豚【1】
「……………………」
昔の偉人は言った。人生が分かるのは、逆境のときだと。
逆境でこそ真価が問われ、その人の本質が如実に表れるとか。
とても、考えさせられる言葉である。
「……………」
今の池田はこう思う。人生とかどうでもいいからこの瞬間を正しい方向へ導く何かが欲しいと。
ここはどこなのか、これからどうするのか、食料や水はどうやって確保するのか、近くに人の住む領域はあるのか、どこへ向かえばいいのか、そろそろオナヌーしてもいいのか、追手はないのか、自分のしたことは正しかったのか、あれは最善だったか。
頭は既にパンクしている。自分で言うのもなんだが地頭は悪くない。一応国立を出ている。結局何のために行ったのか分からないが、国立は国立。偏差値では余裕でマーチに敗北を喫するが、国立は国立。俺は第一志望だったのに周りの奴らは滑り止めで入学していたが、国立は国立なのだ。
所謂そう、マルチタスクではないのだ。一度に何個もの案件を抱えることなどできるはずもなく。1つ1つクリアしていく性質なのである。
1つずつね。
まずはなんだ。
「……………」
そうだ。とりあえずは単身この環境で生きなければいけない。
生き残るためには何が必要だ。
食料と水。
そうだな。
よし。
まずは食料と水を探そう。
☆☆
獣人国首都ビーストからおおよそ何十キロか離れた森の中。
俺は歩く。黙々と歩く。
ただただ、食料と水を得るために。生きる糧を手に入れるために。
俺は歩くしかないのだ。
「…………………」
しかし何もない森だ。木の実等食べられそうなモノは確認できない。動物とも遭遇しない。少々背の高い雑草と視界を覆う木々が延々と続いている。なんだここは。
ときたま、紅魔族領でよく耳にした唸り声のようなものが聞こえる。察するに魔物はいるようだ。まぁ、完全に悲報なのだけども。
とりま食べ物と水が欲しいのだ。生きるために必要なのだ。この世界に召喚されて以後、万能娘の恩恵に預かったことで食事に苦労することはなかった。そのため不安は募るばかり。あぁ、セレス様の家庭料理が懐かしい。
歩く。歩く。
何もない。
歩く。歩く。草木を踏みつけながら進む。
「……お」
初めて木の実発見。見た目は桑の実っぽい。一粒口の中に入れてみる。
「ぐはっ」
即座に吐き出す。ゲロまず。収集は諦めることとする。
歩く。歩く。
何もない。
歩く。歩く。ただひたすらに。
「………お」
初めて生物を発見。前方50m先くらいに佇んでいる。この距離でも分かる程度の危険なオーラを纏った鬼のような生き物が棍棒を携えている。
「……」
あれ絶対に魔物。しかも上位ランカーと予想。
池田、咄嗟に木陰に身を隠す。納期が遅れに遅れて部下に実現不可能な工数の仕事を振ってくるプロマネよりも迫力がある。あんなん、あんなん絶対勝てへん。
「…………?」
魔物がこちらを振り向いた気配。見えていない、見えていないはずだ。
………………………
………………
………
数十分後。
恐る恐る、顔だけ木陰から出す。魔物がいるであろう方向を見てみる。
「……………」
いない。
いないな、よし。
「ふぅ………」
木に背中を預けつつ腰を下ろす。あー疲れた。
隠れたのみでこれ程の疲労感を得たのだ。万が一戦うことになっていたらどうなったか。
分からない。そう思える程には氷魔法を信頼している。だが魔法の威力と反比例して俺の心は薄志弱行。真面に戦えるとは思えない。
そうだ、出来うる限り危ない橋は避けたい。どの世界でも命は1つしかないのだ。
ああ。
とりあえずは、だ。
今後は、勝てそうな魔物であれば堂々と逃げる。負けそうであればこっそりと逃げる。
これでいこう。
「……よし」
気合を入れ直す。もう守ってくれる人はいない。
今思うと、先日までは異世界ベリーイージーモードだった。そんで今はハードモード。
今この時から本来の異世界が始まると思うと、足ガクガク腕ブルブル全身鳥肌状態になりそうだが、まぁまぁ落ち着けと言いたい。池田には神からのギフト氷魔法がある。豆腐メンタルのクッソビビりだとしても、何とかなるだろう。
な、なななななな何とかなる。プラシーボ、プラシーボで乗り切る。
自分を騙し騙し、再び歩き出す。
☆☆
「…………」
何ともならなそうです。
すでにあたりは夜の帳が下りようしている。だのに俺の手元には何もない。道中見掛けたのは赤々とした木の実(毒)、鹿っぽい生き物の死骸(腐)、ヒト形状の何か(謎)等々であり決して口に含めそうなモノは無かった。無念である。
そんな中1つだけ朗報があるとすれば、水問題に関しては解決したっぽい。
氷魔法で生成したピンポン玉ほどの氷を口に含む。これで何とか水分を補給できるようになった。外国の生水よろしく腹を下す可能性は無きにしも非ずだが、セレス様の水魔法は無問題だったため大丈夫であろうと。そう思っている。
しかし、未だ食糧問題は解決していない。
