襲撃
空我たちは細心の注意を払いながら、大理石の道を進んでいた。しかし、あからさまな罠のせいで周囲を注視するわけにもいかず、聴覚や嗅覚、触覚を最大限に活用して、警戒せざるを得なかった。
「このロウソクがうっとうしいですね。おかげで、視覚での警戒がまともにできない」
「それが目的なんでしょ。じゃなきゃ、こんなロウソクを使った催眠術なんて普通やらないわ」
茂豊のぼやきに美夢がうんざりとした顔で言葉を返す。人は視覚に八割近くを頼っているとされている。その視覚を潰されるというのは地味にいやらしい手だった。
「このロウソクもただのロウソクじゃないみたいだな。呪力が練り込まれてる。何か仕掛けがあるんだろうな」
「おい、お前は馬鹿なのか? うかつにそれを凝視するべきではない。だから、そうやって身に迫ってる危険を見逃すんだ」
「!」
茂豊は迂闊にもロウソクをじっと見る武を窘め、警戒を促す。ふと見ると、武の右側から、黒い呪力を纏った一人の老婆がその鋭利な爪で襲いかかってきていた。武はその老婆の爪の一撃をかわし、即座に呪符を取り出し、左手に呪力を纏わせる。老婆はさらに襲いかかってくるが、左ストレートで迎撃し、爪ごと老婆の頭部を消滅させ、悪霊を祓う。体勢を立て直すと、他の三人が立ち止まっていた。三人の前を見ると、さらに十人ほどの人がいた。見た目は普通の翁と老婆だったが、体の周囲には先ほどの老婆同様黒い呪力が纏わりついていた。おそらくは一条村の村人なのだろうが、一目見て悪霊に乗っ取られていると分かる状態だった。
「あれは、悪霊か?」
「それもあからさまな雑魚だね。一応中級みたいだけど、その中でもいいとこ中の下ってところかな。倒すのにはそう時間はかからないだろうけど……」
「おそらく、奴らの後ろには最上級が控えているでしょうね。こいつらをぶつけて、こっちの力を見るのが目的ってところじゃないですか?」
茂豊はそう言いながら、懐から呪符を取り出す。美夢も呪符を取り出して、呪力を込める。すると、右手に薙刀が現れる。
「美夢様は手を出さなくても大丈夫ですよ。私一人で十分です」
「そう? それなら、お願いね」
「はい。お前も手を出すなよ。下手に手の内を晒すのは愚策だ」
茂豊は呪符を取り出し応戦しようとしていた武を牽制すると、右手で呪符を悪霊たちに突き出し、呪力を込める。茂豊の体から紫の呪力が放出され、地面へと集まっていく。
「悪霊どもよ、土の養分になれ…… !」
凄絶な笑みで茂豊がそう呟くと同時に、地面から小石が浮き上がり、悪霊たちに向かって飛んでいく。そのスピードはかなり速く、悪霊たちは反応できずに小石に撃ち抜かれ祓われた。
「あれは……」
「勝は土や石といったものを武器に戦うんだ。アレがあいつの『祓己術』だよ」
「祓己術……」
最初のころに権藤が言っていたことを思い出す。権藤は祓い師の中には固有の祓術を扱える者もいると聞いた。呪力は個人差が激しい。たとえ血のつながっている家族でも、各々が全く違う性質の呪力を持っているというのは珍しくない。むしろ、そちらの方が多数派だ。しかし、己の呪力による独自の術を扱うには相当な実力と修練を要する。つまり、茂豊はかなりの実力者ということだ。この任務に選ばれたのは伊達ではない。
武は一応は一人前の祓い師として活動しているが、祓己術は未だに持っていない。持っているのは、基本的なものばかりだ。やはり、祓術は奥が深いと改めて思い知らされる。
「ほぅ……。なかなかやるな」
茂豊が悪霊たちを祓った直後に、向こう側から四人の男が歩いてくる。明らかに、先ほどの十人とは格が違う。その中の一人は見覚えがある顔だった。
