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沈黙の君【13】

 瞼を開けた。


 「…………」


 暗い。


 目の前には暗闇が広がっている。


 昨日と変わらない世界がそこにはあった。


 「…………………」


 そうか。ダメだったか。


 少しずつ。絶望が心を侵食していく。またこの暗闇の世界で生きていかなければならないのか。花も木も建物も人も、何もかもが真っ黒な世界で。


 いや。いやいや。悲観的になっても仕方がない。悲劇の主人公を気取る歳でもあるまい。


 人生は挫折と妥協の連続であるが、今回に限っては全ての可能性が潰えたわけではない。俺の回復魔法をパワーアップさせる、他国の強力な魔導士を探す、トランス家のルーツを巡る等々。1つ1つ試していくしかない。そんで考えられる手段が無くなったとき、初めて絶望すればいい。


 絶望さん、もう少々お待ちくださいね。


 とか思っていたら。


 「……………うお」


 ブワーっと。 


 視界が真っ白になった。


 なんだホワイトアウト現象かと、冬の北海道旅行で無念の立往生を食らった時分を思い出しながらも、徐々に光が収束していく。ボンヤリとだが、何かが見える。あやふやだった輪郭が徐々に形を成していく。


 そして。


 世界は色を取り戻した。




 ☆☆




 「………………」


 「ふぅ、どうだ。見えるか」


 何度か瞬きを繰り返す。初めは薄ぼんやりとしていた風景が徐々に輪郭を取り戻していく。


 「…………」


 ハッキリと視界が回復して以後初めてピントが合った人物は、正面に座っている山羊女だった。白衣着用である。


 「おい?聞こえているか」


 俺は今、猛烈に感動している。こんなに感動したのはベートーヴェンのクラシックコンサートを観賞して以来だ。約2ヶ月間悩まされ続けた盲目状態がやっと解消されたのだ。嬉しく思わないはずがない。


 今、感情がヤバい。


 どのくらいヤバいかというと、このまま裸で街中を駆け巡りたいと思ってしまうほどにはイっている。


 なんだなんだおい。今の俺ならなんだってできそうだ。何でもできるんだよ、人間は。人間ってやつは。


 あぁ、あぁ、あーーーー。


 どうしよう。


 やるか?


 やるか。


 やるしかないだろ。


 そうだ。


 走り出そうぜ。


 「うぉぉぉぃおぉおおいおいおおいおいいういdふぃs!!!!」


 「うわっ!」


 いきなり奇声を発した俺に驚いている山羊女を尻目に、立ち上がって出口へ向かおうとする。


 さぁ、冒険の始まりだ。


 「…………………………」


 ドアの前で足を止める。


 「…………えーと」


 知らない女と目が合う。だれだこいつ。


 ただ、一瞬とはいえ興奮状態の俺の足を止めたのには訳がある。


 身長160センチ台の半ばくらい。年齢は18歳~23歳といったところか。女性である。だが、普通の女性ではない。


 ―――――灰色の長髪は一見無造作に伸びているように見えるがサラサラつやつやであり、毛先はフワフワっとしている。服装は魔法使い版ゴスロリ服のようなものを着ており、洗練された貴族の娘のようにも見える。スタイルは悪くなく、ほどよく胸がふくらんでおり手足はほっそりとしているが肉付きが悪いというほどでもなく、読モとしてスカウトされてもおかしくない体型をしている。容姿は規格外という表現が浮かぶほどで、眉毛は薄めであるが整っており目は少し眠たそうな綺麗な二重。鼻は程よく高く、唇は綺麗な形をしている。

 

 要するに、あまり見かけたことのない超絶美人さんである。


 「……………」


 脳裏にもしや?という考えが浮かぶ。そんなことがありえるのかと。いやいや普通はあり得ないだろうと。とはいえこんな世界だからありえそうだと。


 そして、当時は華麗にスルーした忌まわしきステータス欄を思い出す。そう、異世界に降り立って以後片時も離れず傍にいた無口で優しいあの子の種族は。


 変態族。


 「え……?」

 

 いや、いやいや。明らかにおかしい。身長も伸びてるし、体型もすらっとしてるし、なにより美人さんになっている。変態族って、変態って、あっちの意味ではなく言葉通りだったとでも言うのか。俺はもうパニックだよ。


