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試練

 待機室のドアを出て、会場に向かう途中で武を待ち構えていたのは剣也だった。


「何か用か?」


 創神と呼ばれ、とてつもない実力を持つとされている森崎善也との戦いの前に神経をピリピリさせていた武はぶっきらぼうにそう尋ねてしまう。本当はこの歓楽戦で一番大事な試合である中堅戦で勝利を収めた剣也に対して労いの言葉の一つもかけるべきなのだろうが、そこまで頭が回るほど武の今の集中はぬるくなかった。剣也も当然それは分かっているので、そのことに関して言及することはしない。


「ああ、ちょっとお前に忠告しておきたいことがあってな」


「忠告?」


「そうだ」


 剣也は一つ間を置いて続きを話し出す。


「善也は確かに強い。滅兵全体の中で最強はまず間違いなく奴だろう。だが、奴はただ強いだけではない。奴が創神と謳われる理由は他にある」


「どういう意味だ?」


 武は言っていることの意味が分からず、怪訝そうに剣也を見つめる。剣也はうっすらと目を細め、武に背を向ける。


「戦ってみれば分かる。もっとも、奴の真髄を引き出せるほどの力がお前にあればの話だがな」


 剣也はそれだけ言って待機室の方へと去っていく。武は訝しげに剣也の後ろ姿を見るが、すぐに踵を返し善也の待つ会場へと向かう。剣也の言い分によると善也には創神と呼ばれるだけの何らかの秘密がある。

 だが、善也の秘密が何であろうと関係ない。武のやるべきことはただ一つ。未だに出し切れているとはいえない全力をこの試合で出すことだ。それ以外はどうでもいい。ただの些末なことだ。






 ○○○○○


 会場は重苦しい空気に包まれていた。明らかに今までとは異質な空気に観客たちも静まりかえっている。

 この試合、善也が負ければ滅兵側の敗退。そこで歓楽戦は終了だ。だが、滅兵たちも滅兵寄りの思想を持つ観客たちも善也の勝利を信じて疑っていなかった。先ほどまでは(・・・・・・)



 この試合の勝敗が分からなくなった。それが()がこの試合会場に入ってきたと同時に全ての観客が抱いた感想だ。


「へぇ、凄まじいね。期待通りだよ。屋敷武くん」


 善也は微笑を浮かべそうたたえる。善也の目の前には試合開始前から白い呪力を纏い瞑目している武の姿があった。

 武が身に纏う白い呪力はあまりにも静かで淀みがなく、それでいて力強く荒々しかった。その圧倒的なまでの存在感は見る者全てを魅了した。観客たちなどは立場の違いも思想の違いも関係なく、ただ武に目を奪われていた。


『START!』


 試合開始の文字がモニターに映し出されていても二人は動かなかった。だが、今度は中堅戦とは違う理由だった。先ほどは互いに様子を見ていたに過ぎなかったが、今回は武の戦う準備がまだできていなかったのだ。今の段階でも並の祓い師や滅兵ならば一撃で命の危機に陥るほどの力を発揮できるだろうが、武の満足のいく状態ではない。

 今日起きたときからずっと準備をしていたにもかかわらず、第六戦目であるこの副将戦に間に合わせることができなかった。普通に考えれば致命傷となりうる事態だが、善也に動く気配がなかった。武の戦闘準備が整うのを待っているのだ。



 普通に考えれば正気とは思えない。戦闘開始となってなお自身の祓己術を整えることに腐心している相手なら、普通は攻撃を仕掛ける。もちろん、下手な攻撃は逆効果だろうが善也ならば即座に武に決定打を与えられたはずだ。それを承知の上で善也が攻撃を仕掛けない理由。それは極めて単純なものだった。

 今の武の全力を見たい。ただそれだけの理由だった。



 完全に相手を見くびっているともとれる理由だが、善也に限ってはその限りではない。彼には何があろうと決して揺らがない唯一無二の信念(・・)があるのだ。彼がなんとしても譲るわけにはいかない絶対的な信念とは教育にこそある。

