13:二人の患者<前編>
川島は病棟にいた。ちょうど、夜勤を終えたところの様だった。
一緒に夜勤をしていた看護師とエレベーター待ちをしている。
エレベーターが来ると、中庭から帰ってきた富岡とすれ違ったようだ。
難しい顔をした富岡を訝し気に見送るが、他の看護師に呼ばれ、エレベーターに乗り込んだ。
カグヤはそれを、遠くから見ていた。
富岡の気配を感じて、慌てて遠くに移動したのだ。
そんな自分が、いつもの自分ではないようで、少し驚く。
カグヤはヒトに対して、絶対的優位な立場だ。
ヒトの心を慮る必要などない。けれど、先ほどの富岡の様子を思い出すと、迂闊に近づいてはいけないような気がした。
「川島を追わないと」
もやもやとした不思議な気持ちを振り払うように呟き、カグヤはその場を後にした。
川島は自宅へ着くと、いつものようにシャワーを浴び、そして昼寝をし始める。
ぼんやりしていると富岡のことが頭をよぎるので、カグヤはこれ幸い、と夢に入り込んだ。
暗闇の中で先日見なかった記憶を確認する。
まだ記憶を見ていない患者が、後二人いたはずだ。
家族に見守られて死んだ患者。
たった一人に見送られた患者。
どちらを見ようか悩むが、よく見ると、どうやら二人は関連しているようだ。
十年前、看護師一年目の川島の記憶。
ちょうどよい、と二つの記憶を呼び起こした。
四月に入ってから、日々が飛ぶように早い。四月に入職してから、もう六月。
看護師になってから、ドラマはやっぱりドラマだった、と思う。
先輩は怖いし、患者さんによっては一年目だとわかると嫌な顔をされることもある。
しょうがない。
けど、日々があまりに辛いから、たまに辞めようかと思ってしまう。
今日も、怖い先輩が教育担当だ。
朝の申し送りで、先輩に今日担当の患者さんの情報を報告する。
本当にそこまでいるのか、と思う細かいことまで聞かれて、朝の時点で半泣きだ。
他の先輩からだいぶ遅れて、朝のラウンドを始める。
今日の受け持ち患者さんは四人。一年生は重症患者を受け持てないし、安全優先で何かあってもすぐ対応できるように、疾患が分かりやすくて状態が安定している患者さんを担当することが多い。
だから、同じ患者さんを何度も担当することも多い。
「清水さん、こんにちは。今日も担当です。よろしくお願いします」
今日も清水さん担当だ。清水さんは、あまり笑わない八十代後半のおばあちゃんで、胃がんで全摘手術をしたらしい。らしい、というのは、私が入職するだいぶ前の話だから。
再発したけど、抗がん剤は希望しなくて、この間とうとう、消化管が詰まって食べ物が通らなくなった。
抗がん剤はしたくないけど、食べ物は食べたい、という希望があって、今回入院してステント(金属でできたメッシュ状の筒。狭くなったところを広げることができる)を入れた。それが、昨日。
「今日もご飯はまだ?」
ステントが広がって、立ち上がっても問題なくなるまで時間がかかるので、医師の指示で二日間ベッド上安静、禁飲食だ。清水さんは、ステントを入れたらすぐに食べられると思ってたのに、と不満げだった。
「まだ一日しか経ってないですからね。後一日頑張れば、ご飯が始まると思いますよ」
そう伝える。
「水もだめなんてね。動けない、食べれない、点滴ばっかり。ほんといやんなるわ」
そうして、しばらく黙り込んでしまう。
いつもの事なので、私は何も言わずに点滴の速度を確認する。
「今日はお身体拭きますか?」
「しんどいのは嫌よ。でも、汗かいたから、髪が気持ち悪いわ」
私は困ったな、と思う。
朝の先輩への報告でスタートは遅れている。まだ他の患者のラウンドも残っている。
それに午後は他の患者の検査が入っている。
隙間時間に、と思うが、ベッド上のシャンプーは自分にとっては中々大がかりだし、シーツを濡らさない自信もない。
「温かいタオルでお顔と首元を拭いて、髪も少し拭きましょうか。ドライシャンプーがありますよ」
そう言ってみると、それでいいわ、ありがとう、と答えが返ってきた。
気のせいかもしれないが、口の端が少し上がった気がした。
笑ってくれたのかな?と私はほっとして、午後に行うことで了承を取り、他の患者を回り始めた。
次の日、清水さんは歩く許可が出て食事開始になり、見る間に元気になり、退院していった。
そうして私が清水さんのことを忘れ始めたひと月後、また清水さんが入院してきた。
がんが広がって、ステントも詰まってしまったらしい。
清水さんはまたステントを、と思っていたようだけど、思った以上にがんの進行が早いのと、消化管が詰まっている箇所が多く、医師からはステントは入れられない、もう食べることは難しい、と言われたらしい。
無理に食べていたものが通らず、吐いてしまうので、やむを得ず胃管を入れて、残ったものを排出することになった。
私はその頃には、日中の受け持ち患者さんの担当疾患が肝臓系になっていたのと、重症患者さんも受け持つようになっていたので、清水さんにはあまり関わらなかった。
ただ、先輩たちが話しているのを何となくは聞いていた。
