臆病者
ただ怖かったんだ。どんなに強い力を振りかざして吠えたところで、自分の脆弱さを晒しているに過ぎないことなど分かりきっている。それでも、そうせざるを得なかった。どこまでいっても逃げてばかりだ。そんな自分に心底腹が立つ。
あいつをどんなに逃げ腰と、臆病者となじったところで結局救いようのない逃げ腰の臆病者は他でもないこの僕だった……。
○○○○○
二陣戦は決着した。それは誰の目から見ても明らかだった。会場内のモニターに勝者の名前が映し出される。
『WINNER! スタトラ・アルフェリウス!』
そうモニターに映し出されているのをスタトラは横目でチラリとだけ見る。だが、すぐに鎌瀬の方に視線を向ける。
スタトラは悠然と鎌瀬の方に近付いていく。それに観客たちはざわつく。スタトラをはやし立てる声や制止する声が怒号となって響き渡る。しかし、スタトラはそんなものは聞こえていないと言わんばかりに鎌瀬の側まで近付くと、その場にしゃがみ込む。
「お前の信念。確かに受け取った」
スタトラはそれだけ言って、会場を立ち去っていく。鎌瀬はスタトラの言葉を薄れゆく意識の中でぼんやりと聞いていた。
スタトラが鎌瀬に近付いたことで観客たちがざわついた理由。それは極めて単純だった。試合が決したにもかかわらず、スタトラがさらに鎌瀬に攻撃を加えるかもしれないと思ったからだ。過去にそういった事例が起き、命を落とした敗者も少なからずいる。
歓楽戦のルールは先述したように歓楽戦予選と同じだ。相手を戦闘不能にするか降参させれば勝ち。違うのはやりすぎても止める審判がいないということだけだ。
だが、少なくともスタトラにこれ以上鎌瀬に攻撃を加える気はなかった。そのことに、観客からは不満の声と安堵の声が行き交うが、スタトラはどこ吹く風だ。
そのことに祓い師側では空我が薄ら笑いを浮かべながら言及する。
「ふぅん。さすが勇者。うちの燃といい、今のところは試合終了後に攻撃を加えるということはないみたいだね」
「ああ。もしその気があるようなら、宴場の入口に向かった剣也が止めただろうとは思うけど、さすがにそんなことをするほど馬鹿じゃないってことだよ」
「確かに。勇者と呼ばれる自分が無抵抗の相手に攻撃を加える卑怯者ですと公言してるようなものだもんね」
空我の言葉に反応した心友の言ったことを空我は肯定する。上っ面だけでもこういうところを見せなくてはならないのが、正義の味方の面倒なところだ。
空我は後ろへ首を向けて、ソファから身を乗り出す。視線の先で無言で佇む人物に空我は声をかける。
「勝。そろそろ出番だよ」
「分かっています」
茂豊はすっと立ち上がる。空我はそんな茂豊に含み笑いを浮かべて聞く。
「やっぱり、思うところはある? 確か、お前とあいつはわりと仲がよかったでしょ?」
「昔の話です。祓い師を…… そして、城神から離れた裏切り者に感傷などない」
茂豊はそれだけ言うと、部屋から去る。空我はそんな茂豊の背中を見て、肩をすくめソファに横になる。心友は空我のそばに近寄り話しかける。
「そういえば、波一ってどれくらい強いんだっけ? 確か、元々はクウのところの子だったよね」
「どれくらいと言われてもねぇ。あいつと僕はそんな親しかったわけじゃないしなぁ。僕より美夢たちの方がよく知ってるんじゃない? 他の三人とあいつは結構仲よかったしさ」
空我は眠そうな顔でくあっと大きくあくびをする。心友はあっと何かを思い出したかのような声をあげる。
「そういえば、そうだったっけ。それじゃあ、どうして、クウは近付こうとしなかったの? あいつくらいだよね。クウが露骨に距離置いてたの」
「距離を置く相手はあいつに限った話じゃないけどね。でもまぁ、距離を置いてたのは事実か。けど、大した理由はないよ。別にあいつを嫌ってたわけじゃない。むしろ、あいつには感謝している。それは事実だ。でも、僕はわざわざあいつに近付こうとは思わなかった。それだけさ」
空我はそこまで言い切って目を閉じる。それ以上何も言うことはないと判断した心友は一つ頷いて空我から離れる。
空我は興味なさげな顔でモニターの方に目を向けた。そこでは、茂豊と波一が向かい合っていた。三陣戦がもうすぐ始まろうとしている。
時を少しさかのぼって、滅兵側の待機室。勝利を収めて戻ってきたスタトラに対して祝福もそこそこに波一が部屋から出ていこうとする。
