前哨戦
城内。城の二階部分に朱色を基調に真っ赤なキングベッドや洋紅色のカーテンと決して趣味のよいとはいえない部屋があった。そこに文大と美夢、そして、ミニスカートのメイド服を着た金髪のショートボブの女性がいた。文大は三人がけのワインレッドのソファに座っていて、右手に美夢を侍らせている。美夢はうっとりとした顔で文大の右腕にしがみついており、文大は晒された美夢の肉付きのよい太ももを空いた左手で舐めるように触っていく。美夢がそれに不快感を示す様子はない。むしろ嬉しそうな顔ではにかむ。
その様子を金髪の女性が面白くなさそうな顔で見つめる。それを見咎めた文大はニヤリと笑い、金髪の女性に声をかける。
「何だ? ユネス。お前も可愛がってほしいのか?」
「そ、そのようなことは……」
文大の言葉にユネスと呼ばれた女性は顔を真っ赤にして否定する。しかし、その瞳は文大に構ってほしいと雄弁に語っていた。それに気をよくした文大は一度美夢を放してユネスの下へと歩いていく。
「無理すんなよ。寂しいならちゃんと言え」
「あ……」
文大が耳元で囁いて優しく頭を撫でてやると、ユネスは頬を赤らめて、とろんとした顔でその手を受け入れる。すると、今度は美夢が不満げな顔になって文大に近付いていく。
「ねぇ。私にももっと構って……」
体をこすりつけるように甘えてくる美夢に文大は気をよくしたのか、空いた方の手を美夢の頭に置いて口を開く。
「分かったよ。仕方のない奴だ」
二人とも髪に手入れには気をつけているため、その髪は艶やかで触ると絹のようになめらかだ。容姿も両方優れている。そこらのアイドルなど比較にもならないだろう。本当に二人ともいい女だと文大は心底思う。下卑た笑みで二人の頭を撫でていると、突然文大の顔つきが変わる。
「どうかされたのですか? 文大様」
されるがままになりながらも文大の変化に気付いたユネスがそう尋ねる。
「いや。どうやら、思った以上に計画通りにいってるようでな。少し驚いただけだ」
文大はそう言って右前の方に視線を向ける。その先では、武とミュフィユが戦闘を行っていた。
「ああ。さっきから妙にうるさいと思ったら、もう来たんだ」
呆れたような顔で美夢も文大と同じ方向に視線を向ける。文大は美夢のそんな様子に苦笑する。
「そう言ってやるなよ。あれでもお前を救いに来た王子様なんだからよ」
「むぅ……」
文大の言葉に美夢は不満げに頬を膨らませる。文大は先ほどまでとはうってかわって、どこか優しい笑みを浮かべて美夢の頭を撫でる。慈しむように頭を撫でられ、美夢は先ほどよりも気持ちよさそうな顔になり、ふにゃ~と気の抜けた声を上げる。
そこで部屋に備えつけられた電話が鳴る。文大は小さく舌打ちをして、机の上に置かれた電話に近付き、受話器を取る。受話器の向こうから聞こえてきた声は文大の予想通りの声だった。
『様子はどうだ?』
文大よりもやや低めの声。しかし、その声質は似ている。文大は苦々しい顔をしながらも口を開く。
「何も問題はありませんよ。父上」
武の襲撃を受けたことをあえて言わずに、文大は何事もなかったと言う。相手はそれに疑いを持つことなく納得する。
『そうか。婚約の儀が近いゆえにごく少数の兵を残して、お前をそこに置いていったが危険であることには変わりはない。何を犠牲にしてでも、お前と美夢殿の身だけはなんとしても守り抜けよ』
「分かっていますよ」
文大の答えに電話越しにふむと頷く声が聞こえる。
『それならばいい。この任務さえ終われば、我が軍王家はまた一歩進化する。この婚儀で私は軍王家当主としてだけでなく、お前の父親としての責任も果たすのだ』
「ええ。感謝していますよ」
『そうか。話はそれだけだ。切るぞ』
