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私は貴方を許さない  作者: 白湯子
第7章「温室栽培」
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110話



早朝に公爵領を出発した私たちは、特にトラブルもなく順調に帝都に向かっていた。


幸いなことに天候にも恵まれ、これなら夕刻までには辿り着くだろう、と先程、御者が最後の休憩所で教えてくれた。



『わぁー!』



車窓から見える風景は、いつの間にか見慣れた雪景色に変わっていた。

向かいの座席に座っているエーミールは、車窓に張り付きながら感嘆の声を上げている。こうして子供のようにはしゃいでいる彼の姿は見ていて微笑ましい。



『…あ、』



私の視線に気付いたエーミールは、恥ずかしそうに車窓から顔を離し、元々猫背の背中をさらに丸めて俯いてしまった。

男性に対して、こんな事を思うのは失礼かもしれないが、そのいじらしい仕草を見て可愛いなと思った。



『雪を見るのは初めて?』

『う、うん。デューデンでは、雪、降らないから…。』

『冬でも降らないの?』

『降らないよ。少し寒くなるだけで…。』

『へぇ。羨ましいわ。』

『うらやましい?』

『えぇ。だって、雪が降ると大変なんだもの。一気に寒くなるし、外を歩けば雪に足を取られるし、酷い時には家から出られなくなるのよ。』

『……。』



雪を見て綺麗だとは思うが、圧倒的に大変なことの方が多い為、あまり良い思い出がない。だから、私はただ寒いだけの冬よりも暖かい春の方が好きだ。



『あ、あの…!』



珍しく声を張り上げたエーミールに、私は首を傾げる。



『何?』

『えっと、その、き、君の瞳はき、綺麗だよ…!』

『……………はい?』



脈略のない突然の褒め言葉は、私に喜びではなく困惑をもたらした。



『初めて見た時から、コガネムシみたいに綺麗な翡翠色だなって思っていたんだ。』

『……………は?』



koganemusi?

コガネムシ?

黄金虫?


脳内に浮かんだのは、ずんぐりむっくりとした丸みのある緑色の生き物。それは、どう足掻いても………



『…………虫?』

『そ、そう…!コガネムシはね、宝石甲虫って言われるぐらい、綺麗な虫なんだ。でも、その見た目に反して繁殖性が高くて、幼虫が2匹もいればバラの鉢植えが一鉢ダメになっちゃうぐらいに食欲旺盛なんだよ。あんなに小さいのに凄いよね。植物を育てている人には、けっこう厄介な奴みたい。あとね、コガネムシの糞にはフェロモン臭っていうものがあって、それに誘われて成虫が集まってくるという効果がーーー』

『………。』



やや興奮気味にコガネムシについて熱弁するエーミールに、私は言葉を失ってしまった。

今まで生きてきた中で、瞳の色を虫に例えられたのは、流石に初めてだ。

私は思わず眉をひそめ、露骨に不快感をあらわにする。



『――!あっ、ちがっ…、お、怒らないで…

!』



私の表情の変化に気が付いたエーミールは、今度はアワアワと慌てだした。



『何が違うのよ。』



正直、彼が何を言いたいのかわからない。

エーミールは、ワカメのような長い前髪の下の顔を赤くしたり青くしたり挙動不審を繰り返したのち、その口から小さな声を絞り出した。



『…き、君を、元気づけたかったんだ。』

『……私を?』



思いもしていなかったエーミールの言葉に、私は目をパチクリさせた。



『だって、君…。出発した時から、元気無さそうだったから…。』

『……。』



前々から思っていたが、エーミールは人の心情の変化に敏感だ。きっと、今までも人の顔色を伺ってきたのだろう。そしてそれが癖になっている。


…エーミールの言う通り、ビアンカにナイフを渡された時から、帝都に行くことに何とも言えない不安を感じていた。その不安は、帝都に近づけば近づくほどに大きくなっている。


自分から言い出した癖に、あの人を思い出した途端に怖気付いて、会ったばかりのエーミールに心配をかけている。そんな自分が情けなかった。

これ以上、エーミールに要らぬ心配はかけたくはない。


私はオロオロしているエーミールに向かって、微笑みかけた。



『…気遣ってくれて、ありがとう。』

『あ、いや、俺は…』

『でも、女性の瞳を虫に例えるだなんて、無作法にも程があるわ。』



彼に悪気はなく、私を心配してくれた上での褒め言葉(?)だったということは分かった。だが、これだけは譲れない。


指摘されたエーミールは、しょんぼりと肩を落とし、身体を縮こませた。



『あぅ、そ、そうだよね…。ごめん…。うぅ…俺って、やっぱり駄目な奴だよね…。いっつも似たようなことをして、気持ち悪いって言われちゃうんだ…。学習能力0の根暗野郎だよね、うん、ちゃんと分かっているよ。あぁ、こんな俺が君を元気付けるだなんて、出過ぎた真似だったんだ…。』



