いざこざと任務開始
最上級悪霊がいるとされている場所は屋敷から四十分ほど走ったところにある村だった。傍目には空気が綺麗で、西以外の周囲を山に囲まれたのどかな村といった感じだったが、明らかに、おぞましい呪力が村を支配している。
村全体を遠目から見ることができる村の西の方向にあるテレビ塔の展望台から、空我たちはその村を見ていた。
「あれが、元凶が潜伏しているとされている『一条村』だ」
「そうか」
武は生返事を返しながらも、村をじっと見る。これから、あの場所に戦いに行くのだと、自分を奮い立たせる。
「気合いを入れるのはいいけど、あまり張り切りすぎるなよ。気付かれるから。もっとも、向こうも警戒しているだろうから、一キロ足らずしか離れてないここじゃあ、普通にバレてるんだろうけどね」
空我は肩をすくめて、そんなことを言う。後ろを振り返ると、美夢が目を閉じ、集中していた。
「まぁ、あんな感じでとりあえず、静かに集中しているのが一番だよ」
「なるほどな」
武は空我の忠告を受け、美夢と同じようにする。空我は、懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する。
「さて、そろそろ来るはずなんだけど……。あ、来た」
空我がそう言うと同時に、武は目を開く。空我が手すりから身を乗り出して、下を覗いているので、武も同じ方向を見てみると、武や美夢と同じ格好をした茶髪の男が、走ってこちらに向かっていた。男は塔の前で立ち止まり、塔の最上階に空我と武がいることを確認すると、手近な木へと飛び、枝を踏み台にして、塔の展望台まで跳躍してきた。
「遅くなりました。空我様」
「いや、気にしなくていいよ。僕たちも今ここに来たところだから」
男は、そのまま空我と武の間を通り過ぎ、美夢の前にやってくる。
「お待たせしました。美夢様」
「うん。お疲れ様。あ、あっちに今日私たちと任務をともにする人がいるから、挨拶しておいてね」
「…… はい」
男はそう言って武の方を向く。その顔には強い敵意が見受けられる。武には、なぜ男がそんな顔をしているのか容易に想像がついた。
「…… 茂豊勝だ」
茂豊はそう言って、値踏みするように武を見てくる。この感覚は綺蘭々の時も感じたな、などと呑気なことを考えていると、茂豊はこちらに指を指してくる。
「言っておくが、俺はお前を認めていない。正規の訓練も受けずに、空我様のご贔屓だけで、祓い師を名乗るような奴など、俺は認めない!」
茂豊の言葉にやはりなと武は思う。茂豊の言うことはもっともだということも分かる。突然現れた奴が、自分たちが苦しんで、ようやくなることができた祓い師にあっさりなって歓迎できる者などそうはいない。休暇をもらう前に空我が暗にほのめかしていたことだ。
「勝。言いたいことは分かるけど、これから重大な任務なんだ。妙な溝を作るのは極力控えてほしいんだけど……」
茂豊は空我をきっと睨む。唇を噛み、勢いのままに言葉を紡ぐ。
「大体、空我様もなぜこのような男を贔屓するのです!? 確かに、彼は今までの任務ではそれなりに活躍していたようだ。それは認めます。しかし、失礼を承知で言わせてもらえば、下級中級をたかだか百匹祓った程度で、最上級がいる可能性のあるSランク相当の討伐任務をあてがうなど正気の沙汰とは思えない!」
激情に身を委ねて、そんなことを言う茂豊に、空我は薄い笑みを浮かべたまま口を開く。
「確かに君の言うことは正論だ。普通なら、まだ大した実績を積んでいない奴にこんな大役は任せないだろう。でもね。僕が今回彼をこの任務に抜擢したことには理由があるんだ」
「理由?」
怪訝そうな顔で茂豊がオウム返しをする。その瞳には隠す気のない疑いの色が浮かんでいる。
「そうだ。まぁ、この任務をやってみれば分かるよ。僕にだって、ちゃんと考えはあるさ」
「しかし……」
「ここは僕を信じてよ。大丈夫。必ず、うまくいくさ」
空我は笑いながら、茂豊の肩に手を置く。茂豊はしばらく逡巡するが、やがて諦めたかのようなため息をつく。
「分かりました。ここは、空我様の顔を立てます。しかし、不測の事態で彼があの世行きになっても、私は知りませんからね」
「うん。ありがとう」
しぶしぶといった様子で茂豊が折れる。武は休暇の間に、もう少し動いておくべきだったかと後悔する。違和感に苦しめられていたとはいえ、休暇の間に新たに接触できたのは咲恵と綺蘭々のみだ。その二人はかなり武に友好的だった。敵意や警戒心を抱いている人間にも接触しなくては意味がなかった。数回接触した程度では大した成果は得られないだろうが、いくらかは違ったはずだ。どういう風に思われるのか直に分かる分、接触しないよりはマシだったはず。しかし、過ぎたことはもうどうしようもない。
「ちょっと、バタバタしちゃったけど、この四人でこの一件の元凶を始末する。当然死ぬ可能性は高い。だけど、ここでそいつを始末しなければ、祓い師たちに未来はない」
連日の大量の悪霊出現のせいで、祓い師たちは疲弊している。その大元を潰さなければ、いつか致命的な事態になる。それだけは、なんとしてでも避けなくてはならない。
「さあ、行くよ」
「はい」
「うん」
「ああ」
空我の声に、茂豊、美夢、武がそれぞれ応える。彼らの顔には一瞬の緩みも見られない。茂豊も、もう武に敵愾心を向けてくる素振りは見せない。強敵を前に余計なことに意識を割くなど、愚の骨頂だと分かっているからだ。
四人は、塔内部へと戻り、ゆっくりと階段を下りていく。武は改めて気を引き締め直した。
