終いの会話10
第十章最終話です
僕が退場し、物語はいよいよフィナーレに入ろうとしていた。
武にはあえてこの後どうすればいいかを教えなかった。いや、教える必要がなかった。この後どうするかを決めるのは武自身だ。それに指示したところで武が素直に従うとは思えない。
何せ、前世の最後でもあんなことをしでかしたんだ。武は僕ではコントロールできない。それなら、放置した方が得策だ。
要はこの一連の出来事の本質さえ分かっていればいいんだ。全ての記憶を取り戻している武は当然それを分かっており、僕との戦いから一晩明けるとすぐに向かうべき場所へとゆっくり歩いていた。
その場所とは全ての始まりにして、全ての終わりの場所でもある明神神社だ。ここで全ての決着がつく。というより、ここ以外で決着をつけることができない。
鳥居を潜り抜けて、階段を悠然と上がっていく。そして、階段を上がりきったところで武は肩をすくめる。
「おいおい。お出迎えもなしかよ」
何の変哲もない普段通りの姿を見て、武は独りごちる。別に派手な歓迎を期待していたわけではないが、これからこれ以上ないほど重要なことをやるというのに、何もなしというのはさすがに寂しいものがある。
「まあいいか。とりあえず、あいつを探さないとな」
武は割り切って、さっそく仕事に取りかかる。彼が最初にやったのはクルイこと美夢の捜索だ。だが、それは当人の思惑とは裏腹にあっさりと達成された。
武がその場から一歩踏み出そうとした瞬間に彼の正面に紫色の眩い光が出現したからだ。
「何やってんだよ」
武は呆れ顔でその光に話しかける。光はすぐに収束し、中から美夢が現れる。
「別に。ただあんたの前に現れただけだけど?」
「いや、そういうことを聞いてんじゃねえよ」
武としてはなぜ姿を隠していたのかを聞きたかったのだが、すぐに無駄だと悟る。それにそんなことはどうでもよかった。
武はすぐに意識を違うことに割く。
「どうでもいいが、見届け人とやらはどこだ? 案内人の奴はさっきの仁との戦いでいつの間にか消えた。最後の儀式とやらをやるには見届け人ってのが要るんだろ?」
武は言いながら、案内人のことを思い出す。最初こそ信用ならないと袖にしていたが、記憶を取り戻してからは彼にだいぶ助けられた。前の世界から変わらない献身に感謝しながらも、武はこれからのことを考え、彼のことを頭の中から消す。
そんな武を半眼で見つめながら、美夢は言う。
「心配要らない。正式な見届け人はもうそこに来てる」
そこで二つの足音が聞こえてくる。そちらに目を向けると剣也と茂豊がいた。
武は見届け人の正体を悟ると苦笑する。
「あんたらが見届け人か?」
「そうだ。何か不満か?」
武の問いかけに茂豊が答える。その答えに武は目を閉じ、首を横に振る。
「まさか。仁が抜けた以上、もはやあんた以外にその役目を務められる奴はいねえだろ」
「そうか」
あえて『あんた』の言葉には何も言わない。彼の役目は見届け人。言うなれば、事の行き先を見守る傍観こそが彼の責務だ。無駄口を叩いて、その責務を蔑ろにするような真似はしない。
ゆえに彼はそれ以上何も言うことはなかった。とてつもない重荷を背負わされてなお、彼は何も言わなかった。
その精神力は昔から素直に尊敬していた。だけど、残念ながらどれほど優れた精神力を持っていても事が運びやすくなる以外の意味をこの場には、もたらせない。だが、それもいまさらな話だ。
「それなら、さっさと始めちまっていいんだよな? 美夢」
「うん」
美夢の同意を得るとすぐに武は彼女に突進する。あまりの勢いに咄嗟にかわしてしまいそうになりそうだが、美夢は一切動かない。武は抵抗の意志を見せない美夢の両肩に自身の両手を置く。美夢はそれを確認すると瞑目する。
いよいよ僕の悲願が達成されようとしている。武は目を閉じると、静かに口を開く。
