本番の夜へと
七月三十一日。二日前と比べて人気は一気に消え、どこにいっても静けさに満ちていた。誰もいないからだ。
昨日の突然の激変により、全人口のおよそ九割もの人間が死亡した。突然の世界の変貌に各国の首脳や権力者たちは頭を抱えている。
民あっての王。彼らも今ほどそれを感じたことはないだろう。祓い師と滅兵を除いてほとんどの一般人が死に絶えてしまった現状では、彼らは裸の王様でしかない。それどころか、自分たちもいつ殺されてもおかしくない。昨晩は全員恐怖に震えて眠る羽目になった。
彼らを守っていた護衛たちも昨日一人残らず殺されたため、自分の身は自分で守らざるを得ない。しかし、戦闘能力など持たない彼らは残された厳重なセキュリティに頼るよりほかなかった。普段なら自分たちの身を守る強固なセキュリティもひどく頼りないものに見えただろう。彼らの心中は察するにあまりある。
「まぁ、どうでもいいとしか言いようがないがな」
武はばっさり切り捨てる。今朝、久々に帰ってきたことで大喜びで飛びついてきた美夢から聞かされた話だが、肝の太い政治家でも命に危機には怯えるんだなという感想しか抱けなかった。
「どうでもいいか。そんなことよりも、俺は俺の仕事をやろう」
武は辺りを見回す。今、武は無人となった神殿地区の商店街を歩いていた。散歩しているわけではない。生き残っている人間がいないかどうかを見回っているのだ。
もし、生き残りがいれば殺す必要がある。そうでなければ、ほんの少しだけ計画に支障が出てしまう危険があるからだ。
「っていっても、あいつが大丈夫だって言ってるんなら大丈夫な気がするがな。やけに念入りにやらせるもんだ」
今、生き残っている人間は計画通りならばほんのわずかだ。仮に不手際で生き残っている人間がいたところで見つけられるかどうかは怪しい。見回っている人間とてごく少数なのだ。やるだけ時間の無駄のような気がした。
「けど、昼間まではやることがないのも事実だからな。仕方ない。気晴らし程度にやるか」
武は大きく伸びをすると、周りを見つつものんびりと歩く。昼間からまだ大仕事が待っている。生き残りがわずかにいるというのは事実だが、その中には祓師協会の人間が数多く含まれている。
それらの人間を祓師協会にいる標的ごと始末するのが武の役目だ。
「何か面倒ごとを押しつけられた気がするが、与えられた仕事だ。全力は尽くさないとな」
武は気合いを入れると一度立ち止まり、雲一つない夏の青空を見上げた。
上へ上げた視線をゆっくりと右の方へと向ける。そこには小さな雑貨店があった。当然のことながら無人のように…… 見えた。しかし、武は口元を歪めると、ゆっくりと雑貨店の方へと歩いていく。
「なかなか面白い術だな。呪符の気配がないとこを見ると、術者は滅兵か?」
ザッザッと足音を立てながら近付いてくる武に畏怖したのか息を飲む音が聞こえる。武はさらに口元を歪める。
「分かりやすい奴だな。せっかく、ここまでして隠れてたんだから、この程度の揺さぶりで動じてちゃダメだろ」
武の問いかけに相手は答えない。ただ静寂だけが返ってくる。
「答える気はなしか。さすがにそこまで動転してねえって事か。まぁ、だからどうだっつーこともねえけどよ」
武は右手を店に向けると同時に白い呪力を放出し、ビーム状にして店へとぶつける。
圧倒的熱量を持たされた白い呪力を食らってなお、店は無傷だった。武の狙いが店ではなかったからだ。
「やっと姿が見えたな」
武は笑みを浮かべながら、正面を見据える。そこには先ほどまで誰もいなかったはずの店内で手を取り合い、身を寄せ合っている七人の集団がいた。まだ生き残りがいたのだ。生き残りの集団の中央にいる術者とおぼしき黒髪の少女が武を睨みつける。
