足りないもの
時は少しだけさかのぼる。最初の殴り合いで、力の差が大きいとみた武は防御に重点を固めることで、ボレを足止めする方向に動いていた。ボレの攻撃は最初のころとは比べものにならないほど、速く、重く、鋭かったが、武はなんとかいなし、かわすことができていた。最初は防ぐことも視野に入れていたが、そんな考えはボレが本格的に臨戦態勢に入り、その状態の攻撃を数撃かわしただけで、すぐに吹き飛んだ。間違っても防御はできない。回避やいなしだけで対処するしかない。
もちろん、防戦一方では話にならないので、隙あらば攻撃にも転じてはいるものの、ボレは武の全ての攻撃をたやすく防御してみせる。それどころか、逆にカウンターをもらってしまう。迂闊な攻撃は逆効果だと判断し、徐々に攻撃回数も減少していく。
「どうした? 攻めなくては、俺は倒せないぞ」
「倒せずとも、勝とうと思えば勝てるだろ」
「ないな」
ボレは強烈なフックを武の左顔面に打ってくる。武はそれをかわし、ボレの腹を蹴る。その反動で後ろへと大きく飛んで、距離を取る。
「はぁ、はぁ……」
武は横目で空我たちと灯の戦闘を見る。ちょうど、空我と灯がものすごい速さで打ち合っているところだった。灯は冷や汗をかいているものの、二人とも明らかに余力がある。そして、それは目の前のボレも同じだ。この場で余裕がないのは武だけだ。
ボレはどこか呆れたような顔になって、武を見てくる。
「はぁ……。確かに伸びしろはある。俺の攻撃にここまで耐えられるとは、呪力量も動きもかなりのものだ。だが、それだけだ。力に使われるどころか、理解すらしていないお前に、何も脅威を感じない」
「理解していないだと?」
「事実だろう? さっきからお前が使っているのは、祓術の中でも基本中の基本と呼べるものばかりだ。お前自身の力をまるで感じない。つまり、お前は並の祓い師を軽々と凌駕してはいるが、平凡の域を脱していないということだ」
ボレは腰を低く落とし、拳を握ったまま右手を後ろにやり、左手を左足の膝に添えるという構えを取る。
「これは霊術だから、祓己術とは違うが、本質的には同じだ。見せてやる。本当の術という奴をな」
ボレの右手に赤い呪力が纏われる。武はその姿を呆然と見つめていた。
「どうした? 構えろ。まぁ、俺はどちらでも構わないがな」
ボレは左手で膝を思いきり叩く。次の瞬間、ボレは十メートルは離れてるであろう武の目の前に出現する。気付いたときには、ボレの右手の拳が武の腹に入っていた。
バァァァン!!!
音が遅れて聞こえてくる。音が弾けると同時に、武は洞窟の壁まで吹き飛ばされる。あまりにも強い衝撃。遅れて響いてくる鈍い痛み。直後に体を襲う壁に激突した痛み。口の中が切れ、咥内に血が満たされる。胃の中に入っていたものが逆流し、嘔吐しそうになる。腕や全身にかけていた術が解けそうになる。武はそれらを必死に堪える。ボレは武のそばまで一瞬で到達し、冷たい目で武を見下ろしていた。
「これで分かっただろう? 力の差が」
「くっ……」
無力な自分を嘲笑するように言うボレに、武は唇を噛む。だが、今は反論するどころではなかった。徐々に収まってはきているが、まだ武は先ほどの一撃の影響でまともに動くことができずにいた。
「武!!」
洞窟に女性の声が響く。ボレがそちらの方を向くと、美夢が驚愕の顔をしていた。
「どうやら、なかなか仲間には信用されているようだな。結構結構。だがな。この程度の力で灯様に戦いを挑もうなどおこがましいとは思わないか?」
責めるというよりは、どこか諭すような声で、ボレは武に言う。武にはボレの言葉を否定することはできなかった。前回の任務で百体以上の悪霊を祓ったことで、どこか慢心していた。自分が、技術も経験もまだまだ未熟なかけだしの祓い師にすぎないという事実を完全に忘却していた。
本当に救いようがない。自分の愚かさに思わず笑いそうになる。武とボレの間には大きな力の差があるのは否定しようのない事実だ。案内人が最初に言っていた通り、上級悪霊のボレは祓い師の実力者と同等以上の力がある。技術も経験も身体能力も何もかもが違う。この力の差はそう簡単には覆せない。だが、だからと言って、ここで負けるわけにはいかない。
武は血反吐を吐きながらも、なおも立ち上がり、ボレの前に立つ。
「なんだ、まだやる気か?」
「ああ。ここで負けるわけにはいかないんでね」
なぜ自分がここまでして、この男と戦おうとしているのかは分からない。だが、『何があっても、俺が正しいと思ったことをつらぬき通す』。この言葉だけはずっと守らないといけない。なぜかそんな気がしていた。
ここで退くのは、武にとって正しいことだとは思わない。武は無意識のうちに口を開いていた。
「勝敗はどうあれ、最後まで戦い抜く。それが、俺が正しいと思ったことだ」
