表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/39

18:出会えた人と、悩む人と

 カグヤは富岡に合わせてゆっくりと、病院の中を歩いていた。

 富岡は無表情で一言も話さない。

 カグヤは車いすを、と言ったけれど、歩いていくの一点張りで、聞かなかった。

 仕方ないから、少し力を使って、歩く補助をしている。


 ついてきて、とカグヤが言ってから、富岡の頭の中は混乱しているようだった。

 言ってすぐに見つかるわけがない、そもそも言葉にだって出してない、本当にコウキはいるのか、そんな言葉がぐるぐると回っているのが見える。


 コウキの病棟階でエレベーターを降り、入口のインターフォンで面会であることを伝えると、ドアが開いた。

 富岡は信じられない、という顔をする。

 カグヤは構わず歩いて行った。


「コウキ、入るわよ」


 形式だけの挨拶をして、個室のドアを開ける。

 中にはコウキしかいない。大男二人は、まだ話している途中のようだ。


「あ、カグヤさん帰ってきたんっすね」


 コウキはベッドの端に座り、テーブルの上に置いた雑誌から顔を上げる。


「あれ、誰か連れてきたんっすか?」


 コウキがよっこらしょと身体をずらして、硬直した。


「え……あれ、なん、で……」


 なんとか絞り出した声は、掠れている。


 カグヤの横を、カラカラと点滴台が通り過ぎた。

 コウキが固まっている間に富岡は目の前に立つと、腕を振りかぶった。


「この馬鹿孫が!」


 右手を握りしめ、脳天に一発。

 痛そうだな、とカグヤは思った。


「いってー! ちょ、ばあちゃん俺ケガ人!」

「そんだけ元気なら、もう一発喰らわせてやろうか!」

「いや、待って、まず話を!」


 二人でギャーギャー言い合っていたが、富岡がぴたりと黙り込む。

 そして、ゆっくりと両手でコウキの頬を挟むと顔を確かめ、じっと見つめる。


「出ていく前に会った時より、顔が良くなってるじゃないか。あんた本当に私の孫のコウキだろうね」

「ち、違うよ、俺ばあちゃんの事なんて知らないよ!」

「まだ言うか、この馬鹿孫!」

「ごめんなさい!」


 再び二人で言い合いをしていると、個室のドアが勢いよく開いた。


「失礼します! どうされました?!」


 看護師が慌てた様子でやってきた。

 富岡が穏やかな顔を看護師に向ける。


「ああ、すまないね。久しぶりに孫に会ったもんだから、興奮して大声になっちまったようだ。気を付けるよ」

「大声が聞こえたのでびっくりしましたが、おばあ様でしたか。病院ですので、静かめにお願いしますね。ご面会用の椅子、もう一脚持ってきますか?」

「いや、大丈夫。ありがとね」

「いえいえ。何かありましたお呼びくださいね。失礼します」


 看護師が出ていく。

 ドアが閉まったとたん、富岡の顔が般若のように変わり、コウキへと向く。

 ヒッとコウキが引きつった声を出した。


「で、コウキ。あんたが今までどこで何をしてたのか、じっくり聞かせてもらうからね。すまないがあんたは少し、席を外してもらっていいかい? ちょっと家族の話になるんでね」

「わかったわ」

「覗き見するんじゃないよ」

「はいはい」


 カグヤは言われた通り、外に出た。

 富岡にはなぜだかカグヤが見えてしまう。コウキも印象操作がうまくいかない所を見れば、血族的な何かがあるのかもしれない。

 素直に従っておくことにした。

 まあ、その場にいなくても、聞くことはできたが、そういうのをヒトは趣味が悪い、というらしいので。


 まだ話し込んでいるであろう、二人の大男の元へ向かう。

 二人はどうなっているだろうか。

 談話室に着くと、黙り込んでいる二人が見えた。談話室に他のヒトはいない。


「話は終わったのかしら?」


 声をかけると、工藤(マスター)がのろのろと顔を上げた。


「おまえか。プライベートな話なんだ。口を挟まないでくれ」


 その顔色は悪い。

 カグヤはチラリと思考を覗き見て、理解する。

 どうやら工藤の母親の体調が思わしくないと、保坂から聞いたらしい。


「会わずに後悔するくらいなら、会った方がいいと思うけれど」


 今まで、死に際に会えなくて涙したヒトを多く見た。


「今まで何もしてやれなかったと思うくらいなら、今から何かをした方が建設的だと思うわ」

「おまえに何がわかる……!」


 がたり、と工藤が席を立つ。おい、と保坂が声をかけるが、構わずカグヤに向かってきた。

 目の前に立ち、ぐっと拳を握っている。

 先ほどの富岡の拳骨を、カグヤはぼんやりと思い出した。


「おまえが女のなりしてなきゃ、殴ってるとこだ……」

「あら、そう」

「人のプライベートに口突っ込むな。そう言っただろう」


 カグヤは工藤を見上げた。

 頭二つ分高いその顔は、怒りのせいか赤くなっている。


「私はここでたくさんの死を見てきたわ。その度、送り出すヒトはたくさんの後悔をしていた。間に合わなかった誰もが、間に合わなかったことを悔い、どうして待っていてくれなかったのかと悲しんでいた。あなたは違うでしょ? まだ、あなたに(・・・・)会いたいと思っている人は、あなたを待ってくれている。まだ、間に合うじゃない」


