縁側
第五章開始です
武が藍岸からいなくなって一月が経とうとしていた。城神家の屋敷では美夢が憂いを帯びた表情で武の部屋の側にある縁側に腰かけている。
この一月。彼女は縁側に来てはずっと外の景色をぼんやりと見つめていた。その理由は火を見るより明らかだ。武と直接面識のない者でさえその理由には心当たりがある。
その理由とは単純明快。武が無実の罪を被された上に姿を消してしまったからだ。歓楽戦直後は滅兵の間で流れていたにすぎなかった噂が今では純然たる事実として扱われてしまっている。
もちろん武の力に嫉妬した他の祓い師と恐れた上層部がその噂を利用し、武を抹殺しようとしているにすぎないのだが、誰も武を擁護しようとはしなかった。当然だ。ただでさえ、出自がよく分かっていない突然現れた男が自分たちよりも強い力を有していたのだ。武自身他の祓い師と積極的にコミュニケーションを取ろうとしなかったことも災いした。そんな彼を愚かな祓い師たちが排除しようとするのは自明の理だった。
そんな祓い師の指示の下に動き出したのが祓師協会監査部だ。監査部とはその名の通り、祓い師の腐敗を正すために選りすぐりの実力者たちを招集して結成された組織だ。表面上は彼らは祓い師を清廉潔白に保つための自浄作用を担うとされてはいるが、その実態は祓師協会にとって都合の悪い者たちを適当に理由をつけて抹殺するという利己主義の下に動く組織だ。
祓師協会だけでなく名門の祓い師一族にも動かす権限が持たされており、城神家をよく思わない者たちにとって今回の一件は監査部を動かす格好の理由付けとなった。
その影響は城神家はもちろん美夢にも及んだ。軍王家奇襲の一件のせいで武と美夢の交際は祓い師の間では暗黙の了解となっていた。ゆえに実質的な当主権限を持ち、武を城神家の傘下に入れた空我はもちろん美夢にも監査部による厳しい追及が行われた。城神家は軍王家ほどではないがよく思われていない。事情を知っていながら、嫉妬や憎悪に駆られた者たちがここぞとばかりに城神家を責め立てた。これに怒った空我が監査部の人間や彼らを動かした人間を拷問にかけた上で皆殺しにしたことで追及はなくなったが、祓い師たちが城神家に疑惑の目を向けるのは当然のことだった。もっとも正面きってそんな目を向けたり、あまつさえ直接疑惑をぶつけてしまったら楽に死ぬことができないのは目に見えているので誰も言わないが。
「美夢様」
「茂豊か」
茂豊は何を考えているのか分からない表情で美夢の横に座ると静かに話し出す。
「この一ヶ月。いろいろあってお疲れでしょう。もうお休みになられたらどうです?」
茂豊の言葉につられて時計を見ると短い針が一の数字を指していた。あの時計が知らせている時間は午後一時ではない。午前一時を知らせているのだ。美夢がここに来たのは午後八時ごろだった。つまり、かれこれ五時間はこうしていたということだ。
茂豊は美夢の隣に腰をかけて言う。
「大変でしたね。自身に力があると勘違いしている権力の犬どもや薄汚い豚どもに探られて、さぞやお気分が悪いでしょう。まぁ、ゴミどもは空我様の手によって全員この世から消え去りましたが」
「そんなのどうでもいいって分かってて言ってるよね。それに監査部の連中から無粋な言葉責めを受けたのはあんたもでしょ?」
「確かにそれは否定できませんね。私もあまりの無礼さに取り調べをしていた者たちの口を、舌ごとその場で切り裂いてしまいましたしね」
茂豊は笑いながら物騒なことを口にする。だが、人を陥れるためにしか存在しない機関の者たちがいくら死んだところで何も変わりはしないのもまた事実だった。
自分たちの息のかかった監査部が惨殺され、さらなる手を出す口実が与えられたにもかかわらず手を出さない。出すことができない。しょせん、その程度の物しか持たされていなかったということだ。
そもそも城神家は龍全家を除けば刀皇家とともに祓い師の中でもトップクラスの権力を持つ大きな家だ。その気になれば不祥事などいくらでもねじ伏せられる力を持っている。それにもかかわらず、城神家に平気で喧嘩を売った者たちも監査部を首謀者ごと皆殺しにするという手段をとった空我もどう考えてもまともではない。こんな事態になったのは武の噂などどうでもいいことだったからだ。
最初から他の祓い師も監査も祓師協会も彼らの頭にはない。彼らにあるのは別のことだった。
「やはり、彼のことが心配で?」
「当然でしょ。私にはそれ以外に興味はないよ。ていうか、あんたもいつまでそんなつまらない芝居をしているつもり?」
冷めた目で聞いてくる美夢に茂豊は口元を大きく歪めて笑う。まるで裂けてしまいそうだと思ってしまうような笑みを浮かべながら、茂豊は言う。
「そう言わないでください。一応、これが私なんですから」
茂豊の言葉に美夢は小さくため息をつく。何を言っても無駄だということはとうの昔に理解している。今のはちょっとした意趣返しだ。
「それよりも、今日は七月三十日。明日で七月最後の日です。ここまでは平々凡々とした退屈な日々を過ごしていましたが、いよいよクライマックスが近付いているようですね」
「クライマックス…… ね。どうでもいいよ。どうせ、何も変わりはしないんでしょ」
美夢はそっぽを向いてしまう。茂豊は頭をかいてそんな美夢を見る。
これ以上は時間の無駄だと判断した茂豊は立ち上がり、話を切り上げることにする。
「いずれにしても、そろそろ自室へお戻りください。いくら夏とはいえ、このような場所にいつまでもいてはお体によろしくありませんから」
「分かってるよ。心配しなくても戻る。あんたは先に帰ってて」
「分かりました。では、おやすみなさい」
茂豊は深々とお辞儀をすると自分の部屋へと戻っていく。美夢は呆れたような顔で、そんな茂豊の背中を見ていた。