「並の祓い師ならば、それなりに手こずるはずだが、たった一人で、しかも準備運動感覚で倒すとは、相当な実力者のようだ。他の三人も呪力を見る限り、申し分ない実力を持っていると見受ける」
武たちに道を教えた翁――中村が素直にそう賞賛する。武たちはすっと目を細める。
「やっぱりそっち側の人間だったか。さっきの道案内は、僕たちをここに誘い込むためのフェイクだったってわけだ」
「嘘ではない。事実、祠はあっただろう? ただ、お前さんたちが祓い師であると気付いていたことを言わなかっただけだよ」
中村はいけしゃあしゃあとそんなことを言う。空我が言いたいことはそういうことではないと分かっていながら、平然ととぼける中村に武は内心いらつきを覚える。
だが、余計な気負いは無駄な力を体に入れるだけだと、一度意識して呼吸することで、頭を冷やす。今自分たちの目の前にいる者たちは、今まで自分が祓ってきた悪霊とはモノが違う。ほんの少しの隙が命取りになる。
「君たちも気付いているとは思うが、我々は上級だ。おそらくは君らの標的ではない。だが、ここで我々に負けるようでは、最上級悪霊でいらっしゃる灯様とは到底渡り合えないぞ。もっとも、ここで負けたら、君らも我々の餌になるだけだがね」
中村たち四人はぎぃっと笑う。各々刀や斧、槍、拳といった武器を構える。武たちも臨戦態勢に入る。
「じゃあ、行こうか」
中村の言葉と同時に、八人全員が猛スピードで接近していく。八人の群れはやがて四つに分かれ、それぞれが激しく衝突する。
一番最初にぶつかったのは、長物を持つ二人だった。
「人間の女のわりには、やるじゃないか」
「なめてかかってると、痛い目見るよ」
咲原と美夢が槍と薙刀をものすごいスピードで打ち合う。突き、払い、斬り。その全てが洗練された無駄のない動きで美夢の細腕から繰り出される。咲原はその全てを槍で受け止めていき、反撃の斬撃を美夢へと見舞う。美夢がその斬撃を薙刀で受け止めようとするのを見るやいなや、槍を放し、左手での拳打で美夢の顔を狙う。美夢は最低限の動きでかわし、逆に顎を右のアッパーで狙う。咲原は余裕の態度でそれをかわすと、一度距離を取って仕切り直す。
その横では黄が斧を茂豊に向けて振りかぶる。茂豊は地面から土を取り出して、棒状に固め、振り落とされた斧を受け止める。
「こいつを受け止めるとは、大した硬さだ」
「ふん」
二人はしばらくの間膠着するが、茂豊が空いた腹に蹴りを放ち、黄がそれを左手で受け止めたことで、均衡が崩れる。茂豊は斧を上に弾き、右手の筋力を集約させた突きを黄に放つ。黄は足を掴んでいた手を離し、距離を取る。二人は斧と棒を構え、互いに相手の動きを様子見する。
一方、武はボレと戦っていた。拳と拳の戦い。激しい拳打の応酬ではあったが、お互いにまともに一撃を食らわせることができずにいた。互いに強力な右ストレートを相手めがけて打つ。互いの拳がぶつかり合い、お互いに吹き飛ばされる。ともに洞窟の壁を使って、体勢を立て直す。
「はぁ…… はぁ……」
「…… こんなものなのか?」
一見すると互角の戦い。しかし、武の方が一方的に消耗していた。武自身は自信の持てる力全てを拳に集めて必死に戦っていたが、ボレには明らかに余力があった。今までの相手とは格が違う。武は身にしみてそれを理解していた。
(まだ三回の任務しか行っていないとはいえ、俺はかなりの数の中級を狩ったはずだ。そいつらの力は雑魚そのものだった。だが、こいつはどうだ? こいつは上級。中級とはたった一つしか階級しか違わないはず。なのに、ここまで力の差が大きいのか!?)