食べられそうなモノはないわ、怖そうな魔物は散見されるわ、何なんだこの森は。レベル1の冒険初心者が迷い込んで良いダンジョンではないぞ。
こんな状況だからこそ、もう1つの問題が浮上した。
睡眠中の安全はどのように確保するか。
昨夜まではセレス様の隠蔽魔法があり、森の中でもグッスリと眠ることができた。だが今後はそうもいかない。
身体を休めている際、魔物に襲われる事態は極力避けたい。とは言え何日も徹夜を続けるのは現実的に困難である。回復魔法で癒せるのは身体だけなので。3日で鬱になる自信がある。
しかしこれといった解決案が浮かばない。四六時中、氷の壁を四方に形成して魔物の侵入を防ぐことも考えた。だが現状、俺の氷魔法は5分程度しか持続できない。つまりは就寝中に氷壁を張り続けることは不可能。
うむ。
なるほど。
「…………」
積んだな。
ドラゴンをクエストするゲームで例えるならば、最初の村を出た瞬間に一つ目巨人の魔物30体から襲撃を受ける感じ。あっという間に棺桶直行。
さぁ、どうする。
池田よ、この状況を打破する妙案が思い浮かぶか。
「………………」
無理だな。なんてったって自分、マーチさんの足元にも及ばないんで。この程度の実力で地頭は悪くないとかよく言えたよな。つーか学歴を持ち出してくる奴は軒並みクソだろ。あぁそうさ、俺もクソだよ。
「……はぁ」
近くにあった大石の上に腰を下ろす。
はぁー。疲れた。
あー。
んー。
ん。
ん?
「……………」
鼻が何かの匂いをキャッチした。
これは、何とも言えない良い香り。
一時的とはいえ思考停止に陥った俺は警戒心の欠片もなく。ただただ空腹を満たしたいがために、その匂いに引き寄せられていく。
歩く。歩く。木々をかき分けて歩く。
50m程度歩いただろうか。
視界が開けるとそこには、ちょっとした空間でたき火をしている生き物の姿を発見。
その生き物が、こんがり焼けた何かを食している。良い匂いの出所はあれか。
「……………」
あれ。あの生もの、見たことがある。拝見すること1回、拝聴すること2回、ストーカー被害1回。
君の名は。
「ジークフリード……」
と呟いた直後、当の本人がこちらに視線を移し。
「……フッ」
ニヤリと笑った。
「………」
なに。
なんだあいつ。
ちょーむかつくんですけど。
「ククク、ニンゲンヨ。ナンノヨウダ」
「あの、あー。その前に、なぜお前がここにいる?」
「オイオイ、シツモンニシツモンデカ――」
「以前から感じていたが豚殿の言葉は聞き取りにくい。発音をこちらに寄せてくれ」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「…………おいおい、質問に質問で返すな」
おお、やればできるじゃないか。さすがの豚野郎、略してさすトンだな。
「まずは俺の質問に答えろ。なぜここにいる」
「貴様とあの小娘に復讐するためだ」
「橋転落事件のことか。あれは、不運だったとしか言いようがない」
「いや。運とかではなく普通に突き落とされたのだが」
「よく死なずに済んだな」
「………………本当にな」
少々目が潤み出している。相当辛い目に遭ったのだろう。こちらとしては約定を果たしただけなので、後は知らんがなと心情である。
「つまりはストーキングをしていた理由も復讐の機会を伺っていたと」
「そうよ。首都に到着して油断しているところを狙ってやろうと思ってたが、なぜか貴様らは入国できて、我は為し得なかった。おそらくあそこは、国を挙げて人種差別を推奨しているのだろう。ゆえに人族の貴様らは是で、我は否だった。実に嘆かわしいことだ」
言葉遣いから察するに、ある程度の知識は期待できそうである。金銭の概念も既知である雰囲気から、門兵との会話で何らかの誤解が発生したのだろう。残念なお豚さんだ。
「仕方がないゆえ貴様らが首都ビーストから現れるまで待機しようと諦めた最中、貴様が単身出都したのを目撃してな。こうして追いかけてきたというわけよ」
「はぁ」
「即座に報復しようと思ったが、何やら挙動が不審だったのでな。少々観察することにした。で、把握した。貴様……あの娘にフられて、勢いそのまま首都ビーストを飛び出しおったな?」
「………………」
当たらずとも遠からずといったところ。やはりこの豚、そこいらの家畜とはわけが違う。オークキングとかハイオークというやつか。それにしては童貞というのが解せないが。
「だとしたら、どうする」
「どうする、か。正直、貴様の情けない後姿を見てもはや殺す気は失せた」
惨めな状況を背中で語るとかダサすぎだろ。ダンディはよ。
「同時に気づいたことがある。魔物との戦闘を避けるあたり貴様、攻撃魔法が使えんな?さらにその身体ではまともに剣さえ振ったことも無いだろう。つまりは我が殺さずともこの森に殺されよう。我は貴様の死を見届けた後、あの小娘のいる首都ビーストへ戻り、小娘に復讐する」
なるほど。なるほど。
