激化する対立
救滅地区住宅街。普段は閑静な場所だが、この日は違った。多くの人間が血眼になって道を徘徊している。怒鳴り声や奇声もあちこちから聞こえてくる。端から見れば完全な不審者だ。
数多くの見知らぬ人間が目をぎらつかせて街をうろついているというそのあまりに異様な光景に警察に通報する住民が後を絶たなかった。しかし、不審者の正体が祓い師だと知っている警察が動くことはない。そんなことを知るよしもない住民たちはまるで動こうとしない警察への不満を漏らす。だが、事情を知らずとも彼らが警察に期待していたわけではなかった。警察など名ばかりの組織だ。実質、治安を守っているのは皮肉にも祓い師の手によるものであり、警察などいたところで邪魔にしかならないのが現実だった。しかし、焼け石に水と知りながらも、通報でもしないと落ち着いていられなかったのだ。一体、彼らが何をしにここに来たのか。それが分からない住民たちは怯えながら家の中にいるしかなかった。
もちろん、彼らの標的はこの住宅街の住民ではない。滅兵の指導者。虎善宗司だ。彼がこの住宅街に潜んでいるという情報を上から受け取った彼らは目を血走らせて虎善の居所を探す。見つけ出し、殺すことができれば大出世を約束されているのだ。必死さが他の任務とはまるで違う。
それにこの任務には滅兵によって親しくしていた者を殺された祓い師もいた。殺された仲間の無念を討つ。そんな思いでこの任務に参加している者も数多くいた。
しかし、肝心の虎善のいるところが分からない。刀皇から受けた情報ではこの住宅街に虎善がいるというだけで、どの家にいるかとまでは伝えられていなかったのだ。つまり、この広大な無数にある家の中から虎善を探し出さなくてはならない。
もちろん、刀皇家が意図的に情報を隠していると考えている者は多かったが、今はそんなことを気にしている暇はなかった。一刻も早く虎善を発見すること。それが最優先事項だった。
虎善を見つけるために彼らがとったやり方は極めて荒っぽかった。刀皇家所属の祓い師の跡をつける程度なら全然かわいい方で、不法侵入や怒鳴り込みは当たり前。場合によってはドアを蹴破って家の中に入り、脅して虎善の居場所を聞き出そうとする者さえ現れた。
何も知らない住民たちは必死にその旨を伝えるが、そんなことをする祓い師が納得するはずがない。黙っているなら無理矢理吐き出させてやると、拷問と称して散々痛めつけられた挙句に愛する家族を殺されてしまった者までいる。
しかし、突然現れた破壊者たちの暴虐は止まらない。ついには、虎善を炙り出そうと術を使って手当たり次第に放火し出す祓い師まで現れはじめた。七月半ばということもあり、決して乾燥していたわけではないが祓術の前では何の意味もなかった。その祓い師が相当な手練れということもあり、火の手はあっという間に回った。
まるで地獄のような光景だった。人々は必死に逃げ惑い火の手から逃げようとする。しかし、逃げ切れずに瓦礫に押し潰されたり、火が全身に回り焼死するものが続出する。それだけじゃない。術を使った者は逃げる者を無作為に捕らえては虎善宗司の居場所を無理矢理聞き出そうとする。当然誰も知らないと言うが、そんなことを言えば待っているのは死だ。術で強化した腕力にものをいわせ、炎の中に投げ入れられる。そんなことをすれば、一般人である彼らは一瞬で焼け死んでしまう。
そのため、全員が適当なことを言ってその場を逃れようとする。だが、そんなことをしても結果は同じだった。誰かを売れば、礼と称して殺され、ついでに売られた人間もその後に殺される。適当な居場所を言っても結果は同じこと。殺されて終わりだった。
つまり、術をかけた者に捕まった時点でその人間の死は確定しているのだ。これが、さらなる被害を生んでいた。
もう限界だった。生き残った住民はもう十分の一もいない。彼らはここ最近突然現れた救世主たちが来ることを願った。この傍若無人な者どもを一人残らず消し去ってほしいと心の底から願っていた。そして、その願いはあっけなく叶えられることになる。
術をかけた者はくまなく探すために術を駆使する。そんな彼に背後から声をかける者がいる。
「ねぇ」
「何だ?」
術をかけた者は不快感を隠そうともせずに振り返る。どうせ、あちこちに火をつけすぎて探索が困難になっているから文句を言いに来たのだろうと彼は思った。別にそんな苦言をわざわざ聞いてやる必要もない。適当に流せばいいだけだ。
そんなことよりも、こうして反応を返すだけでも手間だと考えていた彼の目に入ったのは見知らぬ茶髪の少年だった。誰だと聞く前に術をかけた者は目を見開き、血を吐く。下を見れば彼の胸に少年の左腕が突き刺さっていた。
「調子に乗りすぎだ」
現在よりもだいぶ幼い容貌をした善也は感情を感じさせない声でそう言い放つ。術をかけた者は何が起きたか理解できずに息絶える。善也はその死体に見向きもせずに地獄絵図と化している住宅街を見る。
「派手にやってくれたなぁ。将来有望な人間がゴミどもに壊されたのを見るとゴミどもをぐちゃぐちゃにしてやりたくなる」
善也は般若のごとき形相で周囲に無数のツルを出現させる。彼は完全にブチ切れている。多くの罪もない人間が理不尽に殺されたことに怒っているのではない。未来のある人間たちが人の形をしているだけのゴミに殺されたことに怒っているのだ。
