豚【2】
明くる日。
わりとぐっすり眠れた次第である。
寝ずの番は3時間交代で行うこととなった。野の魔物に限らず隣の豚野郎に襲撃される可能性も考慮したが、池田が遭難している最中何時でも襲うチャンスはあった。つまりは今更の襲撃は有り得ないと判断。その結果、こうして無事に朝を迎えられた。
夕飯も作って頂いた。朝食もいま食している。
ああ。
これは思わぬ拾い物かもしれない。
「…………」
実際に拾われたのは池田ですが。
「おいイケダ。これより人間の治める国へ向かう。そうだな」
朝っぱらから謎の肉を食らいつくオーク。それを横目で見ながら胸やけを起こす俺。
名前は昨夜教えた。この世界においてセレス様に続き名を伝えた相手がオークとは、どんだけ人間の知り合いがいないんだよという話になるが、大丈夫。日本時代も知り合いは少なかった。
いや、待てよ。
そういえば首都ビーストの教会でも名前を公開した気がする。すっかり忘れていた。これは、少々まずいかも。
「おい、イケダ。聞いているか」
「え、あ、ああ。そう、人間の国へ行きたい。任せてもいいか」
「無論だ。この地から一番近いのは、ダリヤ商業国だろう」
「一番近い」
引っかかった。確認してみよう。
「脱線して悪いが、この世界の大まかな勢力図を教えてくれないか」
「なぜ知らん。貴様も20年以上、この時代を過ごしたはずであろう」
中々鋭い指摘をする。
「この世に生を見出されて以後、紅魔族領の片田舎に引き籠っていた。つまりそういうことだ」
まぁまぁの言い分。果たして。
「人間族の貴様がか?」
「人間の統べる国で育った獣人族もいれば、魔族の国で糊口を凌ぐ人間もいる」
「…………そうか。……いや、そうか?」
「結局は教えてくれないのか」
「いや、話すのは吝かではない。我は各地を旅していたゆえ、国々を転々とする露天商程度の知識は持ち合わせているのだ」
流石さすらいの童貞。目的が嫁探しという部分はオークの名を穢しているようにも思えるが。
「知りたいのは、この世界の勢力図で良いな」
「ああ」
「………ふと思ったのだが。この世界、という言い方は少々違和感を感じないか?まるで他の世界があるような言い草ではないか」
「…………………」
確かに。軽率だった。とはいえこの豚、思った通り頭の回転は悪くない。
「まぁいい、話そうか。まずこの世界は、大きな河川を境に北と南で別れている。南は南西に黒魔族領、その上に紅魔族領、そしてその2国と接する位置に南東の土地を支配している神聖レニウス帝国が存在する。黒魔族領の領土規模が1とすれば、紅魔族領も1、レニウス帝国は4となる。南はこの3つの勢力が現存国だ。ちなみにレニウス帝国はこの世界における最大勢力でもある」
セレス様から伺った内容とほぼ合致する。
「次は北だ。こちらはもう少々細分化されている。北西を支配しているのが現所在地の獣人国。その東に今から向かうダリヤ商業国がある。さらに東をゆけばボボン王国。ビーストの東、ダリヤの北、ボボンの西に位置するのが竜の山領。その上にも細々とした勢力が存在するようだが、さすがの我も全ては知らん。学園都市ジーニアスや鍛冶の国サラマンダー程度は耳にしたことがある。領土規模は、ビーストを5とすればダリヤは4、ボボンは5、竜の山領は3、ジーニアス、サラマンダーはそれぞれ1といったところだ。ちなみに南北は河川を挟んだ橋が開通している。紅魔族領と獣人国、レニウス帝国とダリヤ商業国、レニウス帝国とボボン王国、現状この三橋が確認されている」
こ、こいつ。
「お前……」
「なんだ」
「よくそんなにも流暢に話せるな」
「は?」
気づいた。このオーク、対人能力が異様に高い。正直勝てる気がしない。