波一がドアノブに手をかけたところで、スタトラがその背に声をかける。
「おいおい。祝えとは言わないが、随分冷たいじゃないか」
「じゃかあしい。勝って当たり前や。むしろ、負けてたらお前をしばき倒してたわ」
手厳しい波一の言葉にスタトラは苦笑する。波一は顔だけ後ろに向けて、言葉を続ける。
「そもそも、今回の歓楽戦。中堅の応蛇と刀皇剣也の試合が全てや。恭司にはできれば勝ってほしいが、クウ相手やとかなり厳しいやろ?」
「否定はできない」
空我と恭司の実力差は歴然。恭司は当然のことながら北村や南条よりは強いものの、空我に太刀打ちできるかといわれれば首を縦に振ることはできない。そのことをよく知っているがゆえに苦々しげに言葉を返す恭司に構わず、波一はさらに続ける。
「北村は戦力外。となれば、オレと善也とお前の三人が確実に勝っとかなあかんのや」
北村が激しい憎悪を込めた目で波一を睨みつけるが、波一は意に介さず、むしろそんな北村を鼻で笑う。
「オレらが勝つのは大前提。だから、オレも次の試合で勝つ。それに感情も祝福も不要や」
波一はノブを回して、ドアを開ける。そんな波一の後ろ姿に今まで無言を貫いていた善也が声をかける。
「はたして、そううまくいくかな? 地源は準備運動で倒せるほど甘い相手じゃない」
「関係あらへん。確かにあいつは強いが、オレの脅威にはならん」
善也の忠告ともとれる言葉を波一は嘲笑を浮かべて切り捨てる。波一は正面を向き、ゆったりとした足取りで部屋を出ていった。
茂豊と波一は五メートルほど離れた位置で対峙する。余裕の笑みを浮かべている波一に対して茂豊の表情は硬い。
「どうした? 随分緊張しているようやな」
「…… お前には関係ない話だ。城神から逃げ出した臆病者にはな!」
「はっ。そろって同じこと言うんやな。なんべんも同じこと言わせんでほしいわ。お前らから逃げたんやない。お前らを見限ったんや。むしろ、上っ面だけの安寧に縋って安堵してるお前らの方がよっぽど臆病者やろ」
「言ってろ」
やがて、モニターに試合開始の文字が映し出される。三陣戦が始まった。前二戦と同様、二人は文字が映し出されると同時に動き出す。二人は駆け出し、両者ともに拳を振るう。
お互いの拳がお互いの頬に突き刺さる。立ち合いは五分だった。二人はすぐに距離を取る。
「やるやんけ。少なくとも、十年前よりは遥かに成長しとるな」
「……」
形ばかりの波一の褒め言葉には反応を見せずに、茂豊は呪符を両手に持つ。二人の周囲の大地が動き出し、激しく揺れ動きはじめる。
「おっと!」
足下を崩された波一はその場からジャンプして離れる。比較的しっかりとした足場を選んで着地する。そんな波一を茂豊は無表情で見つめる。
「相手が悪かったな」
「何やと?」
波一は身構えつつも茂豊を睨みつける。だが、次の瞬間再び足下を崩れ、波一はその場を離れることを余儀なくされる。
「このステージは土を元に作られている。俺の祓己術は土を操るものだ。つまりはこのステージ全てが俺のテリトリーというわけだ」
茂豊は両手を広げる。同時に茂豊の立つ場所以外の地面が崩落していく。
「おいおい、加減ちゅうもんを知らんのかいな」
波一は崩落していく地面を見て、冷や汗をかきながらそう呟く。石伝いにあちこちと飛びながら落ちていくことで何とか着地の衝撃を抑える。
やっと崩落が収まったかと思えば、茂豊は波一のはるか上にいた。茂豊はそんな波一を冷たい目で見下ろしている。
茂豊を避けるようにリング状に巨大なクレーターができており、深さは十メートル以上は軽くあるように見られた。
だが、波一の余裕の表情は崩れることはない。
「こんなもんで勝ったつもりか?」
平時と変わらない声で、自分を見下ろす茂豊にそう話しかける。
「ああ。そのつもりだ」
茂豊は新たに呪符を出す。須臾にして波一の頭上に天を隠すようにして巨大な岩が落下してくる。いや、岩と呼んでいいのかすら分からない。物質は紛れもなく岩や土と同じものでできているはずだが、クレーターを埋め尽くすような形をした物体が波一を圧し潰そうと落下していく。
波一はそれを口元に笑みを浮かべながら見ている。
「なるほど。ビビリのわりには考えたな。せやけど……」
波一は左手を天に向けて伸ばす。刹那、波一の足下を中心に大量の水が湧き上がる。大瀑布とすら呼べる圧倒的な水量を持ってリング状の岩にぶつかる。ほんの数瞬だけ拮抗するが、すぐに水が岩に浸食し粉々に粉砕する。