「あんたたち、一体何なのよ! 突然、皆を殺しはじめて! 何度も思ってたけど、今回ほどあんたたちを狂ってると思ったことはないわ!! あんたたちは一体何がしたいのよ!!!」
肩で息をしながら少女は問い質してくる。彼女は一昨日の夜にたまたまこの街を訪れ、悪霊たちによる大量殺人の現場に居合わせた。そして、一度攻撃が止み安堵したところで再び悪夢のような出来事が再開した。
しかも、今度は祓い師まで悪霊に加担していた。混乱しながらも、少女は死にものぐるいで近くにいた人々をこの店の中に連れ込み、自身の滅術で目隠しをして息を潜めていたのだ。だが、それも武にあっさりと見破られてしまった。
やぶれかぶれになった少女は自信がずっと思っていた疑問を無駄だと知りながらも武にぶつけたのだ。それに対する武の答えは実に簡潔なものだった。
「俺たちがしたいこと? そんなもの決まっている。救いたいんだよ。救いようもねえ害悪からな」
淀みなく言い放った武の瞳に欠片の迷いもなかった。少女は一瞬固まる。
「だからこそ、てめえらにはここで死んでもらう。というより、てめえらが今まで生きてられたのは下らねえ茶番のためにすぎねえんだよ。そうじゃなきゃ、この程度の術に空我が気付かねえわけがねえ」
空我はこの街にいる人間を大方始末したと言っていた。つまり、意図的に見逃した人間がいると言うことだ。そして、あえて見逃した理由は極めてばかばかしいものだった。だから、武は何のためらいもなく白い呪力を放出したまま右手を横に薙ぎ払う。それだけで、七人の胴体は真っ二つに割れてしまう。少女は自分が斬られたのだと、今、ようやく理解した。そして、唇を噛み今際の際にぽつりと言う。
「くそ…… !」
少女の恨み言は武に届くことなく、昼の閑散とした街に消えていった。
武はもはやそんな声など聞いていなかった。武は七人が死んだことだけ確認すると、他にも空我が意図的に見逃した人間がいないかどうか調査に向かった。
○○○○○
正午になった。十一時三十分頃には屋敷に戻っていた武は自室で昼食を取る。もう慣れたものだ。この屋敷には食堂というものがあるが一度も利用したことがない。ずっとここで食事を取っている。
食事を取り終え、人数が多すぎて未だに顔を覚えられない使用人に食事を下げてもらうと、空我と美夢が中に入ってくる。
「やぁ、午前中の巡回お疲れ様」
「ああ、本当に疲れたぜ。見逃しすぎなんだよ、お前。見回りは二時間程度だったのに、二十人は軽く殺したぞ」
「やー、ごめんごめん。ちょっと、あえて見逃してみたら、力のない人間ってのはどういう行動を取るのかなって急に興味が出てさ」
「そんなもの、逃げ延びるか、元凶に復讐を誓って襲いかかってくるかの二択しかないでしょ。他にどんな行動取れるってのさ。あんな奴らに」
「それはそうなんだけどね」
美夢の的確な指摘に空我は頭をかいて苦笑いをする。返す言葉もない。
無計画に適当なことを行ったゆえに、大した成果も得られなかった。当然の帰結だ。
「とりあえず、もう見逃した奴は全部消えたみたいだし、他も仕事は完遂したらしい。そして、いよいよ今日の夜に最初の大仕事だ」
「面倒くせえな。今日一日くらい休ませてほしいもんだが」
「そうのんびりもしていられないでしょ。邪魔者を完全に始末して一段落つけなきゃ、すっきりと八月を迎えられないじゃないか」
「邪魔者…… ね」
思うところがあった武は猜疑心に満ちた目で空我を見る。だが、すぐに視線をそらす。
正直、武にとって邪魔者がいようといまいとどうでもよかった。しかし、うざったいのも事実なのでそうそうに始末してしまうことに関して文句があるわけでもない。だが、その幕引きを自分の手で行わなければならないというのにかすかな億劫さを感じていた。