なんということだろう。凌辱担当のオーク風情にコミュ力で圧倒されるなど、俺って奴はいったい。汁男優のオーディションにさえ受かる気がしない。
「いや、なんでもない。申し訳ないが後で地図作ってくれると有難い」
「…………まぁ、いいが」
言ってみるものだ。
質問事項は多々あるが、取り急ぎ確認すべきことはあと1つ。
「ふと思い出したのだが、つい先日首都ビーストで犯罪を犯したんだ」
「ほう。貴様がか?どうせ下着泥棒程度であろう」
こいつは俺をどのような目で見ているのだ。痴漢と間違われるのを恐れるあまり、満員電車では常に両手を万歳する程の小心者だぞ。下着ドロとかリスキー過ぎて手出せないわ。そもそも母ちゃんとAV女優以外の下着を見たことがない。ガーターベルト着用している人って実在するのかな。
「そうではないが、ビーストでの犯罪を理由にダリヤ商業国から入国拒否を通告される可能性はあるか?」
「ふむ」
どうだろうか。所謂治外法権とやらが発動してくれるとよいのだが。
「結論から言うと、その可能性は限りなく低いだろう」
「おお」
「ダリヤ商業国は自由の国として有名だ。ゆえに様々な種族の者が集まり、差別のない国とも言われている。余談ではあるが、全国の中で唯一議会制民主主義による共和制を敷いており複数の代表者によって統治されている。そんな国ゆえ入国審査は非常に緩く、身分証明書の提示または1万ペニーを支払えば誰でも入国することができる。入国時に犯罪歴を調べるようなことはなく、そもそも獣人国で犯した罪は基本的に獣人国内でしか裁かれない」
おお、よかった。これで一安心。俺はビーストの教会で名前と顔を覚えられている。つまりは国境を越えて拿捕される可能性が無きにしも非ずだった。法が俺を守ってくれるというのであれば、これ以上に心強いモノは無い。
今の説明を聞く限りだと、首都ビーストでも身分証明書の提示もしくは2万ペニーの支払いで入国可能だったことから、ダリヤ商業国と同様に獣人国も入国規制が緩いのかもしれない。
あ?いや、何かがおかしい。
「お豚さん。国への入国と首都への入場は別料金でないのか」
「ん?あぁ、ダリヤ商業国の場合は同じようなものだ。獣人国からダリヤへ行く場合は検問を通る必要がある。その検問所で身分証明書の提示または1万ペニーを支払う。1万ペニーを支払った場合は、入国許可証が手に入る。この入国許可証さえあればダリヤ商業国に限りどの都市でも入りたい放題というわけだ」
なるほど。納得だ。
「実は獣人国もほぼ同様の規定が設けられているはずなのだが、何故か我は首都へ入れなかった。今でも謎案件だ」
思うに獣人国の場合は入国時と首都訪問時のみ、身分証もしくは金銭の提出が設けられているのではないか。その他の都市や街はノー審査とか。重要な地点のみ検閲を厳しくするのは当然の処置と言えるだろう。つまりはダリヤ商業国よりも獣人国の方がオープンな環境を整えている。サファリパーク顔負けの自由な国は獣人国の事かもしれない。
もう1つ気づいたことがある。どの国も入国時に審査があるとすれば、紅魔族領と獣人国を繋ぐ大橋の手前で受けた検閲は、獣人の手によるものだったことになる。当時盲目だった俺はすっかり紅魔族の者と勘違いしていた。あのおっさん、目茶目茶紅魔族の家伝魔法に詳しそうだったし。セレス様、何も言ってくれないし。
「他に聞きたいことはあるか」
「とりあえずは。後々何かしらあった時は頼む」
「分かった。ではそろそろ出発しよう」
豚が立ち上がり、傍らに置いてあった大きなバックパックを背負う。その中に水やら食料やら何やらが入っているらしい。
「…………………」
あのバッグ、十中八九盗品だろ。冒険者から情け容赦なく追いはぎしたに違いない。
「………おい。何か失礼なことを考えているようだが、このリュックは紅魔族領で購入したモノだぞ」