鬱々と自虐の言葉を呟きながら、以前のように自分の世界に入り込んでしまったエーミールに対して、どうしたものかと首を捻る。………こういう時は、話を変えた方が良いのかもしれない。例えば、彼の好きな話しとか…好きな物…好きな…。ふと、私の頭の中に、コガネムシについて妙に詳しく熱弁していたエーミールが浮かんできた。



『…虫、好きなの?』

『!う、うん…!君は…』

『ごめんなさい。虫は苦手なの。』

『ううぅ。やっぱり、そうだよね…。』



小さい頃は普通に捕まえて遊んでいたのだが、不思議なことに成長していくにつれて段々と触れなくなっていったのだ。今では、なるべく視界にも入れたくないほどに、虫に対して生理的な拒否反応を感じている。



『で、でもね、本物のサファイアみたいに綺麗な虫だって居るんだよ。』

『…サファイア?』



思わず食い付いた私の反応に、エーミールは嬉しそうに何度も頷いた。



『う、うん!ノルデンに生息している幻の虫で、名前を“ザフィーア“っていうんだ。』



―…ざふぁーあ?



そんな虫、聞いたことも見たこともない。本当にノルデンに生息しているのだろうか。

首を傾げている私に、エーミールはイキイキと、その虫について説明を始めた。



『最近の研究で発見された虫だから、君が知らないのも無理はないよ。発見されたといっても、残念ながら化石としてだけどね。でも、この化石は凄くて、なんとザフィーアの化石は琥珀の中に入っていたんだ…!はるか昔に、どういうわけかザフィーアは樹脂に覆われて、その美しいサファイアの色を残したまま化石化されていたんだよ…!ね、凄くない?非常に珍しいって、今、学者達が興奮しているんだ。俺も、この文献を読んだ時はかなり興奮しちゃったよ。何万年も前の生き物が、そっくりそのまま宝石の中に入っているだなんて、なんかロマンを感じるよね…!学者達は、火山の大噴火でザフィーアは絶滅したって言っているけど、俺はまだ生きていると思っているんだ。だって、その時代には人間も生きていたんだよ。俺たち人間は、こうして生き残っている。だから、ザフィーアが生き残っていても不思議じゃないと思うんだ。それに、ザフィーアは人類が現れるずっと前からこの世界に存在していて、様々な環境の変化に耐えてきたんだ。そんな強い生命力を何億年も前に獲得していたザフィーアが、大噴火如きで絶滅するとは考えられないんだよね。あぁ、この目で生きているザフィーアを見てみたいなぁ…。』



普段は吃り癖のあるエーミールだが、虫の話になった途端に流暢になる。余程、虫が好きなのだろう。前髪のせいで見えないが、今の彼はきっと瞳を輝かせているに違いない。



「……。」



青い虫に、火山の噴火…。

一瞬、記憶の奥底に、ぴりっとした痛みが走る。

この話し、どこかで聞いたことがあるような…。



『―っ、あっ、ご、ごめん…!俺またベラベラ喋っちゃって…!うぅ、俺はどうしていつもいつも…。き、気持ち悪かったよね…?あ、う、ほ、ほんとっ、ごめん…!』



はっと我に返ったエーミールは、また私に平謝りをしてくる。そんな彼に向かって、私は首を横に振った。



『気持ち悪いなんて思っていないわ。私は感心していたの。』

『か、カンシン…?』

『えぇ。好きなものをとことんまで極めることが出来る貴方を、心の底から凄いなって思っていたのよ。』



私は人より秀でた取り柄というものがない。身分上、広く浅く、様々なものに関わってきたが、それは何も知らないことと同じなのだ。そんな私から見れば、エーミールは才能に溢れていて、尊敬すら覚える。



『そ、そんな…凄いだなんて…。』



エーミールは頬を掻きながら照れ臭そうに俯いた。

その素直な反応は、見ていてとても好ましい。先程の陰湿な雰囲気の彼よりも、ずっと。



『へへ…。友達も、君と同じように俺を褒めてくれたんだ。』



―…また、友達…。



『……エーミールの友達って、どんな人なの?』



彼の口から、ちょこちょこ出てくる〝友達〟のことが、少し気になってきた。



『えっと、凄く良い人だよ。こんな俺にも普通に接してくれるし…。優しくて、かっこよくて…オマケに頭も凄く良いんだ。』

『へぇ。』

『女の子は皆、彼に夢中になってたし…。君も彼を見たら、きっと好きになっちゃうよ。』

『…そうかしら。』



自分のことのように友人を褒めるエーミールには悪いが、私はその友人に対して、いけすかない人だな、と思ってしまった。



―そう思ってしまうのは、私の性格が悪いからなのかしら…。



『…貴方は、そのお友達が好きなのね。』

『えっ、う、うん。好き、だよ。初めて出来た友達だし……へへ、何か口にすると恥ずかしいなぁ。』



エーミールにこんなにも大切に想われているその友人が心底、羨ましく感じた。



『君にも、そういう友達っている?』

『私?私は…』



脳裏に殿下の顔が浮かんだが、私はそれを手で払う。皇太子殿下を友達だなんて、身の程知らずも甚だしい。


私にも友達はいる。だが、それはお互いの利害が一致しての関係だ。私も彼女達も家の価値しか見ていない。エーミールの言う友達とは、かけ離れたものである。


黙り込んでしまった私に、エーミールは戸惑う。地雷を踏んでしまったと思っているのだろう。要らぬ心配をかけたくないと、思ったばかりだというのに……。なんて情けない。嘘でも何でもいいからエーミールを安心させなければ。私は咄嗟に笑みを貼り付けた。