「儀式…… スタートだ。目を覚ませ! ジェンマ!」
武の声に呼応して二人の体が銀色に光り輝く。剣也と茂豊はあまりの眩しさに両腕で目を覆う。ようやく始まった。
周囲の状況などお構いなしに儀式は進んでいく。あまりの光度に目など開けていられない。二人の体が光っているように見えるが、実体はその周囲に凄まじい質量の呪力が纏われ、その呪力が光っているだけにすぎない。その色は目まぐるしく変わっていく。
銀。金。白。黒。
不規則に色が変わっていくその光景は人によっては神々しいものに見えるだろう。しかし、その場にいる人間でその光景を奉ろうと思う者は一人もいなかった。
「掴みはうまくいったな。次の段階に移るぜ」
武は美夢の反応を待たずに第二段階に移っていく。続いて武は両手を美夢の両頬に移動させる。互いに目を閉じていることもあり、一件接吻でもしそうな体勢だが武の狙いはそれではない。
武は最大限にまで集中すると自身の白い呪力を美夢の体に注ぎ込んでいく。
この儀式は超越者と見届け人を複数人必要とする。そして、儀式は四段階に分けられている。一段階目で生贄たる超越者二人の呪力を微調整しながら波長を合わせていき、二段階目で両者の呪力を注入し同化・融合させていく。
ここまでは順調だ。練習なしとは思えないほどうまくいっている。
けれど、本番はここからだ。この先こそが儀式の中でも最重要な手順。ここで失敗すれば、今までの苦労が水の泡となってしまう。
この三段階目で見届け人である剣也と茂豊の出番がある。この儀式の――この世界の全てともいえる三段階目。
完全に融合した二人の超越者の呪力によりさらなる次元の呪力が発生する。それは前世で人の積み上げてきた怨念、呪縛が解き放たれるのと同義だ。当然、超越者二人といえどもその全てをその身に留めておくことは困難だ。そこで見届け人がその身を賭してそれらの呪力を押さえ込む。当然、それをやった見届け人は無事ですまないどころか最悪即死するだろう。
それに加えてさらなるリスクがこの儀式を行う者たち全員に降りかかる。それが一点に集約された呪力の暴走だ。超越者も見届け人もこの儀式を行う以上は人の枠から外れた人外たちばかりだが、そんなことになれば死は免れない。儀式が失敗した挙句にこの世界が崩壊し、本当の本当に全てが終焉を迎えることになる。
まぁ、いっそのことそれも悪くないような気もしてくるが、そういうわけにはいかない。
いまさら、こんな腐りきった世界や有象無象がどうなろうが知ったことではないが、僕には守らなくてはならない誓いがある。その誓いを果たすためにもこの儀式は絶対に成功させなくてはならない。
もっとも、この儀式が完全にうまくいくとも思っていないのも事実ではあるが。
そこで武と美夢の呪力が完全に融合される。須臾、世界を覆い尽くしかねないほどのとてつもない呪力が解き放たれる。見届け人はすぐさまその呪力を身を挺して抑え、一瞬で漏れでた呪力が収束する。
剣也と茂豊の動き出しは早かった。いや、むしろ手遅れだったと言うべきかも知れない。何せ、生み出た呪力が一瞬でも外に出てしまった時点で出遅れてているのと同然だったんだから。
さすがに超絶した精神力を持つといえども心のどこかで恐怖心があったんだ。その恐怖心が反応を鈍らせた。だけど、それを責めるつもりはない。この程度はミスの内にも入らない。
多少理想ルートから外れてはいるが何も問題はない。これならば、この後にも耐えられるだろう。
「くっ!」
「これは……」
茂豊と武は歯噛みする。剣也と美夢の顔色も変わる。収束していた呪力が四人の体に浸透していく。同時に凄まじい怨嗟が四人を襲う。
絶対あの人を私のものにしてやる!
助けて!
どうして、俺を認めねえんだよ!
何で、あいつばっかり…… !
どいつもこいつも消えてしまえ!
