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7:どんな死をみてきたの

 カグヤは、閉じたエレベーターの扉を見つめていた。

 川島はすでに病棟に戻っている。


 滝本、という男が笑っている様をカグヤは知らない。

 知っているのは、顔色が悪く、何も話せないまま死んでしまった男だ。


 なのに、なぜ。

 こんなにも、滝本のことを惜しく思ってしまうのか。

 そして、死してなお、温かい気持ちになれるのか。


 わからない。

 死とは何なのか。


『人の終わりは儚いもんやで』


 シムルの言葉が蘇る。

 儚い、それだけなのか。


 死とはもっと、淡白なもので、そして悲しいだけのものだと思っていた。

 けれど、あの滝本の息子や孫たちは、彼の死を悲しみながらも、彼に必死に感謝を伝えていた。伝えることで、彼らの心が、死を受け入れていた。


「別れは悲しいけれど、それだけではないのかしら」


 カグヤのつぶやきは、ゆっくりと彼女の中に溶けていった。




 それからカグヤは、しばらくその病棟を見ることにした。

 ふらふらと、病棟の患者を見て回る。

 看護師たちの話を聞いていると、この病棟は消化器外科がメインだが、以前手術をしたことのある終末期患者も入ってくるようだ。


「川島さん、この間珍しく当たったって聞きましたよ」


 ナースステーションでは、川島が他の看護師に声をかけられていた。


「そうね、確かに久しぶりだったかな」

「本当に、中々当たりませんもんね。一年ぶりくらいですか?急変もなくて、羨ましいです」

「もうそんなになるか……」

「あ、コール出ますね」


 ナースコールがなり、話しかけた看護師は対応にナースステーションを出て行った。


 川島の中で、以前看取った患者の顔が浮かんでくる。

 数は、かなり少ない。看護師によっては年二、三人から、多いと五人を超える患者を看取るが、川島は年一回看取れば多い方だった。


「患者さんに、嫌われてるのかねえ……」


 呟く川島は、どこか寂しそうだった。


 カグヤはまた不思議に思う。死に立ち会うなんて、普通は忌避されるものだ。

 だが、なぜこの看護師は立ち会いたいと思っているのか。


『一生に一度しかないフィナーレに、立ち会わせてくださってありがとうございました』


 川島の心の内の言葉を思い出す。

 フィナーレ、とは、華々しいイメージがあるが、違うのだろうか。


 いや、この看護師の場合、それで間違っていないだろう。


 カグヤは川島に興味がわく。


「あなたが今までどんな死に関わってきたのか、知りたいわ」


 カグヤは川島にそっと囁く。当然だが、彼女が気づくことはなかった。




 夕方を通り越して夜になった頃、川島の仕事が終わった。

 看護師の仕事は始終動き回っていて、見ていて飽きない。


 川島の担当患者は今日は七人いたが、どうやらこれが普通のようだ。

 重症から退院間近まで、各種取り揃えており、常に何かをしている感じだ。

 病院とは常に死が付きまとう場所だと思っていたが、手術で治す患者も多いせいか、病棟の雰囲気は明るかった。

 川島の記憶によると、内科はもう少し落ち着いているらしい。手術がなく、同じ患者が長い間入院するからだとか。

 

