雑談
今日の予定を終えた二人は、武の部屋で雑談をしていた。
「今日はお疲れさま。大変だったでしょ?」
「仕方がない。挨拶まわりは重要なんだろう?」
「まあね。とにかく、今日はもう休んでもらって、悪いけど明日から修練を始めるって事でいいかな?」
「ああ。俺としても、できるだけ早く力になりたいからな」
「そう言ってもらえるとありがたいよ」
二人は言葉をかわしながら、手元にあるコップに入ったリンゴジュースを飲む。
「ほう。なかなかさっぱりとしているな」
「まあね。結構いいリンゴをすりつぶして作られてるからね。僕もこれは結構気に入ってるんだ」
「そんなものを飲んでよかったのか?」
「構わないよ。別にいくらでもあるし」
そう言って空我は瓶の中にあるリンゴジュースを武のコップに注いでから、自分にも注ぐ。
「それにしても、最後のここのご当主との挨拶は驚いたな。今までとはまるで違う所作で挨拶をしておきながら、口調は前の二人よりも遥かに砕けていたんだからな」
「あはは。混乱させちゃったかな? ごめんね。他の兄弟と違って、父さんとはかなり砕けた口調で話すことを許可されてるからね。所作も君のお手本のためにああやっただけで、普段はもっと適当だよ。もっと言えば、良蔵さんや鵬さんとももっと砕けた口調で話してるしね」
「別に気を遣ってもらわなくてもよかったんだがな。ところで、お前には他にも兄弟がいたのか?」
「うん。いるよ。姉二人と妹一人」
空我の言葉を聞いて、武は頭の中で思わず四人の姉妹を思い浮かべてしまう。正直、空我は比較的女性的な容姿をしている。女性のような綺麗な高い声に加え、小柄で華奢な体格であることもあり、女性的な装いをすれば少女に間違われても無理はない。そんなことを考えていることがバレたのか、空我がジト目で武を見てくる。
「あ。今、僕が女の子っぽいとか考えてたでしょ?」
「…… まぁ、正直に言うなら……」
「分からなくはないけどね。実際、男っぽい格好してても、たまに男装と間違われるし。できれば、女の子と間違われたくはないんだけどね。まぁ、結構便利なところもあるから、微妙なところなんだけど」
空我はそう言ってため息をつく。どうやら、過去に何度も女性と間違われたらしい。無理もないことだと思う。実際、空我が女装をすれば、可愛らしい女児にしか見えないからだ。
「別にどう思ってくれても構わないんだけどね。どんなに女の子っぽくても、肉体さえ男ならどうでもいいらしいし。それだけ、今代は男の子に恵まれてなかったって事なんだろうね。おかげで、変に特別扱いされちゃってるから、少し面倒だけど」
二度目のため息をつく。どうやら、城神家は当主は男性しかとらないらしい。外見がどうあれ、男である武は期待を一身に受け、相当な重圧を受けてきたのだろう。そう推測した武は微妙になってしまった空気を打開しようと話題の転換を図ろうとするが、言葉が口の中で止まる。
「本当めんどくさい」
どこまでも無表情で、無感動にそんなことを言う。武は息を飲む。空我からほんの一瞬だけまがまがしい呪力が漏れ出る。だが、その呪力は一瞬で消え失せる。さっきのは幻ではないかと疑いたくなるほど、余韻を全く感じない。しかし、あれは紛れもない現実だった。
「ん? どうかした?」
首をかしげ、不思議そうに聞いてくる空我に武は慌てて口を開く。
「あ、いや……。そ、そういえば、なんだかんだで俺はお前のことを名前で呼んだことなかったよな?」
「あ~、そうだったっけ?」
空我は首を傾げ、こめかみに人差し指を当てて、これまでのことを思い出そうとする。その仕草は周囲に男がいれば思わず見とれてしまうくらいには可愛らしい。武はとても男とは思えない空我の仕草だ。この仕草をしているのが、先ほどの異常な呪力を発した人物と同一人物とはとても思えない。やはり、先ほどのは気のせいだったのだと自分を誤魔化し、苦笑いしながらも、言葉を紡ぐ。
「多分呼んだことないはずだ。それで、俺はお前のことをなんて呼べばいいんだ? これから一応世話になるわけだし、それを聞いておきたくてな。ちなみに、俺のことは武って呼んでくれればいい」
「そうだな。じゃあ、クウって呼んでよ。親しい人間とかは皆そう呼んでるからさ」
「分かった。これからよろしくな。クウ」
武はそう言って右手を差し出す。
「うん。よろしくね。武」
空我は武の右手を取る。それからしばらくして、配膳が二人分届いたので、二人は武の部屋で夕食を取った。
○○○○○
魚を中心とした豪勢な和食を食べ終えた二人は、再び雑談を再開する。
「そういえば、昨日の夕方、お前の後ろに二人の女性がいたと思ったんだが、彼女たちはなんなんだ?」
「ああ。咲恵と綺蘭々のことか。あの二人は城神家直属の祓い師だよ」
「ということは、俺と似たようなものか?」
