116話 BADEND
《注意》
・116話のBADEND
・ifストーリー
・誰も幸せにならない(一部を除いて)
・地雷要素あり
全て注ぎ終えたのか、湿った音を立てて唇が離れた。あとには唾液とそれ以外の液体が糸を引いて、私の口元につぅーと垂れる。それをユリウスは静かに眺めていた。
彼もまた、私と同じように唇の端から一筋の柘榴色の液体が垂れていた。
それを見て、私は彼に何を流し込まれたのかを悟った。
―――これは彼の血液だ。
その瞬間、全身からさーっと音を立てて血の気が引いていくのがわかった。
〝青の魔力〟を含む血液は良薬にも劇薬にもなりえる。
カモミールティーに混ざっていた僅かな血液量でさえ、私に躁鬱状態のような精神障害をもたらした。今回の量は、その時の量の比ではない。これを飲んでしまったら私は―――
これは今すぐに吐き出すべきものだ。
そう、頭ではわかっている。だが、淑女としてのプライドがそれを許さない。
吐き出すことが出来ず、だからといって飲み込むことも出来ずにいた私は、目じりに涙を溜めながら込み上げてくる吐き気を必死に堪えていた。
「姉上。」
甘く優しい声に、私はビクリと肩を震わす。涙で滲む視界には、私の心を何もかも見透して、全てを優しく理解するような、まるで聖母像のように微笑んでいるユリウスがいた。
その顔を見て、何故か私は泣き出しそうになった。半月ぶりに父に会えた時のような感覚に少し似ているような気がする。
ユリウスのしなやかな人差し指が、私の顎に伝う血を掬い、そのまま唇に塗り付けてきた。私の唇は、紅をさしたかのように陰鬱な赤に染まる。下唇と上唇を塗り終えた指は、ピタリと唇の中央で止まった。
「そのまま呑み込んでください。」
そう言うユリウスの瞳は、本物の宝石のように煌めいていた。それは人を惑わす不穏な光。その光に触れてしまえば、きっと元いた場所には帰れない…。
―――飛んで火に入る夏の虫。
わかっていても惑わされてしまう私は、やっぱり虫なのかもしれない。
すぅーと頭の中に白いモヤがかかり、思考が麻痺していく。
…何故、私はこんなにも拒んでいるのだろう。拒む理由が無いのなら、受け入れてしまえばいい。
そう思った私は、口の中にある液体を、喉を鳴らして飲み込んだ。
―……あ……
生暖かい液体が食道を伝い落ちる。
そして、胃の中からぽちゃんと何かが堕ちる音がした。
「よく出来ました。」
そう言ってユリウスは、蠱惑的に笑った。
―あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁぁ
飲んでしまった…飲んでしまった…!!何故、何故、何故…!!!
私の中に激しい後悔が渦巻き、ガタガタと身体を震わせる。
目を見開き、意味もなく両手で口元を押えた。吐き出さなければ、だが、方法が分からない。今の私には何も分からない…!
ぐるぐると意味もなさない言葉達が頭の中を駆け巡る。そして、それは前触れもなく、プツン途切れた。張っていたピアノ線が切れるかのように。
糸を切られた操り人形のように前に崩れ落ちる私を、ユリウスは抱きとめた。
「ふふ、いい子、いい子。」
彼はまるで子供を褒める母親のように、優しく頭を撫でてきた。
それがあまりにも気持ちよくて……私はのしかかる虚脱感に身を任せ、深い眠いの底に沈んでいった。
*****
甘い香りに誘われ、深い眠りの底に沈んでいた意識が浮上する。
重い瞼を開ければ、目の前には満天の星空が広がっていた。星空からはふわふわと白い欠片が舞い降りてくる。
雪…だろうか。
頭の半分はまだ温かい泥のような無意識の領域に留まっており、なかなか夢と現実の区別をつけることができない。
ぼんやり眼のまま、白い欠片を掴もうと星空に向かって手を伸ばす。すると、手の内に何かを掴んだ感触が伝わってきた。腕をおろし手をひらくと、そこには雪ではなく1枚の花びらが手の平におさまっていた。
どうやら辺りに漂う甘い香りの正体は、この花からのようだ。まるで林檎のような甘い香り。
