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歓楽戦前日

遅くなりました

今回は視点変更多めです

 六月二十一日。歓楽戦前日。その日は十一日以来の大雨が降っていたが、歓楽戦に参加する祓い師や滅兵も、そのほかの関係者たちも思い思いに過ごしていた。

 藍岸皇居(こうきょ)地区。刀皇家がなわばりとする地区だ。そこにある刀皇の屋敷の修練場で剣也は真剣での素振りをしていた。


「修練に精が出ますな。剣也様」


「ああ。ありがとう」


 剣也は老執事がタオルと茶を持ってきたことを確認し、一度修練を止める。素振りに使っていた木刀を置き、老執事からタオルを受け取り体を拭いていると、老執事が話しかけてくる。


「いよいよ、明日ですな」


「そうだな。なにしろ、まだ誰と当たるかも分からないからなぁ」


 剣也はタオルを老執事に渡し、茶を受け取って口につける。剣也の言う通り、この大事な試合の前日になっても滅兵側はおろか祓い師側のオーダーすら分かっていない。まだオーダーが決まっていないのだ。祓師協会は現在てんやわんやしている。龍全家が滅兵を完全に下に見ていることも影響しており、大まかには決まっているものの細かい詰めがまるでできていない状態だった。


「やはり、ご不安はありますか?」


「まさか。誰が相手だろうと完膚なきまでに叩きのめすだけだ。たとえ、相手が元同門でもな」


 剣也の言葉に老執事の頭に一人の少年が浮かぶ。他と一線を画す指導力、分析力を持ちながら十年前の一件で刀皇を離れてしまった哀れな少年。その少年が祓い師に衰えを、滅兵に勢いをもたらしたのは事実だ。少年――森崎善也を殺せば、再び祓い師に覇権が戻る可能性はぐっと高くなる。そんなことは分かっている。

 だが、それでも老執事はできれば二人が相まみえることがないことを祈った。






 ○○○○○


 藍岸大将(たいしょう)地区。拳将家の根城にある大きな洋館で燃はシャワーを浴びていた。彼はこの雨の中、外で修練を行っていたのだ。そして、つい先ほど修練を終えシャワーで汗や泥を流していた。

 常人ならばまず風邪をひくであろうその強い雨足を燃はものともしていなかった。


「明日…… か」


 シャワーの水を止めると、そうひとりごちる。彼とて滅兵に対して思うところがないわけではない。祓い師にとって滅兵とは悪霊以上に唾棄すべき敵ともいえる存在だ。歓楽戦で彼らに負け、そのままこの藍岸地区の覇権を奪い返されるなどあってはならない。二度と刃向かう意思すらも持たぬよう、徹底的に叩き潰す必要がある。


「何にしても…… 俺は俺の正義を遂行するだけだ」


 燃の手に力が入る。相手が誰であろうと関係ない。自分の信ずる正義を貫くという強い意志だけが彼を突き動かしていた。






 ○○○○○


 藍岸神殿地区にある城神家の屋敷。空我と心友は空我の部屋で過ごしていた。といっても、心友が一方的に押しかけてきたのだが。

 心友に要求され、お気に入りのリンゴジュースのおかわりを入れつつも、小さくため息をつく。


「はぁ……。いつまでここにいる気なの?」


「えー。泊めてくれないの?」


「泊まる気だったの!? 明日歓楽戦なんだよ? 分かってる?」


「細かいことは気にしちゃダメ」


 可愛らしくウインクをしてそんなことを言ってくる心友に、もう何を言っても無駄だと空我は諦めの境地に入る。こういうときは諦めた方がいいのだと彼女(・・)との長い付き合いの上で分かっていた。

 腹の内はどうあれ、自分の目的を表立って邪魔してくることはない。それなら、諦めて素直に接した方が楽だと割り切っていた。

 心友にリンゴジュースの入ったコップを渡すと、心友は即座にそれを飲み干し、コップを床に放り捨てて空我を抱きしめる。もう慣れたことなので空我が抵抗することはない。ただ、心底嫌そうな顔だけをして受け入れている。


