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12:二人別れたその後で

 喫茶店で後に残されたコウキは、ドアの外へ駆け出そうとする。

 その肩を、がっしりとした手が掴んだ。


「お客様ー、無銭飲食は困りますよー」


 凶悪面に笑顔を浮かべた大柄の中年男が、彼の肩に置いた手に、力を込めた。


「痛い、痛いってマスター! 食い逃げする気なんてないって」

「ほんとですかー。……まあ、とりあえず座れや」

 表情を変えずに、コウキの耳元で囁かれた声に、背筋がぞわりとする。

 コウキは大人しく、元いた椅子に座りなおした。

 さきほどまでカグヤが座っていた場所に、凶悪顔の男が座る。


 彼がこの喫茶店を選んだのは、ただ静かな場所だからというだけではない。

 目の前の男がここにいたからだ。

 この男、見た目の通り昔はかなりやんちゃをしていたらしい。

 だが何があったか、その筋から足を洗い、今はこうしてこじんまりとした喫茶店のオーナーをやっている。

 夜はバーにもなるので、ここの常連は彼のことをマスターと呼んでいた。


 カグヤに静かな場所に、と言われた時、真っ先にこの場所が浮かんだ。

 コウキが家出をして、もう少しで戻れない深みにはまりそうになった時、救い上げてくれた人がこの人だった。

 何かあれば、きっと助けてくれるだろう人。

 ここのマスターは、そういう意味でも信頼の厚い人間だった。


「なんで止めたんですか」

「いや、追っかけねえほうがいいかと思ったんだよ。さっきの嬢ちゃん、なんかやばいやつか」

「……それは俺にもわからないんっすけど、逆らっちゃいけない系なのは間違いないっす」

「そうか。俺の中で、さっきの嬢ちゃんの印象がどんどん薄れてるのは、なんかの薬のせいか?」

「いやいやいや。そんな変なもん、持ってきてないっすよ。でも、あの人は、そういう人なんです。すごい強烈な人なのに、いなくなるとその存在まで忘れちゃうような……」

「そんな人間が、いるのか?」

「少なくとも、今さっきまでそこに座ってましたよ」

「確かに、そうだな……」


 男は自分の目の前に残った、空っぽのティーカップを見つめた。

 コウキは美しい黒髪の少女が冷めたミルクティをおいしそうに飲んでいいた様子を思い出す。

 男二人で押し黙った。


「でも、マスターがいてくれて助かりました。俺、本当はあの人と話すのにすっげービビってて、もうこのまま死ぬんじゃないかと思ってたんで。この店使わせてもらってすみませんっした! でも、助かりました。ありがとうございます」


 コウキは頭を下げた。


「いや、おまえがそう言うんならいいけどよ……。でも、あんまり変なのと関わるなよ。おまえがいつか、ここの店の後継いでくれるって言ってくれたの、俺は信じてるんだからな」

「もちろんです」


 コウキには、やりたいことがある。

 いつか、スカウトから足を洗って、マスターの元で働くこと。

 そして、マスターの跡を継いで、自分のように、帰る場所の無くなった奴らが深みにはまらないように、助けになること。


「俺、そろそろスカウト辞めようと思ってるんです。うちの店、店長変わって、なんか怪しい雰囲気になってきたし」

「そうか……うまくやれよ。なんかあれば、すぐに来いよ」

「ありがとうございます。晴れて足抜けした暁には、マスターんとこ、伺います」

「ああ。待ってるよ」


 コウキはマスターに一礼し、店を後にした。




 病院に戻って三日。

 カグヤはふわふわと院内を飛んでいた。

 思ったより、キラキラした人生を歩んでいる人間は少ないらしい。

 何人かの死を見ていたが、美しい、と思う死には出会えなかった。


「場所が悪いのかしら?」


 病院の患者やスタッフの会話を聞いていると、自宅や介護施設で死んでいくヒトもいるらしい。川島が友人に勧められていたホスピスは、死にゆくヒトのための病院でもあるようだ。

 そういったところに移るか、少し悩む。


 ふわふわと飛んでいると、最近お気に入りになってきた中庭へ向かっていた。

 季節はもうすぐ春の頃だ。朝から昼になるこの時間帯は、徐々に中庭も暖かくなってくる。

 そろそろ桜が咲くかもしれない。

 膨らみ始める蕾を間近で見るのも楽しみだった。


 いつものように、桜の木に腰かける。

 この病院は、中庭に沿って桜の木が植えられており、春になると綺麗なのだと看護師と患者が話していた。

 満開の桜が楽しみだ。


 中庭には始めは寒さのせいかあまりヒトがいなかったが、ここ数日で温かくなり、時折見かけるようになっていた。

 今日は老女が一人、ベンチに腰かけている。本を読んでいるようだ。

 そばには点滴を吊る棒が置いてある。


 本から目を上げると、カグヤの腰かける桜の木をしばらく見て、再び本へ目を落した。


 その顔に見覚えがあった。

 川島の家へ着いていった日、エレベーターホールで会った患者だ。

 確か、名前は富岡と言ったか。

 この間もカグヤの近くを見ていた。

 もしかしたら、気づいている?