凄まじい衝撃だ。有象無象たちが持つ救いようのない欲望、願望、失望、絶望。見るに堪えない願望全てがそれに凝縮されていた。けれど、この程度でどうにかなるほど彼らはやわではなかった。
「くだらねえ!」
武は呆れながら、白い呪力を放ちそれらの声を消し去る。同時に他の者たちもそれらから解放される。
有象無象の恨み言など聞くに堪えない。そして、一匹一匹が生きる価値もない生ゴミだ。彼らの声を受け入れる義理など彼らにはない。
そして、同時に侮ることもできない。一匹一匹が何の力も持たない生ゴミだとしても膨大に積み重なれば話が変わってくる。塵も積もれば山となる。これが原因で僕らはずっと苦しんできたのだ。何しろ、それこそが世界崩壊の原因なのだから。
人々の救いようのない願いや負の心。端的に言ってしまえば、それらが呪力の正体だ。人々の意志の力などとよさげに言ってはみたが、実際のところはそんなお綺麗なものではない。
人は弱い。一人一人はあらゆる事象でたやすく傷つき死ぬだけの弱い種族でしかない。ライオンや虎などの猛獣に襲われればひとたまりもない。そんな彼らが前世でもこの世界でも常にヒエラルキーの上位にいられたのは、多少知能が高かったがゆえに数という理不尽な力を知っていたからだ。けれど、同時に愚かでもあった。
人は自分のことしか考えることのできない生き物だ。同時に強欲な生き物でもある。そんな彼らが群れればどうなるかなど分かりきっている。
表面上は互いに尊敬し、共に力を合わせて皆のために生きる素晴らしい関係を築けているように見える。だが、実のところ互いに軽蔑し、相手を利用して自分のためだけに生きる反吐のでる関係でしかない。
もちろん、前者のような関係が前世でもまるでなかったとは言わないが、残念ながら大半が後者だった。それゆえに、上っ面でしかない薄っぺらい人間関係が前世には満ちあふれていた。
さらに一人一人が形が似ているだけで本質的にはまるで違うという事実もそれに拍車をかけていた。たとえ、同じ遺伝子を持っていたとしても環境が少し違うだけで人はたやすく変わってしまう。そんな不確かで脆い存在のくせに欲の皮だけは突っ張ってる連中が集まればどうなるか。
確かに知能があったおかげで、晩年は皆が皆表立って揉めることもそうそうなく、共食いが起きることもなかった。けれど、胸の内に隠した本心は確実にこの世界を蝕んでいった。
みんな違って、みんないい、なんて戯言だ。人は少し違うだけでもたやすく攻撃対象にしてしまう。前世の歴史をひもといていけば、人種も思想も宗教も、ちょっと違うだけで平気で戦争を引き起こしてきた。それに加えて、人間特有の欲深さが重なれば手に負えない。
そして、それらが積み重なった結果世界は耐えきれなくなってしまった。たかだか人間の邪念ごときでと思うかもしれないが、途方もない年月を積み重ねていけば話が変わってくる。その力は物理法則すら無視して世界を滅ぼさんと動き出しつつあった。その警告として出現したのがジェンマだ。けれど、反省の言葉を知らない人々は欲望丸出しでそれに群がった。そこにセメゾの強欲が止めとなり、結果、世界が崩壊した。
だから、もはや人間に何も期待していないし、思うところもない。あんなゴミどものために彼らが身を削って世界を救うなど絶対にありえない。僕のように鬱屈した憎悪を持っているとは言わないが、人間をよく思っていないのは確実なんだから。
そこで待ちわびていた変化が訪れる。四人の体を巡っていた呪力が何の前触れもなく武に収束しはじめたのだ。
「これは……」
茂豊が呟くと同時に見届け人にかかっていた負荷がなくなり、その重責から解放される。見届け人はここでお役御免だ。後は文字通り、この先起こることを見届けていればいい。
大変なのは武と美夢だ。再び二人に夥しい量の呪力が流れ込んでいく。だけど、今度は何もしなくていい。さっきの時点でもう屈服は終わっているんだから。
第二段階で呪力を融合させることで解き放たれる呪力は前世を破滅させた生ゴミどもの醜い欲望がつまったものだ。そのまま放置すれば、前の世界の二の舞になってしまうために見届け人がそれを抑える手助けをする必要がある。その上でそれらを超越者が屈服・調伏させるのが第三段階。
そして、次こそが最終段階たる第四段階。これで全てが終わる。調伏した呪力を再び二人に集約させ、その上で美夢が人柱になる。その状態で武が選択することで初めて終わらせることができる。
結局世界が変わろうが結末は変わりはしない。その身を削り鍵を握るのは美夢。そして、重責を背負い選ぶのは武だ。僕がそれに関わることはない。それにどこかほっとしている自分に腹が立つ。
だけど、今はそんなことを言っている場合ではない。これで全てが決まる。思惑通り事が運べばいいけど、その結果は――。
…… 今から見てのお楽しみだ。
「汝、選択せよ。汝はどうしたい?」
人柱となったことで半ば意志を乗っ取られている美夢が定型句を口にする。それに対し、武は少しも迷うことなくその問いに返答し――。
結果、世界ごと全てが終わり、儀式は終了した――。
これにて、第十章は終わりです
そして、次回で最終話『エピローグ』です
残すところ、あと一話。最後まで気を引き締めていきたいと思います




