問い
武が驚いたのも無理はない。何しろ、突然悪霊の王と名乗る人物が現れたのだから。
一瞬驚いたものの武はすぐに冷静さを取り戻した。ボレの表情を見て、武はサケビと名乗る人物の言葉が真実だと悟る。
「何の冗談だ…… と言おうと思ったが、それは無駄な言葉か。お前の反応で奴の言葉が真実だと分かる」
「理解が早くて助かる」
「だが、悪霊の王とやらが俺に何の用だ?」
「意外だな。襲ってこないのか? 悪霊を祓うのがお前たち祓い師だろう?」
「どの口がほざいてやがる。そんなものに何の意味がないことくらいてめえだって分かってんだろうが」
元々疑ってはいたが、記憶を取り戻した今、完全に祓い師に大義がないことに完全に気付いてしまった。悪霊を祓う。その大義があるのはむしろ目の前の男だ。
だからこそ、武は冷静に目の前に立つサケビを見ている。目の前の男を見極めようとしている。
この男は空我の情報によれば、十年前に起こった大爆発を引き起こした犯人の片割れだ。だが、座子の話ではサケビとワライは事件に関わっていないという。
だが、とりあえず武が聞きたいことは一つだった。
「なぁ。お前は猟社堅か? それとも、狩宮硬か?」
どちらにしても彼の本名ではないのは明らかだ。そんな名前に武は覚えがない。しかし、どちらにしてもサケビは答えないだろうと武は踏んでいた。
だが、その考えとは裏腹にサケビの答えはあっけらかんとしたものだった。
「一応、十年前は狩宮硬と名乗っていたことになるな」
「……」
サケビが狩宮硬ということは、必然的に猟社堅がワライということになる。だが、何か違和感がある。そもそも本当かどうかも怪しい。
正直、武はサケビという男について掴みかねていた。前世の思い込みから、多くの知り合いがこの世界にいると踏んでいたが、目の前の男も生前に知り合っていたとは限らない。いずれにしても、記憶を全て取り戻さない限り確かめようがない。サケビに正体を尋ねたところで、さすがにはぐらかすだろう。そうでなかったとしても、今、確かめるべきではない。
「そうか。分かった」
「それだけか? てっきり、もっと何かしら聞いてくると踏んでいたんだがな」
しゃあしゃあとそんなことを聞いてくるサケビを武はじろりと見る。そんなことをしても意味がないことを知っていながらこの男は平気で白々しいことを口にする。確かに聞きたいことは山ほどある。だが、仮に聞いたところでサケビの答えの真偽は分からない。相手の表情を見ればある程度嘘をついているかどうかを見分けられるかもしれないが、サケビは仮面を被っているためそれができない。記憶を完全に取り戻せばサケビが言っていることが本当なのか分かるだろうが、それなら最初から質問する意味がない。
それに加えて未だに武は目の前の男の正体に見当がついていない。思い当たる節はあるが、それが当たっている保証はない。
だから、心底恨みがましく言い放つ。
「本当、相変わらず嫌味な奴だ。つくづく自分が優位に立つことでしか主導権を握ることができない。そんなんだから、押さえつけることでしか人を支配できないんだよ」
「…… っ!」
武の言葉にサケビはわずかながら動揺を見せる。武はそれを見逃さなかった。どうやら、武の勘は当たっていたようだ。
「なるほどな。そういうわけか。となると、もう一人のワライとやらは奴か?」
「そこまでだ」
さらに問いただそうとした武を押しとどめたのはボレだった。ボレは武の言葉を遮ったきり何も言わない。だが武の左腕を掴む手の力はどんどん強くなる。それ以上の質問は許さない。そう力強く目が語っていた。
今の武にとって、この程度の力でいくら握られようが脅威ではない。だが、これ以上聞こうと思わなかったのも事実だった。
「仕方ないな。今日はここまでで勘弁しといてやるよ」
武はそう言ってその場から立ち去ろうとする。その背に向けて、サケビが一言。
「なぁ、武」
「ん?」
「お前はワライの正体がもう分かっているのか?」
先ほどまでとはうってかわってどこか不安げな声だった。武にはその一言で十分だった。それで、サケビとワライの正体が分かってしまった。
だから、あえて言った。その言葉を肯定する言葉を。今までの意趣返しのつもりで、ざっくばらんに言った。
「ああ。何しろ、今まで一番近い場所にいたんだからなぁ」
「そうか。やはり分かっていたか」
武は諦めたように呟いたサケビに小さく笑いかけると今度こそその場から去っていった。ボレとサケビはその後ろ姿を見ていることしかできなかった。
○○○○○
武は悠然と施設を闊歩する。中は驚くほど静かだった。人が見当たらない。客も警備も誰もいなかった。だが、武は急に立ち止まるとうんざりしたような表情になって口を開く。
「はぁ……。いつまで、こっちを見てるんだ? ご両人」
武はごく普通のトーンでそれだけ言う。だが、物陰に隠れ武をじっと見ていた二人はそれで素直に出てきた。
「気付いていたのか」
物陰から出てきたのは天成と織珠だった。二人の隠密技術は完璧だった。気配も音も全く感じることができず、よほどの実力者でも見られているということに気付けても確証は持てないだろう。それをたやすく看破されたにもかかわらず、二人の顔に驚きの色はない。
「…… さっきの男。どういうつもりだ?」