 工藤の記憶の中にいる母親は、まだ生きている。

 そして、工藤に会いたいと願っている。


「コウキはちゃんと、会ったわよ。彼に会いたいと思っていた人に。戸惑いながらも、彼らは会えたことを喜んでいる。あなたはこのまま、挽回しようがない所まで意地を張るつもりなの? 私はただ、真実を言っているだけよ。そんなに悩むくらいなら、そんなに会いたいと思っているなら、会いに行きなさい。会って、それから考えればいいじゃない」

「……っく、おまえ……!」


 工藤が拳を振りかぶる。

 カグヤはそれを眺めていた。カグヤは強い。ヒトの拳くらい目線で止められる。

 けれど、工藤の顔へ視線をずらした。怒りに震えるその顔は、苦しみに歪んでいた。


 なぜ自分がこんなに意地になってこの男と母親を会わせたいのか。そんなに意地にならなくてもいいではないか、と頭のどこかで声が聞こえる。

 だが、ここでちゃんと伝えて二人を会わせなければ、カグヤ自身が後悔する、と別の声も聞こえる。

 後悔は、したくない。

 あんなもやもやした気分は、富岡だけで充分だ。

 カグヤは工藤の顔を見つめた。


「工藤、俺の前ではやめてくれ。傷害罪の現行犯になる」


 その拳を止めたのはカグヤではなかった。

 保坂が工藤の拳を握っている。


「わかってる……だが、こいつ好き勝手言いやがって……!」


 保坂がカグヤと工藤の間に割り込んだ。


「おまえがそんなに怒るってのは、このお嬢さんに言われたことが図星だからだろう? おまえ、会いたいって思ってるのに、勝手な理由付けて会うのためらってるんだろ」

「保坂、おまえまで!」

「いい加減認めろ。おまえのお袋さんが余命宣告されたって聞いた時のおまえ、今すぐここを飛び出していきそうな顔してた。けど、どうせ帰っちゃいけないとか、迷惑かけるとか、今更帰ったところでとか、くだらない理由付けして、悩んでんだろうが」


 保坂が工藤の拳を握ったまま、反対の手で胸倉を掴んだ。


「もう一回言うからよく聞けよ。おまえのお袋さんに最後に会った時……俺はおまえに会うの、もう諦めてたけど、おまえのお袋さんは諦めてなかった。親父さんだってそうだ。親父さんが口下手で、素直に早く帰ってこいなんて言えないことくらい、息子のおまえならわかってるだろ。でもそんな親父さんが、おまえの写真見るのが辛いからって、でも隠すのも嫌だからって、手帳に写真挟んで持ち歩いてんだぞ!いい加減、わかってやれよ!ちょっとは大人になれよ!」


 気づけば保坂は両手で工藤の胸倉を掴み、揺さぶっていた。

 工藤の腕は力なく横に垂れている。

 なあ、返事しろよ!と揺さぶっていた保坂の腕を、工藤の声が止めた。


「……少し、時間をくれ。俺も二十五年、帰ろうと思って帰れなかった。今からどんな顔して会えばいいのか……一日でいい。時間をくれ」

「……一日でいいんだな」

「……ああ、一日でいい」


 保坂は工藤から手を離した。

 工藤は小さく息をつき、明日空いてるか、と保坂へ聞いた。


「ああ。今から空けるようにする。もし無理でも夜なら問題ない」

「夜でいい。ここに来てくれ」


 工藤はポケットから財布を取り出すと、保坂へカードを渡す。


「俺の店だ。明日は臨時休業にするから、着いたらドア叩いてくれ」

「わかった」

「今日は帰る。嬢ちゃん、コウキにすまないと伝えておいてくれ」

「……しょうがないわね。わかったわ」


 カグヤが頷くと、ふらふらとした足取りで工藤は待合室を出て行った。

 後に残された保坂は、ふう、とこちらも息をついた。


「おっさんの喧嘩なんて物騒なもの、見せて悪かった。だが、助かったよ。強情で、中々会うと言ってくれなかったんだ。……君はなんだか不思議な子のようだね。まるで俺たちの心を読んでるみたいだ」


 保坂が微笑みながらも鋭い目つきでカグヤを見つめる。

 どんなトリックを使っているのか、自分にとって有害ではないのか見定めようとしているようだ。


「お話が進んでいないようだったから、少し口出しさせてもらっただけ。あなた達に何かするつもりはないから、あまり詮索しないでちょうだい。私はコウキの所に戻るけど、あなたはどうするの?」


 保坂はカグヤの言葉に少々面食らったようだった。何かを言いかけて、それを飲み込み首を振った。


「……俺もこのまま帰ることにしよう。コウキ君の所にはまた後日、伺うことにするよ。そう、伝えておいてくれ」

「まったく、あなた達は、私を伝書鳩とでも思ってるのかしら?」

「すまないな。だが、よろしく頼む」

「仕方ないわね」


 カグヤはしぶしぶ頷いた。

 では失礼する、と保坂が談話室を出ていく。


 その背中を見送って、かぐやもひとつ、息をついた。


「どうして私はあんなに意地になったのかしらね……」


 しばらく考えても、答えは出なかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