 他人を育てその力の真髄を、その才能の底を見たい、知りたい。その知識欲だけが彼を突き動かす。

 だから、善也は武の準備ができるのを待っている。武も高いリスクを承知の上で集中し、意識を奥深くまで沈めていく。

 この一見互いにやる気のあるとは思えない光景に観客たちは瞬き一つせずに静かに見守っていることしかできなかった。それほどまでに、武の呪力に圧倒されていたのだ。

 武の準備が整うのにさほど時間がかからなかった。武はゆっくりと目を開き、善也をその目に捉える。善也はニヤリと笑って、腰を落とし身構える。


「ようやく準備が整ったみたいだね」


「ああ。待っていてくれたことに感謝する」


 武は謝辞を述べつつ、いつも通りのファイティングポーズを取る。一切の迷いの見られない武に空我はおかしそうに笑う。


「本当、大した度胸だよ。相手がぼくだったからよかったけど、本当ならもうとっくに副将戦は始まってるんだ。他の奴らだったらさっきの無防備な君に迷いなく襲いかかり君は為す術なくその攻撃を受け、地に倒れていただろう。それなのに、試合開始からまだ一分足らずしか経っていないとはいえ、よく目を閉じて集中できたものだ」


「それは、空我から聞いていたからだな」


「クウから? 一体何を聞いたんだい?」


 善也が興味深そうに尋ねてくる。武は淀みない言葉でその問いに答える。


「お前は相手の力の全てを引き出そうとする悪癖があると聞かされた」


 善也は武の言葉に目を細める。腰を落とした臨戦態勢から平時の直立に戻り、再び微笑を浮かべると口を開く。


「それは正解であり間違いでもあるな。ぼくは全員の力の底を引きずり出そうとは思っていない。ただ、興味を持った相手の底を知りたいだけだ」


 善也は後半の言葉を言うと同時に凄絶な笑みを浮かべ、同時に凄まじい殺気と呪力を発する。武は反射的に後ろに大きく飛んで距離を取る。だが、善也は何もしてこない。表情を崩さずにただ一言だけ告げる。


「頼むからがっかりさせないでくれよ。君には期待してるんだ。少しでも手を抜いたら…… 殺すよ?」


「くっ!」


 武は右に飛んでその場から離脱する。同時に地中から無数のツルのようなものが伸びてくる。武が着地すると同時に足下にツルが絡みついてくるが白い呪力で消し飛ばす。


「植物を操る能力か。にしても、さっきの東応蛇といいお前らは地中から攻撃を仕掛けるのが好きなのか?」


「さてね。地面から攻撃を仕掛けるのは奇襲ではわりとメジャーだけど、その分効果も大きいからね。だからこそ、みんな使うんだろうけど。だから、地中からの奇襲攻撃はぼくら滅兵だけが好んで使うってわけじゃないと思うよ」


 武が聞きたいこととは明らかに違うと知っていながらしゃあしゃあと善也は言う。武は小さくため息をつく。予想はついていたからだ。というより、当たり前の答えだ。この程度でどうこうなるような相手ならとっくに試合は終わっているだろう。


「まあいい。今度はこっちから行くぜ」


 武は身を屈め、ものすごい速度で善也に接近していく。この時点で武の祓己術により発現した白い呪力を使っての速力は、基本術の一つである速で並の祓い師が得られる速度をゆうに凌駕していた。凄まじい速度で接近してくる武に善也は顔色一つ変えない。祓己術により最大威力にまで強化された拳撃を善也は左手一本で受け止める。


「なっ!」


 武は目を大きく見開いて驚愕する。一瞬、善也が生身で自身の拳を受け止めたと勘違いしたからだ。だが、冷静にみれば自身の攻撃を受け止めた左手は茶色に変色している。


「…… 左手を植物で守ったのか」


「ご名答。もっと正確に言えば、呪力を樹木に変化さ(・・・・・・・・・)せたものを(・・・・・)左手に纏って防御力を上げたと言うべきかな。変化させた木も呪力で硬度を尋常じゃなく上げてるから、そう簡単には破れないよ」


