七月三十日
早朝。今日未明、突如世界各国で起きた大量殺戮事件によっていずれの国も混乱に陥っていた。たった一晩で起きた惨劇による死者は一万人を優に超え、マスコミや市民団体も大騒ぎをしている。
特に猛威を振るった悪霊に対して討伐部隊を差し向けなかった祓い師に対する不満は大きかった。城神家の屋敷の前でも深夜に起きた事件の被害者遺族たちが門の前で大騒ぎをしている。
「出てこい! クソ祓い師ども!」
「あんたたちが来てくれなかったおかげでうちのお父さんが死んだのよ!」
「もう我慢の限界だ! 役に立たないなら、この俺がぶっ殺してやる!」
「出てきて謝罪しなさい!」
騒ぐしか能のない人間たちが外で馬鹿騒ぎをする。他の祓い師の家も似たようなものだ。こういった状況は何も今回が初めてではない。過去に何度も起きている。特に今回は過去に類を見ないほど被害が大きいということもあって、名門の家だけでなく中堅に位置する家にも人々が押し寄せているようだ。
外に詰めかける遺族を空我は冷めたような目で見ていた。他の祓い師たちも似たような目で見ているか、鼻で笑って侮辱しているか、うっとうしそうにしているか、我関せずと怒号を無視していた。少なくとも城神家所属の祓い師の中で誰一人として彼らに対して欠片の罪悪感も抱いていないのが分かる。
「本当学習しないねぇ。馬鹿を通り越して、脳みそ空っぽなんじゃない?」
綺蘭々が嘲笑を浮かべながら、門の向こうで騒ぐ民衆をそう評する。
「いかがなさいますか? 空我様」
茂豊が見下しきったような目を門に向けながら、空我に尋ねる。空我はうっすらと笑みを浮かべて門を見る。
「別に。やり方はいつもと変わらない。ただ今回は特別に僕がやろう」
凄絶な笑みとともに言い放った空我の言葉に周囲はざわつく。当然だ。いつもはこのような事態になった場合、ある程度の実力を持った者が対応するのが通例だ。今回のように実質的な当主である空我が対応するなど普通では考えられない。
しかし、今の空我は普通ではなかった。
「わざわざ空我様が出向かれるほどのことでは……」
「いや。僕も最近の出来事でちょっとイラついててさ。足しになるとは思わないが、発散しておきたいんだよ」
空我は城神家傘下の祓い師の言葉を切り捨てる。空我の発言を聞いて誰もが押し黙る。それどころか、門の向こうにいる人間たちに同情を感じる者さえいた。
もちろん、それはこの惨劇で家族や友人をなくしたことに対するものではない。何も知らない、何も知ろうとしない彼らの愚かさに対してだ。だが、その結果どうなろうと知ったことではない。それどころか、久しぶりに空我の対応が見れると歓喜の表情を浮かべている者すらいた。
空我は軽く跳躍して門の上に立つと、門の前に集まっている遺族を見下ろす。彼らは空我の姿を見てさらに声を大きくする。空我は彼らに対して丁寧にお辞儀する。
「このたびは私どもの不手際で皆様に多大なるご迷惑をおかけしました」
まさかの謝罪に人々は一瞬固まる。だが、すぐに叫びはじめる。
「形だけの謝罪はいい! どう責任取ってくれんだ!」
「そうよ! 私の夫と娘を返して!」
空我は人々の声を目を閉じてゆっくりと聞く。その顔には心底後悔しているという色が見て取れた。
「皆様、誠に申し訳ありません。今回の件につきましては何度謝罪しても許されることではないことは分かっております。私は表向きは次期当主ですが事実上当主の権限を握っております。そのため、けじめとしまして……」
当主の権限を握っているという言葉に遺族の顔に期待の色が浮かぶ。なんと単純なことか。だが、その色はすぐに絶望へと塗り替えられていく。
「皆様を此度亡くなられた方々の下へとお連れします」
空我は悠然と右手を上げ、指を鳴らす。同時に遺族の胴体が一人残らず切断される。人々は一瞬何が起きたのか理解ができなかった。
数瞬おいてようやく状況を理解することができた。そして、理解したことを皮切りにしてあちこちで断末魔が上がる。
「がっ!!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
絵に描いたような地獄絵図だった。誰も彼もがあまりの激痛に泣き叫ぶ。だが、幾度声を枯らそうがその痛みから逃れることはできない。