「ねぇ、明日の歓楽戦…… どうなると思う?」


 耳に口を近付けて、囁くようにそう聞いてくる心友に空我はわずかに目を細める。


「…… 別にどうでもいいよ。どうせ、結果は分かりきってるんだし」


 心底どうでもよさそうにそう言う空我に心友はそれもそうかとおかしそうに笑い出す。空我は心友の腕に抱かれながら、ころころと笑う心友を冷めた目で見つめていた。






 ○○○○○


 今日は修練禁止との辞令を空我から直接受けた武は自室の横にある縁側で、あぐらをかいてぼんやりとしていた。相変わらず外は雨だ。修練禁止の命令のためにやることがない上に湿度が高くじめじめしていることもあり、武の気分は陰鬱なものとなっていた。


「はぁ…… 暇だな」


「それなら何かやればいいのに」


 外の天気を見てぼやいている武の言葉を拾う形で左側から声をかけられる。何者かが接近していることには気付いていた武はそちらの方に視線だけを向ける。

 声の主は美夢だった。武は視線を外に戻して口を開く。


「この天気で外に出るのは無理だ。そして、修練以外でこの屋敷の中にいるときの時間の潰し方を知らない」


 ひどい言いようだが事実だ。武の部屋には空我が気をきかせて持ってきてくれたある程度の書物は置かれていたが、それ以外の娯楽はない。あったとしても、今はただボケッと外を眺めていたかった。

 ただ、あまりの口ぶりに美夢は困ったように笑う。


「悲しいこと言わないでよ。何かあるでしょ?」


「ない」


「じゃあ、私と何か……」


「悪いな。今はこうしていたいんだ」


 とりつく島もないとはこのことをいうのだろう。いや、一言謝っているだけまだマシか。今の武はいつもとは違う。

 美夢は一つため息をつくと、武の横に正座して座る。


「何かあったの?」


 美夢は武に身を寄せて心配げに聞いてくる。武は視線を外から外すことなく言う。


「別に、何も。ただ大事な戦いの前に心を落ち着けておきたいってのは自然だろ?」


 言っていることに嘘はなさそうだったが、それが全てのようには思えなかった。しかし、美夢はあえて追及せずに話をする。


「それはそうかもしれないけどね。けど、やっぱり不安はあるんでしょ?」


「まあな……」


 武はほんの一瞬――注意しなければ気付かれないほど短い間に小さく息を吐く。もう武の目に美夢は入っていなかった。美夢は不満げな顔になり、武の肩をつかんで話しかけようとするが、その直前に武の呟いた言葉に行動を止めてしまう。


「道に生き、道に死ぬ」


 何気なく呟いた言葉だった。武に何の他意もなかった。深い思案の海に浸かっていた中で、ただ、つい最近見た夢の中の老人の言葉を真似ただけだった。

 だが、美夢は目に見えて動揺する。


「どこで、それを……」


 呻くような声だった。美夢の顔色は完全に失われていた。しかし、武は隣の美夢の変化に気付かない。何も言わずにじっと外を見ているだけだ。

 それだけで美夢には十分だった。


「そっか……」


 美夢は諦めたように笑う。小さく息を吐くと、立ち上がり武に背を向ける。


「…… どうかしたか?」


「何も。ただ、邪魔しちゃ悪いと思っただけ」


 美夢の言葉には抑揚も感情も感じられなかった。まるで機械の音声のように無機質な声だった。さすがの武も眉をひそめる。


「おい、どうした? まさか、俺何かやったか?」


 申し訳なさを滲ませながらそう尋ねる。しかし、美夢の返答は至って平淡なものだった。


「そんなことないよ。あんたが気にすることじゃない」


 明らかに何かがあるといわんばかりの挙動不審ぶりにさすがの武も問いただそうとするが、その前に美夢が遮る。


「武。今度の歓楽戦、頑張ってね。応援してるからさ」


 武の方を振り向くこともせずにそれだけ言うと美夢はさっさと立ち去ってしまう。尋常じゃない美夢の様子に武は彼女の背中を見るだけで、追うことはできなかった。



 城神家の屋敷の南側にある居住スペース。ここに城神家の人間が寝泊まりしている部屋がある。そこにあるとある一室。個人に与える部屋としてはあまりにも巨大なその部屋こそが美夢にあてがわれた部屋だ。美夢は豪華なベッドの上に電気もつけずに体操座りをして座り込んでいた。


「…… やっぱり、ワタシは力不足だ」


 美夢は力なくそう言った。その目にハイライトはない。表情も完全に無表情で感情がないようにみえた。普段とはまるで違う雰囲気の美夢の目は今なお雨を降らせる雨雲に向けられていた。



 誇りを賭けた戦い、そして、どうすることもできない動乱を引き起こすことになる歓楽戦が始まるまで、あと――

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