥へと足を進める。
久々の散歩のおかげか、溶けていた理性が徐々に形を取り戻しつつあった。
ユリウスが言う通り、この温室には毒のある植物だらけだ。よくまぁここまで集められたものだなと感心すら覚える。だが感心する一方で、私の頭の中に新たな疑惑が浮かんでいた。
改めて、この温室は趣味の域を超えている。温室の奥に行けば行くほど、彼の毒に対するおどろおどろしい執着を感じた。
ただの趣味でないとしたら、何故彼がこんなにも大規模な施設を作ったのか。もしや、これらの毒を利用して私を殺そうとしているのではないだろうか。
それならば、今まで屋敷の存在を隠していたことや、毒のある植物だけを育てていることも納得できる。
今の彼は穏やかに植物の解説をしているが心の中では、どの毒で殺そうかと考えているかもしれない。
本当は彼に直接「私を殺すつもりなのか。」と聞いてみたい。だが彼に「そうだ。」と肯定されてしまうのが、堪らなく怖かった。
今の私にできることといえば、彼を刺激しないようただ黙って、彼に導かれるまま温室の奥に足を進めることだけ。
…だが、本当にこのまま奥に進んでも大丈夫なのだろうか。彼は気分転換の散歩だと言っていたが、本当は最期の情けのつもりで、奥で私を殺そうとしているのでは?
しかし、そんな私の心境とはうらはらに、奥で待っていたものは意外なものだった。
*****
しばらく蔦と蔦の隙間から月の光が洩れる緑のトンネルを歩いていると、鼻先に何やら甘やかな香りが漂ってきた。最初は気のせいかと思っていたが、その香りは奥に進むほど、より濃密なものになっていく。
洗練された、濃厚な甘い香り。
―この香りは…
緑のトンネルが終わり視界が開く。
私は眼前に現れた鮮やかな青の世界に息を呑んだ。
温室の奥にあったもの。それは、青薔薇と緑に囲まれた小さな庭園「ローズガーデン」だった。
庭園の中央には、天井に繋がる1本の扉付きの白い柱が設えており、その柱には蔦薔薇が一面に絡み合っている。
そして、扉の近くには簡易的な白い椅子と机があり、その机の上には分厚い本や紙類が散乱していた。
まるで、おとぎ話の世界に迷い込んでしまったかのような空間に思わず言葉を失う。
しばらく青薔薇の庭園に魅入っていた私だったが、ふと頭の中に素朴な疑問が浮かんできた。
「…薔薇にも毒があるの?」
ここに辿り着くまで見てきた植物の殆どが、毒草や毒花ばかりだった。だからこそ、この温室にある薔薇園の存在に違和感を覚えた。
私が知らないだけで、薔薇にも毒があるのだろうか。
そんな私の質問に、ユリウスは「いえ。」と小さく首をふった。
「薔薇に毒はありません。」
「そうよね…。じゃあ、単純に薔薇が好きなの?」
「その逆です。僕は花の中で1番薔薇が嫌いです。」
「えっ、どうして?」
「薔薇はお高くとまっているような感じがして、あまり好きになれません。」
「……。」
口の端が引きつくのを感じた。美しく気高い薔薇を、お高くとまっている感じで嫌いだなんて………どう考えたら、そんな屈折した考えになるのだろうか。
だが嫌いと言う割には、この薔薇園は素人から見ても丁寧に手入れされていると思う。
彼の矛盾した行動に、顎に指を添え首を傾げる。
―………そういえば、
ふと、私の脳裏に昔の記憶が蘇った。
300年前、彼が私に豪華な薔薇の花束を贈ってきたことがあった。もしや、あの花束には私に対して「お高くとまっていて気に食わない。」という意味が込められていたのではないだろうか。だから、メッセージカードが白紙だった…?
「………。」
眉間にしわを寄せ、黙り込んでいる私に気付いたユリウスは不思議そうに首を傾げた。
「姉上、どうかしましたか?」
「……えっ……いや…その…。…そうね。…薔薇が嫌いなら、どうして育てているの?」
「……。」
誤魔化すために新たな質問を投げかければ、ユリウスは一瞬何かを考え込むかのように顔を伏せた後、視線を周りに咲いている青薔薇に向けた。
「……青い薔薇を、見てみたいと思ったから…ですかね。」
「青薔薇を?」
「えぇ。…知っていますか?薔薇には青い色素がないので、青い薔薇が咲くことは有り得ないんですよ。」
確かに青薔薇がこの世界に存在しないという話は聞いたことがある。だからこそ、不可能を可能にする〝青の魔力〟を持つ皇族の紋章は青薔薇が用いられているのだ。
私もユリウスと同じように視線を青薔薇に向ける。
「でも、咲いているわよね?」
世界に存在するはずのない青薔薇が、月の光を浴びながら全盛期のように庭園のあちらこちらで咲いている。それに、皇宮で開かれる式典や巷の花屋で綺麗に咲いている鮮やかな青薔薇を見かけたことがある。
これは一体どういうことなのだろうか。
「あぁ、これは…」
不思議そうに辺りを見回す私に、ユリウスは小さな笑みを浮かべた。彼の瞳に一瞬だけ、寂しげな陰りが宿る。
「全て偽物ですよ。」
そう言ってユリウスは片手を月に掲げ、パチンッと指を鳴らした、次の瞬間、青薔薇が表面が一斉に溶け始めた。
「―えっ」
ドロドロと青色の染料が煉瓦の地面に落ち、薔薇たちは染料の下から本来の素顔を表した。
「…白い…薔薇?」
先程まで貴婦人のようにしずしずと煌めいた青薔薇たちは、一瞬で純真な乙女のような白薔薇に姿を変えた。
白薔薇は、天井から降り注ぐ月明かりに照らされて、淡く月色に煌めいている。最初から自分たちはここに居たよと言っているかのように、その姿は堂々たるものだった。
「蛾が蝶になれないように、白薔薇も青薔薇にはなれません。巷で売られているものも、皇族の式典で用いられるものも、全ては白薔薇を青色の染料で染めたもの。青薔薇なんてものは、この世界に存在しないのです。」
「……。」
「…ねぇ、姉上。」
呼ばれた私は白薔薇からユリウスに視線を向ける。目が合うとユリウスは痛々しく笑った。
「もしかしたら…薔薇だけでなく、この世界も全ては嘘で塗り固められた虚像なのかもしれませんよ。」
穏やかな口調とはうらはらに、彼の声は冷え冷えしていた。その声に、はっと夢から醒めたような感覚を覚えた私は、思わず繋いでいた手を離した。




