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4:もう、そこにはいないのに

 男の心を覗くのをやめて、カグヤは一息ついた。

 部屋では先ほどとは違う看護師が入ってきて、呼吸がないこと、心電図モニターがゼロであることを確認すると、アラームを消した後、医師を呼んでくると伝え部屋を出て行く。


 男はぼんやりと父親の手を握っている。

 周りも神妙な面持ちをしたまま、医師の到着を待っていた。

 連絡を受けて待機していたのか、すぐに医師が看護師と共に部屋に入ってくる。


「失礼します。担当させていただいております、医師の田畑です。よろしくお願いします。心拍数がゼロになったと報告を受けました。確認をさせていただきますが、よろしいでしょうか」


 男はこくりと頷き、医師に場所を譲った。


 医師は失礼します、と一声かけて、男の父親に触れる。瞼を開きライトを当て、胸に聴診器を当てる。そして最後に、心電図モニターの波形がフラットであることを確認し、時計を見た。


「五月十七日、十七時二十三分、お亡くなりになられました」


 医師の声が、静かな室内に響く。医師は、静かに一礼した。


「う、うあ、ああ……」


 男の嗚咽が聞こえた。

 鼻をすする音や、男の妹が泣く声も聞こえる。


「では、一度失礼します。しばらくしましたら、また伺いますので」


 死亡時刻を記録し、医師と共に頭を下げていた看護師が、顔を上げて家族に伝えると、返事を待たずに再び一礼して部屋を出ていく。医師もそれに続いた。


「親父、親父……」

「じいちゃん、うわあああ」


 涙をこらえきれない男とその息子が、亡骸の手を握った。

 男の妻や妹、その娘達も駆け寄った。


「お父さん、本当に、本当にありがとう」

「ここまでよく、頑張ってくださいました」

「大好きだったよ、おじいちゃん」

「いつも、可愛がってくれてありがとう」


 それぞれが、考えられる限りの感謝の言葉を、もう聞くことができない亡骸に伝え続けている。


 もう、聞こえないのに。


 かぐやは冷静にその様子を見つめながらも、心のどこかが少し温かくなるような、不思議な感覚に戸惑っていた。


 亡骸を見る。

 そこにはもう、何かがいた残渣しかない。

 けれど、その体には今まで生きてきた証が刻まれている。

 そして、その亡骸を囲む人々は、彼が人生をかけてなしえたことの証明のように思えた。


 みんな、泣いていた。

 みんな、失いたくなかったと、泣いていた。


 それなのに、なぜ、悲しいだけではないのだろう。


 しばらくして、男やその家族たちの嗚咽が治まったころ、失礼します、と看護師が入ってきた。先ほど担当が変わる、と言いに来た川島だった。


「これからお身体を綺麗にしたいのですが、少しお時間いただいてもよろしいでしょうか」


 ベッドの周りにいる人々を見回しながら声をかける。


「わかりました。どのくらいかかりますか」


 男が答える。


「だいたい三十分程度いただければと思います。その間、待合室をお使いください」

「じゃあ、一度出ましょうか。だけど川島さん、勤務交代したんじゃなかった?」


 男の妹が泣きはらした顔を川島に向ける。


「まあ、そうなんですけど、気になさらないでください。滝本さんに、私もお別れさせていただきたいと思ったので。では、待合室にご案内しますね」


 川島が困った顔に微笑みを浮かべて、男達を外へ促すと、ベッドの側のカーテンを閉め、個室を出てドアを閉め、歩き始めた。

 カグヤもその後をついていった。

 待合室前の廊下の隅で川島は一度立ち止まると、周囲に視線を走らせて他の患者がいないことを確認すると、声を低くして話し始めた。


「このような時に申し訳ありません。確認なんですが、葬儀社等の手配はされていますか」

「元々入ってる互助会があるから、そこに連絡してあるの。亡くなったら連絡くださいって言ってたから、そうするつもり」


 男の妹が答える。


「では、業者の方がいらっしゃる時間が分かったら教えてください」

「わかったわ」

「それでは、お身体を綺麗にできたら、声をかけさせていただきますね。それまではこちらでお待ちください」


 川島は礼をして、待合室を去っていった。

 カグヤはどちらを見るか迷う。

 男たちが落ち着いた様子で待合室の椅子に座るのを見て、川島の方へついていこうと決めた。


 川島と同時に病室に着くと、入ってすぐの場所で、別の看護師が体をすっぽりと覆うエプロンとマスク、帽子と手袋を身に着けて待機していた。タオルやお湯など様々なものを載せたワゴンが側に置いてある。

 待機していた看護師が、川島にひそひそ声で話しかける。


「川島先輩、準備できてます。日勤なのにすみません」

「準備ありがとう。準夜の忙しい時間帯にごめんね。もう少ししたら仕事終えた日勤が代わってくれると思うから、それまでよろしくね」

「ありがとうございます。それから田畑先生、救急に呼ばれてたみたいなんですけど、もうすぐ帰ってくるそうです」

「わかった。じゃあ、できるところまでは先に済ませてしまいましょう」


 川島も囁き声で答えると、もう一人と同じようにエプロンやマスクを装着する。そして、ベッドの側のカーテンに手をかける。


「滝本さん、失礼しますね。川島です」


 まるで、相手が返事をしてくれる存在のように、声をかけてカーテンを開けた。

 後ろからカラカラとワゴンを押してもう一人の看護師が入ってくる。


「一人にしてしまってすみません。今からお身体綺麗にしますからね」

「お手伝いします、小森です。一緒にお身体拭かせてくださいね」


 二人しててきぱきと準備し、腕や足を拭き始める。


「腕、拭きますねー」

「私はお胸失礼します」

「次は、私の方向きますんでね、ちょっと頑張りましょうね」


 次々と声をかけながら、全身を清めていく。背中を拭く時に体を横にする時にも、声をかけていく。


 カグヤには理解できなかった。


 そのヒトはもう死んでいて、それはただの肉の器なのに、なぜそんなに話しかけるのか。

 わからない。

 わからない。


 なぜ、そんな風に話しかけられるの。


 カグヤは川島の心を覗くことにした。


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