そこから事態が急変するのは早かった。善也は祓い師を手当たり次第に殺しはじめたのである。今まで彼らがやっていたように遠慮も区別もなく息の根を止めていく。逃げ惑い、必死に命乞いをする祓い師にも遠慮はない。ツルで捕らえて絞め殺し、ツルを尖らせて全身を穴だらけにして殺し、木でできた切れ味の鋭い刀を作り出して斬殺した。
完全にさっきと逆の光景だ。そして、善也は元祓い師にしては冷静で分別のある方だ。そのため、市民たちを巻き込んで殺すようなことはしない。あくまで祓い師のみを殺していく。
見事な手際に人々からは歓声が上がる。さっきまで自分たちを散々痛めつけた祓い師たちが為す術もなく斬殺されていくのだ。特に愛する人間を失った者の喜びは尋常ではなかった。善也は人々の声など耳を傾けずに、祓い師を消すことだけを淡々とやっていく。
逃げる途中でつまづいて倒れた祓い師の首に善也は何のためらいもなく刀を当てる。
「お、お前! 俺たちが誰だか分かっているのか!? 俺たちは!」
「一部だけが凄くて、あとは虎の威を借る狐しかいない自称超越者集団でしょ? それがどうしたってのさ?」
善也は冷淡な声で刀に力を入れる。それを見て、殺されると悟った祓い師は無様に涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で必死に命乞いをはじめる。
「ひぃぃぃぃっ!! や、やめてくれぇっ!!!」
「人々にそう言われてやめた?」
聞くに堪えない言葉にうんざりした善也はさっさと首を切り裂いて祓い師を殺してしまう。もうここにいる祓い師はだいぶ殺したはずだ。しかし、まだ生き残りはいる。
「でも、あともう少しだな」
善也は肩を寄せ合いながら震えている五人を見て笑う。五人は完全に善也に怯えてしまっている。しかし、いまさら何も思うところのない善也はツルでひと思いに五人を串刺しにして殺す。これで、今、この住宅街を脅かす脅威は全て排除できたことになる。
それを理解した住民たちの喜びは凄まじかった。不遜な者どもをまとめて一掃したのだ。もう大丈夫だと人々は完全に安心しきっていた。
善也は人々に目もくれずに右の方に視線を向ける。そこには猛スピードで接近してくる一つの黒い物体があった。黒い物体は人々の群れに猛スピードで突っ込むと一瞬のうちに生き残っていた市民を皆殺しにしてしまう。
しかし、殺された人間の中に善也が興味を惹かれる人材はいなかった。そのため、極めて冷静にその物体に目を向けることができた。
その物体は人だった。そして、その正体は――。
「まさか、貴様が来るとはな。剣也」
今までとは口調を一変させる善也に剣也は何の反応も見せない。ただひたすら冷めた目で善也を見ている。善也は目が笑っていない笑みを浮かべて、そんな善也を見返す。
「どういうつもりだ?」
「どういうつもり…… とは?」
「とぼけるな! なぜ、祓い師を裏切った!!」
今まで押さえていたものが一気に爆発したかのようにまくしたてる剣也を善也は色を感じさせない目で見る。完全に興味が失せていた。善也は質問には答えずに手短に話しておきたいことだけ話すことにする。
「その問いに答える気はないし、長話をするつもりもない。言いたいことだけ言わせてもらう」
「何だと?」
「来る八月一日。滅兵と祓い師で果たし合いをしよう、とのお達しだ」
「果たし合い…… だと?」
「そうだ。詳細は上の方で伝えるらしい。それではな」
「待て!!」
善也はそう言ってその場から姿を消す。剣也は後を追おうとするが時既に遅し。善也は遥か彼方まで移動してしまっていた。
そもそも移動速度では善也の方が上だ。すぐに追いかけたところで追いつけるはずがない。
「くそっ! 逃がしたか……」
剣也は悔しそうに歯ぎしりをし、地団駄を踏む。興奮冷めやらぬ頭で善也の言っていたことを思い返す。
「果たし合いだと。一体、どういうつもりだ」
まるで真意が読めなかった。滅兵の現在の全戦力は分からなかったが、それでも普通に戦えば祓い師が勝利するのは目に見えていた。それにもかかわらず、あえて果たし合いを要求するということはよっぽど自信があるのか……。
いや、それ以前に果たし合いなどとうの昔に始まっている。それをいまさら言う必要がどこにあるというのか……。
まだ幼い剣也の頭では理解することができなかった。しかし、善也たち滅兵が確実に今の祓い師一強の体制を突き崩そうとしていることだけは理解できた。
もし、今の状態が乱されるようなことがあれば、祓い師もどうなるかまるで分からなかった。少なくとも、命の保証がされないことだけは確かだ。
決して滅兵の存在を許すわけにはいかない。今の剣也は功名心が先走って、不用意に動き回っている他の祓い師たちよりは冷静だった。だからこそ、滅兵のやりたいことが読めずに不安になる。
「どっちにしても、まずは父さんに報告だな」
今、ごちゃごちゃと考えていてもしょうがない。まだ剣也は八歳なのだ。いくら、彼が天才児と呼ばれていても、限界はある。だから、これ以上無駄に時間を浪費するよりも、一刻も早く動いた方が得策だと判断したのだ。
「今は素直に退いてやる。だが、次に会ったときはただではすまさないぞ。善也」
決意を新たに剣也は歩きはじめる。その歩みはとても力強いものだった。




