死神登場
茂豊と戦い、祓己術についてのヒントを少ないながらも得ることができた武は、自身の右手を見つめる。発想は悪くはなかったはずだ。武が得意とするのは拳を使った肉弾戦。ならば、武の祓己術は拳あるいは肉体そのものを呪力で強化する類いの術で間違ってないだろう。だが、先ほどの術は拳と鎧の両方の効果を併せ持った技ではあったものの、相手に当てるにはあまりにも持続時間が短かった。
「方向性は間違ってはいないはずだ。だが、茂豊のあの口ぶりからすると、おそらくあれは俺が目指す祓己術ではない」
あれでは、あまりに実用性が低すぎる。とてもではないが、実戦での使用に到底耐えうるものではないだろう。そうなると、もっと別の視点から見る必要がある。武は一度腰を落ち着けるために、自分の部屋の前の縁側へと向かう。縁側に腰かけ、武はゆっくりと考える。
どうすれば、祓己術を会得することができるのか。そこで、武は茂豊が言っていた言葉を思い出す。茂豊は呪力は不安定なものだと言っていた。そして、つい最近も美夢が呪力はその人間の意志そのものであり、呪力特有の性質を持っていると口にしていた。さらに、最上級悪霊討伐任務に向かったときに起こった洞窟での戦いを思い出す。灯という最上級悪霊が出てきた際、それに、あの言葉を放った際に、武は急激な呪力の上昇を感じた。もし、茂豊の言う通り、呪力がその場の感情に左右されるようなものなら、確かにかなり不安定だ。祓己術の修練の際はそれが特に顕著らしい。つまり、祓己術を会得するためにはどんな場面にも動じない揺るぎない精神力を持っている必要がある。武はそう考えた。
「だけど、それはあまりに抽象的すぎだな。しばらくは、暗闇の中で手探りをすることになるかもな」
「何を探すの?」
「!」
先ほどの茂豊と会ったときの状況を彷彿とさせるように、後ろから武の言葉を拾って話しかけられる。慌てて振り向くと、美夢がきょとんとした顔で武を見ていた。白のブラウスに水色のカーディガン、膝より少し上の丈の紺のフレアスカートといったラフな装いをしており、完全にリラックスした格好であることが分かる。武は体を美夢の方に向けて、言葉を返す。
「ああ。ちょっとした考え事だ。俺に何か用か?」
武の返しに美夢は不思議そうな顔から笑顔に変わり、目を輝かせる。
「今日暇でしょ? どこか行かない?」
美夢の言葉に今度は武の方がポカンとした顔になる。
「どこかって、どこにだ?」
「そうね。そろそろ十二時だし、どこかでお昼食べてから考えよ」
武は開けっ放しにした襖の向こうにある自身の部屋の時計を見る。時刻を見ると十一時五十二分。確かに昼飯時と呼べる時間帯だった。
「どこで食べるんだ? この前行った権藤さんの奥さんがやってる店か?」
「それでもいいけど、違うところ行かない?」
「違うところ?」
武は首をかしげる。美夢はそんな武をいとおしそうに見つめて、言う。
「そう。ついてきて」
それだけ言ってすたすたと歩き出す美夢の後を、武は慌てて追った。
○○○○○
美夢の後をひたすらついてきた武は過去に来たことのない路地を歩いていた。狭い路地を抜けると、美夢の目的地があった。そこは、白を基調とした洋風の店だった。前回行った久子の店とは真逆の印象を受ける。だが、店の看板らしきものは見当たらない。
「ここは?」
「祓い師御用達のお店よ。普通のお客さんには開放していないんだ」
美夢は店の扉を開ける。中に入ると、長い黒髪を紺のタオルで巻いた長身痩躯の男がカウンターで新聞を読みながら座っていた。
「誰かと思えば、お前か。見かけない人間も連れてるみたいだな。いらっしゃい」
男は新聞から顔を上げ、そう言う。年の頃は、武や美夢とそう変わらないだろう。武よりも身長は高いようだが、全体的に線が細く、とても力があるようにはみえない。顔色も悪そうだ。だが、彼が纏う呪力はかなりの実力者であることを如実に示していた。しかし、武が感じたものはそれだけではない。
「こんにちは。明。二人分のお昼御飯を作ってもらっていい?」
「ああ、構わねえよ。少し待っててくれ」