『私にも友達は…』

『お、俺が友達になるよ…!』

『…え』



エーミールの突拍子もない言葉に、笑顔の仮面がずり落ちる。その言葉の意味を飲み込むまでに数秒かかった。

黙ったままの私の反応を、否定の意味として受け取ったエーミールは顔をサッと青くして、突然立ち上がった。



『あっ、ご、ごめん…!俺なんかが君の友達になろうだなんて、あ、厚かましかったよね…!!』



そのまま馬車を降りようとするエーミールに、私はぎょっとした。



「あっ、待って、違うの…!」

『うわっ、離して…!』



思わずノルデン語に戻ってしまった私は慌てて立ち上がり、彼の腕にしがみつく。

走行中の馬車から降りるだなんて、自殺行為だ!



『う、嬉しいわ、エーミール!私も貴方と友達になりたいっ!』



私はエーミールの腕にしがみついたまま、必死に叫ぶ。すると、私の腕から逃れようと暴れていたエーミールは、ピタリと止まった。



『ほ、本当…?』

『本当よ。』

『嘘じゃない?無理していない?後悔していない?』

『嘘じゃない無理もしていない後悔もしていない。』

『………………へへ…嬉しいな…。』



へにゃりと口元を緩めたエーミールに、私は小さく安堵の息を吐く。そして、ふと我に返った私は、羞恥に頬が紅潮していくのを感じた。馬車の中で異性の腕にしがみついて、友達になりたいと叫ぶなんて…。自分が理想とする淑女像からは大分かけ離れている。


だが、不思議なことに私の胸には温かいものが広がっていた。



『私も嬉しいわ。』



凝り固まった理想なんかよりも、エーミールの友達になれたことの方が大切に思えたのだ。


私たちは元いた席に腰を下ろし、ホッと一息をつく。

エーミールも我に返ったようで、今は気恥しそうにソワソワとしていた。



『ご、ごめん…。俺また…』

『そのすぐ謝る癖は治した方がいいわね。』

『あ、ご、ごめん。…あ、』

『ふふ。』

『へへ…。すぐには治らないけど、頑張ってみるよ。』



馬車の中に、和やかな雰囲気が満ちる。初めて出来た友達がエーミールで良かったと思った。



『俺、初めて友達になろうって言った。』

『そうなの?』

『うん。自分でもビックリしてる。今まで人から逃げてばっかりだったし…口が裂けても言えなかったと思う。』

『…なら、どうして言ってくれたの?』

『友達がね、俺に言ってくれたんだ。逃げることは決して悪いことじゃないって。』

『…ん?』



今の話の流れだと、友達に逃げては駄目だと諭されました、というところに落ち着くのではないのだろうか。

頭の上にクエスチョンマークを浮かべている私に、エーミールは口元を綻ばせた。



『戦略的撤退って知ってる?』

『え?えぇ、知ってるわ。』



戦略的撤退とは、戦況を見て最終的に勝利を収めるために、局地的な戦闘において一旦退却することである。元々は軍事用語だが、今では一般的に使われている言葉だ。



『一旦逃げることで、自分のことや相手のことを振り返ることが出来る良い機会になるんだって。その人次第で、逃亡は意味のあるものに変わる。逃げることは悪いことだって決めつけていた俺にとっては、目から鱗だったよ。』

『…。』



逃げることは、悪いこと。

そして、逃げた後の罪悪感はずっと纏わりついてくるものだ。…今の私のように。その罪悪感を少しでも軽くしたくて、柄にもなくエーミールに親切心を起こしたのだ。浅ましことこの上ない。



『友達がそう教えてくれたから、俺、少しだけ考え方が変わったんだ。失敗して逃げ出しても、この先どうするかちゃんと考えて行動すれば、立て直せるって。だから…こんな俺だけど、勇気を出してみようって思えたんだ。へへ…。酷い目にはあったけど、君とも友達になれたし、ノルデンに来て良かった。』

「―――、」



その刹那、出発前のビアンカの言葉が脳裏を過った。



―――「アタシみたいに、手当り次第当たって砕けた方が、人生得なんだから。」



「――……あなたの言う通りだわ。」

『え?』

『ふふ、私も頑張ってみようって言ったの。』

『え?うん、頑張って?』

『ありがとう。』



エーミールは先程の私のように頭にクエスチョンマークを浮かべ、首を傾げている。そんな彼を見てクスクスと笑いながら、ふと車窓に視線を向けた。



―あ…。



いつの間にか、窓の外は見慣れた街並みに変わっていた。1週間しか離れていないのに、不思議と懐かしく思う。


馬車の速度が緩やかに落ち、そして完全に止まる。


私は帰ってきた。


―――あの人が居る、帝都に。






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