清水さんが入院したころ、私はよく、竹野さんという患者さんを受け持っていた。
膵臓がんの患者さんで、食欲が減り全身に黄疸が広がって家族が気づき、慌てて近くのクリニックを受診したが、対応できないとうちの病院を紹介された。
その時点では体力も落ちており、腹水も溜まり始め、トイレに行くのがやっとだったという。
消化器外科宛で紹介状を持ってきていたため、手術可能か判断も含めて入院していたが、結果はすでに全身に転移しており、手術不可、終末期の判断だった。抗がん剤は体がもたないと判断され、ホスピスの空き待ちの入院継続となっていた。
結果が分かった時に、奥さまが廊下で泣いていたのを見た。
最近動くの面倒くさがるんだから、しかたないわねとしか思わなかった、もっと早くに来ていれば……と。
できるだけ、症状が緩和されるよう、点滴をし、処置をした。
処置のおかげで少しは調子が良くなったようだが、一か月は持たない可能性が高い、と医師からは余命宣告されていた。
状態は良くはないため個室に入院していたが、ここしばらく症状は安定していた。
だから、一年目の私が担当することになった。
物静かだが、たまに冗談を言う人で、ラウンドするのが楽しみな人だった。
それからしばらくした、ある日の日勤で、久しぶりに清水さんを受け持つことになった。
竹野さんは、状態が変化し始めたので、先輩看護師が受け持つことになったからだ。
少し心配だったが、気持ちを切り替える。
清水さん前回入院の時からあまり廊下に出てこないので、久しぶりに会う。
私のことは覚えていないかもしれないが、昔からのご近所さんに会うような、ちょっと懐かしい気持ちで病室に向かった。
失礼します、とカーテンを開けて、そして清水さんの顔を見て、息をのむ。
清水さんが、ベッドの上で、ぐったりとしていた。
顔はやつれて、前回受け持った時より体も一回り小さくなっているような気がした。
記録では、知っていた。最近は、あまり動かないことを。
発言の記録がほとんどないのも、わかっていたはずだった。
「清水さん、川島です。お久しぶりです。覚えてらっしゃいますか」
声をかけるが、もちろん返答はない。ただ、うっすらと目を開けた。
「……体が、気持ち悪い」
ぼそり、と小さな声で言った。かすれた声でもう少し右を向きたいと言う。
あまり話せないようだったのに、自分には話してくれる。
私はそう思うと嬉しくて、彼女の要望に応えようと体位調整用のクッションを取りに走った。
けれど、右を向いても、左を向いても、居心地が悪いという。ほんの少しクッションを動かした所でどうやら少し定まったらしい。様子を見ることになった。
私は部屋の外に出て、聞こえないように一息ついた。
うまくいって良かったと。
けれどその数分後、ナースコールがなる。
また体位が定まらないらしい。
それから何度も、何度も。
私は彼女の希望に翻弄され、走り回った。
見かねたその日の教育担当の先輩が、どうしたのかと私を捕まえる。
私は半泣きになりながら、清水さんの体位がどうしても定まらない。私の調整が悪いのかもしれない。一度一緒に見てほしい、とようやく泣きついた。
怒られるのが怖かったが、先輩はいいよ、というと、一緒に清水さんの所に行ってくれた。
そうして、体位を調整後に退室して、ナースステーションに戻ってから。
「あれは、たぶんね、終末期特有の症状よ。身の置き所のなさ、ね。どうにもじっとしていられない、不快な感じが、何をしても続くの。痛みはないようだけど、先生に相談して、緩和ケアチームに来てもらうべきね。……本当は、もっと早くに介入してたあげた方が、よかったのかもしれないね……」
そうして先輩と相談して主治医と連絡を取り、緩和ケアチームの看護師と医師、薬剤師が数人でやってきた。
カルテを見ながら情報を共有する。主治医とも相談して、痛みはないことから鎮静剤の使用を検討することになった。
まずは家族の了承を得なければいけない。
前回の入院の時に、一緒に付き添っていた男の人がいたのを思い出す。
そういえば、今回は見ていない。
緊急連絡先は息子さんになっているので、主治医から連絡した。
終末期特有の症状が現れ鎮静剤を使用すること、うとうととしてしまうことが話せることもあること、そのまま覚醒することなくお亡くなりになる可能性もあること。
電話口で了承を得たようで、カルテと同意書を記載している。
そして、次にいつ来院できるか尋ねた。
向こうの声は聞こえないが、主治医の顔は険しい。あまり良い返事ではないようだ。わかりました、では何かあればまたご連絡します、と主治医が電話を切った。
どうやら仕事が忙しく、いつ行けるかわからない、という返事だったらしい。
「しょうがないとは言え、もう母親と話せないかもしれないのにね……。でも、家族の在り方は人それぞれ、か」
主治医がぼそり、と聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
清水さんに鎮静剤が開始され、しばらくするとうつらうつらとし始める。
そして、数分おきに鳴っていたナースコールも、鳴らなくなった。