プロローグ
久しぶりの投稿です。温かく見守っていただければと思います。
どうやら世の中では世界の終焉が囁かれていたようだ。
ノストラダムスの大予言だとかマヤ歴だとか、誰かが引っ張り出してくるつまらない作品には飽きてしまった。
石造りの大きな窓に腰かけながら、彼女は大きく伸びをすると、そばにいる愛猫に語りかける。美しく長い黒髪が、さらりと揺れた。
「ねえ、ヒトの終焉は派手な方がいいのかしら」
大きな窓から眺める世界。
窓の内側には、ベッドと小さなテーブルとイス、そして壁一面の本棚。
大きな窓以外、ドアらしき出入り口のないこの部屋は、彼女にとっての全てだった。
どうして彼女がここにいるのか。それは記憶の彼方の白いもやのせいで、よく思い出せない。けれど、彼女はここから世界を眺め続けなければならなかったし、彼女はそれに満足していた。
たくさんの知識を得ることは、彼女にとっては呼吸するのと同じくらい大切だった。
ここから世界を眺めれば、見たいことも聞きたいことも全て、彼女のものとなった。
やりたいと思うことは想像して願えば全て実現する。
新たに生まれる技術や文化は楽しい。ヒトという生き物は他の世界では見なかったから、素直に面白いとは思った。
けれど、いつから眺めていたのか忘れてしまうほど、この世界を眺めていたせいか、それにもそろそろ飽きてしまった。
別の世界を眺めるには、この世界の窓を閉じて新たに作り直さなければならない。世界はランダムに選ばれるから、この世界の窓を開けることは天文学的確率、つまり、もう見られないに等しかったが、彼女に未練はほとんどなかった。ただ、愛猫のシムルだけは連れて行きたいと思った。
『あなたには、私と同じ永久の命をあげる。だから、私と共に生きて』
そう言って、彼に言葉と命を与えたのは、いつだったか。
「そやなぁ、派手な方がいいんとちゃう?アトラクションみたいで」
彼はその黒い毛並みを逆立てて、彼女と同じく伸びをする。
「でもな、カグヤ。終焉は生きとるもんみんなに訪れるもんやで。そない急いで終わらせんかて、ええやんか」
彼はちらりと彼女を見た。
縦長の瞳孔を持った金の瞳には、嘘のないまっすぐな感情しかなかった。
カグヤは琥珀色の瞳を彼に向ける。
「だって、飽きたんだもの。ニホンの四季は好きだけど、それもヒトのせいでなくなりつつあるし。美しい海も、薄汚れてきたし。これ以上、私の愛するものが汚されていくのは見たくないの」
それならいっそ、全部終わらせた方がいいのかと思って。
そうつぶやく彼女から目を逸らして、シムルは呟くように言った。
「カグヤは大事な人が死ぬとこ、見たことあるんか?」
「ないわ。あなたと会うまで私はずっと一人だったし、必要ないと思ってた。それにもしこの先、私の愛する生き物が現れても、永遠の命を与えられる。だからこそ、自分の手の届かない所にあるものが、壊れて消えて、無くなるのを見ることはないの」
このチキュウという星が、ヒトに蝕まれていく様は見ていて気持ちの良いものではなかった。繰り返される汚染は、透き通るようなあの空も、青く暗いあの海でさえ、穢して不浄のものにしてしまった。
ヒトがいくらそれを綺麗にしようとも、取り切れないその穢れは、積もって散って、一生消えない。
「わいはカグヤよりもちょっとは人間の近くにおったけど、人の終わりは儚いもんやで。あれをアトラクションにするんは、自分で言うとってちょっとえげつないわ」
シムルは何かを思い出すように目を細めた。
「わいの最初のご主人はええ人やったけども、ある日ぽっくり逝ってもうたし。二番目のご主人は、病気治しに病院行ったまま帰らんかった。それから人のそばにおるんが嫌んなって、ノラやっとったけど、たまにメシくれる八百屋のばあちゃんが、ある日店先で暴走した車にひかれて死んだ時は、ひかれるんはわいらだけやないんやなー、ってぼーっと思ったわ。魚屋のおっちゃんかて」
「もういい」
カグヤはプイ、とそっぽを向く。彼女の着ている黒のワンピースがふわりと揺れる。
まるで拗ねた子どものようだというのはわかりきっていた。
「シムルは私にヒトの儚さを教えたいんでしょ。そして慈悲を求めている。気まぐれで終焉を引き起こさないように」
シムルは何も答えず目を細めたまま遠くを見ている。そんなシムルを横目で見ながら、彼女は続けた。
「そしてその儚いヒトの死に、美しさを感じている。どこか懐かしさと、切なさを。シムルは私に、人の死を知ることを望んでいるのよ」
カグヤはふう、とため息をついた。この愛猫は、時折とても回りくどい方法でカグヤを導こうとする。
生きている年数的にはカグヤの方が絶対上なのに、毎回この猫に新たなことに気づかされるのだ。
「終焉までの道のりは長いものね。その間に寄り道をするのも悪くないわ」
窓の外を眺めたままのシムルの横から、窓の外に向かって飛び降りる。
風で長い黒髪が揺れた。
「いってらっしゃい、やで」
後ろからのんびりとした声が聞こえた。
ちらりと振り返る。
最後に見た彼はゆらゆらと尻尾を揺らすと、大きく欠伸をしてその場に丸まり、ゆったりと昼寝を始めた。




