終いの会話3
第三章最終話です
午前十一時。どこかのショッピングモールの中である怒号が聞こえてくる。怒号の中心には二人の男女がいた。一人は黒髪に白いサングラスをかけた比較的若い少年で、もう一人はしわとシミだらけの顔を化粧で無理矢理誤魔化そうとして誤魔化しきれていないやや歳の取った中年の女性だ。中年女性の方が一方的に少年にまくし立てている。どうやら、中年女性が少年に何らかの因縁をつけているらしい。
「ちょっと! 聞いてるの!」
「……」
中年女性の言葉に困ったような顔をしつつも少年は何も言わない。一応、少年なりに努力はした。しかし、もうこの女に何を言っても無駄なのだと諦めたのだ。周囲の人間はまるで聞こえていないかのように振る舞う。怒声の中心に目を向けようともしない。誰もが関わりあいたくないのだ。それは正解と呼べるだろう。下手に関われば、こういう手合いはどう出るか全く読めない。当事者の少年もそれは分かっているのだが、やはり手助けがほしいと思うのも事実だ。
中年女性に詰め寄られ困っている少年に救世主が現れる。黒いマントにフードを被り、狂気の笑みを浮かべた仮面を着けた人物。どう見ても不審者と見られるであろう格好をした人物が二人に近付いていく。
「やあ。どうしたんだい? 黒矢」
「あ。ワライ……」
少年――西賀黒矢はワライの顔を見て安堵の表情を浮かべる。中年女性は奇妙な格好をしたワライに多少気圧されたが、さすがの図太さというべきかすぐに突っかかっていく。
「何よ! あんた、こいつの知り合い!?」
「ええ、まぁ、そんなところです。どうかされたんですか?」
あからさまに変声機で変えた声で丁寧に尋ねる。中年女性は大きく鼻で息を吐くと再びまくし立てる。
「聞きなさいよ! さっき、こいつが障害者割引っていうので映画のチケットを買おうとしてたから、あたしにもそれを適用させなさいって言ったのに、こいつ嫌だって断ったのよ! ほんと、近頃の若い子はしつけがなってないわね!」
中年女の言い分は大体分かった。その上で多くの人間が女に冷たい目を向けることだろう。ここのショッピングモールに入っている映画館は障害者割引を適用している。そうすることによって、より多くの人間が映画を楽しめるようにとこの映画館が取り入れたものの一つだ。断じて、中年女のようなずる賢い人間に得をさせるために存在しているものではない。
中年女の聞くに堪えない言葉の羅列は続く。
「本当、障害者だかなんだか知らないけど調子に乗ってるわよね。いるだけで邪魔なんだから、いさせてやってるこっちに感謝の気持ちを見せてほしいもんだわ」
中年女はそこではっと気付いた顔になって、両手をパンと叩く。
「そうよ! 障害者は消えちゃえばいいのよ! 周囲に配慮しない邪魔者は消えた方が世のためよ!」
「そうですね」
「あら、見た目はひどいけどそいつよりは物わかりいいわね」
中年女はワライの肯定の言葉に顔を輝かせる。何の言葉に肯定したのかも知らずに。
「ええ。確かにあなたは消えた方が世のためです」
次の瞬間、中年女の胴体が真っ二つに割れる。中年女は何が起きたのか分からないといった顔で自身の体を見る。
「あ…… が…… っ」
中年女は白目を剥いてその場に倒れる。中年女の死体から血が大量に流れていく。人の多いショッピングモールで白昼堂々に起こった惨劇に反応する者はいない。
「相変わらず容赦がないな。とはいっても、生まれつき盲目ゆえに彼女の死に様は拝めなかったが」
「拝めなくていい。どうせ、見る価値もないものだ」
ワライはそう言って上半身と下半身が別れてしまった中年女の死体を一瞬にして消し去ってしまう。死体が消失した後にはほんのわずかな余韻すら残っていない。
どうやら、黒矢は目が見えないようだ。それゆえに、障害者割引の対象となっていたのだろう。
「もう何も聞こえちゃいないだろうが、一つだけ君の間違いを正しておいてやろう。確かに邪魔者は消えた方がいい。だが、消えるべき邪魔者とは障害者ではない。弱者だ」
ワライが放った言葉には迷いが見られなかった。それこそが正しいのだと信じきっているようにもみえる。
「確かにそうだな」
ワライの言葉に異論はないのか黒矢は否定しない。ワライにその言葉が耳に届いたのかどうかは分からないが、話を続ける。
「弱者は害悪にしかならないからな。それは男だろうが女だろうが健常者だろうが障害者だろうが変わらない。現にそこら中に害悪は満ちあふれている。もちろん、僕だって例外じゃない」
ワライはそう言って歩き出す。黒矢はその後を追う。あくまで我が道を歩く二人に周囲の人間は認識せずに道を譲っていた。
ワライたちは当然のように譲られた進路を歩きながら会話する。
「まぁ、そんなことは些細なことか。それよりも聞いたか? 先の歓楽戦の結果」
ワライが首だけを後ろに向けて黒矢にそう尋ねる。黒矢はその問いにはっきりと頷く。
「ああ。城神空我が虎善恭司を殺害したことで祓い師が四勝三敗で勝利を収めたらしいな」
黒矢の言葉にワライは小さく反応を示す。だが、その反応はすぐに消え、普段通りのワライへと戻る。
「ふっ。今回はあまりにぬるかったと聞いてるからね。最後くらいは、ああでもしないと面目が立たない」
「だが、これで再び祓い師がこの藍岸の覇権を握ることになったわけだ。表向きは滅兵ということになっている俺としてはあまり歓迎できないな」
「どうでもいいさ。どうせ、もう歓楽戦なんて無意味だ」
ワライはショッピングモールの裏にある植物園のようなところに来ると立ち止まる。黒矢もその少し後ろで止まる。
「ここから少しだけ舞台は変わる」
「となると、あいつを違う国に行かせる気か?」
「ご名答。あいつには少し本質って奴を触れさせておきたくてね」
本質という言葉に黒矢の眉がかすかに動く。
「いやに急だな。まだ、いくらか時間はあるんだろう?」
「そうでもないさ。それに、あいつはもう藍岸にはいられなくなる」
「ああ、そうか。あれを滅兵たちに見せてしまったからな」
黒矢は肩をすくめて小さくため息をつく。ワライは話を続ける。
「まぁ、予定通りだ。武にはできるだけ早く記憶を取り戻してもらって、こちら側についてもらうとしよう」
ワライはそう言って再び歩き出す。ワライは仮面の奥で小さく笑う。
「さて、お前はどんな物語を紡いでくれるのかな? 主人公くん」
刹那、強風が吹き込むと同時に砂が飛んでくる。このショッピングモールは海の近くにあったのだ。植物園にいた人間たちは目を開けていられずに思わず両目をぎゅっと閉じる。
風が止むとワライと黒矢の姿はどこにもなかった。
これにて第三章は終了です。
次回から、第四章『動乱の村』に入っていきます