男は美夢の言葉を受けて、厨房の中に入っていく。中でカチャカチャと物音と同時に水が流れる音がする。その後に続いて、コンロの火をつける音が聞こえてくる。
「あの人は…… 何者だ?」
武は声を潜めてそう聞く。男が纏う雰囲気は明らかにまともではなかった。空我からも一度嫌なものを感じたが、男のそれはその比ではない。
「彼は鎌瀬明。『死神』と呼ばれてる男よ」
「死神?」
「そう。名の通り、あらゆる鎌を自在に操り、相手を確実に死に送る。その際に見せるあいつの圧倒的な力に、あの風貌と相まって、そう呼ばれてるんだ」
武は先ほどみた鎌瀬の姿を思い起こす。やせ細った体に、武よりも高い身長。不健康そうな顔色。男にしては長い黒髪。初対面相手にかなり失礼な感想になってしまうが、あの形貌で美夢の言う通りの戦い方をしているのなら、死神と呼ばれてしまっても無理はないだろうなとは思う。
「しかし、その言い方だと、かなり強いみたいだな」
「見ての通りだよ。いくら、あんたが実戦経験が少なくても、一目見ただけで分かったでしょ?」
「確かにな」
「いや、そこまで大したものじゃねえよ。死神なんて呼ばれてても、俺なんて、お前ら天才のかませ犬がせいぜいだ。名の通りな」
鎌瀬がそう言いながら、二つのトレイを持ってくる。そこで、武はまだ注文をしていなかったことを思い出す。武の顔からそれを理解したのか、美夢が武の疑問に答える。
「ああ。ここには、メニューがないんだ。お客さんが来たら、人数分だけ食事を出す形をとってる。だから、みんな一緒なものしか出てこないのよ」
「あいにく、今は俺一人しかいなくてな。こうせざるを得ねえんだよ。ま、味は保証してやるから、安心しろ」
美夢の言葉に補足する形で、鎌瀬が説明をする。鎌瀬が持ってきたのは、二人分のデミクラスソースのかかったオーソドックスなオムライスだった。思ったよりも普通の物が出てきて、一瞬戸惑うが、お腹がすいていたこともあり、武はいただきますと言ってから、スプーンを手に取り、オムライスをすくって口に運ぶ。
「美味い」
武は無意識にそう口にしていた。美夢はクスリとまるで弟を見るような目をして笑い、武と同じようにオムライスを口にする。
「まぁ、一応曲がりなりにも料理屋だからな。この店によく足を運ぶ祓い師も結構いるし、それなりのもんではあるはずだぜ」
「なるほどな」
鎌瀬はニヤリと笑う。武は鎌瀬の言葉に生返事を返しながら、出されたオムライスを見る。オムライスの中はシーフードライスとなっていた。タコやイカが混ぜ込まれ、塩で軽く味付けられたそれは、濃厚なデミグラスとは反対にあっさりとした味わいを生み出している。これ自体は別に珍しいことではない。ごく普通の家庭料理でもよく使われるものだ。それに関しては武も特に思うところはない。しかし、このオムライスがきっかけで武の中にある考えがふと浮かんだ。
「どうかした?」
顔を上げると、美夢が不思議そうな顔をしている。鎌瀬は我関せずといった様子で、再び新聞を眺めていた。
「ん? ああ。なんでもない」
武はそう返し、オムライスに再び口をつける。腹をすかせた食べ盛りの男にとって、オムライスを平らげるのにそう時間はかからなかった。
○○○○○
城神家の屋敷。空次の部屋に呼び出された空我は畳に寝そべりながら、空次と話をしていた。
「それにしても、本当なの? その話」
どこかつまらなそうな顔で、空我がそう尋ねる。
「ああ。アレももう十七だしな。いい頃合いだろう」
「そうだろうけどさー。あいつも突然の話で驚くと思うよー?」
思いきり気の抜けた声でそう言う空我に空次はかすかに顔をしかめるものの、それを指摘することなく言葉を続ける。
「構わん。俺が決めたんだ。俺の決定に従ってもらう」
空我は無表情で空次を見つめる。その体はかすかに震えていた。しかし、空次が気付いた様子はない。
「軍王家に美夢を嫁に出す。祓い師と我が城神家のさらなる繁栄のために」
空次はそう言い放ち、手元にあった緑茶をすすった。空我はそんな父親の様子をどこか冷めた目で見ていた。