…あぁ、そうか。
ここは、カモミール畑。いつもの夢の世界だ。
突然、風がざぁーと吹き、花びらを舞いあげる。
私はむくりと上体を起こし、当たりを見回した。
いつも見ている夢と同じく、カモミール畑は果てしなく何処までも続いている。
だが、〝彼女〟がいない。白いドレスを身に纏う不思議な少女。いつもなら勝手に話しかけてくるのに…。
不思議に思った私は彼女を探そうと腰を上げようとした。
「彼女はここに居ませんよ。」
突然、背後から何者かに話しかけられた私は弾かれたかのように、後ろを振り返った。
「……えっ」
そこには、ひとりの少年が立っていた。
歳は5、6歳ぐらいだろうか。
少し癖のあるミルクティー色の髪に、満天の星空のように煌めく蜂蜜色の瞳。
中性的な顔立ちの少年は、白いワイシャツにサスペンダー付きのパンツを纏っていた。パンツと黒のガーターソックスの隙間から除く膝小僧は丸く柔らかそうだ。
まるで天使のように可愛らしい少年は、カモミールを口元にあて、にっこりと微笑んでいた。
「おはようございます、姉上。」
私を姉上と呼ぶのは、この世にたった一人しかいない。
「…もしかして……ユーリ?」
「はい、そうです。」
「な、なんで小さいの?」
困惑する私にユリウスはくすくすと笑った。
「貴女の好みに合わせてみました。」
「…は?」
「どうやら貴女は庇護欲をそそるようなのが好みみたいなので。」
そう言うとユリウスは、手に持っていたカモミールを口の中にほおり投げた。
もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲みこむ。その一部始終を私は唖然と眺めていた。
「さ、姉上。行きましょうか。」
カモミールを胃の中に収めた小さなユリウスは私の手を引く。それに、私ははっと我に返った。
「ちょ、ちょっと待って…!」
「はい?」
足を止めたユリウスは、不思議そうにこてんと首を傾げ、私を見上げてきた。その暴力的な可愛らしさに、心臓が止まりそうになった。
……彼の言う通り、私は小さな少年が好きなのだろうか。
いや、この可愛さだったら誰だって…いやいや、そんなことよりも。
「ど、何処に行くつもりなの?」
それだけではない。彼に聞きたいことが山のようにある。
何故、彼がここに居るのか、一体何が目的なのか、彼の言う彼女とは一体誰なのか……
私の戸惑いが伝わったのだろう。ユリウスは、私を安心させるかのように優しく微笑んだ。
「彼女に会いたいのでしょう?」
「え…」
「僕が彼女に会わせてあげます。」
*****
小さなユリウスに手を引かれ、どれぐらいカモミール畑を歩いたのだろうか。何時間も歩いたような気もするし、ほんの一瞬のような気もする。いくら歩いても景色が変わらないので、いまいち距離感がつかめない。
何処までも続くカモミール畑に気が遠くなってきた頃、ふいにユリウスが足を止めた。
どうしたのだろうとユリウスを見下ろして、私は目を見開いた。
ユリウスと私の足元には、いつの間にか透明な棺が存在していた。まるで、突然あらわれたような感覚に襲われる。
ユリウスは軽く手を引き、覗き込むように促してきた。私は素直に棺を覗き込み、思わず息を呑んだ。その棺の中には、ずっと探していた白いドレスを身に纏う彼女が横たわっていたのだ。
血の気のない肌の色に、静かな寝顔。それにこの棺…。まさか…
「死んでいませんよ。」
その声にはっとした私はユリウスを見下ろした。ユリウスは私を見上げにっこりと微笑む。
「眠っているだけです。」
「眠っている…?」
「えぇ。彼女は少し喋りすぎていたので眠ってもらいました。」
彼女は生きている。
……それなのに、安心できないのは何故だろう。
「こうしてガラスの棺に入れておけば、彼女は永遠に枯れることのない美しい姿のままなんです。…ね、素敵でしょう?」
ユリウスは愛らしく同意を求めてきたが、私は素直に頷けなかった。なぜなら私は、永遠の中で苦しんでいた彼女のことを知っていたから。