「樋口のことか? 何。クウに頼まれたとはいえ、正直なところお前さんの力に関しては俺も半信半疑でな。実際、さっきはひどい失態を犯したしな。そこでお前さんを試すために奴を生かして、お前の当て馬に利用したのさ」
「見え透いた嘘はいい。それよりも聞かせろ。お前らは誰だ?」
「「!」」
二人は大きく目を見開く。だが、天成はすぐに小さくため息をつくと肩をすくめる。
「おいおい、何言ってんだ? 俺たちのこと忘れちまったのか? 俺は軍王天成。六本柱の――」
「聞きたいのはそんなことじゃない。以前のお前らの名は何だと聞いてるんだ」
天成は一瞬表情を固くする。織珠も目を見開いたまま驚いている。だが、天成はすぐに気を取り直し口を開く。
「なるほど。もう記憶は取り戻してるのか」
「大まかなところだけはな。ただあの最終戦争の終盤についての記憶がないんだよ」
『最終戦争』の言葉に二人は顔をしかめる。二人にとって…… いや、皆にとってあまりいい記憶ではないということは武も重々承知している。武とて、二度と思い出したくない悪夢のような事件だ。それでも、この一件を問い質さなければ何も始まらない。
まず間違いなくあの忌まわしい戦いの中に全ての答えがあるはずだからだ。
「そうか。…… 悪いが、俺に答えられることは何もない。というより、俺が答えてはいけないんだ」
「なるほどな。やはり、直接あいつらに聞かないとダメか」
「あ、あの……」
予想通りだったのか武に気落ちした様子はない。そんな武にためらいがちに織珠が話しかけようとするが、すぐに口をつぐんでしまう。
「何を言いたかったのかは知らないが、今はあえて聞かないでおこう。とりあえず、俺は座子の下に向かうが、お前らはどうする?」
「ついていくさ。お前らの戦いを見届けるのが俺たちの義務だからな」
「そうか。正直、今回の戦いでケリがつく確率は低いと踏んでるんだがな」
「なぜそう思う?」
「あの時がそうだったからさ」
武は天成の問いに短く答えると歩きはじめる。座子のいそうな場所に関してはおおよその見当がついている。というより、さっきからやたらと強い呪力をこっちに向けて放たれている。武はもちろん、天成と織珠もこれには少々呆れた顔をしている。間違えるはずもない。座子のものだ。挑発のつもりか。それとも誘導なのかまでは武にも分からなかったが、どちらでもよかった。ただ、この呪力を辿るだけでいい。それ以外のことは今の武には不要だった。
「さて、行くか」
武はゆっくりとした足取りで天成と織珠を引き連れてその場から消えた。
○○○○○
武が大ジャンプをして着地した地点では未だにサケビが残っていた。ボレの姿はない。サケビは彼に適当なことを言いつけてその場から追い払ったのだ。相変わらず、仮面で素顔も表情もうかがい知ることはできなかったが、その背には哀愁が漂っているようにも見えた。
「どうしたんだい? 元気がないね」
「ワライか」
自身に接近している人物がいることに気付いていたサケビは特に驚くこともなく声をかけてきた人物――ワライに対して言葉を返す。だが、ワライの方に振り向くことはしない。武の立ち去った方向を見ながら言葉を紡ぐ。
「あいつも変わらないな。決して頭がいい方とはいえないくせに、妙なところで勘がいい」
「まあね。だから、あんなことになっちゃったんでしょ」
あんなこと――。それはワライたちにとって、いや全員にとって悔いても悔いきれないことだった。特にワライにとっては絶望の象徴といっても過言ではない。
そんなことを平気で口にしながらサケビの様子を観察するワライは紛れもなく異常者だ。だが、そんなことに何の意味もない。
それが分かっているからこそ、サケビも平静を装いつつもそのことに触れずに答える。
「そりゃそうだ。だが、勘がいいということは俺たちの思惑通りに事が運びやすいということでもあるからな。あまり悲観することではないかもしれないな」
「まあねぇ。一応、僕も水をあいつと接触させたりといろいろ手を回したしね。おかげで記憶の大部分を取り戻させることはできた。だけど、記憶を完全に取り戻さないと何の意味もない」
そう。武は気付いていないだろうが、最終戦争以外にも武が忘れてしまっていることはいくらでもある。それらを思い出さない限り、武はこの世界でどう動けばいいのか分からずに右往左往せざるを得ないだろう。
「難儀な話だな」
サケビは小さく笑う。やはり、まだまだ順調とは言いがたい。だが、着実に悲願に近付いていっているのも確かだった。
だから、ワライは上機嫌だった。もう少しで武は力と記憶を取り戻す。当然、今はまだ思いだせていない案内人のことも思い出すだろう。そうなれば、もうワライの願いは成ったも同然だ。
「だいぶいいところまで来てる。それは確かだ。だからこそ、今、焦ってはいけない」
ワライはふと上を見上げる。そこには崖の上にそびえ立つ立派な旅館があった。この旅館こそ座子の居場所であり、武の目的地だ。
「あともう少しでこの章も詰めの段階に入る。そして、次章で一気に事が進む。そこからが僕らの本当のターンだ」
ワライは自信満々にそう言い放つとその場から姿を消す。彼が去った後にほんの少しの間だけ彼の忍び笑いの声が残る。サケビはそれを聞き届けた後にその場から立ち去った。




