合宿について
朝の権藤との修練、昼をまたいでの任務をつつがなく終えた武はシャワーを浴びるために城神家の廊下を歩いていた。ゆっくりとした足取りで屋敷の西にある武以外ほとんど使わないシャワー室へと向かう。
本来、城神家の西側は手入れこそされてはいたがあまり使われていない。それゆえに、ここに泊められて爪弾きにされたと考える者もいるかもしれないが、武にとっては見知らぬ人間と多く接触しなくてすむのでありがたかった。
武は脱衣所で装束を脱いで洗濯機に入れるとタオルを持ってシャワー室へと入っていく。もう慣れたもので、武にはここに来てまだ一月ほどしか経っていないとは思えなかった。
今のここには武以外に人がいない。たまに空我が一緒に入ってくることがあるが、そこまで気が張る相手ではない。つまりは、初見の相手への対応を気にせずに羽根を伸ばしてシャワーを浴びられるのだ。そういう意味でつくづくこの環境には感謝せざるを得ない。逆にこの環境だからこそ、城神家でのつながりを作るのが難しくなってしまっているのだが、それに関しては現状どうしようもない。そういう考えが余計に事態を悪化させているのだろうが、だからといって武に打開策は思いつかなかった。それに、いまさら頑張ったところで、もうすでに手遅れのように武には感じられた。
「動くのが遅すぎたな。諦めるにはまだ早いが、もうほとんど絶望的だろう」
そう呟きながらも武はそう悲観していなかった。否、悲観できなかったといった方が事実だろう。なにしろ、今の武はそんなことに構っている余裕などないのだから。
歓楽戦。武は本番に出る気は全くないとはいえ、少なくとも予選には出なくてはならない。美夢や心友の話が本当ならば、何の問題もなく終わる可能性も低くはないが、それでも油断はできない。自分がどこから来たかも分からない不審人物であるということがバレることなどあってはならないのだ。
しかし、同時に絶対にそうならないという確信もなぜかあった。説明はできない。根拠のない、勘みたいなものだ。だが、おそらくそれは間違っていないと武は思う。
この感覚は前にもあった。そう。確か、最上級悪霊の灯と出会ったときのことだ。あのとき、武は彼女が一番最初に見た明晰夢のようなものに出てきた正体不明の女性と同一人物だと何の証拠もなく確信していた。
この感覚は何なのだろうか。主観的な面も入るが、ただの自意識過剰や危険思考などというものではないように思えた。それこそ自意識過剰なのかもしれないが。しかし、感性についてなど考えていても仕方がない。感性や感情などいくら考えたって分かるはずがない。考えるだけ時間の無駄だ。
とりあえず、部屋に戻ってお茶の一杯でも飲もうかと思い、T字路を曲がろうとしたところで心友の姿を見かける。武は思わず身を隠す。彼女の近くには二人の男性がいた。そのうちの一人は茂豊だ。もう一人は見かけない顔だった。装束も城神家のものではない。逆立つような赤髪と服の上からでも分かる筋骨隆々な体。そして、長身の武を軽々と上回る上背を持つ大柄な男だった。
「そういうわけですから、できれば合同でやりたいというのが我々の本音です」
「オレもその意見には賛同するが、いかんせん難しいだろ。なにしろ、祓い師なんざ協調性の欠片もねえ奴らばっかだからな。そんなもん集めたら大惨事も免れないんじゃねえのか?」
「何も予選出場者全員を連れていく必要はないよ。ある程度素行がよくて、それなりの実力を持つ奴だけ連れていけばいい話だ」
茂豊の提案に大柄な男は渋っているようだが、美夢が大柄な男を説得にかかる。普段見ている美夢と違って、真剣な顔でてきぱきと話す美夢はどこか新鮮に感じられた。思えば、武は美夢の真面目なところはあまり見たことがなかった。いつもの彼女は決しておちゃらけているというわけではなかったが、それでもどこか砕けていた。彼女の新たな一面を垣間見たななどと場違いな感情を抱く。普通ならば三人の話題に興味が向きそうなものだが、先日の接吻以降武は美夢を強く意識しはじめていた。
武が呆けている間にも三人の会話は続く。
「素行ねぇ……。そんなもん判断しようがないんじゃねえの? 一人残らずあの最終試験を突破してる以上、どいつもこいつもロクなもんじゃねえ。実際、オレやお前らだって決して素行がいいとはいえねえだろ」
「その辺はこっちのさじ加減よ。祓い師の中で比較的素行がマシって程度で十分」
「なおさら判断が難しいと思うんだが」
「要は我々と気心が知れている者たちを集めればいいというだけの話です。無理に見知らぬ人物を多く呼ぶ必要はない」
「それはそうかもしれねえがよぉ」
説得を重ねているようだが、大柄な男はなかなか首を縦に振ろうとはしない。三人は一体何の話をしているのだろうかと興味を持ちはじめたところで、茂豊がこちらに視線を向けてくる。
