滅兵の統治
第七章開始です
滅兵が台頭するようになって世の中は変わった。確かにプラスの面も大きい。だが、人々が思うほど彼らの待遇が改善されたわけではなかった。その理由はいくつかある。
まず一つ目は治安の悪化だ。祓い師が統治していたころは罪の重さにかかわらず祓い師たちが犯罪者を殺す、あるいは捕らえて実験体とすることで良くも悪くも治安を維持してきた。警察というものがまるで役に立たなかったからだ。
だが、警察とて好きで役立たずに甘んじていたわけではない。ただ祓い師という未知の力を持った権力者がいたことでその動きを押さえつけられていたのだ。
祓い師が行うことは基本的に犯罪だ。そのためには体面上は犯罪者を全て捕らえるための組織である警察や公安が邪魔だった。だから、彼らを押さえる代償として祓い師は自らの力で治安を維持していたのだ。
しかし、滅兵は違う。彼らは祓い師と違い清廉潔白を訴える者たちだ。その心情が皮肉にも仇となった。正義や清廉潔白などの綺麗事を語るということは犯罪者を殺すどころか傷つけることすらできないということだ。つまり、事件を解決させるには犯罪者を捕らえるより他にない。けれど、犯罪者を捕らえたところで祓い師のおかげで警察はおろか司法自体がそもそもまともに機能していない。要は犯罪者を捕らえても裁く手段がないということだ。
捕まえても裁くことができないということは犯罪者たちを野放しにすることと同義だ。そうなれば、今まで我慢してきた者たちが嬉々として犯罪を犯しはじめる。力なき弱者の中でもさらに弱い者が必然的に虐げられることになる。これが一つ目の理由だ。
そして、もう一つの理由は結局のところ祓い師が統治しようが滅兵が統治しようが何も変わりはしなかったということだ。むしろ、悪化したとさえ言ってもいい。
どんなに見事な大義名分を掲げても滅兵にもろくでもない人間はいる。ただでさえ、門戸を広く開放したのだ。それによって生じた弊害は滅兵上層部が考えていたよりはるかに大きかった。経歴も実力も問わずに滅兵に迎え入れるようになったことで、祓い師と同等レベルのクズが大量発生したのだ。そいつらが幅をきかせているせいで前と変わっていないどころか、かえって悪化してしまっていると思う者が多く存在している。
滅兵は呪符などを使わず、ただ呪力のみで術を発動する。そのため、修得難易度は非常に低く、素質さえあれば誰にでも会得可能だ。
だからこそ、さまざまな人間が滅兵を名乗るようになるのだ。もちろん、滅兵を名乗るには正規の訓練を受けた上で力を身につけ、試練のようなものをクリアすることで滅兵の執行部による許可を得る必要がある。このシステムは祓い師と同じだ。しかし、まだまだできたばかりの組織ということもあり、その監視の目は祓い師と比べてはるかに緩い。だから、執行部の許可を得ずに滅兵を名乗る無法者も多く現れている。当然その多くが呪力のじゅの字も知らない素人だ。そういった者たちが荒らしまわっているのだ。
人々の落胆は大きかった。結局何も変わりはしないのだと。見事にワライとサケビの予想通りの結果となっている。
その事実にワライは廃ビルの屋上で一人せせら笑う。
「多少変化を加えてみたけど、やっぱつまらないな。こんな世界じゃ、僕の予想を越えることなど起こりはしない…… か」
そもそも異能の力を持つ者たちが人間社会で表に出るということ自体に無理があるのだ。人は自分にないものを持つ者を見たとき、憧れ、嫉み、羨み、恐れ、襲う。その力を利用しようと画策し、その者を排除しようと策略を立てる。
どうあがいても、特異な力を持つ者と持たざる者が共存することなどありえない。だから、大抵の場合は力ある者がその力を隠し、必死に人間社会に溶け込む。持つ者より持たぬ者の方が多いのが物事の常だからだ。
だが、祓い師や滅兵は違った。彼らは悪霊を倒すために矢面に立つことを選んだ。悪霊は場所を選ばない。それどころか人目の多い場所に好んで出現する。餌が多いからだ。彼らを殺すためには存在を秘匿していては到底成り立たない。だから、正体を現して堂々と悪霊退治をするしかなかったのだ。そして、過去の賢人たちが苦労して作った社会秩序が崩壊した。
当然だ。人々が平穏の時を過ごすために作られた社会秩序はしょせんは持たざる者のためのもの。非力で戦う術を持たない彼らが円滑に集団での営みを行うために作られたものだ。特異な能力者がいることを想定して作られたわけではない。なので、祓い師という異物が入った時点で秩序が崩壊するのは避けられないことだ。
その結果まずは司法が崩壊した。悪霊は人に取り憑くもの。人に取り憑いた悪霊を祓えば媒体にされた人間も死ぬ。殺人罪などを適用していたらとてもではないが、悪霊に太刀打ちできない。それに加えて祓い師はストレスが多くかかる。そして、彼らの性質上真っ当な思考を持つ者などほとんどいない。そんな彼らがストレス発散をするには法律が邪魔だった。そのために完全中立を謳う司法を祓い師は最初に支配した。
それから、行政、立法を乗っ取り、国民主権や基本的人権の尊重なども同時に崩壊していった。そして、祓い師が統べる世界が生まれたのだ。
滅兵はそれを見誤った。長年、祓い師に対抗するために策を練り続けてきたわりに治安や偽滅兵の出現、社会秩序の崩壊への対策を怠っていたのは愚か以外の何物でもない。
彼らは理想しか見ていなかったのだ。祓い師を打倒し、自分たちが覇権を握る。そこにはさまざまな思惑が入り交じっていたのは間違いない。
だが、しょせんは取らぬ狸の皮算用にすぎなかったということだ。人の営みは理想だけではできない。さまざまな秩序が必要となる。それを彼らは完全に失念していた。
結局、想定外のことは何も起こらなかった。何もかも全てが予想通りだった。だから、ワライは落胆していた。
そんなワライの後ろに近付いてくる影があった。
「ああ。君か。どうしたんだい?」
影は答えない。無言でワライを見ている。ワライは一瞬きょとんとした顔になった後、くつくつとおかしそうに笑う。
「そうか。そういえば、今の君は何もしゃべれないんだったね。ごめん、ごめん。うっかり忘れてたよ。まるで滅兵みたいだ」
ふふっと笑うワライに影は反応しない。その有り様はまるで人形のようだった。ワライはそんな影を見て言う。
「で、何しに来たんだい?」
「……」
「あー。そういえば、そうだったね。うわ。僕ダメだな。大事なこと片っ端から忘れてやがる」
影は何も言っていなかったが、ワライは彼が何が言いたいのか分かったらしく、仮面に右手を当てるとまた笑う。先ほど同様おかしそうに笑っているが、今回の笑いは肝心なことをいくつも忘れている自分に対してのものだった。
「んー。とりあえず、今のところは待機かな。後でまた指示するよ。僕が言えたことじゃないけど、気を張っておいてよ。勝負の時はもうすぐそこなんだからさ」
ワライの言葉に影は小さく頷く。ワライはそれを見ると、再びフェンス越しの景色を見る。
「じゃあ、僕はそろそろ戻るけど、お前はどうする?」
「……」
「分かった。じゃあ、また後でね」
ワライは言うだけ言って面とマントを剥ぐ。そこには堅の姿があった。
「さて、じゃあ、さっさと戻るかな」
堅はそう言って屋上から姿を消した。影はしばらくの間、そこでボーッとしてから、どこかへと消えていった。