 武の言葉に善也は余裕の笑みを浮かべて補足する。武も笑みを浮かべ、さらに強く白い呪力を放出する。


「そうかよ。それでこそ破りがいがあるってもんだ!」


 武は善也の左手を振り払うと、連続攻撃を仕掛ける。拳打、蹴撃、掌底とあらゆる攻撃を善也に叩き込んでいく。対する善也は全身を樹木に変化させることでその連撃に耐える。

 だが、徐々に限界が訪れはじめる。武の攻撃を食らうたびに善也の身を守る樹木に罅が入っていく。もう少しで善也の防御を打ち砕けると武は士気を挙げて攻撃速度と威力を上げていく。だが、善也の余裕の笑みは崩れることはなかった。

 怒濤の連続攻撃を仕掛けようとした武の動きが止まる。武が足下を見ると、先ほど同様ツルが武の足に絡みついていた。武は白い呪力で再び消滅させようと試みるが、一向にちぎれない。それどころか、武はまずい状況になっていることに気付く。


「まさか……。俺の呪力を吸収してるのか?」


「へぇ。もう気付いたんだ。だけど、手遅れだよ」


 善也は武から距離を取って、武の方に左手を突き出す。すると、ツルが伸びてきて武の全身を縛り上げる。武は抜け出そうともがくが一向にちぎれる気配がない。最初にみせたツルとは耐久度が桁違いだ。


「これで詰み…… かな。どっちにしても、君にそのツルを引きちぎることはできない」


「ちぃっ!」


 武は思わず舌打ちをする。善也の防御を打ち破るために攻撃に夢中になってしまったせいで地中からの攻撃に気付かなかった。善也がこの試合で一番最初に見せた攻撃であるにもかかわらずだ。武は確かに強いが、まだまだ実戦経験に乏しい。だから、こんな初歩的なミスを犯してしまう。

 だが、いくら実戦経験が少ないからといってもそうやすやすと罠にひっかかるほど武は馬鹿ではない。確かに武は頭がいい方ではないが、それでも多少は考えられる頭を持っている。そんな彼を善也はいともたやすく罠に嵌めてみせた。



 今回武が罠にはまってしまったのにはいくつかの要因がある。その一つが武の単純な性格だ。武は馬鹿ではないが根は単純だ。そのため、善也がわざと(・・・)樹木の鎧に(・・・・・)罅を入れた(・・・・・)ことにも気付かずに連続攻撃を無我夢中で仕掛けてしまったために、地中から忍び寄るツルに気付けなかった。

 もう一つの理由は武の祓己術そのものにある。武の祓己術により放出される白い呪力は強力だ。だが、武は祓己術を完成させようと白い呪力に固執するあまり、戦闘中に視野を狭めてしまった。それだけならばまだ致命傷にはならなかったかもしれない。だが、今まで祓己術を会得して以来祓己術を使用しての戦闘で負け知らずだったことが、武の視野をさらに狭め大きな隙を生み出すことになってしまった。心の奥底で無意識の内に自身の祓己術に対する過信のようなものが生まれてしまったのだ。

 自分の祓己術ならば何があっても大丈夫。だから、この凄い祓己術をさらに完成させることだけに集中すればいい。そんな傲慢さがどこかに生じていた。それゆえに多少の隙を作っても大丈夫などという油断を無意識に作ってしまい、その隙を今回突かれてしまった形だ。



 もう勝負ありだ。観客たちの誰もがそう思った。だが、善也は違った。ツルで武の全身を拘束し、あとは呪力を全て奪い尽くすだけといった段階になってなお臨戦態勢を解こうとはしなかった。

 なぜ、ほぼ試合が決まった段階で善也は気を抜かなかったか。彼は知っていた(・・・・・)からだ。まだ勝負も決まっていないうちに勝利を過信することの愚かさを。そして、まだこの勝負が終わっていないことを。

 そして、それは正解だった。ほんの一月前。武が文大の祓己術に追い込まれ、突然絶大な力を解放したのと全く同じ状況で武は目覚めた。

 文大戦同様絶大な呪力を放出した武は自身を苦しめていたツルを一瞬で消し飛ばしてしまう。武は鋭い目で善也を睨みつける。


「やっと面白くなってきたね」


 しかし、拘束を解かれても善也の余裕が崩れることはなかった。それどころかさらに笑みを深め、自身の背後に大量のツルを地中から生み出し展開する。武もファイティングポーズを取り、先ほどまでとは比べものにならない呪力を放出しながら善也の方へと突進していく。

 ここから副将戦は佳境へと向かっていく。


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