祓己術とは
修練用の道着に着替えた二人は、武の部屋のそばにある大きな庭の片隅で対峙していた。
「準備ができたら、いつでもかかってこい」
茂豊は両手の指をパキポキと慣らす。そんな茂豊に武は気になったことを尋ねる。
「その前に一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「どうして、道場でやらないんだ?」
武は道場の方をチラリと見る。武の部屋がある母屋があるため直接見ることはできないが、そんなものは、なんら支障はない。武の問いを聞いて茂豊はため息をつく。
「お前も見ていたはずだ。俺の祓己術は土――もっといえば、地面を扱うものだ。神聖な道場を俺の祓己術で汚すわけにはいかない」
茂豊の言葉に武は得心がいった。もし、茂豊が道場で祓己術を扱えば、道場の床を傷つけることになる。それは、茂豊としては望むところではないということだ。
「分かったなら、さっさと来い。俺もそう暇じゃない」
「ああ、すまない。すぐに始めさせてもらう」
武は呪符を目にも止まらぬ速さで取り出し、右手に呪力を纏わせる。拳だ。武は他にもいくつかの術を扱えるが、呪力を纏って拳打を強化するこの技が一番武との相性が良かった。並の祓い師ならばおののくであろう武の呪力を、茂豊は顔色一つ変えることなくただ見ていた。右手に呪符を持ち、左手をやや前に出しつつ、左半身を前に出した半身の構えを取りながらも、決して動くことをしない。武は右手に呪力を纏い、茂豊に殴りかかる。茂豊は余裕を持った動きでかわす。その隙に、呪符を用いて術を発動させ、全身に呪力を纏う。武は連続で攻撃を仕掛けるが、茂豊はいなすか回避し、その全ての攻撃を捌ききっていた。まるで武がボレと戦っていたときの再現のようだ。だが、大きく違うのは、武が死にものぐるいでボレの攻撃をかわしていたのに対し、茂豊は余裕を残した状態で武の攻撃をかわしているという点だ。数多の攻撃をものともしない茂豊に武は焦りを見せる。
「どうした? こんなものか?」
「くっ……」
武は左腕を大きく振りかぶり、茂豊の顔面へと勢いよく振り下ろす。茂豊は右手でその拳を受け止める。
「弱い」
「うおっ!」
茂豊はそう吐き捨て、武を投げ飛ばす。武は空中で体勢を立て直し、なんとか着地に成功する。
「まぁ、祓己術を会得してなければ、こんなものだろうな」
「はぁ…… はぁ……」
息一つ乱していなければ、汗一つかいていない茂豊に対し、武は肩で呼吸をしている有様だった。ボレとの戦いと何も変わっていない。思わず武は臍を噛む。
「準備運動は終わりだ。そろそろ、俺の祓己術を見せてやる」
茂豊は左手に呪符を持ち、呪力を注ぎ込む。呪符から放出された呪力は地面へと走り、土がカタカタと動き出す。茂豊が右手をゆっくりと上げていくと、土が浮かび上がり、無数の丸い形へと収束し、固まっていく。それらは土の弾丸となって茂豊の周囲に浮かぶ。
「いくぞ」
茂豊が右手を武の方に向ける。土の弾丸が一斉に武に襲いかかる。武は鎧で全身を呪力で纏い耐えようとするが、弾丸の攻撃力は武の鎧の防御力を軽々と上回る。全ての弾丸をまともに食らった武は吹き飛ばされる。
「がはっ!」
武は肺に溜まっていた息を吐き出し、むせ込む。あまりにも大きすぎる実力差に武は絶望しそうになる。しかし、自分を奮い立たせ、呪符を取り出し、拳で右手に全ての呪力を集中させる。
「なるほど。全身に分散していては歯が立たないから、一カ所に力を集中させてしまおうということか? だが、はっきりいってナンセンスだ。そんなもの何の意味もない」
「やってみないと、分からねえだろ……」
「分かるさ。そもそも、さっき、俺が放った攻撃は広範囲攻撃。そんな範囲の小さいもので防ぎきれるわけがない。お前の反応速度ならなおさらだ」
茂豊は再び呪符を使って、土の弾丸を作り出す。それを武の周囲に浮かべ、包囲攻撃を仕掛ける。武は右手で弾丸を叩き落とそうとするが、歯が立たず、大半の攻撃をその身に受けてしまう。
「が…… っ!」
強烈な攻撃を全身に浴び、武は吐血する。膝が耐えきれずに、その場にくずおれてしまう。
「そもそも、呪力を一点に集めるということは他が無防備になるということ。ならば、まともに食らえば、そのダメージは呪力を纏っているときの比ではない」
地に倒れ伏す武を見下ろし、そう言い放つ。その瞳には失望の色が浮かんでいた。
「俗に呼ばれる基本術というやつは会得難易度が低い上に、応用性もそれなりに高いが、性能も発動速度も祓己術に大きく劣る。扱いやすさだけを重視しているゆえに、咄嗟の行動が遅れる。それすらも知らないから、生身の状態で呪力攻撃を食らうなんて恐ろしいことを意図せずにやってしまう。お前は何も分かっていない」