「くっころの女騎士を強姦した際に彼女の持ち物を拝借したのかと」
「貴様はオークを何だと思っている」
ハイパー輪姦クリエイター。
「すまない。人間ってやつは先入観で物事を考えてしまう」
「それは我らにも責任がある。我は、我の種族にクリーンなイメージを持ってもらおうと、日夜努力を重ねている次第だ」
焼け石に水であるのは明白なのに。何とも志の高い豚だ。
とは言え、ここまで話せる奴とは思わなった。出会って少しも経たないうちに軽口を言い合える仲になるとか、社会に出て以後ほぼ経験がない。やはりコミュ力の高さは一目置かざるを得ないだろう。
「お前は、凄いな」
「あ?何がだ」
「いや」
尊敬される大人になりたい。改めてそう思った。
☆☆
「おい」
前を歩く豚に話しかける。
「なんだ」
「目が見えるっていいな」
「あぁ、そういえば昨日治療したのか」
そう、そうなのである。
色々あって自分でも忘れかけていたが、再び光を取り戻したのだ。今もばっちり日光に照らされ輝く木々と豚の背中が視界を充実させている。
「たしかに。我も貴様同様の境遇を経たゆえ気持ちは分かる。盲目は自身を新たな世界へと導くが、それは決して歓迎すべきことではない」
「そうだな。だが、こうは考えられないか」
「ん?」
「盲目の辛さを知っているからこそ目の見える悦びを感じられる。さらには当たり前を当たり前と受け入れることは生き物としての進化を阻害するのだと。痛みを知ってこそ我々は歩き続けることが出来る」
「お前…………」
ああ、分かっているさ。
「何言ってるか全然分からん」
「……………」
俺もだ。
「ただ、相手の立場に立って物事を考える大切さ。その意思は察することが出来た」
「え?」
「なんだ。違うのか」
「いや、その通りだ」
そういうことにしておこう。
と、やおら豚が立ち止まる。
豚の視線をたどると、何やらうねうねとした巨大な物体がこちらへと近づいてくるではないか。
「魔物だ」
「お前もだろ」
「我とは違う魔物だ。あれは、キラースネイク。強力な毒を持っている蛇だ」
蛇とはいうが、全長は5mくらいありそうだ。人間程度であればペロリと丸呑みしそうである。
豚が背中からバッグを降ろし、剣と盾をそれぞれの手に装備する。
「貴様は氷の壁で自衛に務めろ」
何時でも何処でも俺の立場は変わらぬようだ。全く導入案件を任せてもらえない。貴様は保守のみをやっていろと。そういうことであろう。嫌いじゃないけどね。
「危なそうだったらフォローしようか」
「ぬかせ。ジッとしていればすぐに終わる」
「はい」
豚がダッシュする。対して蛇は奇声を発し、大きく口を開け豚肉を待ち受ける。デカい。軽自動車くらいなら入りそうだ。
豚はあえてその口に向かって突っ込む。
あわや呑み込まれそうになった最中。豚から銀閃が走る。
「………………」
一瞬の静寂に包まれる。
キラースネイクが白目を向く。と同時にスパっと、顔が上半分と下半分に分かたれた。
「おぉ……」
死んだ。
豚の圧勝である。
なかなかどうして、素晴らしい剣裁きではないか。惜しむらくは披露する相手が俺しかいないという事実。あれだ、顔と身体を隠し剣技のみ見せつければミーハーなおなごの1人や2人釣れるのではないか。
当のお豚さんはトコトコとこちらへ戻りバックパックを背負い直す。
「よし、行くぞ」
「あ、はい」
ああ、この感じ。何か既視感があると思えば、セレス様と共に過ごしていた日々と変わらないではないか。
常に誰かの庇護下に入り安穏とした生を享受する人生。進むも引くも全てはコンダクターの指揮に身を委ね。流るるままに増えていくのは歳と皺。
そんな生活、どう思うよ。
「………………」
悪くないなぁ。