「微妙に違うかな。あの二人は城神家の……。なんて言えばいいのかな……。分家に例えると分かりやすいかな。要するに、城神家に仕えている家の出身の人間なんだ」
「つまり、よそ者の俺と違って、生え抜き組の人間って事か?」
「言葉は悪いけど、大体そんな感じかな。実際はどっちもそんなに大差はないけどね。強ければなんでもいいっていうのが祓い師全体の基本方針だし」
「そうか。ならいっそう頑張らないとな」
「明日からね。今日はとにかく休んでおいて」
「分かっている」
武は会話をしながら、城神家のことについて思考をめぐらせる。現当主や次期当主の空我が住んでいるということは、この家が城神家の本家とみていいだろう。この家の大きさから考えて、城神家はかなり大きな規模の名家であることは疑いようがない。となれば、この家の傘下にいる祓い師は少なくはないはず。案内人は詳しくは話さなかったが、おそらくそういった者たちを越えて、なんらかの実績を残さなければ元の世界に戻ることはできない。厳しい戦いになることは間違いない。しかし、それを乗り越えなければ、目的を達成することはできないのだ。もっとも、これは推測の域を出ない話にすぎない。
(今夜寝る前に案内人に問い質しておいた方がいいか)
ふと顔を上げると、空我が心配そうな顔で武を見ていた。
「どうかした?」
「ん? ああ。なんでもない。少し考え事をしていただけだ」
「そっか。とにかく、明日からはしっかりとやってね。一応、結構好意的なのをあてがっておいたけど、やっぱりそれ相応にきついと思うからさ」
「覚悟の上だ。俺にはやらねばならないことがある」
「やらないといけないこと?」
「…… こっちの話だ」
武は目をそらし、言葉を濁す。空我はきょとんとした顔になる。だが、ほんの一瞬だけ怪しい笑みを浮かべる。すぐにその笑みを消すと、その場から立ち上がる。
「僕はそろそろ戻るね。なにかあったら、遠慮なく言ってね。じゃあ、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
武の返事を聞いて、空我は部屋を出ていく。その後ろ姿を見つめ、足音が消えたのを確認し、布団に横になる。
○○○○○
どれだけの時間が経っただろうか。武は虚空を見つめたまま、頭の中で考えをまとめていた。この二日だけでもあまりにも多いことが起こった。それ以前の記憶がおぼろげということもあり、この二日間の出来事が武の記憶の大半を占めている。
『…… 案内人。一つ尋ねていいか?』
『なんでしょう?』
『具体的には、この世界で何を為せば元の世界に戻れるんだ? 勝手に解釈するのは危険だと判断したんだが』
『…… 以前も申し上げました通り、指定の行動はありません。武様の為すがままに為さってください』
予想通りの回答に、武は思わず大きなため息をついてしまう。為すがままと言われても、まだこの世界に来て二日しか経っておらず、未だに事態がまるでつかめていない武に自主的な行動ができるわけがない。
『そういうのが聞きたいわけじゃない。具体的には答えられないというのなら、せめてヒントをくれないか? 好きにやっていいと言われても、俺にはどうすることもできない』
『そう仰りましても……。あくまで私は武様の支援に徹し、基本は武様にお任せするよう仰せつけられておりますので』
『誰にだ?』
『それは申し上げられません』
何も喋らない案内人にこれ以上の詮索は無駄だと判断し、それ以上話しかけることをやめる。案内人は誠心誠意、武を支えると言っておきながら、結局肝心な問いには答えない。この二日間で嫌というほど分かったことだ。そして、まだ日が浅いため判断するには尚早かもしれないが、案内人は結局武の問いに答える以外の支援を行おうとしない。これならば、この世界で協力関係、できれば信頼関係を結べる人間を見つけ、その人間からいろいろと聞いた方がいいだろう。しかし、一つだけ重要なことが分かったのも事実だ。
案内人の裏には何者か。つまり、黒幕がいるということだ。何者なのかは断定できないが、確実に案内人を従え、自分をこんな目にあわせた者がいる。もちろん、案内人の罠の可能性は否めないが、これはかなりの収穫だった。その者を見つけ出し、上手くいけば早い段階で失った記憶を取り戻し、元の世界に戻ることができるかもしれない。
(とはいえ、思考が筒抜けの可能性が高い以上、それを為すのは困難…… か。とにかく、案内人の裏にいる奴をそれとなく探しつつ、しばらくは様子見だな)
この世界に黒幕がいるとは限らない。あるいは本当にいないのかもしれないのだ。思考が読まれている可能性も十分に考えられる。そんな分の悪い賭けだけに頼るわけにはいかない。とにかく、やれるだけやってみるしかない。
そう判断し、武は静かに眠りについた。