終いの会話
未明。山の中にある断崖絶壁の端に腰かける一つの人影があった。その人影は黒いマントにフードを被り、緑色で目と口が大きく弧を描くように描かれた仮面を被っていた。その仮面はさながら、狂気を帯びたような笑みのようだった。
そんな人物に近付く影があった。執行者十干の一人・甲だ。
「やぁ、調子はどうだい?」
仮面の人物が振り向かずに甲に気安く話しかける。甲も気にした様子もなく口を開く。
「問題ない。ただ、いくら力をまるで引き出せていないとはいえ、武がボレに押さえつけられたのは想定外だったがな」
背中越しに甲がそう言うと、仮面の人物はクスクスと笑う。
「それは仕方ないよ。まだまだ不完全を通り越して、別人もいいところだし」
「そうか」
甲は辺りをキョロキョロする。仮面の人物は甲の方を振り向いて、その様子について尋ねる。
「どうしたの?」
「いや、あいつらはどうした?」
「んー? サケビならここにはいないよ。クルイはまぁ、いつも通りかな」
「それは残念だ」
「ん? 何か二人に用事だった?」
仮面の人物が首を傾げて尋ねる。
「いや。別に、何もないよ。ただ、たまには顔を見たいと思ってな。クルイには期待してなかったが、サケビは、ひょっとしたらいるのではないかと思ったんだ。いないならいい。それよりも、ワライ」
「何?」
「武をどうやって、この世界に連れてきたんだ? 相当苦労しただろ?」
「やり方は企業秘密。ただ、さすがの僕も記憶や人格まで万全とはいけなかったけどね」
「それはやむを得ないだろう」
「そうだけどね」
仮面の人物――ワライは肩をすくめる。それから、立ち上がって、虚空に向かって話しかける。
「いるかい? 案内人」
『なんでしょうか? ワライ様』
何もないところから低めの声が響いてくる。それに対して、ワライも甲も全く驚いた様子を見せない。
「今、武はどうなってる?」
『ボレ様にやられ、かなりの傷を負われてはいますが、命に別状はありません。ただ、彼の本当の力を知る者としては、少々歯がゆいですがね』
「それはどうしようもないよ。どんなに強い力を持っていても、その使い方が分からないんじゃ、話にならない。まぁ、その辺は僕のせいでもあるんだけどさ」
『いえ。ワライ様は完璧でした。あれは致し方のないことでしょう』
「お前も甲と同じことを言うんだね」
ワライは乾いた笑みでそう言う。しかし、すぐにその笑みを引っ込め、もう一つ気になったことを案内人に聞く。
「それで? 今、武とはどんな感じなんだ?」
『あまり良い関係を結べてるとは言えませんね。致し方ないとはいえ、かなり疑われている状態です。現に、最近は全くと言っていいほど意思疎通を図れていません』
そう言う案内人の声は暗い。案内人としては、できれば、きちんと連携をとれるようにしておきたいが、武にその意志がない以上、案内人に術はなかった。
「それは、どうしようもないな。まあいいよ。現時点じゃ、信用されてようがされてまいが目に見えて違いはない。今は陰でそっと支えてやるだけでいい。どうせ、あいつもいつかは記憶も人格も完全に取り戻す。そうなれば、あいつの方から好き好んでお前を頼ってくるさ。その時こそがお前の出番だ」
『心得ました』
「じゃあ、戻ってていいよ。この時間はさすがに寝てると思うけど、一応念のためにね」
『かしこまりました』
それっきり、虚空に響く声が聞こえなくなった。ワライはそれを確認し、一つため息をつく。
「それにしても、結構予想と外れた展開だなぁ」
「武をこのタイミングでここに呼び寄せたのが原因だろう? そのせいで、いろいろとズレてきている」
「そうなんだよねぇ。でも、あれ以上はどうしようもないよ。まぁ、割り切るしかないね。どうせ、計画に支障はないんだし。あまり歓迎はできないけど」
ワライはそう言って、再び崖に腰かける。少しの間思案しているような素振りを見せる。
「そもそも、武が力を引き出しきれてないのが原因なんだよねぇ。あのままじゃ、どこかで問題が出る」
「だろうな。少なくとも、この後の戦いが続かないぞ」
「うん。だから、少しこっちも介入してみようと思う」
「どうするつもりだ?」
甲の問いに、ワライは仮面の向こうでニヤリと笑う。
「あいつに問答無用で力を引き出させる。少なくとも、祓己術くらいは使えるようにする」
「どうするつもりだ?」
「いくらでも手はあるさ。たとえば、身近な人間を狙うとかね」
ワライの言葉に甲は答えない。その人物について見当がついているからだ。
「狙うのは、城神家の三女・城神美夢だ」
ワライは軽い世間話をするような調子でそんなことを言う。だが、その内容はとても看過できるものではなかった。しかし、咎める者はその場にはいなかった。
これにて第一章は終了です
次回から、第二章『救出ごっこ』に入っていきます