茂豊はため息をつく。諦めたのか、それとも、最初からどうでもよかったのか。今の茂豊の心情を計り知ることは武には叶わなかった。
「祓い師は滅兵と違って質を優先してるなどと謳ってはいるが、滅兵よりはマシというだけで、結局は人を殺せるだけの弱い雑魚を量産して、基本術だけで祓術を扱える気になってる馬鹿を大量に使い捨てにしているにすぎないからな。確かに全体的な実力は俺たち祓い師の方が上かもしれないが、本質的には滅兵と何も変わらない。もちろん高水準の実力を持つ者でも基本術を扱う時は多いが、結局は祓己術を会得できなきゃ何の意味もないんだ」
茂豊は虚空を見つめながらそんなことを言う。その顔はどこまでも無表情で、何を考えているのかをうかがい知ることはできなかった。
「……」
武は目を閉じる。呪力を体内にめぐらせ、自身の呪力を感じようとする。そこから、イメージを浮かべていく。武が今扱うことができる祓術は斬、鎧、拳、速、止の五つ。その中で、武が最も多用し、最も得意としているのは拳だ。ならば、拳を元にすれば、祓己術への足がかりになるかもしれない。
普通なら、敵を前に目を閉じて、イメージを固めるなどありえない光景だが、茂豊に攻撃意志がないことくらいは今の武でも読み取れる。
拳は呪力を手に纏わせ、パンチ力を増大させる技だ。ならば、その効果を全身に広げてみたらどうなるか。武のイメージに従い、呪力は武の全身に纏わりつく。一見すると鎧に似ているが、見る者が見れば明らかに違うと分かる物だった。茂豊はそれを無感動な目で見つめる。
「これで、どうだ?」
武は右手を顔の位置まで上げて構える。対して、茂豊は目を閉じて首を振ると、今度は土の棒を作り出し、右手に収める。それを、右片手の特殊な上段に構える。武は構わずに、殴りかかる。その一撃は威力自体は先ほどと変わらなかったが、全身の防御力は鎧と同等レベルまでに上昇していた。攻撃力・防御力ともに最大の一撃。茂豊の言う無防備になってしまう欠点を克服した最大威力での一撃は、茂豊の顔面を捉える寸前で呪力が消失し、無力化される。
「!」
武は目を見開き、自分の右手を見るが、その隙に茂豊の拳が逆に武の顔面を捉える。呪力を纏わない生身の状態での一撃。しかし、服の上からは分からない鍛え上げられた肉体から放たれる一撃は、武を吹き飛ばすには十分だった。
「か…… ぐ…… っ……」
受け身をとることができず、地面を転がり込んだ武は小さな呻き声を上げる。実力差はもう分かりきっていることだから気にはしていない。だが、短絡的すぎたとはいえ、見出した一つの活路が潰されたという事実は武に大きなショックを与えた。
「考えなしで祓己術を発現させようとするからそうなる。本来呪力は不安定なものだからな。どんなものにでも、あっさりなってしまう。そのせいで、予想のつかないことが平気で起こる。祓己術を手に入れようとしているときは特にな。無計画に祓己術を会得すると、取り返しがつかなくなるぞ」
「取り返しがつかなくなる?」
「ああ。中途半端で役に立たないものが祓己術として固定されてしまうか、最悪祓己術が発現することが永遠に叶わなくなる」
茂豊の言葉に武は冷や汗を流す。もし、祓己術を会得できないということになれば、祓い師としては致命的なことになりかねない。情報を集めることも難しくなる。そう考えるとむやみやたらにやるべきではないのかもしれない。
しかし、だからといって、やらないわけにはいかない。
「俺はかつて、自分の無力さを呪い、その想いが実って、この術を会得した」
なんの前触れもなく突然祓己術を修得した経緯を話し始めた茂豊に武は戸惑う。
「無力さなら、俺も呪って……」
「これは、あくまで俺の話だ。お前も同じとは限らん。あるいは、お前の想いがまだ足りていない可能性もある。呪力や祓術はそいつの感情や思考に左右されるからな。いずれにしても、この場で無理に会得しようとしない方が身のためだ」
茂豊は武の言葉を遮りそう言い放つ。茂豊は右手をチラリと見て、結局使わなかった棒を土に還し、地面へと戻す。そのまま、右手をポケットに突っ込み、武に背を向ける。
「とりあえず、俺がしてやれるのはここまでだ。あとは、お前一人でどうにかするんだな」
「あ、ああ。助かった。ありがとう」
「俺はあくまで一例を話しただけだ。礼を言われることじゃない」
茂豊はそう言って、その場から立ち去る。武はその背を見送り、茂豊の姿が見えなくなったところで、武は踵を返し、よどみない足取りで自室へと戻っていった。