「!」
「遅いわ!」
今度は空高くから茂豊めがけて大量の水が襲いかかる。それは瞬く間に茂豊を飲み込んでしまう。大量の水は茂豊を巻き込んだまま、クレーターの地の底へと落ちていく。そして、波一の正面の床へと激突し、やっと水が消える。
「どうや? 同じ地に落ちた気分は……」
下卑た笑みを浮かべ、波一はうつ伏せになって倒れている茂豊にそう聞く。
「いつもと変わらねえよ。相変わらず胸糞悪い場所だ」
茂豊は立ち上がりながら答える。その様子に動揺や焦燥は見られない。そう。彼にとってこの程度は予想の範囲内なのだ。
茂豊と波一の付き合いは長い。物心ついたときにはすでに二人は出会っていた。
二人はいつも一緒だった。やがて、空我や美夢たち兄弟と会い付き合いを深めていった。しかし、その付き合いも長くは続かなかった。
十年前に藍岸で起こった謎の大爆発。その爆発で何もかもが変わってしまった。
巨大な白い爆発が藍岸どころか隣の緑陸にまで及んだにもかかわらず、その爆発による建造物などの被害は見られなかった。十年経った今も原因どころか、爆心地すら分かっていない状態だった。当時は小型ナノ爆弾によるものなどと恐れられたが、爆発に関係するとみられる健康被害は一般人には全くといっていいほど上がっていない。当時、できたばかりの滅兵かあるいは祓い師が何らかのトラブルを起こしたのではないかという見解も出たらしいが、すぐに消えた。
だが、これがきっかけとなって何かが変わってしまったのは事実だった。実際、これがきっかけで滅兵は多くの爪痕を残すことになったが、その代償に個々の力を大幅に上げた。祓い師にも影響は及び弱体化せざるを得なくなった。その爆発は祓い師と滅兵に大きな変化をもたらしたというわけだ。
そして、この爆発をきっかけに波一は滅兵へと下った。理由は分からない。分かっているのは、応蛇が手引きしたということだけだ。
だが、茂豊には興味はなかった。今、自分がやるべきことは目の前の男を倒すこと。例え旧知の仲であろうと知ったことではない。その程度で感傷を覚えるほど、茂豊は情に厚い男ではなかった。それは波一も同様だ。
茂豊は右手に土でできた棒を作り出す。左手には無数の石を生み出す。棒と石による近中距離戦闘。原始的だが茂豊のもっとも得意とするスタイルだった。今までこのスタイルで茂豊が負けたことはない。
波一は笑みを消し、自身の背後に無数の水柱を噴き出させる。
「へぇ。やっと、いい感じになってきたやんけ」
「行くぞ。波一。勝負だ」
「なんか、二陣戦と同じパターンやけど…… まあええやろ。行くで」
一直線に突っ込んでくる茂豊に波一は水をぶつけることで対抗する。茂豊はそれを棒で弾き、石を波一へと投げつける。石は水に阻まれるが、その分生まれた攻撃の合間を縫って接近していく。そして、波一を自身の間合いに入れた茂豊は棒を思いっきり後ろに引き、波一の胸へと突き出す。棒は波一に何の抵抗もなく突き刺さり、貫いていく。
観客からは阿鼻叫喚が上がるが、次の瞬間波一の体が水となって砕け散る。
「自身の体の液体化。水を扱うなら誰でも思いつくことや」
波一は茂豊の後ろを取っており、渾身の突きを放って無防備な茂豊めがけて大量の水をぶつける。その様はさながら水でできた龍のようだった。龍を象った大量の水を操る。それが波一が水龍と呼ばれる所以だった。
襲いかかってくる水を茂豊はまるでスローモーションのように見ていた。常人でも大急ぎで動けばかわせそうなほどのんびり襲いかかってくる大量の水によって作られた波に、しかし、茂豊は逃げなかった。逃げられなかったのだ。
刹那的な時間感覚の延長。茂豊に、今、起こっていることだ。感覚だけが瞬間的に他の人間を超越してしまっているがゆえに体がついていけない。だから、自分に向かってくる水をただ茂豊は見ていることしかできない。しかし、彼の心中は意外なほど穏やかだった。
(ああ。やっぱり、お前は凄いな。本当に凄いよ。心の底から賞賛する)
お前の方こそ凄い。心底そう思う。だって、どうあがいても僕は逃げることしかできない臆病者だから。
波一を心の中で賞賛しながら、茂豊は波濤をその身に受ける。そのまま壁にまで吹き飛ばされ、先刻のダメージもあって気絶する。
これにて三陣戦の勝敗は決した。