○○○○○
階段を三分の二ほど下りたところで、空我は途中の階の廊下に入っていく。美夢と茂豊もその後に続いたので、不思議に思いながらも、武も後に続く。
しばらく歩くと、ショルダーバッグのようなものが置かれており、空我はその前で立ち止まる。
「この中に着替えが入ってる。皆には、これに着替えてもらうよ」
空我はそう言って、ショルダーバッグのチャックを開ける。中には、四人分の私服が入っていた。
「…… これは」
「時間がなかったから、詳しいことを説明しそびれちゃったけど、今回は一般人に扮して、村に入る」
「どういうことだ?」
空我の意図が読めずに、思わずそんなことを聞いてしまう。この場所に来た時点で、敵には気付かれている。そう言ったのは、他でもない空我だ。なのに、なぜわざわざ一般人に化ける必要があるのか。それに、今、四人がしている格好でも十分一般人に紛れることは可能なはずだ。
そう考えての質問だったが、茂豊が呆れたようなため息をついて、その疑問に答える。
「さすが、いろいろすっ飛ばしただけあって、そんなことも知らないんだな。いいか? 一条村は祓い師に敵意を持っている馬鹿が多いことで有名な場所なんだ。場合によっては、滅兵もよく思っていない奴もいる。奴らは祓い師も滅兵も熱狂的なファンなんじゃねえのかってレベルで知ってやがるからな。さすがに、有名どころ以外の祓い師までは知らねえらしいが。そんな中に、こんないかにも城神家の祓い師ですって格好で行ったら、面倒なことになるのは火を見るより明らかだ。最上級だけじゃなく、上級もうようよいる可能性がある場所で、そんなもんに付き合ってたら命がいくつあっても足りねえよ」
やや高圧的な言い方だったが、おかげで、なぜ私服に着替える必要があるのかは理解できた。権藤からは祓術の基礎くらいしか教わっておらず、それ以降は周りが忙しかったために、独学で修練を積んでいただけあって、やはり、まだまだ知らないことは多い。そして、同時に祓い師を嫌う者も存在するのだなと思う。当然と言えば当然だろうなとは武も思うが。
「そういうこと。相手が相手だからね。下手に派手な行動はとれない。できれば、こっそりと元凶を始末したい。できなくても、最悪村人たちにだけは気付かれたくない。だから、形式上になるけど、今回は隠密行動を取ってもらう。さあ、皆、服を取って。サイズはぴったりになるようにしてあるから」
そう言って、空我はバッグの中から取りだした服を、他の三人に渡していく。
「僕たちはここで着替えるから、美夢はそこの個室みたいなところに入って着替えてきて。できるだけ、早くね」
「はいはい」
美夢は水色の長袖のワンピースとレギンスを持って、横にある部屋の中へと入り、扉のノブに手をかける。
「覗かないでね」
「誰が覗くんだ?」
扉を閉める前に美夢が言った台詞に、武は素で分らないと言った様子で言葉を返す。美夢はクスクス笑いながら、扉を閉める。
「何だ? いったい……」
武は疑問に思いながらも、空我に渡された服に着替えようと、上着を脱ごうとする。そこで、チラリと茂豊の方を見ると、不機嫌そうな顔で武を睨みつけていた。先ほどまでとは違う感じの睨みに、武は首を傾げる。
「どうした?」
「…… お前は、どこまでいっても無知なんだな」
「何だ? いきなり」
「気付いていないのならばいい」
「はぁ?」
理解のできないことを言う茂豊に怪訝そうな顔をするが、空我が美夢のようにクスクスと笑っている姿を見て、眉をひそめる。
「何がおかしい?」
「いや、別に。君もなかなか素質があるんだなって思っただけだよ。さ、早く着替えないと、美夢が出てきちゃうよ」
「ああ」
納得のいかないといった様子で武は着替えはじめる。三人ともすぐに着替え終える。空我は英字の書かれた薄緑のシャツに白いチノパン。茂豊は白のポロシャツに灰色のジャケットを会わせ、下は緑のカーゴパンツ。武は黒のパーカーにジーンズといった姿だった。しばらくすると、青いワンピースを着た美夢が出てくる。
「とりあえず、着替えはここに置いておいていいからね」
空我たちはそれぞれの装束を畳んで、廊下に備えつけられていた机の上に置く。そして、四人は今度こそ一条村へと歩き出す。一つ気になったことがある武は階段を下りる途中で、空我に尋ねることにする。
「一つだけ聞いていいか?」
「何?」
「どうして、あらかじめ私服に着替えておかなかったんだ?」
「そりゃあ、さっきまで、僕ら三人とも任務があったからだよ」
「は?」
あっけらかんと言う空我に、武は呆気にとられてしまう。要は連戦で、これから敵のボス級と戦おうと言っているのだ。当然のことだった。
「最上級がいるにせよ、いないにせよ、できるだけ早いうちにここに来て、状況を把握しておきたかったからね。そのまま来ざるを得なかったんだ。本当は、迎えに行った時点で武にも着替えなくていいと言おうと思ったんだけどね。でも、もうすでに着替えちゃってたから、仕方ないから、武にもあの格好のまま来てもらったってわけさ」
つまり、朝食の後、手早く着替えたのは、完全な無駄骨だったというわけだ。思わずため息がこぼれるが、自分の責任だとそれ以上言うことはなかった。
「遅くなった僕が言うのもアレだけど、気落ちしてないで、しっかりスイッチを入れておいてよ。ここからは、本当にどうなるか分からないからさ」
空我の言葉に、武は真剣な顔つきになる。他の二人も同様だ。これから、たった四人での最上級悪霊との戦いが始まろうとしていた。




