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9:ひとりで死んでいった患者<後編>

看護師五年目の川島の記憶。川島視点。

前回に続き、会話文多めです。

 その晩、裕美と飲む約束をしていた。

「ひらめ」に集合して、お互いいつものように、病棟の小ネタや恋愛関係の話に花を咲かせる。


 いつも通り、笑って過ごしていたつもりだったが、付き合いが九年を過ぎた友人にはあっけなく気づかれた。


「で、なんかあったの」


 急に真面目な顔で、こちらを見てくる。

 頬杖をついて、早く話せ、と目で訴えてきた。


「え、なんか変だった?」

「そりゃね、あたしは騙されないよ。何年付き合ってると思うの」

「ああ、もう十年近くになるもんね……」


 私は今日あったお看取りについて話す。


「……という訳で、自分の無力さとダメさを痛感してるところ」

「涼子、学生時代から変わらず、本当に真面目すぎ。そんなんじゃ心やられるよ」

「真面目しか取り柄がないんですー」

「いらんとこでふざけない」

「すみません……」


 裕美はもう一度ため息を着くと、レモンサワーを注文する。

 注文するのは、いつもレモンサワーだ。

 疲れた心にクエン酸が効くのよ、たぶん、と前に話していたのを思い出す。

 すぐに、レモンサワーが運ばれてきて、かきまぜるのもそこそこに、裕美は音を立てて数口飲んだ。


「っくあー、効くわー。……で、話をまとめると、親族も見舞いがこないような、患者さんの最後を寂しくしてしまって責任を感じていると。入院中にもっとできたことがあるんじゃないかと苦しんでる、そういう認識でいいわね」

「はい」


 私は素直に頷く。


「入院中に関してだけど、本人の拒否で緩和チームが介入困難なんだったら、他のことも拒否しちゃってたかもね。お話しができたら、っていうけど、その様子だと看護師との信頼関係もまだだったんでしょ。いや、もしかしたら、元々は信頼関係が合ったけど、本人の病気の進行とともに、本人の中で変わってしまったか……。いずれにしろ、本人が看護師に暴言吐き続けるっているのは異常だから、『病気がさせていること』である程度で一線引くのは間違ってないと思うよ。床ずれだって、もし無理矢理おしり見たら、逆に本人の羞恥心を考えない行為になっちゃうわけでしょ。医療者としてどうなんだ、って意見はもちろんあると思うけど、それで死ぬ間際に嫌なことされて終わるんだったら、その方が私だったら心残りよ」


 それから、と続ける。


「人生の最後を寂しいものにしてしまったっていうけどさ。それって、傲慢だってわかってる?」


 裕美が、ゆっくりとだが真剣な表情で問いかけてくる。


「え……?」

「あたしらの仲だから、あえて厳しいこというけどさ、死っていうのは、人生のフィナーレなわけ。それまでの過程があって、そこにたどり着くんだよ。患者一人一人に人生っていう舞台があって、それを良いものにしようってどれくらい頑張れたか、どれくらい、他の人とちゃんと向き合って関わってきたかが、フィナーレを決めるんだと思うんだよね。それを、舞台の最後に一瞬あたしたちが登場したくらいで、フィナーレを見事なものにできるって言うのは傲慢だと思わない?」


 私は、何も答えることができなかった。

 言われていることに頭が追い付いていかない。


「あんたもあたしも、ただの看護師なの。最後をどう飾るかは患者自身がそれまでの生き方で決めてるの。小児とか、事故で急に亡くなったとかはまた別だけど、余命を宣告されて死んだ場合は、今までの人生分が最後に集約すると、私は思ってる」


 言われていることの意味が、何となく理解できてくる。


「私は、フィナーレのお手伝いをしてるだけ」

「そう、あたしらは、フィナーレが恙なく終わるように手助けをしてるだけ。幕引きのボタンを押すのは医者。観客は、それまでその人と関わってきて、そのフィナーレに立ち会いたいって来た人たち。その観客の人数は、あたしたちじゃどうにもならないの」