しかし、義理は果たさなければならない。武は口では面倒そうに言いながらも、しっかりと事を遂行する気ではいた。気が進まないのは確かだが、これが武なりのけじめのつけ方だ。
「とりあえず、台本かなんかないのか? それとも、ぶっつけ本番でいいのか?」
「うん、アドリブで構わないよ。どうせ、どんなに下手な芝居でも誰も文句なんか言わないんだからさ」
「そうか。それなら、思いっきりやらせてもらうとしようか」
「うん。その意気だよ!」
空我は両手を握って武を応援する。その仕草は可愛らしいものだったが、言っていることは可愛らしいとは言えなかった。しかし、それを指摘する者はその場にはいなかった。
「いつまで二人で喋っているの? いい加減私も構ってよ、武」
二人だけで話していることに不満を持ったのか美夢が武にのしかかって甘えてくる。武は一瞬きょとんとした顔になるが、すぐに穏やかな笑みを浮かべると美夢の頭を優しく撫でる。
「悪い悪い。別にお前を除け者にしていたわけじゃない」
「見えすいた嘘はやめなよ。骨まで透けて見えそうだ」
「嘘をついているつもりはないんだが……」
武は美夢の頭を撫でつつも、頬をポリポリとかく。空我は二人のじゃれあいを微笑ましいものを見るような顔で見ていた。
「二人は本当に仲がいいよねぇ」
「まぁ、昔からの付き合いだからな。でも、お前だってこいつとは結構仲いいだろ?」
「そんなことないよ。お前も分かってると思うけど、僕も大概終わってるからね。まともな関係を築けてないのさ」
空我はどこか寂しげな表情になる。武も美夢も何も言わない。彼が終わっているのは本当のことだ。しかし、彼以上に終わっている人間など腐るほどいるのも本当のことなのだ。
沈黙に耐えきれなくなった武が頭をかきながら言葉を紡ぐ。
「もう遅いだろうけど、これを機にこいつといい関係を築いてみたらどうだ? せっかく兄妹になったんだからよ」
武は美夢の両脇に手を入れて抱え上げる。そして、差し出すように両手を伸ばすと空我は一瞬驚いたような顔になる。だが、すぐに諦めたように笑う。
「…… 僕はダメだよ。誰かと良好な関係を築くには、僕はあまりに罪を重ねすぎた」
空我の言葉に美夢の顔が曇る。しかし、武はなおも追及の手を止めない。
「そんなん俺ら全員同じ事だろうが。何で、そこまで距離を置きたがる?」
空我は一度目を閉じる。武の問いを吟味し、その答えを探しているようにも見える。しかし、武も美夢もそうは見ていなかった。
「さて、何でだろうね。僕も僕のことをよく知ってるわけじゃないからさ。そんなことを聞かれても答えられないよ」
「人は自分のことを完全に理解することはできないってわけか。本当に因果なもんだよなぁ」
武は他人事のように呟く。空我は武を一瞬だけ感情のない瞳で見つめる。しかし、その瞳を即座に引っ込めると笑みを浮かべ直す。
「まぁ、今は余計なことを考えていないで夜のことだけ考えてなよ。わりと責任重大なんだからさ。何しろお前には悪霊の王・サケビを討ってもらわないといけないんだからさ」
サケビ。その名に武と美夢の顔に緊張が走る。だが、すぐに平常通りの顔になる。
「分かっている。心配しなくても、奴をちゃんと楽にしてやるさ」
「そっか。でもさ、武。サケビを楽にする前に、美夢を何とかしたらどう? また構ってもらえなくて不機嫌な顔になってるよ?」
武に言われて自身の膝に収まっている美夢の顔を見てみると右頬を膨らませてそっぽを向いていた。
「あ。悪い、美夢。これは……」
「いいよ。どうせ、私は邪魔者なんだから、二人で楽しく会話してれば?」
完全に拗ねてしまっている美夢に武は失敗したと思う。しかし、先ほどの流れではどうしようもなかった。だが、そんな言い訳が通じる雰囲気ではない。
しばらくの間、武は美夢の機嫌を取るのに四苦八苦していた。
そして、決戦の夜になった。