小さい頃は、枯れてしまった花を見て、枯れずにずっと咲いていればいいのに、とよく思っていた。だが、それは花にとってはどうなのだろう。その美しい姿を永遠に閉じ込めたいと思うのは、人間のエゴなのではないだろうか。
彼女は言っていた。助けて、と。だからきっと、彼女はこんなことを望んでいないはずだ。
「ユーリ、こんなことはやめて。」
「…どうしてですか?」
ユリウスは不思議そうに首を傾げる。
「彼女が可哀想よ。」
「可哀想…?…ふふっ」
突然、ユリウスはくすくすと笑い出した。一体何が可笑しいのだろうか。
「人間である貴女が、彼女に心を砕く必要はありませんよ。花も虫も感情なんてものは存在しない。だから気にするだけ無駄なのです。」
そう言うとユリウスは繋いでいた手を思いっきり引っ張ってきた。あまりにも突然だったので、抵抗する暇もなく身体が前のめりに傾く。その先には、全ての元凶である幼いユリウスが居て……
「―ッ…あっ、」
2人の人間が花畑に倒れ込み、白い花びらがブワッと舞い上がった。
反射的に手が地面に付けたので、怪我はしていない。そして、痛みもない。だが…結果的に、私が幼いユリウスを押し倒したような構図が意図せずに出来上がってしまった。頭に物凄い速さで、ノルデン帝国青少年保護法の条例がズラズラと流れる。
妙な罪悪感と背徳感に襲われた私は、堪らず悲鳴をあげ、起き上がろうとした。たが、下から伸びてきた両腕が、それを許さない。子供特有の柔らかい腕が私の首に絡みつき、ぐっとユリウスに引き寄せられた。そして…
「んぐっ…!?」
唇に柔らかな感触がぶつかった。
今度はすぐに、それがユリウスの唇だということがわかった。
慌てて離れようとするが、彼の腕は鎖の如くかたくなに解けない。その小さな身体の何処にそんな力があるのだろうか。
咄嗟に彼の顔を叩こうとしたが、私は躊躇してしまった。中身は卑劣なユリウスではあるが、見た目はか弱き天使そのもの。そんな彼を叩くだなんて、己の良心に反する。
もし、それが狙いで幼い頃の姿になっているとしたら、本当に卑劣な男である。
困惑する間もユリウスの動きは止まらない。彼の小さな舌が、私の唇をなぞり始めた。まるで、こじ開けようとするかの動きに私はゾッと戦慄した。この人はまた血液を飲ませる気なのかと。
私は固く唇を結ぶ。それが気に食わなかったのか、ユリウスは不機嫌そうに眉をしかめ、私の上唇を噛んできた。
痛くはない。だが、驚きのあまり私は口を開いてしまった。その一瞬の隙をユリウスは見逃さなかった。
「んっ、ふ…ぁ……っ」
彼の濡れた舌が、私の口腔に差し込まれた。
初めての経験に頭の中が真っ白になる。何故、舌を入れる必要があるのか、私には全く理解出来なかった。だが、本能的に危機を察した私は、拒もうと顔を背ける。するとユリウスは角度を変え、より一層唇を深く塞いできた。
「んんッ、?!」
彼の舌は、まるで抵抗する私を叱りつけるかのように私の舌に絡みつく。熱くねっとりとした感触が舌を擦られる度に、得体の知れない感覚が迫り上がり、身体が震える。
彼の舌に翻弄され続け、抵抗する力を吸い尽くされていく。それを満足げに見つめているユリウスの視線に私は気付かない。
「……ふふ、…ん……気持ちいい……ですね?」
行き場を失い溢れ出る唾液を啜り上げながら、ユリウスは甘く囁く。その囁き声に私は泣きそうになった。気持ち良くなんてない。未知の感覚が怖くて怖くて堪らない。私は首を横にふり否定した。
「…も、…もうっ、やだ……っ」
「どうして?」
「……こ、怖い…!」
「怖くないですよ。ほら、僕につかまって。……そう、いい子。何も怖いことなんてない。ただ気持ちいいだけですから。」
先程とは違い、ユリウスの舌の動きが穏やかになった。私の歯列や頬の裏など、優しく撫でていく。その度にピクリと身体が魚のように跳ねた。
「……ほら、貴女も絡めて。…一緒なら怖くないでしょう?」
ユリウスの優しい声音が、麻薬のように私の脳髄に染み込んでくる。
―……一緒なら…怖くない…?