「そっか……」


 ほろり、と泣けてきた。


「ごめん、酔っぱらって……」

「はいはい、涙もろくなるんでしょ」

「ごめん……」


 ぐずぐずと鼻を鳴らしていると、ついでだから一つ話をしてあげよう、と裕美が話し出した。


 裕美は、話し始めた。


 以前、裕美が看取った患者だった。

 高齢の女性で、ご主人をずいぶん前に亡くし、お子さんはおらず、内職とパートの掛け持ちで、一人、細々と暮らしていたらしい。

 だが、転んでけがをしてしまってから、細かい作業ができなくなり、仕事を辞めることになった。本人はあまり乗り気ではなかったが、地域のケースワーカーと相談し、生活保護を受給することになったらしい。

 いつも頑張って自分で家事をし、体力維持のための散歩も欠かさなかったそうだ。


 だがある日を境に体調が悪くなった。

 生活保護は、医療費が全額国庫負担だ。申し訳ないと思い、もう少し悪くなったら、もう少し続くようだったら、と先延ばしにしていたが、とうとう耐えられなくなり、近所の人に付き添われて受診した。

 結果は大腸がんの終末期で、ベッドの空いていた裕美の病棟へ入院し、食事ができないため点滴投与を始めた。


 終末期の症状緩和のため、鎮痛剤の投与を行おうとしたが、「皆さんのお金を先も長くない老人に使うくらいなら、他に使ってほしい」と始めは使用を拒否していた。けれど、近所の人も含めて説得し、ようやく鎮痛剤を使うことができた。

 入院中も何かと近所の人や、昔お世話になった、という人が訪ねて来ては、顔を見て、少し話して帰っていく、というのが続いていた。

 長話する人は、他の人がタイミング見て連れ帰っていて、その手際があまりにも鮮やかで、面白かったらしい。


 そんなある日、裕美が担当で体を拭いていた時、こんなことを言っていたらしい。


「主人が亡くなって、自分は天涯孤独だと思っていたけど、たくさんのお友達が訪ねてくれて嬉しいわ。本当に、ありがたいと思ってるの」


 裕美は、なぜかそれが忘れられなかった。


 女性はその後、痛みがどんどん強くなり、鎮痛剤も強いものを使わねばならなくなった。

 起き上がることもままならず、時折体の位置が定まらない様子でベッドの上で何度も寝返りをうっていた。スタッフの間では、そろそろモルヒネを検討してほしい、という声もあった。