だが、彼らが楽になるのにそう時間はかからなかった。あまりの痛みゆえに彼らの精神や肉体は耐えきれずショック死、あるいは失血死したのだ。彼らの死に顔には激痛による苦しみや憎しみが浮かんでいた。だが、こんな悲惨な事態になっても警察が動くことはない。動くはずがないのだ。誰も得体の知れない力を操る相手に盾突こうとは思わない。そんな勇敢な人間などどこにもいない。
「くくっ。くくく。ふはははははははは!!!」
空我は目の前の光景を見て狂ったように笑う。何の思考も持たずに騒げば何とかなると考えている愚劣さを笑うように。自分たちの命には価値があると勘違いしている自意識過剰さを笑うように。
「つくづく滑稽だよなぁ。お前らが希望を持ったって何の意味もないのに」
空我は侮蔑を込めて言う。心の底から理解ができない。理解する意味もない。
祓い師の家に直接抗議が来た際、その場に祓い師が居合わせた場合、抗議してきた者を殺すのが通例だ。一つの例外もない。
その理由は一つ。人間に害なす悪霊を祓っている祓い師は崇高で気高いものであるから、非祓い師は祓い師に敬意を表しこそすれ、牙をむくなどあってはならない。それだけである。
だからこそ、彼らは普通の人間を差別し見下す。そして、彼らが少しでも自分の気に障るようなことをすれば、何のためらいもなく殺す。犯罪者など彼らの格好の餌だ。それが許されているこの世界の崩壊した法体制にも問題はあるだろう。その結果殺すことで治安が維持されているなどという不可思議な事態が起きている始末だ。
もちろん悪いことも山ほど起きている。たとえば街角で飲み物を事故でひっかけてしまっただけで殺された男性がいた。彼には妻がおり、怒りに駆られた妻は夫の復讐を遂げようと仇敵である祓い師に挑みかかったそうだが、言うまでもなくあっけなく返り討ちにされた。その際、その祓い師の男はこう言ったそうだ。
『苦情も反逆も、ましてや攻撃など我々は決して許さない。守られているだけの者は大人しく祓い師のやることを甘受していろ』
人によって多少の違いはあれど、基本的にはそれが祓い師の理念だ。それゆえに祓い師は非戦闘員相手でも容赦はしない。もちろん飲み物をかけて男の服を汚してしまった夫は謝罪し、クリーニング代を払うとまで言ったそうだが、祓い師の男はまるで聞く耳を持たなかったらしい。余談だが、そういった横暴さに異を唱え結成されたのが滅兵である。
彼らは気にくわないものを破壊することしかしない。そんな祓い師に抗議したところで破壊されるだけ。そうなった結末は一度や二度ではないのに、それでもなお理解せずに何度も詰めかけてくる人々にはほとほと呆れるしかない。だから、空我は理解できなかったし理解しようともしなかった。
ちなみに、他の六名家。刀皇家、拳将家、軍王家、聖帝家、天霧家の方で詰めかけた遺族たちも同様に皆殺しにされていた。
過去に何度もこういう事態が起きていることを知りながら、それでもなお命を賭して抗議する遺族を勇敢と呼ぶべきかどうかは分からない。どっちにしても、目に見えて違いもない。
重要なことは他にある。確かに、多少異変はあれど表向きはいつも通りの様相を見せていた。だが、確実に水面下で終焉の時が今か今かと待ち構えていた。
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藍岸のとある湖畔。夏の真っ昼間という暑い時間帯にもかかわらず霧がかかっていた。そこにサケビが一人佇んでいた。
霧の影からワライが姿を現す。
「さて、それじゃあそろそろ動こうか」
ワライの言葉にサケビがかすかに反応を示す。
「いいのか? まだ八月は始まってないが」
「何寝ぼけたこと言ってんの。その前にやっておかないといけないことがあるでしょ」
「ああ。障害物の除去か」
サケビは右手を頭にやってため息をつく。それは、今、サケビが現在進行形で配下にやらせていることだ。そんなことが頭から抜け落ちていた自分に思わず呆れてしまった。
「まぁ、昨夜…… といっていいのか分からないけど、前回のはデモンストレーションとしてはまずまずの成果だった。だけど、殺せた人数は雀の涙ほどしかいないからね。今日明日で一段落つけようと思ったら、これから一気に殺していかないと」
「お前も動くのか?」
「まさか。だけど、力は貸すよ。武の奴も今日藍岸に戻ってくる手筈になってる。あいつが港に到着したのを確認次第、決行といこう」
武が到着するのは午後二時ごろ。つまり、その時から人々にとってさらなる地獄が始まるということだ。
「さぁ、悪いけど邪魔者には消えてもらおうか」
ワライは霧の中へと消えながらそう言い放った。