同時に、武の全身から先ほどよりもはるかに強大な呪力が噴き出す。そして、そんな武の言葉にボレは大きく目を見開く。それは美夢や茂豊、灯も同じだ。空我だけは穏やかな笑みで武を見つめている。中村たち三人は何のことだか分らないと言った顔をしているが、突然呪力が跳ね上がった武に警戒の色を見せる。だが、対峙している当のボレはため息をつくと、どこか諦めたような笑みを浮かべる。
「そうか。変わらないんだな。お前は……」
「あ?」
ボレは少しの間、武を見ると背を向ける。突然の行動に、武は怒鳴る。
「おい! 戦闘中に何で背を向ける!」
「俺たちの役目はここまでだからだよ。ですよね? 灯様」
ボレが灯に尋ねると、灯は小さく笑って頷く。
「ええ。三人とも、こっちに来て」
「はい」
灯の言葉に、中村たちは戸惑いながらも、灯の下に行く。ボレもすぐに灯の下につく。
「ここまでとは、どういう意味かな?」
「言葉の意味よ。私たちは退かせてもらうわ」
突然の灯の言葉に、美夢と茂豊は戸惑いを隠せないといった表情をする。
「どういうことだ?」
「私たちの役目は大量の悪霊を出現させて、祓い師たちを疲弊させることと、屋敷武。あなたの力を見ることにあったのよ」
「なに?」
茂豊が武の顔を見る。武はなんのことか分からないといった顔になる。そんな武の近くに、灯は猛スピードで接近し、武の顎を右手で上げる。
「もちろん、あなたの力を見る云々は、あなたが現れてから追加されたものだけどね。でも、『彼ら』は相当あなたを気に入ってるみたいよ。せいぜい気をつけておいた方がいいわ」
そう言って、灯は武の額にそっと口づける。
「なっ…… !」
「何してるのよ!」
茂豊は驚愕し、美夢は慌てた顔で抗議するものの、灯は全く動じることなく唇に手を当てながら言う。
「ふふっ。これでも、私も結構あなたのこと気に入ってるのよ。忠告はできるだけ聞いておいてくれるとありがたいわ」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、灯は離れていく。その際、額にキスをした時に狼狽した美夢に、してやったりといった表情を見せる。
「貴様…… !」
「灯様から……」
「黄、咲原」
「うっ……」
黄と咲原がキスをされた武に殴りかかろうとするが、灯の一言で押し黙る。代わりに、ボレが口を開く。
「一応、自己紹介をしておいてやろう。俺はヴィック・ルース。仲間からはボレと呼ばれている。次に俺と会うまでに、せめて祓己術ぐらいはマスターしておけ。次は容赦しない」
「……」
武には口を開く気力もなかった。ボレに完膚なきまでに叩きのめされ、敵の大将である灯からはなぜかキスされ、もう頭が追いついていなかった。
「そういうわけだから、私たちは退かせてもらうわ。次は…… 全力でやりましょう?」
最後の一言と同時に、灯から凄まじい呪力が放出される。美夢たちはとっさに身構える。ただ空我だけは余裕の笑みを崩さないまま、灯たちを見ていた。灯はチラリと武を一瞥する。しかし、それ以上何も言うこともなく、五人はその場から姿を消した。
○○○○○
五人が姿を消してすぐに、武はその場で崩れ落ちた。
「武!」
美夢が慌てて武を抱き上げる。武は疲労困憊といった様子で、全身に恐ろしい量の汗が浮かんでいた。
「四回目で初めて上級とやり合ったんだ。相当疲れが溜まっていたんだな」
「ぱっと見、命に別状はなさそうですね」
「そうみたいだね」
空我は美夢に抱き上げられている武の頭を優しく撫でてやる。茂豊は釈然としないといった様子で、空我に尋ねる。
「しかし、あの最上級悪霊、最後に彼らって言ってましたけど、やはりあれは、奴らを統率している者たちのことを指しているんでしょうか?」
「おそらくはね。そして、そいつらの正体は、おそらくお前の考えている通りだ」
茂豊の頭には二人の人物が思い浮かぶ。しかし、すぐにその人物たちの可能性を消す。
「確かに一瞬考えましたけど、ありえないでしょう。だって、奴らはもう……」
「どうして決めつけられる? あいつらは常軌を逸した存在だ。何があろうと不思議じゃない。そもそも、悪霊が今なお存在していることこそ、その証じゃないのか?」
「それは……」
茂豊は言葉に詰まる。そんな茂豊を見て、空我はくっくっと喉を鳴らして笑う。
「いずれにしても、この先ろくなことにはならないのは確かだろう。少なくとも、もう、そう遠くない。だからこそ、急がないといけない」
空我は疲れ果てて眠ってしまっている武の顔を見る。
「とりあえず、できるだけ早く武に祓己術を覚えさせないとね」
空我がそう言うと、美夢はどこか悲しげな顔をしていた。
この五分後に武は目を覚ます。そして、美夢は武が目を覚ましたのを見て、瞳に涙を浮かべて、強く抱きしめ苦しむ羽目になるということが待ち受けていることをこの時の武はまだ知らない。
そして、この戦いがこの後に続く戦いへの序章にすぎないということもまたしかりだ。この時の武は本当に何も知らなかった。