 だが、モルヒネ投与によって、眠ってしまうこともある。

 それは嫌だと、女性は耐えた。

 面会者が来たときは、できるだけ気づかせないように振舞っていたそうだ。


 女性の友人の一人に、何かあった時のことを全て任せている、という同年代のご婦人がいた。毎日顔を出すし、緊急連絡先にも指定されている人だ。

 その人が、ある日女性にこう言ったらしい。


 もう、周りに気を遣わなくていい。辛いなら辛いといいなさい。辛いのに必死に笑ってるあなたを見るのが辛い、と。


 女性は友人が帰った後、一晩考えて、モルヒネを使ってほしいと医師に伝えた。

 ただし、その友人が来た後に。

 友人は、その日の昼過ぎに面会に来た。二人で、色んなことを話している様子だった。

 そして、女性はモルヒネの投与を始めた。


 次の日には、まどろむようになり、時折痛みを訴えた時は、薬の量を少し増やした。

 とても、楽よ。あなたのおかげ。ありがとう。

 そう、面会に来た友人に伝え、友人は、それは良かったわ、と笑っていたらしい。


 その友人が、電話スペースで、泣きながら電話しているのを見たのは、数日後だった。

 もう、返事をしてくれなくなってしまった、と聞こえた。

 その日の担当看護師に聞くと、ほとんど眠っている様子で、時折苦痛を感じたように顔を顰める、と言っていた。その日から、酸素投与も始まったらしい。


 そして、そのさらに数日後の夜。消灯時間を少し過ぎたころ。

 女性の心拍数が急に上がり始めた。裕美はその日女性を担当していた。

 様子を伺いに行く。

 女性は変わらず眠っているようだったが、血圧が六十台になっていた。


 心拍数が下がり始めたら、早いかもしれない。


 今までの経験上、そう思った。

 脳裏に数日前、涙を流していた女性の友人の姿を思い出す。

 心拍数は、百五十を超えていた。血圧が足りず、全身に血を巡らせるために心臓が頑張っている証拠だ。

 しばらくは、その状態が続いていた。だが、それがゆっくりと、下がり始める。

 いつもなら、もう少し様子を見ていたかもしれない。

 けれど、裕美は迷わず電話を取った。

 女性の友人へ状況を説明し、もしかしたら早いかもしれない、来てほしいと伝える。


 そして、その二十分後。電話をして、駆け込んできた友人とそのご主人は、間に合わなかった。

 あまりにも心拍数が下がるのが早かった。裕美も必死に女性に声をかけた。

 二十分で着くと言っていた。だから、待ってあげて、と。

 何度か脈が三十から五十へ、と上昇はあった。けれども。

 女性へ電話して、十五分後に、心電図モニターが心拍数ゼロを知らせた。


 駆け付けた女性の友人は泣いていた。なぜ、待ってくれなかったの、と。


 しばらくお別れの時間を取った後、体を清めさせていただく。

 処置が終わって病室から出ると、待合室に人が増えていた。

 みな、女性の友人が連絡して女性を見送りに来たらしい。


 病室へ通す。嗚咽の中で、見送りたかった、と泣く声が聞こえた。


 そうして、女性は、数人の友人たちに伴われて、病院を後にした。




「同じ生活保護で、家族がいなくても、例え臨終が一人だったとしても、最後に駆け付けたいって思う人がいてくれたのが、その女性が歩んできた人生なんだよ。涼子の患者さんは、病院では最初はいい人だったかもしれないけど、亡くなる時には、唯一と言っていい親戚に関係ない人だ、とまで言わせたわけでしょ? いい方は悪いけど、その人はそういう関係性しか他の人と作ってこれなかったんだよ。だから、あんたが背負う必要ないんだよ」


「うん……そうかも」


 涙が止まらなくて、ずびずび言い始めた。

 ほら、と裕美がティッシュをくれる。鼻をかんで、少し落ち着いた。


「私、患者さんに思い入れが強すぎたのかもしれない。私が、なんでもやってあげなきゃって」

「そうだね」

「患者さんの人生では、私は裏方で、その人の考えだとか、生き方だとかを変えれる訳じゃないのにね……。傲慢、だったかもしれない」


 うん、と裕美が頷いて、レモンサワーを一口飲んだ。

 カラン、と氷が揺れる音がした。

 頭の中で、色んな事がぐるぐると回る。

 二人の間に沈黙が降りるが、考え事をするにはちょうど良い。

 複雑にからまった思考がゆっくりとまとまって、私は少しずつ話し始めた。


「……私は、確かに傲慢だったかもしれない。だけどやっぱり、患者さんのために、できるだけのことはしたいと思う。だから、患者さんが素敵なフィナーレを迎えられるように、最後の花道を滞りなく進める手助けができるような、そんな看護師になりたい」


 裕美はまた一口レモンサワーを飲んで、うん、と頷いた。


「やっぱり、涼子は真面目だねえ。でも、いいと思うよ。真面目過ぎて自分を追い詰めるのは良くないけど、自分が理想とするものがないと、何も目指せないもんね」

「うん。ありがと、裕美」

「今度あたしが悩んだ時はよろしく。今日夜勤明けってことは明日休み?」

「うん」

「私も明日休み。じゃ、飲むか!」

「うん!」

「それじゃあ、おっちゃん、日本酒冷酒で!」


 その晩二人でたくさん飲んで、たくさん笑って。

 そして、家に帰って、少しだけ泣いて、私は眠った。




 カグヤは、記憶の再生が終わるのをぼんやりと見ていた。

 ヒトの死の訪れは、本当に突然の事もあるけれど、病気でゆっくり死ぬのは、死ぬ準備ができるということ、というのはわかった。

 同じような境遇でも、死ぬ時には人生が濃縮されたように、その人の本当の姿のようなものが見えるのかもしれない。

 川島がフィナーレ、という発想を得たのは友人の言葉だったこともわかった。


 人生が舞台。

 永遠の命を持つカグヤにとって、舞台は常に観る方だった。

 フィナーレには興味がなかった。


 死は、悲しいものだと思っていたから。

 死は、全ての終わりだと思っていたから。


 けれど、その舞台は終わっても、誰かの舞台ではそのフィナーレさえ、舞台の一部なのかもしれない。

 複雑なようで、単純なこと。

 実際、秋山の死も、裕美が看取った女性の死も、川島と裕美の人生という舞台の一部となり、二人を構成する重要なものになっている。


 ますます、死がどういうものかわからなくなってきた。

 果たして、残りの記憶を見ることが正しいことなのか、わからなくなっていた。




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