謎の再会だったが、とりあえずはこの豚と戦わずに済んだのは僥倖だ。大橋での戦闘から負けるとは思わないが、戦いは何が起きるか分からない。セレス様もいない状況では、イレギュラーに対応できない池田はイベント戦闘を回避するのが吉。
となると、現時点でこの豚は俺の敵ではない。つまり寝返る可能性があるということ。さらには首都ビーストへUターンさせるわけにもいくまい。セレス様が敗北を喫する未来など存在しないが、雑事を増やすのもどうかと思う。
なんとか、豚野郎を味方につけることは出来ないか。
「あー、そのだね。ジークフリード君」
「む、なんだ」
なにか、このオークを惹きつける言葉を言わなくては。例えばこいつに欲しいモノがあり、俺がそれを提供できるとしたら。利害関係が一致して、一時的かもしれないが共闘関係を築くことができるだろう。
とは言えこいつの欲するもの。なんだ。名誉か。金か。肉か。
ステータス見ればわかるかな。
【パーソナル】
名前:トントン
職業:さすらいの童貞
種族:オーク族
年齢:27歳
性別:男
【ステータス】
レベル:78
HP:6012/6023
MP:110/110
攻撃力:1820
防御力:1333
回避力:356
魔法力:82
抵抗力:1024
器用:712
運:1414
「おいなんだ。黙るな」
「あ、えー。そうだね。あー」
少々レベルが上昇した事程度しか分からん。
なんだ、こいつの欲しいモノって。オークだろ。オークが欲しいモノ。オークの行動理念。
俺の知るオークが常に欲しているモノ。
「………………」
分かった。
肉だ。
「えー、ジークフリード君」
「だからなんだ」
「……………人間の女が、欲しくないかね?」
「…………!」
驚愕の表情を浮かべている。小説とかなら絶対エクスクラメーションマークついてるやつだ。
肉。と言っても、食肉ではない。女の身体そのものを指す。肉。俺も肉欲しい。
「同種である俺ならば用意できるが。どうだ」
自身の事さえままならないというのに何言ってんだって話なのだけれども。
「き、急に何を言い出すかと思えば。我は貴様の話す内容が理解できん」
「要望は出来うる限り叶えよう。貧乳巨乳ブス美人なんでもござれ」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
くくく、悩んでおる。27歳まで童貞を貫いてきた草食系オークのことだ。女性を紹介してやると言われたら食いついてくるに違いないと思ったら案の定だったわ。お前の考えなど丸わかりだわ。俺の思考を辿れば一発よ。
「………1つだけ、確認させてくれ」
これはほぼ落ちたとみた。
「なに」
「……………………オークを好いてくれる人族は、この世に存在するのか」
「…………は?」
正気か、こいつ。
いや、まさか。
「お前、人間と和姦がしたいのか」
「………………あぁ」
なんだこいつ。畜生かよ。
「いや強姦しろよ。オークなんだし」
「断る!愛のないセックスなどできん!我は、我は……純愛がしたいのだ」
うわぁ。なんだその考え方。絶望的に生まれし種族を間違えている。
「あの、人間共の絶望フェイスに優越感を感じないのか。全てを諦め切った空疎な笑顔をゲヘヘしないのかよおい」
「仲間たちはそうだった。ゆえに我は物心ついた頃、集落を離れた。そこからは、ただただ……愛を、探していた」
「そうか」
やっぱこいつキモいな。
「だとしたら、そうだな。あぁ、お前を好きになってくれる子の存在は分からない。俺はそう答える」
「…………………」
「俺に出来ることはお前に女を紹介するところまでだ。あとはお前次第だろう。お前に男としての魅力があれば、種族の垣根など容易く超えられると思うがな」
同種族なのに未だ経験なしの俺がほざいてるぜ。
「!!」
再び驚愕の表情。相も変わらず腹立つ顔を浮かべていらっしゃる。交渉中じゃなければ殴ってるな。
「どうする、ジークフリード」
「…………………」
「…………………」
「…………………………何が望みだ」
おっけ。
「食事と水の提供。人間のいる街……いや、人間の統べる国までの護衛。この世界に関する情報提供。あとは、まぁ、とりあえずこのくらい」
「仮に我がその望みを受け入れたとして、いつ頃人族の女を紹介してくれるのだ」
「人間の国に到着して以後1週間以内には」
努力はする。努力はするが、もし無理そうであれば、トンズラをこく。
「そうか………………嘘をついたと分かった瞬間、即座に殺す」
あぁ、そうだ。そうだったな。俺は約束を破らない男だ。
もし無理そうであれば、素人の女は諦めて商売女に金を握らせてオークに引き渡す。それでいこう。
「いいだろう。交渉成立だな」
ゆっくりとオークに近づき、目の前まで来たところで手を差し出す。ガッシリとした右手で迎えられる。
「裏切るなよ、人間」
「こちらの台詞だ。キモ面」
こうして、奇妙な共闘関係が出来上がった。