105話
何とか私たちに空腹であることを訴えた少年は、ビアンカの胸の中で気を失ってしまった。
この寒空の下、彼をこのままにしておけば、命に関わる。
私たちは急いで少年を館へと連れて帰った。
*****
「ほぉら、遠慮しないでドンドン食べちゃって~。」
空腹でその場から動けない状態だった少年は、ビアンカの甲斐甲斐しい介抱のおかげで、自力で食事が摂れるほど回復し、先程から拙いノルデン語で「美味しい、美味しい。」と言いながら、野菜とお肉がゴロゴロと入ったビアンカ特製のシチューをベッドの上で頬張っている。それを、ビアンカは恍惚な表情で見つめていた。
「はぁ…、今なら母乳が出そうだわ…。」
うっとりと、吐息混じりで呟いたビアンカのおぞましい発言に、背筋に悪寒が走った。どうやら、ビアンカはこの行き倒れの少年に対して、母性(?)らしきものを感じているらしい。幸運なことに、少年は食事に夢中でビアンカの怪しい発言は耳に入らなかったようだ。
こうして当然、母性に目覚めたビアンカは、嬉々として少年の世話をしている。
私はというとビアンカを手伝いつつ、彼女が少年に対して変な気を起こさないように目を光らせていた。何故ならば、彼女が密かに「たまには毛色の違うのも良いかもしれないわ。」と、獲物を見つけた肉食獣のように舌舐めずりをしているのを見てしまったからだ。
*****
その細い身体の何処に入ったのだろうか、少年は時間をかけてビアンカの愛情がこもった大量の料理を全て平らげた。
相変わらず、ワカメのような長い前髪のせいで顔が半分以上覆われている為よく見えないが、道端で見つけた時よりも大分顔色は良くなった気がする。
「ご、ごはん、ありがとうございまシタ。スゴく、助かりまシタ。お、美味しかったデス。」
そう言って少年は、ベッドの上でペコリと頭を下げた。拙い口調のせいで幼く見えるが、歳は私とそんなに変わらなそうだ。
「お口にあってのなら、良かったわぁ!」
1週間、ビアンカと過ごしてきたが、こんなにも機嫌のいい彼女は初めて見る。余程、少年の存在が嬉しいのだろう。
「遅くなっちゃったけど、アタシの名前はビアンカっていうの。で、あそこで壁の花になっている娘は蛙ちゃん。」
「エリザベータよ。」
変な事を教えないで、とキッとビアンカを睨みつければ、何故か少年の方が肩をビクリと震わせ、俯いてしまった。自分が睨まれたと思ってしまったのだろう。こういう時、自分の目つきの悪さが嫌になる。「貴方じゃないのよ。」と弁解したかったのだが、彼は(前髪のせいで目が見えないが)私と目を合わせようとはしなかった。そして、彼は俯いたまま「じ、自分の名前は、エーミール、デス。」と、どもりながら言った。
「エーミールね。いい名前だわ。」
にこりと笑ったビアンカは、ベッドの近くにあった背もたれ付きの椅子に腰掛ける。
「エーミール、お疲れのところ悪いけど、早速本題に入らせてもらうわ。…どうしてあんな所に倒れていたの?見たところ、ここら辺の子じゃないみたいだし。」
今まで、はしゃいだ口調だったビアンカは、少し落ち着いた穏やかな声でそう少年に尋ねた。その疑問は、こうして少年を看病していた間、ずっと感じていたものだ。
私も壁の近くにあったソファーに腰を下ろした。
「…えっと、自分はデューデンから来まシタ。デューデン人デス。どうして…えっと、自分は…amiko…に会いに…えっと…。」
慣れないノルデン語で必死に私たちに説明しようとするエーミール。だが、思うように単語が出てこないのだろう。俯いたまま口を閉じてしまった。
〝amiko〟…、それはデューデン語で〝友達〟という意味だ。
『お友達に会う為に、ノルデンに来たの?』
「―っ!」