「ええ。お気をつけて」
文大は手に持っていた受話器を下ろして電話を切る。そして、また舌打ちをする。その顔には嫌悪感がにじみ出ていた。
「父親としての責任だぁ? 聞いて笑わせるぜ」
文大は実の父の言葉を鼻で笑い、美夢たちに向き直るとまた下卑た笑みを浮かべ、彼女たちに近付いていった。
○○○○○
武とミュフィユの戦闘は思いの外拮抗したものとなっていた。ミュフィユの包丁による突きを武は腕を弾いてそらし、逆の手でミュフィユの腹にカウンターの掌底を当てようとする。ミュフィユはその手を掴み、柔軟性を生かしてさらに包丁で追撃をするが、それを屈むことでかわし、ミュフィユの手を振り払って距離を取る。
武は右手を握ったり開いたりを二回ほど繰り返し、それからミュフィユをじろりと睨みつける。
「…… 解せねえな」
「何がです?」
「明らかにてめえは本気を出していない。それどころか、まともに戦ってすらいない。何の真似だ?」
武は先ほどからそれが気になっていた。最初にミュフィユが放出した呪力からして、彼女の実力がこの程度のはずがない。そもそも彼女は祓術すら使っていない。身体能力だけで戦っている状態だ。
そして、単純な身体能力ならば武の方が上だ。現に武は祓術どころか軽い準備運動程度の動きで自身の身体能力をフルに使っているミュフィユと互角以上に渡り合えている。ならば、このまま続けていけば結果は見えている。このままいけば、そう遠くないうちに武は勝つだろう。それどころか、祓術を使えば今すぐにでも終わらせられる。
それが分かっていながら、なぜ祓術を使う素振りを見せないのか。仮に時間稼ぎをしたいのだとしても、普通は祓術を使う。そうしなければあっさりと始末されてしまう危険があるからだ。そのデメリットを犯してまで、祓術を使わない理由は一体何なのか。武には理解できなかった。
そのために尋ねたのだが、ミュフィユは答えようとしない。武も分かっていたのか、何も言わずミュフィユから意識をそらさないように気をつけつつも考えを頭に巡らせる。
(最初の呪力解放の時点で呪力が少なくて無駄撃ちできないという線はない。となると、あと考えられるのは……)
武の頭にいくつかの可能性が思い浮かぶ。そして、その中で最も確度の高い可能性が頭の中に固定される。そこで、ミュフィユが袖から呪符を取り出し、速を使用する。武は突然の祓術の使用に腰を低くして身構えるが、次の瞬間先ほどとは比べものにならないほどの速度で武に接近してくる。しかし、武はしっかりと反応している。自身の首に振るわれた包丁を後ろに下がることでかわし、無防備に晒された腹に蹴りを放つ。ミュフィユは左腕でそれをいなし、流れのままに追撃を行う。武は間一髪で左手で攻撃をそらしたが、左手の甲に一線の傷跡が浮かぶ。
「ちぃっ!」
武はその傷跡を見て思わず舌打ちをする。もし武の読み通りならば、包丁の攻撃をかすらせた時点でアウトだからだ。武は直後に襲いかかってくるだろう痛みに備えるが、一向に何も起こらない。それに一瞬呆然とした顔になる。
「毒でも塗ってあると思いましたか?」
武の心の中を読んだかのように城の廊下に透き通るような声が響く。武はその声に答えようとはしなかったが、ミュフィユの言葉にわずかに目を細めたことでその問いが正解だったのだと分かる。圧倒的に身体能力が劣っているにもかかわらず、一切祓術を使う仕草を見せなかったミュフィユを見て武は彼女の持つ包丁に毒性は分からないが、ある程度の強い毒が塗られているだろうと考えた。それが一番現実的に見えたからだ。致死性の強い毒ではなくても麻痺毒や眠り薬などを武に投薬するだけで一気に彼女に形勢が傾く。
