106話
ビアンカが客室から出ていったことにより、室内は静寂に包まれる。
ビアンカを見送った私は後ろを振り返り、先程ビアンカが座っていたベッドの傍にある椅子に腰を下ろした。
「…。」
「…。」
私とエーミールの間に、気まずい沈黙が流れる。彼も居心地の悪さを感じているらしく、ソワソワと落ち着かない様子だ。布団の中でモゾモゾと動いており、一向に眠る気配がない。このままでは、彼の身体に障るだろう。私は思い切って、エーミールに声を掛けてみた。
『…さっき、ビアンカが言っていたように、今日はもう休んだ方が良いわ。』
『!あ、はいっ。す、すみません。あの、』
『何?』
『ビアンカさんは、どこに行かれたのですか?』
もしかして、それが気になって眠りにつけなかったのだろうか。あの時、ビアンカは仕事に行ってくるとノルデン語で話していた。それをエーミールは聞き取れなかったのだろう。
『ビアンカは仕事に出たの。』
『仕事?』
『えぇ。彼女、ああ見えて領主代理の仕事をしているから、例の辻馬車の件で被害が出ないよう領民に注意を呼び掛けに行ったのよ。』
多分、と心の中で付け加える。
ビアンカは詳しい事を言わなかったが、あのタイミングで仕事に出ると言ったのだ。十中八九、辻馬車の件だろう。
『そう、だったんですね…。』
エーミールの呟きを最後に、再び室内に静寂が戻る。
これで疑問は解決したので、すぐに眠るだろうと思っていたのだが、意外なことにエーミールが再び口を開いた。
『お、俺、かっこ悪い、ですよね。』
『え?』
突然何を言い出すのかと首を傾げるが、私に構うことなく彼は吃りながらも話し続けた。
『へへっ、俺って昔っからこんな感じなんです。鈍臭くて、オドオドしてて…き、君も、どうせ俺の事、気持ち悪いと思っているんでしょう?』
『そんなことは…』
『お、俺だって自分のことは気持ち悪い奴だと思うよ。だから、皆、俺のことなんて相手にしてくれないんだ。こ、こんな、蛆虫みたいな奴、助けちゃって、君も災難だったね。へへ…。』
『……。』
堰を切ったように、聞いてもいないことをペラペラと自嘲気味に喋るエーミールは、私の返答などはなから聞く気はなかったのだろう。黙り込む私の存在など、視界に入らないようだ。敬語も途中から、何処かに置いてきている。
『き、気持ち悪い俺が、とうとう死にかけたんだ。へへ、きっと、このままデューデンに帰れば、皆の笑いものだよ?こんな、どうしようもない俺が調子に乗ったから、ば、バチが当たったんだ。はは、ほ、本当に、おかしい。自分でも、笑っちゃうよ。ね、おかしいでしょ。』
『………。』
今の彼は、死んでいたかもしれない、という恐怖心が遅れてやって来て、感情が高ぶっているのかもしれない。
『ふへへっ、君も我慢しないで、笑えばいいさ。本当は、こんな俺を見て、笑い転げたくて、し、仕方がないんだろ?へへ、へへ…』
『笑わないわよ。』
『…へ、』
椅子から腰を上げた私は、長い前髪で覆われているエーミールの額に、コツンと1発デコピンをプレゼントした。
『―っ!?な、何を…っ』
予期せぬ攻撃を受けたエーミールは、額を押えながら驚きの声を上げる。そして、勢いよく起き上がり、そのワカメのような長い前髪で覆われた顔を私の方に向けた。やっと、こちらを見てくれたことに満足した私は、口角をニヤリと上げて見せる。
…何故殿下が、私によくデコピンをしていたのか、少しわかった気がする。
『貴方の中に居た蛆虫君を弾いてあげたのよ。』
『…は…?』
口を開け、ぽかんとしたままのエーミールに、私は更に言葉を続けた。
『貴方が必死になって生きようとしたことを、笑うわけがないでしょう。』
『……。』
『私だったら、ここまで辿り着いていないわ。』
『…。』
『一生懸命頑張った貴方自身のことを、そんな風に卑下しないで頂戴。』
『……。』
…きっと、彼は自分自身をを卑下することで、自分の心を守ってきたのだろう。相手よりも先に「自分は駄目な人間なんだ。」と言っておけば、それ以上心は傷付かないから。
今の話から、彼がどんな人間なのか、少しだけ理解ができた。
自己肯定感が低く、自分に対して自信を持てないが、周りから認められたいという承認欲求はある。だが、あからさまに「褒めて欲しい。」とは言えないので、無意識のうちに自分を卑下してしまう。
そんなエーミールに、私は勝手ながらも同族意識のようなものを感じていた。それを、エーミールに言えば、一緒にするなと言われてしまいそうだが…。
悲しいことに、私もエーミールと同じく、自己卑下してしまう人間なのだ。
……だからなのだろうか。エーミールを通して、改めて自分のことを見つめ返しているような、そんな不思議な感覚に囚われていた。
300年前、私は貴族同士の繋がりを深める夜会では、自分の価値を下げ、相手を持ち上げるような会話ばかりをして、会を主催する夫人に気に入られようとしていた。そうやって、新しい人脈を築き上げていったのだ。
また同様に、自分を卑下する事で、実際に失敗した時の言い訳にもしていた。
「自分は出来損ない人間なのだ。」と、あらかじめ言っておけば、実際に何かを失敗した時も「ほら、言った通りでしょ。」と自分が張っておいた予防線のおかげでそれ以上落ち込まずに済むのだ。
恐ろしいことに、今まで、それら全てが無意識下の行動だったのだ。
自分を卑下することによって、何か得があっただろうか。…いや、そんなものはない。その場を凌いだだけで、前に進んでなどいなかった。
私は自己否定を繰り返すことによって、「自分は出来損ないの人間なのだ。」という暗示めいたものを自分自身にかけていたのかもしれない。
だからこそ、向き合おうともせずに逃げてしまう。どうせ、私には出来ないのだから、と。
―――あぁ、そうか。
私は…私自身が、「出来損ないのエリザベータ」を作ってしまったんだ。
『…2人目、』
『え?』
再び口を開いたエーミールが何かをポツリと呟いた。
『こんな俺を褒めてくれたのは、君で2人目なんだ。』
そう言うエーミールは、先程と打って変わって、穏やかな雰囲気だった。




