決着
すぐに意識を覚醒させた武は、ただじっと正面だけを見ていた。そこには、先ほどよりも遥かに上昇した呪力を漲らせる武を前にしているにもかかわらず余裕の笑みを崩さない文大の姿があった。
「よう。気分はどうだ? 正義のヒーロー」
文大は武が精神攻撃される前までとはうってかわって、どこか弾んだ声で武にそう尋ねてくる。
「すこぶるいいな。この分なら、このままお前をあっさりと片付けられそうだ」
「はっ。やれるもんなら……」
文大が身を屈めながら言った言葉は最後まで続かなかった。武の一撃が文大に襲いかかってきたからだ。
先刻とはまるで比にならないスピードに文大はギリギリで反応してみせ、左手でいなそうとする。しかし、左手が武の拳に触れた瞬間絶大な呪力と衝撃が文大を襲いかかり、そのまま部屋の端まで吹き飛ばされてしまう。
「がはっ!」
文大が壁にはりつけにされ、武はそれを見下ろしている。実力差は歴然だった。完全に主導権は武にある。しかし、文大から余裕が消えることはない。武にはそれが不気味に映った。まだ、祓己術が破られていないという余裕からか。それとも、他に何か手があるのか。一瞬、逡巡してしまう。
だが、手を緩めている暇はない。今は圧倒できているものの、これだけの呪力を放出していれば、すぐに力は枯渇してしまうだろう。ましてや、ここまで来る過程でかなり消耗している。現在どの程度の呪力が残っているかは今ひとつ分からなかったが、のんびりしている余裕がないことだけは確かだった。
「ふん……。こんなもんで、俺を倒せるつもりか?」
文大は壁にもたれかかる形でよろよろと立ち上がる。そして、懐から呪符を取り出し、再び周囲の風景を変える祓己術を発動しようとする。
「ぎっ!」
だが、発動する前に武の蹴りが文大の腹に決まる。あまりの衝撃に文大からは息を吐くような声が漏れ、壁に大きなひびが入る。
「さっきまではそう感じなかったが、結構固いな。この城。さすがは、六名家の一つが根城にするだけのことがあるということか。それなら……」
武は無秩序に垂れ流していた呪力を右腕に固める。押しとどめられた呪力が形を為すと同時に白い炎が右腕に発生する。武は一瞬それに驚きを示すものの、そのまま弓を引くように右腕を構え、半身の構えから凄まじい速度で文大へと接近していく。
もはや、満身創痍の文大に反応することなど不可能だった。武の一撃は文大の顔面に綺麗に決まり、そのまま凄まじい爆発が起きる。
頑丈な壁もその一撃の前では無意味だった。文大は壁ごと遥か彼方へと吹き飛ばされていく。爆発が収まると、壁に巨大な穴が空いており、そこに文大の姿はない。これで武の勝利だ。
最終的に謎の覚醒を遂げて、見事文大を倒した武。しかし、武の表情は明るいものではなかった。最後の一撃を決めたときに文大が呟いた一言が気になっていたからだ。
「お見事」
文大は口元に笑みを浮かべながら、小さな声でそう言った。その言葉の意味するところが武には分からなかった。
だが、今はそんなことよりも美夢のことだと思い直す。あれだけの戦闘を行ったのだ。何かしらの怪我を負っていてもおかしくはない。
最初から覚悟はしていたとはいえ、やはり文大の強さは尋常ではなかった。あの謎の覚醒がなければ、武は文大にあっけなくやられていただろう。だから、一切美夢への配慮ができなかった。そんな余裕は微塵もなかった。つまり、美夢の身に何らかの危険が及んでいる可能性が高い。
だからこそ、いまさらだが美夢の姿を探す。少し、辺りを見渡すだけで美夢の姿はたやすく見つけられた。
「美夢!」
武は慌てて美夢の下へと行く。美夢は無傷の壁に寄りかかって眠っていた。近付いて見ると、彼女に外傷らしきものは見当たらない。だが、まだ安心はできない。意識がない以上、何があってもおかしくはない。
ひとまず起こそうとしたところで、武は美夢が文大にべったりになっていたことを思い出す。先日、文大が美夢を連れ出したときから、彼女の様子は明らかにおかしかった。そして、文大のいる軍王家は精神系の祓術を得意とすると空我は言っていた。それならば、美夢が文大に何をされたかなど容易に想像がつく。まず間違いなく文大に好意を持つように暗示をかけられたのだろう。
かけられた暗示の解除条件が分かっていない以上、今、起こしても美夢は洗脳されたままの可能性がある。だが、起こさないわけにはいかない。
武は声をかけて美夢を起こそうとする。下手に動かすのはまずいと判断したからだ。まだ文大に洗脳された状態だったときに、攻撃を仕掛けられた場合に対応するためでもある。もし、声を何度かかけても起きないようであれば体を揺することも考えたが、幸い美夢は二、三回声をかけるだけで目を覚ました。
「武?」
美夢は薄く目を開いて、武の方を見てくる。武は美夢を注視し、美夢の様子を観察している。しかし、幸いそれは取り越し苦労だった。
「武!」
美夢は満面の笑みを浮かべて、武に抱きついてくる。突然抱きつかれた武は体勢を崩して、その場に尻もちをついてしまう。どうやら、文大の洗脳は解けているらしい。
