暗雲2
突然、軍王家の次男と結婚させられると聞かされた美夢は空我を質問攻めにしていた。
「急に何よ? 結婚って」
「そう言われてもなぁ。父さんが勝手に決めたことだからさ」
詰め寄る美夢に頭をかきながら、困ったような顔で空我は言葉を返す。
「あのクソ親父……」
「女の子がそんな言葉を使うものじゃないよ、美夢」
口汚く父親を罵る美夢を空我は優しい声で窘める。
「だって……」
美夢は眉をひそめ、不満げな顔になる。
「尊敬できないのは同意するけど、蔑視するほどの価値もない男なのも事実なんだからさ」
「むぅ……」
空我の言葉に頬を膨らませつつも美夢はそれ以上言おうとはしなかった。実際、怒っても仕方がない。今は目の前の問題を処理する方が先だ。そうは分かっていても、美夢の怒りは当分収まりそうになかった。
「とにかく、そういうことだから、一応そのつもりでいてね」
空我はそう言って部屋から出ていこうとする。
「…… 嫌だ」
「ん?」
小さい声でぼそっと言った美夢の言葉が聞き取れず、空我はきょとんとした顔で、美夢の方を振り向く。
「結婚したくない。ましてや、あんな奴と……」
口をとがらせてそんなことを言う美夢に空我は苦笑いをしながら、たしなめようとする。
「確かに、文大はあまり評判のいい男じゃないけど、そう悪い男でもないと思うけどね。実際、六本柱を逃したとはいえ、その実力はかなりのものだ。性根もそう腐ってはいない」
「それは、クウに見る目がないだけよ。あいつははっきり言って、ただのゲスよ」
忌々しげな顔でそう吐き捨てる美夢に空我は小さくため息をつく。
「まぁ、とにかく決まったことだ。文句があるなら、父さんか向こうに直接言いなよ」
空我はそう言って、部屋を出ていく。残された武と美夢の間に微妙な空気が流れる。しばらくの間、お互い口を開くこともなく、目もあわせずに、ただ時間だけが流れていく。
沈黙に耐えられずに、武は遠慮がちながらも口を開く。
「…… なぁ、美夢」
「何?」
「軍王家との結婚ってのはそんなにダメなことなのか?」
そう聞くと同時に武はこの問いは見当違いもいいところだと思い至る。美夢は結婚相手になるであろう男を侮辱していた。なら、普通はその男について聞くべきだったのだ。武自身、混乱のあまり、おかしなことを聞いてしまったことを自覚するも、口に出した以上、もうどうしようもないと美夢の答えを待つことにする。
美夢は数瞬考え込む仕草を見せ、やがて、一つため息をついてから口を開く。
「そんなことはないよ。軍王家は城神家と同じで六名家の一つに数えられているし、嫁ぎ先としてはそう悪くはないと思う。ただ、結婚相手にあてがわれる奴がね……」
そう言って、渋い顔になる。武は顔をひきつらせながらも、尋ねる。
「嫌な奴なのか?」
「その通りなんだけど……。とにかく、ろくでもない奴なのよ。女関係もそうだし、それに……」
そこまで言って、口を閉ざす。目を伏せており、それ以上言う気がないということが、武にも分かった。
「そういうわけだから、そいつとはできれば結婚したくないってだけ。この話はこれでおしまい。じゃあね」
「あ、おう」
武の返事を待たずに美夢は部屋から出ていってしまう。どうやら、相当結婚が嫌なようだ。
「結婚…… ね」
ふと武の頭の中にあるイメージが流れ込む。祓い師の最終試験の時に流れ込んできた映像と酷似しているが、それとは違い、武自身に驚愕はない。むしろ、武の頭の中は嫌悪感で埋め尽くされていた。理由は分からない。しかし、原因はなんとなく分かっていた。分かるからこそ、嫌悪感を抑えきれないのだ。
武はそのイメージを頭から振り払い、小さく舌打ちした。
○○○○○
夜。空我は広大な庭の中にある巨大で平べったい岩の上に寝そべり、月をじっと見ていた。空は雲が多く、月も陰りぎみだったが、見るだけならそれで十分だった。
「このようなお時間にこのようなところにいては、お体を冷やしますよ?」
暗闇の中から、気配も音もなく権藤がすっと現れる。しかし、空我は驚いた様子を見せず、権藤の方にチラリと視線を向けると、すぐに月に視線を戻す。
「確かにね。暖かくなってきたとはいっても、まだ五月だから、この格好じゃあまり長くいると冷えるかもなー」
そう言いながらも、空我はその場から動こうとしない。今の空我の格好は、寝間着の白い着物に薄緑の羽織を羽織っただけというものであり、まだまだ肌寒いこの季節に外にいるには、あまりにも軽装だった。しかし、空我自身が寒がっている様子はない。
「何をお考えなのですか? 空我様は」
眼鏡の奥でどこか探るような目を向けてくる権藤に、空我は瞑目し、薄い笑みを浮かべて答える。
「そんなもの聞くまでもないだろう? 僕の願いは今も昔もただ一つだよ。それが変わることは、未来永劫ありえない」
「……」
空我の言葉に権藤はそれ以上追求しようとはしなかった。権藤は理解しているからだ。空我は自身の目的のためならば、どんなこともいとわない。目的を達成するためならば、どんなことでもする。この男はそういう男なのだと。
「…… 分かりました。出過ぎた真似をして申し訳ありません」
権藤は深くお辞儀をし、その場から姿を消す。空我がその後ろ姿を見つめることはない。彼は月を愛おしげに、それでいて、どこか憎々しげに見つめる。やがて、月は完全に雲に隠れてしまう。雲が多い。明日は雨が降るのかななどと空我はぼんやりと思う。だが、すぐに思考を完全に遮断し、無表情になる。その顔からは、何も感じられない。ただ無だった。その顔のまま、空我は小さく口を開く。
「本当。めんどくさい」
空我はそう言い捨てて、闇夜に姿を消した。