デューデン語で、そう尋ねれば、彼は弾かれたかのように顔を上げた。この時、初めて彼と目があった気がする。長い前髪のせいで目が見えない為、あくまで気がする、だ。
『き、君、デューデン語、話せるの…?』
『日常会話程度なら。』
『そ、そっか…。良かった…。』
言葉の通じない他国に来て、さぞ不安だったのだろう。彼は少しだけ安心したかのように肩の力を抜いた。
『デューデン語で構わないから、一体何があったのか、私たちに話してくれないかしら。もしかしたら力になれるかもしれないわ。』
彼を安心させるように私は微笑んでみせる。すると、彼は口の中で何やらモゴモゴと呟いた。慣れないノルデン語だから吃っていたのではなく、彼は元々吃る癖があるようだ。
『アタシも簡単なデューデン語なら分かるから大丈夫よ。』
私とビアンカ、どちらもデューデン語が通じると分かったエーミールは、緑がかった黒髪の頭を掻き、吃りながらも今までの経緯を話してくれた。
『えっと…、さっき言っていた通り、俺は…学校が長期休暇に入ったので、ノルデンの帝都に居る友達に、会いに行こうとしていました。』
〝帝都〟という言葉に、ピクリと反応してしまった。エーミールは、それに気付いた様子もなく話を続ける。
『国境付近に停まっていた辻馬車を利用して帝都まで向かおうとしていたんですが……、』
そこで口を噤んだエーミールは、掛け布団を掴む手にギュッと力を入れた。その様子に嫌な予感がしたが、私もビアンカも黙ってエーミールが口を開くのを待った。
『………人気が少なくなった森をしばらく走っていたら……突然、襲われたんです。』
私は思わず息を呑む。だが、ビアンカは妙に冷静だった。
『誰に、襲われたの?』
『…っ、あ…つ、辻馬車の、御者です。』
その言葉に、ビアンカから醸し出される雰囲気が明らかに変わった。
『そ、その御者は、俺の貴重品とかを全部奪って逃げていきました…。1文無しになった俺は、町まで行けば何とかなるかもしれないと思って歩いていたら……』
『途中で力尽きちゃったのね。』
ビアンカの言葉に、エーミールは力無く頷いた。そして、その時のことを思い出してしまったのだろう。エーミールの、肩は少し震えている。それに気付いたビアンカは、エーミールの肩にそっとブランケットをかけた。
『……エーミール、話してくれてありがとう。……怖かったわよね。』
ビアンカの優しい声音に、エーミールは唇を噛み締め、コクコクと頷いてみせた。
彼は慣れない異国の地で、意味も分からずに襲われたのだ。その恐怖は想像を絶するものに違いない。
ビアンカは、エーミールが落ち着くまで、彼の背中を撫で続けた。
*****
『最近ね、帝都の方で辻馬車のフリをした強盗が多発しているの。』
エーミールが落ち着いたのを見計らって、ビアンカは話を始めた。その話は父や義弟からも聞いたことがある。
『ごめんなさいね、エーミール。まだ犯人の特定が出来てないの。…残念だけど、お金は帰ってこないと思っていた方が良いわ。』
『い、いえ、ビアンカさんが謝る必要なんて無いです。も、元はと言えば、俺がとろかったのが原因ですし…へへ…。』
頭を掻きながら自虐的に笑う彼に、ビアンカは切なげに見つめた。
『とろいも何も、突然襲われたら動けなくなって当然よ。』
『……。』
『…さ。今日は、もう休んだ方が良いわ。』
そう言ってビアンカは椅子から立ち上がり、エーミールを横に寝かせた。そして、後ろを振り返り「蛙ちゃん。」と私を手招きした。私はソファーから立ち上がり、ビアンカに近づく。
「アタシ、ちょっと仕事で館を出るからエーミールのこと、よろしくね。」
ポンッと私の肩を軽く叩くビアンカに、私は深く頷いた。
「わかったわ。気を付けてね。」
『ありがと。……じゃ、エーミール。おやすみなさい。』
にっこりと笑ったビアンカは、静かに部屋から出ていった。




