初出撃
装束を着てしばらく待っていると、廊下から二人の足音が聞こえてくる。時計を見ると、あと一分ほどで四時半になるといったところだった。
「やぁ、起きてる? 武」
襖の外から、どこか気の抜けた声が聞こえてくる。武はそれに小さくため息をつきつつも、言葉を返しながら、立ち上がり、襖へと近付いていく。
「起きている。準備もきちんとできている」
襖を開けると、空我と美夢がいた。二人とも祓い師の装束を着ていたものの、美夢は背中に身の丈ほどもある長物らしきものを黒い袋に入れて担いでいること以外は武と同じ格好をしていたのに対し、空我はその上に白い羽織を着用していた。その羽織には全くといっていいほど装飾が施されておらず、強いていうなら、襟に灰色のラインが一本入っているくらいだった。
「なんだ? その羽織」
「ああ。これ? これは、城神家の当主の証だよ」
空我の説明に、武は眉をひそめる。
「お前、確か最初の自己紹介で次期当主候補って言ってなかったか?」
「本当はそうなんだけどね。でも、父さんは今はもう前線には出ていないからね。だから、僕は現場における実質的な当主みたいな扱いを受けているんだよ」
その言葉につい先日、空我がかなり特別な扱いを受けていると言っていたことを思い出す。なかなか嫡男が生まれず、三人目にしてやっと生まれた男子だからこそ、早いうちにさまざまなことに慣れさせておこうという魂胆なのだろうかなどと考えていると、空我が武の額を小突いてくる。
「何をする!」
「また、何か考え事してるでしょ。思考は大事だけど、まずは、時と場合を考えようよ。今はそんなに時間をかけてられないんだからさ」
「ああ。すまん」
武は軽く頭を下げて謝ると、部屋の外に出て、襖を閉める。空我はそれを見て、美夢とともに玄関へ向けて歩き出す。空我もその後を追う。
「今回初めての任務なのに悪いけど、いきなり中級の悪霊を狩ってもらうよ」
「それは構わないが、普通は初任務っていうのはどういうものなんだ?」
口ぶりから、通常とは違うように聞こえたので、なんとなく聞いてみる。
「たいていはある程度の実力者が付き添って、下級の悪霊を狩ってもらうんだけどね。今はちょっとそれどころじゃないからさ」
「大丈夫なのか? それ……」
「大丈夫大丈夫。一応、今回の任務では中級より上の上級以上は出ないって話だから」
「へぇ……」
どこか確信めいた口ぶりに疑問を覚えるが、口には出さない。武としては、一刻も早く悪霊を狩りたいからだ。戦いに身を投じていけば、元の世界に戻れるかどうかはともかく、確実に記憶を取り戻すことができる。武の直感がそう告げていた。
「それで、現場にはどう向かうんだ? 車か?」
「そうしてもいいんだけどね。でも、武はもう祓い師を名乗っても問題のないレベルまで到達してるんでしょ?」
空我の言葉に、今まで黙っていた美夢が嫌そうな顔をする。
「走るの? 疲れるから、できれば車で行きたいんだけど……」
「わがまま言っちゃダメだよ。美夢。それに、いくら早朝で車通りが少なくても、いちいち車で行ってたらロスが大きいよ。ある程度熟練しているのなら、足を使った方が遥かに早い」
「うーん。仕方ないなー」
美夢はそう言って肩を落とす。武はそれに苦笑する。
祓い師は呪符を使い、さまざまな術を扱う。その中には、足の働きを強化して、スピードを大幅に上げる術が存在している。今回、彼らが使うのはそれだ。名を速といい、それを使うことで、目的地までの移動時間を大幅に短縮できる。
「二人とも速の準備をして」
空我の言葉を聞いて、二人は呪符を取り出す。二人の呪符が紫色に妖しく光り、その光が両足に纏わりつく。光は二人の両足に入りこみ、そのまま収束していく。空我も同時に同じ状態になる。
「行くよ」
空我はそう言って、ものすごいスピードで走り出す。二人もそれに追従する。そのスピードは速い。目にも止まらぬ速さで、三人は現場へと向かっていった。
○○○○○
三人は現場に到着した。そこは、デパートやビルが建ち並ぶ市街地を通る直線道路だった。
「ここは、街のど真ん中じゃないか……」
「そうだよ。基本的に悪霊っていうのはどこにでも出没するからね。必然的に、祓い師もさまざまな場所に出向く羽目になるんだよ」
空我はそう言って、前方のある一点を見る。そこには、人混みの中、黒いシャツに紺のジーンズを着た男が建物に寄りかかり、上の空といった様子で空を見ていた。普通ならば、ただの変な男で流すところだろうが、武にはとてもそうは見えなかった。