だが、実際には彼女の持つ包丁には毒は塗られていなかった。先ほど祓術を使ってはみせたが、速で速力を上げただけで結局はまともに術を使っていない。一体彼女は何がしたいのか。あるいは、こうして考えさせてその隙をつくのが狙いなのか。それとも、しびれを切らせるのを待っているのか。現時点では判断がつかなかった。
いずれにしても、これ以上考えていても仕方がない。時間をかけている余裕は武にはないのだ。もう術を使う必要がある。
懐から二枚の呪符を取り出し、拳と速を発動させる。
「ごちゃごちゃ考えていてもしょうがねえ。いい加減遠慮なくいかせてもらうぜ」
武は先ほどの速を発動したミュフィユよりも速い速度でミュフィユに接近し、拳を顔面めがけて振るう。先ほどまでのミュフィユの力なら到底反応できない速度だったが、しかし、ミュフィユはあっさりと首を少し動かすだけでかわしてしまう。
「!」
武はかわされたことに驚きつつも攻撃の手を緩めない。怒濤の猛攻撃をミュフィユに仕掛けるものの、全てかわされるかいなされてしまう。まるで、茂豊とやり合ったときのような感覚を武は覚える。
「不思議ですか? なぜ、攻撃がかわされてしまうのか」
「あ?」
武の連撃を涼しい顔で受け流しつつ、ミュフィユはそう聞いてくる。手加減なしの攻撃をかわしながら、平然と話しかけてくる余裕を見せるミュフィユに武は顔をしかめる。ミュフィユはそんな武の顔を見つつも言葉を紡ぐ。
「あなたが気付かれているかどうかは分かりませんが、私は祓己術が使えません」
ミュフィユの言葉に武は目を見開く。最初に遭遇したとき、武は彼女のことを祓己術が扱える者だと考えていたからだ。だが、祓己術が扱えないというだけで、目の前のメイドが手練れであるという事実に変わりはない。
「その様子では気付かれてはいなかったようですね。どうやら、洞察力はあまり優れているとはいえないようですが、それでもあなたは祓己術が使えない祓い師の中ではトップクラスに近い実力をお持ちになられている。そして、この攻撃。万全ならば、私では対応することなど不可能でしょう。万全ならばの話ですが……」
「!」
最後の言葉と同時にミュフィユの後ろの廊下からガスのようなものを巻いているパイプのようなものが表面に出てくる。それと同時に武の体から力が抜け、その場に跪いてしまう。
「…… 筋弛緩剤…… か」
「いいえ。違います」
全身の力が抜けたような感覚から使われたであろう薬の名を口にするが、ミュフィユは即座に否定する。
「これは我が軍王家の長兄にして六本柱の一本でいらっしゃる天成様が直々にお作りになられた毒です。相手の体の動きを奪い、数分ほどで分解されるため証拠も残らない。さらに、ワクチンを打つことで抗体を作ることも可能なので自分もろとも毒を浴びせることが可能です」
ミュフィユは裾をめくり、左腕に打たれた注射の跡を見せる。それを見て武は己の準備不足を恥じる。
万全の状態で挑んだつもりだった。しかし、精神系の祓術に意識を向けすぎていて、毒に対する準備を怠ってしまった。
いや、それだけではない。彼女のあまりにも無防備かつ消極的な戦い方に、ミュフィユが毒を使ってきているのではないかと警戒していた。それにもかかわらず、まんまと毒を食らってしまった。本当に救いようがない。
呪力を体に巡らせることで、何とか毒を取り除こうと試みるがうまくいかない。
「無駄です。この毒は生半可なやり方では除去できません。ましてや、呪力の扱いに乏しいあなたならばなおさらです」
ミュフィユはそう言って武の近くまで歩み寄ってくる。体三つ分の距離まで近付いたところで立ち止まり、包丁を武の額に突きつける。
「ここまでです」