「そんなところでこそこそしていないで出てきたらどうだ? 屋敷武」
茂豊の声が三人の話に夢中になっていた武の耳に響く。どうやら、気付かれていたようだ。まぁ、隠れようと思っていたわけではないので当然と言えば当然か。
武は素直に三人の前に姿を現す。
「すまない。盗み聞きをするつもりはなかったんだが、そこを通る以外に部屋に戻ることができなくてな」
武はばつの悪そうな顔で、盗み聞きしていたことに対しての言い訳をする。だが、三人にそれを咎めようとする様子はない。
大柄な男は値踏みするような視線を武に向ける。やがて、何かに納得したかのようにほぅと息を吐く。
「なるほどな。お前が噂の秘蔵っ子か」
「…… 初めまして。屋敷武です」
ジロジロと見られたせいか大柄な男から目をそらしてそう自己紹介をする。大柄な男はそれにおかしそうに笑う。
「悪い悪い。別に取って食おうってわけじゃない。ただ前々から話を聞いてて興味はあったんだ。不躾な視線を向けたことに関しては非礼を詫びよう」
大柄な男は武に向き直る。燃えるような真紅の瞳で武の目を見て口を開く。
「六本柱が一本。拳将燃だ。よろしくな」
燃は笑みを浮かべ、右手を差し出してくる。武はそれに応え握手をする。燃は満足げに頷き、その手を離す。
武は美夢と茂豊の方に体を向ける。
「それで何の話をしていたんだ?」
「何。今度の歓楽戦に向けて合宿をしようと思っていてな」
「合宿?」
武の問いに答えたのは茂豊だった。オウム返しのように言葉を返してきた武に対し、茂豊はさらに説明をする。
「そうだ。今度の歓楽戦において六本柱二人と龍全家の方々が出場しないということで、三人もの出場する祓い師が決まっていない状態になっている。このままではこちらが大幅に不利なのは必至だ。だから、六本柱以外の三人の戦力をできうる限り補強しようと合宿を計画している」
確かに茂豊の言葉には一理あった。この国における滅兵との主導権争いの鍵を握る歓楽戦は間違いなく大事な戦いだ。その戦いが不利になる可能性が高いのを放っておく手はないだろう。
「だがまぁ、知っての通り祓い師っていうのはオレも含めてロクなのがいなくてな。そんな連中が短期間でも共同生活を送れるかどうかというのが疑問なんだよ」
「だから、仲間内だけでやろうと言っているだろう?」
「その仲間内すら怪しいだろ。拳将家だって正直城神家と揉め事を起こさないといえる奴はあまりいないぞ」
燃はそう言って頭を抱える。どうやら、燃はその合宿を行うことで拳将家と城神家の間に軋轢が起こることを気にしているようだ。確かに人を殺めることが祓い師になることの最低条件である以上、祓い師にまともと呼べる性格を持つ者など少数だろう。実際、武とてあの最終試験以来自分が正気だと思ったことなどない。
だが、それをはっきり認め他家との衝突を案ずるこの男は、武にとっては今まで会ったことのないタイプの祓い師に見えた。初めて会ってそれほど時間は経っていないが、少なくとも、武などとは比べることが失礼ほどまともなように思える。
「だから、あんたが信用できる相手を選んでほしいんだよ。一応、今回の合宿には城神、天霧の参加が決まってる。この合宿に参加すればあんたたちにとっても身になると思うけど?」
燃は美夢の言葉に考え込む。確かに祓い師は年齢問わずに問題児だらけではあるが、燃としてはできれば合宿に参加したいとは思っている。他家の優秀な祓い師とのしのぎの削りあいは確かにためになるだろう。ただでさえ歓楽戦は祓い師側が不利なのだ。燃は別に覇権争いに執着しているわけではないが、立場上興味を持たざるを得ない。それに、燃自身実力があって比較的まともと思える祓い師を知らないわけではない。
諍いが起こる可能性は決して低くはないが、危ない所に登らねば熟柿は食えぬということわざもある。
「分かった。喜んで、その合宿に参加させてもらおう」
腹をくくり、燃は承諾の意を示す。美夢や茂豊はそれに頷く。
「それでは、私は合宿の準備に戻ります」
「オレも家に戻らせてもらう。こちらにもいろいろあるからな」
茂豊と燃はそれぞれ自分のやるべきことをやるべく去っていく。残されたのは武と美夢の二人だけだ。
美夢は満面の笑みを浮かべて、武の腕に抱きついてくる。武は内心どぎまぎしながらも、平静を装って言葉を紡ぐ。
「おい。離れろ」
「んー。離れてもいいけど、一つだけ条件がある」
「クウみたいなことを言うな」
うんざりしたような表情を顔に浮かべながらも、武は美夢のいう条件について容易に見当がついていた。というより、それしか考えられない。
「今度の合宿に参加して?」
やっぱりか、と武は思わず口走りそうになったが、それを押さえ込む。
「分かった」
小さなため息をついて、武は合宿参加を承諾した。同時に美夢はさらに強く抱きついてくる。武はそれに戸惑いつつも彼女の満面の笑みにしばし見とれていた。