 カグヤは桜の木から降りると、富岡の近くへ歩いていく。

 老女は目を本に向けながら、わずかにこちらを伺ったのが分かった。


「あなた、私が見えているわね」


 老女は本に目を落としたまま答えない。

 少し思考を読むと、やはり、気づいていた。

 彼女はこの世のものではないものを見ることがあるらしい。どうやらカグヤのことも幽霊か何かだと思っているようだ。

 私には何もできません、どうぞ他へお行ください、と頭の中で念じている。


「私は幽霊ではないわ。ただ、あなたと少し話がしたいだけ」


 富岡はチラリとこちらを見る。

 カグヤが引かないことがわかったようで、はあ、とわかるようにため息をついた。


「この間から病院内をふよふよしてるから、成仏できない幽霊かと思ったけど……。とうとう私にもお迎えの死神が見えるようになったってことね」

「だから死神でもないわ」

「どうだかねえ」


 富岡は諦めたように本を閉じた。


「で、あんたは他の人には見えてないんだろ。一人で話してると、私が幻覚と話してることになっちゃうんだよ。他の人間に姿は見せられないのかい?」

「問題ないわ」


 私は自分の存在を、ヒトが認識しやすくする。

 富岡がほお、と目を丸くする。形がはっきり見えるようになったのを驚いているようだ。


「本当に、幽霊ではないんだね」


 疑り深い。

 違うわ、と訂正しながら、コウキも疑り深かったな、と思い出し、ふふっと笑った。


「なんだい」

「いえ、あなたみたいに疑り深いヒトと、この間話したものだから」

「そうか、そりゃその人にとっちゃ不幸だったろうね。目の前の摩訶不思議なやつが何をしでかすのか、わからないんだから」

「最初は私に殺されると思っていたようだったわ」

「今の私も同じ気持ちさ」


 富岡は再びため息を吐くと、カグヤへ向き直った。

 座りな、と言われ、隣へ腰かける。


「で、話ってなんだい。こんな老いぼれに話せることなんて、少ないと思うけど」

「そんなことないわ。私は、ヒトの死に興味があるの。だから、ヒトの死を知るためにここに来た。あなたが知っているように、死を見て回ってたの。悲しいだけのものじゃないような気もしたけれど、やっぱり悲しくて苦しいだけの物じゃないかとも思い始めた。キラキラした人生を送れば、その死さえも美しい、というヒトもいるようだけど、そんなヒト、探しても見つからないの」


 それで、と富岡が先を促す。


「それで、あなたに聞きたいと思ったの。私が見てきたのは、死んだヒトではなく、その周りのヒトが持つ感情。でも、死にゆくヒトは何を思うのか、私は知りたいと思った。あなたはどうやら死が近い様子だから、あなたに聞きたい。あなたにとって、死とは何なの?」


 富岡は、しばらく黙ったまま、カグヤを見ている。

 そして、一息吐くと、立ち上がった。


「やっぱり、死神じゃないか。私はまだあっちには行きたくないんだ。もう関わらないでおくれ」

「だから、死神ではないと」

「いいや、死神だね。私の死が近いと知らせるね。しかも、死とはなんなのか、だって? それは私が聞きたいよ。死んだら成仏しちまうのか、この世に思い残しがあれば、成仏できずに幽霊になれるのか……。とにかく私はまだ、死ねないのさ。だから、他を当たっとくれ」


 そういうと、カラカラと点滴棒を押して立ち去ってしまった。

 カグヤは、その背を追うことができなかった。


 心に、もやもやとした不思議な気持ちが湧いてくる。

 シムルのひげを興味本位で引っ張ったせいで、しばらく口を聞いてもらえなかった時のような。


「コウキが死について、普通に話してくれたから、他のヒトもそうだと思い込んでしまっていたみたいね」


 これは、あの老女に対して、申し訳ない、と思っているのかもしれない。


 カグヤは他人事のように思いながら、申し訳ないと言えば、と連想ゲームのように思い出す。

 いつも、患者の死を送り出すとき、ああすれば、こうすれば、と申し訳なさを感じていた川島は、今はどうしているだろうか。

 なんだか彼女が懐かしい。無性に会いたくなった。


 久々に川島の様子を見に行くことにした。



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