ミュフィユの目は勝利を確信していた。ここからの逆転などありえない…… そういった目だった。無理もない。六本柱直々に作った毒を浴びせたのだ。これ以上何もできないと考えるのは自然だった。
しかし、彼女は知らなかった。良くも悪くも武が選ばれし者だということを……。
ミュフィユは武の頭頂めがけて包丁を振り下ろす。毒によって身動きがとれない武の脳天に包丁が突き刺さる…… はずだった。しかし、武の脳天を捉えた包丁は一瞬で砕け散ってしまう。
「なっ!」
包丁が粉々になったことにミュフィユは驚愕する。そんなミュフィユをギロリと睨み上げた武は驚愕し固まるミュフィユの腹に拳を入れる。
「がはっ!」
隙だらけのミュフィユに決まった一撃は先ほどまで毒に侵されていた人間の一撃とは思えないほど重く、軽々とミュフィユを吹き飛ばし壁に叩きつける。その衝撃でミュフィユは血反吐を吐く。
「なに…… が……」
息も絶え絶えといった様子でミュフィユは武の方を見る。そこには信じがたい光景が広がっていた。
ミュフィユは思わず息を飲んでいた。自分の目に映っている光景が信じられなかった。否、信じられるわけがない。なにしろ、武の全身から白い呪力が迸っていたのだから。
「それは…… いったい……」
ミュフィユがそんな声を上げてしまうのも無理はない。通常、呪力の色は紫が主流だ。使う術によっては色が変わることもあるが、それでも白い呪力などほとんど見たことがない。ミュフィユの知る限り、白い呪力を扱える者はただ一人。滅兵の『勇者』だけだ。
それほど白い呪力は希少なのだ。
何かしらのからくりを疑うミュフィユの心中を知ってか知らずか武は諦めたようにため息を一つついて、口を開く。
「さあな、俺が知るかよ。分かることがあるすりゃあ、たった一つ……」
――こいつが俺の祓己術だ。
「…… っ!」
ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの小さな声。しかし、その小さな声で告げられた事実にミュフィユの背筋が凍る。
それは混乱か絶望か。ミュフィユには分からなかった。それどころではなかった。ミュフィユは反射的に懐に忍ばせていたもう一つの包丁を武に投げる。武はそれを一瞥することすらせずに弾き落とす。この動きでもう武に毒が効いていないことをミュフィユの頭がようやく理解する。しかし、それだけだった。次の武の動きはまるで理解できなかった。気付けば、武の一撃で意識を刈り取られていて、ミュフィユはそのままあっけなくその場に倒れてしまう。
武はミュフィユが倒れたことを確認すると、両手を見つめる。
「まだ完全に発現したわけじゃねえな。だが、足がかりが見えただけでも十分な成果か」
武はゆっくりと歩いていく。武は他人の気配や呪力を読み取ることはあまり得意ではないので、残り何人残されているのかは分からなかったが、それでもどこに向かえばよいのかは分かった。
「あまりにもあからさますぎる。明らかな挑発だな」
強い呪力が武に向けられている。この呪力はまず間違いなく文大だ。彼は挑発しているのだ。早く自分のところに来いと。美夢を助けられるものならば助けてみろと。
だが、武はこの挑発に乗るしかない。どのみち、ここは敵の本拠地だ。地の利が向こうにあることなど分かりきっていること。さっきのミュフィユとの戦いで嫌というほど実感させられたことだ。向こうの狙い通りに罠にひっかかるわけにはいかないが、いまさら罠を恐れていても仕方がない。
先ほどの一件を参考に警戒しつつ、武はゆっくりと呪力の発生地へと歩いていく。
いよいよ、武と文大の死闘が始まろうとしていた。前回はあっさりとやられてしまったが、今回は同じようにはいかない。武は改めて気を引き締め、文大たちがいるであろう部屋の扉を思いっきり開けた。