 後輩に川島が声をかける。


「手伝えることない? 大丈夫?」

「大丈夫です。後記録だけなんで。すみません、色々手伝っていただいちゃって」

「今日は緊急の検査と元々定時オペが被ったからね。うちの患者さん落ち着いてて良かったよ。それじゃあ、申し訳ないけど、先に帰るね」


 お先に失礼しまーす、と他の看護師にも告げて、川島はナースステーションを出た。

 スタッフルームのロッカーから荷物を取って、更衣室へ移動するらしい。


 カグヤはなんとなく、川島の後ろをふわふわとついていった。

 更衣室へ移動のため、エレベーターに川島が乗ると、入れ違いで老年の女が降りてきた。


「ああ、富岡さん、夕方のお散歩からお帰りですか」

「あら、川島さん。そうなのよ。今日は調子がよくて、中庭でゆっくりしてきちゃったわ。あなたもお帰り? 気を付けてね」

「ありがとうございます。では、失礼しますね」


 カグヤは一瞬、富岡と目が合った気がしたが、よく見るとカグヤの隣の空間を見ているようだったので、気にしないことにした。


 川島がエレベーターを降りていく。カグヤはそのまま、ついていくことにした。




 看護師の女子ロッカーは盛況だった。

 定時より一時間後だが、この時間が一番混むようだ。

 ロッカーの間隔も狭く、ぎゅうぎゅう詰めの中着替えをしている。


「あ、涼子じゃん」


 川島に声をかけながら近づく女がいた。


「ああ、裕美、久しぶり」

「うわ、いつぶりよ。最近全然会わなかったねえ。最近どうよ」

「ちょっと、今着替えてるから待って」

「おっとごめん、パンツ見ちゃうとこだったわ」


 笑いながら女は入口にいるねー、と言って去っていった。

 川島の思考を見るに、あれは大学時代の同級生らしい。学生時代からよく飲みに行っていた、飲み仲間のようだ。


 川島が着替え終わり、おまたせ、と女に声をかける。


「いやいや、変わらず着替えの早いことで。でさ、今日暇? 久しぶりに飲みに行かない?」

「お、いいね。行こうか」

「いつもんとこでいいよね」


 二人そろって外に出る。


「あー、やっと解放されたよー」


 女、裕美が大きく伸びをする。


「まだ患者さんのご家族がその辺にいるかもしれないから、もうちょっと自重しなって」

「はいはい。相変わらず、涼子は真面目だねー」


 二人はしばらく歩くと「ひらめ」と書かれた看板の隣、地下に降りる階段を下りていく。


「ひらめ久しぶりだわ。涼子は?」

「私も」


 あまりに普通の飲み会な感じなので、カグヤはついていくか迷う。

 カグヤは死について知りに来たのだ。

 決して、その辺の看護師酔っぱらう様子を見に来たわけではない。


 だが。


「まあ、これも川島という看護師を知ることで、彼女の考えが分かるかもしれないし……」


 ついていくことにした。


 店を覗くと、二人はすでに席についていた。カウンター席に二人並んでいるが、椅子がベンチのようになっているため、端の方にカグヤも腰を下ろす。


「最近どうよー」

「こないだ、久しぶりにお看取りしたよ」

「うわ、珍しいじゃん。でも、私が聞きたいのは恋愛方面なんですけど」

「今日、突然の飲みの誘いに付き合えることが答えになってると思うけど」

「なんにもなしかー」

「そういう裕美こそどうなのよ」

「今日、突然飲みに誘えることから想像してクダサイ」

「あーはいはい。なんにもなしね」


 しばらく、恋がどうだの、どこかにいい人が落ちてないかだの、どこぞの医者が浮気して院内に三人彼女がいるだのの話が続く。


 選択を間違えたかもしれない、とカグヤは二人を見ながら思った。


 行く当てもないため、隣でぼんやりと二人の話を聞く。

 話は仕事の話へとシフトチェンジし、二人は声を潜めて話しを始めた。


 先日若い患者が高額医療費が払えず、今後家族の負担になるくらいなら死んだ方がいい、と治療を受けないと決め、そのまま亡くなった一方で、生活保護の高齢患者が、入院中に看護師に暴言を吐きながらも全ての治療を終えて、元気に帰っていったことにもやもやする、と裕美がこぼす。

 せめて、暴言がなければねえ、と川島がフォローなのかわからないフォローをした。


 川島は、最近は認知症患者が増えたけれど、看護師の人数も足りないなかで、中々全てに十分に対応できないのがもどかしい、とこぼした。

 なんか色々もどかしくて、もっともやもやしない職場に転職したくなるよねー、と裕美は注文したレモンサワーの氷を箸で押した。

 からん、と氷がぶつかる音がする。


「あたしはクリニックとか施設とか行ってみたいわ。知らない世界を見てみたい感じ。涼子は、患者さん見送ることに生きがい感じてるんでしょ? ホスピスとかいいんじゃない?」

「私の場合は、治療の段階から関わってる人が、戻ってきた後にちゃんと見送ってあげたいっていう感じだからなあ。でも、本当にお看取りが少ないから、最近はへこんでる」

「ああ、またあれ? 患者さんはワタシのことを信頼できないから、最後の瞬間に立ち会わせてくれないーってやつ?あんたそれ何年言ってるのよ」

「だってー……」


 裕美はぐびり、と手にしたレモンサワーをあおると、ドンとテーブルへ置く。


「何度でも言ってやるけど、お看取りの前日までは担当してること多いんでしょ? それで、休みの日に逝っちゃうんでしょ? それって、あんたに自分の死ぬところ見せたくないんだよ。たぶん、あんたとはいい思い出だけで残したいっていう患者の気持ちなの!」


 そしてもう一度、ぐびぐびと音を立ててレモンサワーを飲み干すと、おっちゃん、日本酒の冷酒!と注文する。


「まーた、なんか変なことウジウジ考え始めたんでしょ。自分の看護がダメなのかとか、自分の対応がダメなのか、とか、今までのお看取りがダメなのか、とか。もう、今日は飲むよ。どうせ明日休みなんでしょ? とりあえず、そのしょうもない悩み事全部吐き出しちゃいな。あ、おっちゃん塩辛も追加でー!」


 そうして、二人は日本酒に移り、軽く二合は飲み干して、解散した。


「じゃあ、気を付けて帰りなよ」

「裕美、明日夜勤なのに付き合ってくれてありがとう」

「夜勤だから大丈夫よ。じゃあ、またね」

「またねー」


 川島は、ふわふわとした足取りで家へと向かった。

「ひらめ」から徒歩十分。二階建てのアパートの二階部分が、彼女の部屋だった。

 部屋は1LDKで、小ぎれいとは言えないが、ものすごく汚いまではいかない、ほどほどに汚い部屋であった。


「ふあー、飲んだ飲んだ」


 シュルシュルと服を脱ぎ、さっさとシャワーに入ってしまう。

 彼女のルーチンで、帰宅後は早めにシャワー、であった。


 シャワーから上がり、髪を乾かすと、唯一物の置かれていないベッドにごろりと横になり、そしてそのまま寝始めた。




 それは、カグヤにとっては好機だった。

 やっとこの時間がやってきた、とすかさず川島の夢の中へ侵入する。

 暗い夢の中で、看取った患者の記憶を確認した。


 様々な患者が出てくる。

 ひとりで死んでいった患者。滝本のように、家族に見守られて死んだ患者。たった一人に見送られた患者。他にも数人いるようだ。


 ひとりで死んだ患者の記憶にしよう。

 これは、五年前、当時看護師五年目だった時の記憶だ。


 カグヤは川島を深い眠りへ誘う。

 そして、五年目の川島が看取った、ひとりで死んでいった患者の記憶を呼び起こした。


 ナースコールの音が闇の中に響く。

 辺りがゆっくりと明るくなり、川島の記憶が再生され始めた。





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