私はユリウスの小さな身体に縋り付き、見よう見まねで舌を絡め返す。するとユリウスは嬉しそうに、双眸を眇めた。
「そう、それでいい。」
いつの間にか、口の中に濃密な鉄の味が広がっていた。だが、もう構わない。恐怖を忘れる為に、私は快楽だけを追い求める。怖いのは嫌。痛いのも嫌。でも、快楽は、いい。
私とユリウスは口元を真っ赤に染めながら、互いの体液を貪り続ける。
傍から見れば、それは共食いをしているように見えたかもしれない。
視界の端に見えた、真っ赤に染るカモミールを見て、もう戻れないことを悟った。
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親愛なるお父様へ
春とは名ばかりに厳しい寒さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
おかげさまで私の方は風邪を引くこともなく、元気に過ごしております。それに、あの子も毎日会いに来てくれるので、寂しくありません。だから、私のことは心配しないでくださいね。
あれから1ヶ月。時が過ぎるのは早いものです。
相変わらず流行病が猛威を奮っていると、あの子から聞きました。危険区域にいるお父様やベル達が感染しないかと毎日心配しております。
雪解けの頃には流行病も落ち着き、直接お会い出来ればいいですね。その時は、あの子と私とお父様、3人でピクニックにでも行きましょう。
その日を楽しみに、この寒さを乗り越えます。
余寒なお厳しい時節ですが、どうぞご自愛くださいませ。
貴女の娘、エリザベータより
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手紙を書き終えると、扉をノックする音が聞こえてきた。
私はペンを置き、扉を開ける。そこには、外から帰ってきた弟のユリウスが立っていた。
「ただいま帰りました。」
「お帰りなさい、ユーリ。大丈夫だった?」
「えぇ。大丈夫ですよ。」
にっこりと微笑む義弟に、私はほっと安堵の息を吐いた。
今、ノルデン帝国には未知の感染病が流行っているらしく、外出制限が設けられているのだ。だが、義弟は抗体?を持っているらしく、外に出ても大丈夫らしい。
「姉上、僕がいない間に何か変わったことはありませんでしたか?」
「なにもなかったわ。」
逆に何も無さすぎてつまらないと言えば、ユリウスはくすくすと笑った。
「そう言うと思って、新しい本を何冊か買ってきました。」
「!流石ユーリ!ありがとう…!」
義弟から本を受け取った私は、嬉しさのあまり、その場でくるくると回る。
「あ、そうだわ。ユーリ、これをお父様に渡して欲しいの。」
先程まで書いていた手紙を義弟に差し出す。義弟はそれを「わかりました。」と言って受け取り、懐にしまった。
離れて暮らしているお父様とは、義弟を通して文通をしているのだ。
「ねぇ、父様は元気だった?」
「病原菌を弾き飛ばすぐらいには、元気でしたよ。」
「あら、そうなの。ふふっ」
義弟は、こうして毎日私の様子を見に来てくれる。私には抗体?が全く無いらしく、1番感染のリスクが高いらしい。だから、帝都から離れたこの御屋敷に避難しているのだ。
外の世界を遮断した私にとって、外の世界を知る義弟の言葉はとても貴重だった。
「殿下は元気?」
皇族が病原菌の抹消に尽力を注いでいるとユリウスは言っていた。だから、またあの人が無茶をしているのではないかと心配だったのだ。
「元気ですよ。」
「本当?」
「えぇ。毎日元気に、虚構の愛を薄紅の女帝に囁いています。」
「え?」
「ふふ、何でもありませんよ。…さぁ、姉上。」
義弟の両手が、私の頬を包み込んだ。
「お薬の時間です。」
「…ん…っ」
義弟の唇が私の唇に重なった。
何度もしているが、どうもこの柔らかい感触に慣れない。でも、お薬は大好き。
抗体?を持たない私は、こうして義弟からお薬を貰わないとすぐ感染してしまう、らしい。そう義弟が教えてくれた。私にとって、義弟の言葉が全てだ。
私は素直に口をあける。すると、義弟の口から生暖かい液体を流し込まれた。私はそれをゴクゴクと飲み干していく。
最初は鉄臭くて嫌だったけど、今は全然平気。慣れてきたからなのだろうか。義弟のお薬はカモミールティーの味して、とても美味しいのだ。
美味しくて、気持ちよくて、ふわふわして……もっと欲しくなる。
私は強請るように義弟の舌に自身の舌を、絡ました。すると、義弟の唇はすっと離れてしまった。
「駄目ですよ、姉上。」
「…意地悪。」
「意地悪ではありません。どんな良薬でも、飲みすぎは良くありませんから。」
「…。」
義弟は基本的に私に甘いが、変なことろで厳しい。私はむっと唇を尖らせた。
「飲まないと心配なの。感染してしまうわ。」
私はお薬を飲みたいが為に嘘を言った。感染は怖いが、正直そこまで心配はしていない。ここに居れば安全だと義弟が言っていたからだ。
そんな私の魂胆など、まるっとお見通しの義弟は、やれやれと肩をすくめた。
「大丈夫ですよ。姉上は感染しません。ここに居る限り、絶対に。」
この話しは。耳にタコが出来るぐらい聞いた。
「お庭に咲いているカモミールが、世界から僕達を上手く隠していますから。」
何度も聞いたけど、義弟の話しはよく分からない。最近、考えることが、とても億劫なのだ。それもお薬の副作用と義弟が言っていたが、正直どうでもいい。
お薬は美味しくて、ふわふわしてて、幸せな気持ちになるのだ。
だから、それ以外はどうでもいい。
世界に義弟が、居れば、それでいい。
私は大好きな義弟の首筋に顔を埋め、静かに目を閉じた。
バイバイ、世界。
BADEND「血液依存症」




