最終決戦開幕2
僕はそのまま進み、早川の横に立った。
周りのざわつきが引いて、静まり返る。
早川は気にすることもなく、机の上の本に目を落としている。
くそっ。やけに喉が渇く。ここまできて、何を今さら。
鼓動がさらに激しく胸を打つ。
僕は深く息を吸い、それを吐き出すのに乗せて言葉を発した。
「早川さん!」
乱暴にも聞こえかねない呼びかけに、早川はゆっくりと身体を向けて、僕を見上げる。見下ろしているのに、全く優位性を感じない。
分かってはいることだけど、その綺麗さに飲み込まれそうになる。
飲まれるな! 綺麗なだけで、同じ人間だ! さあ、その武器を今こそ振るえ!
心の中で自分を鼓舞して、早川の目を見る。
「こ、これ、バレンタインデーのお返し。受け取って! その名もトリニ……」
「幸ちゃん!」
紗央里の声で我に返った。危ない。最後まで言うとこだった。
ゴホンっと一つ咳払いをして、右手に握っていたチョコを早川の顔の前に突き出した。
白い和紙の包みに、藍色の組紐を結んである。ラッピングにも凝ったつもりだ。「結局、五千円以上使ってんじゃん」との姉さんの言葉が思い出される。
「ありがとう」
早川は無表情で言って、右手でチョコを受け取った。
その瞬間、教室がいろめきたった。
これで終わりじゃない。その先に意味があるんだ。
「い、今食べてほしい」
早川は無言で正面を向き、机の上にチョコを置くと、細く白い指で組紐を解き、和紙の包装を丁寧に開けていく。
包装を丁寧に折り畳み、組紐を束ねて上に置くと、出てきたこれも藍色の箱の蓋をゆっくりと開ける。裏返した蓋の中に剥いだ中蓋代わりのセロファンと和菓子楊枝を置く。振りかけられたココアパウダーの甘い匂いに混じって、あのウィスキーの微かな香りも僕まで届く。
「そ、その楊枝で食べて」
早川は無言で楊枝をつまみ、右上の角にすっと突き刺す。食べやすいように十二個の小分けにしてある。
躊躇なく口に運び、ゆっくりと咀嚼した。
「!?」
いつも冷静な顔つきが、驚きに変わるのが見て取れた。嫌な驚きじゃないはずだ。
その証拠に、二個目を即座に口に運んだ。白く細い顎がゆっくりと繊細に動く。ダメだ。ちょっと見とれてしまう。
早川は楊枝を静かに蓋に戻し、顔だけ向けて僕を見上げる。『凍てついた女王』らしくない、何か柔らかな目線にドキリとしてしまった。
僕は黙って早川の言葉を待つ。大丈夫だ。大丈夫だ。心の中で繰り返す。
「美味しいよ」
少し微笑んだような表情に乗せた、短く温かい言葉が僕の胸を撃つ。
固まる僕をよそに早川はチョコを丁寧に片して、ゆっくりと席を立ち、僕の横を通り過ぎる。
「……………………ね」
去り際にかれられた僕らにしか聞こえない声。その意味を問いただす間もなく、右手にチョコを持ち、早川は悠然と教室を後にした。
はっと我に返ったように、それを取り巻き二人が慌て追いかけて行く。
その瞬間、静まりかえっていた教室に一斉に歓声が湧き上がる。「ウォー!」だの「キャー!」だの、男子女子のやかましいことこの上無い声が固まる僕をようやく解放してくれた。
「幸一!」
「幸ちゃん!」
健と紗央里が心配そうな顔つきで前後から駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
健に肩を揺すられて、さっきまで固まっていた反動で弛緩していた僕はぐにゃりぐにゃりと激しく揺れた。
「健、大丈夫だからそんなに揺すらないで」
「ああ、ごめん、ごめん」
健は肩に両手を置いたまま、「どうだった? 勝ったのか?」と真剣な声で訊いてくる。
「どうだろう? でも、負けてはないと思うよ。やってやった感はあるかな」
「よし! でかした幸一!」
そう言って、太い腕で力一杯抱き締められた。
僕はあまりの痛さに悲鳴をあげそうになったけど、そんな痛みもなんか心地良かったので、健の気が済むまで我慢した。