「悪かったな。美夢。来るのが遅れて」
「いいよ。あんたもいろいろあったんだろうしね」
美夢はそう言いながら、武から離れて床に座り込む。そんな美夢の言葉に武は苦笑する。確かにこの数日はそれなりに苦労した。それでも、一番骨を折ったのは文大を倒すことだ。武は祓己術を完全に会得することでそれを成し遂げた。しかし、あまりにも呪力を使いすぎたせいで、武は疲労困憊もいいところだった。
だが、同時に謎もある。なぜ、突然あのタイミングで覚醒したのか。それに何より、あの力の根源は何なのか。分からないことだらけだった。
しかし、今はそれよりも目の前のことだ。結果的に美夢は救えたようだが、まだ終わってはいない。
「目を覚ましてすぐに悪いが、さっさとここから出るぞ。いつまでもここにいるわけにはいかない」
武はそう言って立ち上がる。いくら、この軍王家の城で留守をしている者たちを全員撃破したとはいえ、ここは軍王の家だ。長居するのは危険すぎる。
現在時刻は四時。本来ならまだまだ任務を続行している時間のはずだが、出て行った祓い師たちが増援に呼ばれて戻ってこないとも限らない。
美夢も異論はないのか、武の言葉に頷く。
「そうだね。文大の姿が見当たらないけど、ひょっとしたら、すぐそこにいるかもしれないものね」
その言葉で美夢に先ほどまでの記憶がないことに気付く。文大は先ほど派手に吹き飛ばした。記憶があるならそんなことは言わないだろう。
そんなことを思いながら、武は美夢に手を差し出す。
「何?」
美夢は怪訝そうな目で武を見つめる。そんな美夢に武は何でもないような顔で言う。
「いや。お前も辛いだろうからな。おぶっていってやろうと思ってな」
「いら……」
首を振って拒絶しようとしたところで、美夢は言葉を止める。武はそれを不思議そうな顔で見つめている。だが、美夢はイタズラっぽい笑みを浮かべると、武の手を取る。
「そうだね。それじゃあ、お願いしようかな」
一瞬拒絶する素振りを見せておきながら、すぐに武の提案を受け入れた美夢に、今度は武が怪訝そうな顔になる。
「どうしたんだ? 急に」
「さあね。それよりも行かなくていいの?」
美夢は武の手をつかんで立ち上がると、武に抱きつく。武は一瞬戸惑うが、あまりのんびりもしていられないため仕方なくそのまま行こうとする。だが、そんな武の腕を美夢は掴む。
「いやいや。このまま行くの?」
「他にどうしろと言うんだ」
今、美夢は武に抱っこされている状態だ。たしかに、あまり走りやすいとはいえない状態だが、贅沢は言っていられない。
「お姫様抱っことか?」
武は美夢をジト目で見る。明らかにふざけているとしか思えない回答だったが、美夢はすました顔でその理由を言う。
「少なくとも、抱っこよりは動きやすいでしょ?」
否定はできなかった。確かにそちらの方が速く動ける。それに、もうだいぶ時間も経ってしまった。よたよたとゆっくり動くわけにもいかない。
「仕方ない」
武は美夢を横抱きにする。同時に袖に仕込んであった呪符を使って速を発動させ、今度こそその場から離脱する。
その速度はこの街に来るまでに速を使ったときよりも遥かに速かった。あまりの速さに美夢のことが心配になるが彼女は平然としている。どうやら、余計な心配だったようだ。
武は軍王家の城から五分とかからずに神殿地区の近くまで到達する。
「もう着いたの?」
「そのようだな」
「じゃあ、ここまででいいよ。あとは歩けるから」
美夢はそう言って、武の腕から離れる。武はそれに驚いた顔になる。
「大丈夫なのか?」
「うん。もともと普通に歩ける程度の体力は残ってるから。ただ、あんたに抱かれたかっただけ」
美夢は誤解を生みかねない発言をするが、武は動じない。美夢はそんな武にクスリと笑いかける。
「それにこの後、いくらか面倒なことになりそうだしね。それなのに、うちの屋敷にあの状態で行ったら、さらに面倒なことになっちゃうからさ」
それに武は今回かなりまずいことをしたのだということを改めて実感する。しかし、その思考に反して武の気分は爽快そのものだった。仮に、これで城神家を追い出されてしまったとしても悔いはない。
そんな武の考えが分かったのか、美夢は仏のような笑みを武に向けて言う。
「心配しなくても大丈夫よ。あんたの思っていることには、まずならないから」
「だが……」
「もう、心配性だなぁ……」
美夢はそう言って武の方へと近付いてくる。武の目と鼻の先まで近付くと、少しだけ背伸びをして触れるだけの口づけをする。突然の事態に武は固まる。
美夢は左目を閉じて、イタズラが成功した子供のような笑みを浮かべている。
「今日はありがとう。これはそのお礼だよ」
美夢は無邪気な笑みでそう言って、その場から立ち去っていく。武はしばし、その後ろ姿に見とれていたが、慌てて彼女の後を追っていった。
その後ろにそびえたつ木の上で、ワライが武の後ろ姿をじっと見ていたことにも気付かずに……。