「分かるかい?」
「ああ……。そういうのを前提で見れば、怪しいのが一人いるな」
普通の人間は目を合わせないように避けて通り、巡回中の警察官も間違いなく声をかけるレベルの不審者。どう考えても、この男が今回の標的だろう。
「それで、どうするんだ? まさか、こんな人混みの中でやる気じゃないだろうな?」
「もちろん、そのまさかだよ。効率優先のためにね」
「はぁ?」
武は怪訝そうな顔になる。武はこの時空我の言っていることが本当に理解できなかった。衆人環視の中、人殺しにも近い方法で悪霊を祓う。まだ任務を体験したことのない武には、祓い師の仕事風景がどのようなものかは分からなかったが、それでも、とても正気の沙汰とは思えなかった。
「心配いらないよ。昨日の夜、あの生贄にやったようにやればいい。術は君に任せる」
武はその言葉により一層混乱を深める。
「ほら、早くやってしまいな。今はおとなしくしてるからいいけど、こんな大勢の人間の中で無差別に食い荒らされたらとんでもないことになっちゃう」
武はしぶしぶといった様子で呪符を取り出す。悪霊は人に取り憑くだけでなく、人を食らうことで、その力を奪い、人の命を奪う。人を壊すことで悪霊を祓う祓い師の身で言えたことではないが、多くの人間がいるこの場で放っておくわけにはいかないだろう。
武は呪符を男に向け、術を放つ。極力目立たぬよう、男の心臓を止めることにする。人に取り憑いた悪霊は
その肉体を殺されれば、悪霊自身も死ぬことになる。ならば、心臓を止めるだけで、男の中にいる悪霊を祓うことはできるはずだ。
「がはっ!」
呪符が消えてすぐに男はその場にうつ伏せに倒れ込む。周囲の人間は突然倒れた男にざわつくが、当然、男は絶命しており、その騒ぎを関知することはできない。
「わあー。お見事」
「世辞はいい。で、このあとは逃げた方がいいのか?」
正直、武としては逃げた方がいいようにも見えるが、空我と美夢は落ち着き払っていた。
「大丈夫だよ。まぁ、このあとについては僕のやり方を見てて。それも含めて、初任務だからさ」
空我はそう言って倒れた男の方に近付く。人混みの手前に着くと、空我は口を開く。
「すみません。祓い師です。通してください」
今まで武が聞いた中でも一番大きな声だった。人々は空我の声を聞くと慌てて道を開ける。
「あ、あの。祓い師の方々が来るということは……」
「ええ。取り憑かれていました」
空我の言葉に周囲の人々が大きくざわつく。どうやら、悪霊のことに関しては、一般人にもかなり知られているらしい。
そこに、警察官二人組が慌てて走ってくる。男が倒れたあとに通報されたにしては来るのが早いので、おそらくは男の様子を不審に思っていた人物が祓う前に通報していたのだろう。
「な、なんだ! 君は!」
「その人から離れなさい」
常套句を言う警察官二人に対して、空我は上着のポケットから、何かを取り出す。取り出したものは藤の花に囲まれ、中心に『祓』と白地で書かれた黒いカード状のものだった。それを見せられた瞬間、警察官の態度が変わる。
「は、祓い師の方でしたか! 失礼しました!」
二人は慌てて頭を下げる。武がなんかどこかで見たことのある光景だなと場違いなことを思っていると、空我が二人の警察官に何やら言ったらしく、警察官たちは敬礼をして、その場から大急ぎで走り去る。それを見た空我は颯爽とこちらに向かって歩きはじめる。
その直後に、全身黒装束の人物たちが、まるで瞬間移動でもしたかのように突然その場に現れる。数は全員で三人だった。黒装束の人物の一人が他の者たちに指示を出し始める。
「すみやかにその男を運び出せ」
かなり低い声だった。地声ならば間違いなく男なのだろうが、ひょっとしたら変声機を使っている可能性もある。だが、体格的にはおそらく男だろうと武はあたりをつける。その者が指示を出し終えると、その人物以外の二人が先ほど祓った男の死体を触り始め、二人がかりで死体を担ぎ上げる。指示を出していた一人は、それを見て即座に撤収するよう他の二人に命じる。三人が撤収をし始めたとき、一瞬、指示を出していた者が武の方を見る。
白い能面のような仮面だった。その額の部分には緑色で『甲』と書かれていた。
「甲?」
武は思わずそう呟く。三人とも、その声は聞こえていたはずだが、武には目もくれずにその場から一瞬で消え去ってしまった……。