武は冷や汗をかいて、目の前のボレを見る。ミディアムの金髪に吸い込まれそうなダークシルバーの瞳。整った顔立ちの下にある肉体はほどほどに鍛えてあるように見えるとはいえ、とてもここまでの身体能力があるようには見えなかった。ならば、なぜこれほどまでに強いのか。その答えは武には一つしか想像がつかなかった。呪力による身体能力の強化。それが、今までの悪霊とは一線を画している。一切気は抜けない。だが、この戦いで武はさらなる進化があると確信し、拳を固く握り、ボレへと突っ込んでいった。
他の三人の戦況を見ながら、空我は中村と睨み合っていた。
「どうやら、そっちは一騎打ちでケリをつけるつもりみたいだね」
「ああ。我々の目的は君たちの力を測ることだからね。そのためには、まずは個々の力を測った方がいいだろう? もっとも、君たち祓い師が集団戦を行うところなど想像もつかないがね」
「そんなことはないさ。仲のいい奴らは組むこともある。個人技重視なのは否定しないけどね!」
空我は呪符を取り出し、右手に紫色の呪力を纏う。
「まずは『斬』か。そんな基本術が私に通用すると思うのかね?」
斬は呪力を斬撃に変換し、相手を斬る技だ。武が祓術の中で初めて使った術でもある。
「さあね。やってみなきゃ分かんないでしょ」
空我はゆっくりと右手を左側の腰のあたりに構える。例えるならば、抜刀術の構えだ。その構えのまま超高速の手刀を繰り出す。中村は屈んでそれをかわす。空我は蹴りで追撃するが、中村は右手でいなし、左足で蹴り返す。空我は右手でそれを受け止める。中村は左足を蹴り上げた体勢のまま、右手で刀を振り下ろす。空我は中村の左足を横に押す反動で、左に飛んでかわす。互いに数歩下がって体勢を立て直す。
武とボレ以外の三組は完全に互角の戦いだった。
「ふむ。なかなか素晴らしい」
「ここに来ただけあって、なかなかの精鋭揃いのようだ。様子見程度の動きでもかなりの強さを持っている。ボレとやり合ってるその少年も他の三人に比べるとやや劣るようだが、並の祓い師は軽く凌駕している。これならば、灯様も失望することはないだろう」
中村は口元に笑みを浮かべながら、刀を納める。他の三人も戦闘態勢を解く。
「どういうつもり?」
「何。灯様が直々にいらっしゃっただけの話だ」
中村はそう言うと、突然背中を見せ、跪く。他の三人も中村の近くへと移動すると、同様に跪く。彼らの先から、一人の女性が歩いてくるのが見える。ロングスカートに深いスリットが入り、白い両肩を晒し、胸元が大きく開いた淡いベージュのドレスを着た女性。艶やかな長い黒髪と切れ中の赤い目を持ち、真紅の口紅が塗られた唇は女性の美貌を強調していた。そして、何より跪いている四人とは比べものにならないほどの圧倒的な呪力。今まで、最上級はおろか上級すら見たことがなかった武でも一目見ただけで分かる。この女性が今回の任務の標的である最上級悪霊なのだと。
「彼らと渡り合えるなんて凄いのね。あなたたち。さすがにここまで来ただけのことはあるわ。普通の祓い師や滅兵ならこの四人の前に立っていることすらできないもの」
灯は濃艶な所作で四人の下に近付いていく。四人はそれぞれ祓術を発動し、臨戦態勢をとる。
「ふふっ。そう怖がらなくていいわ。じっくり可愛がってあげる」
灯はそう言って、武たちの方に左手を伸ばしてくる。この先何が起こるのかは分からない。ただ一つだけ分かるのは、武たちと最上級悪霊の戦いが始まったということだけだ。