 それにしても、いつの間にこのような姿へ変わられたのだ。キッカケ。あっただろうか。俺の立場で思い当たる節は1つだけ。


 そう、誕生日を迎えたこと。あの当時セレス様へ抱いた違和感の答えが、目の前の超絶変化だとでも言うのか。20歳迎えたからって。酒やタバコを始められるだけじゃなかったのか。20歳ってすごい。


 「…………………目、治ったの?」


 「あ、あ?あ、あ、はい。治りました」


 「…………じゃ、いこ」


 「え、はい」


 目茶目茶出鼻を挫かれた影響で絶賛混乱中ではあるが、何とか受け答えを続ける。


 「おい少年、徐々に目を慣らしていくんだぞ。いきなり太陽など直視してみろ。またしばらく目がおしゃかになるかもしれんからな。十分気を付けろよ」


 山羊女の存在を忘れていた。そうだ、この人は目の恩人だ。

 

 「あぁ、はい。本当にありがとうございました」


 「仕事だからな。お大事に」


 もう1度頭を下げた後、セレス様に連れられ総合受付に向かう。歩き出しと共に、右手にはほのかな感触。あ、まだ手は繋ぐのね。


 治療部屋を出た直後視界に入るのはまさに病院の総合窓口そのものであり、広いフロアに何十と置かれた木製の長椅子へ様々な種の獣人達が腰を落ち着けている。受付は全部で8つあり、出口に1番近い窓口へと歩みを進めた。


 セレス様が受付嬢、これまた山羊女に話しかける。ちなみに医者山羊は目の鋭いクール系美人であり、受付山羊はおばさん系おばさんである。どちらも頭から角を生やしているが、ルックスは人のそれに近い。受付おばさんはともかく、医者山羊の方は無問題で恋愛対象足りえる。お医者さんプレイ大人版を是非ともお願いしたい。


 「…………治療、終わった。……お会計」


 「はい、池田貴志さんですね。ランクAの治療ですので、100万ペニーとなります」


 「……………………」


 「……………………」


 「……………………」


 「……………………」


 盲目が完治した喜び、一瞬で吹き飛んだわ。


 「一括で支払うことが出来ない場合は、分割払いも可能です。また現在無職で支払能力が無い場合は、仕事を斡旋することも可能です。身体の不自由な人でも従事できる仕事もございます。如何なさいますか」


 いや。無償でないのはともかく100万て。しかもアフターケアまでしっかりしてるし。何が何でも金をむしり取ろうとする気概が見える。


 池田、目が治った途端、強制労働。地下強制労働施設行きですわ。


 ブルーだ、これは。視界はブラックから回復したが気分はブルーになってしまった。俺の人生は色に左右されるのか。だから日本時代は借金だけはしないように細心の注意を払っていたのに。この追われる感じが嫌だから。借金など百害あって一利なしだろ。


 「…………………」


 俺がブルーになっていると、セレス様がおもむろに空中へ手を伸ばした。そこからズイっと膨らんだ皮袋を取り出し、ドンっとカウンターの上に置く。


 今のが収納魔法。初めて拝見したがどんな仕組みか見当もつかない。凄いという感想しか出て来ないぞ。チート娘め。


 「……………これで、足りる?」


 「え………あ、ああ。今から数えますから、少々お待ちください」


 山羊女が皮袋を覗き、一瞬ハッとした表情を見せた後、金貨を何枚か取り出し数えはじめた。数え終わったらまた金貨を取り出し数える。その繰り返しをする。


 「あの、セレスティナさん、これは」


 「………………お金、ないでしょ」


 「え、ええ。ありませんが、さすがに100万もの大金を支払っていただくわけには」


 「……いい。私には…………必要のない、ものだから」


 なんだ。なんだなんだこの女は。


 もちろん知っていた。知っていたのだが、すげー良い女じゃねえか。しかもとてつもない美人。


 そう、美人。性格が良くて、美人さんなのである。


 美人なのである。


 まずい、まずいぞ池田。


 美人さんになった途端に異性として意識し始めるとか人としてどうなんだ。


 小学校時代それ程可愛くなかった子と同窓会で再会すると、とても美人に変わられていたが明らかに整形している様子が見受けられて惹かれるだろうか。あぁ、うん、そうだな。惹かれるかもしれないな。池田こいつ駄目だ。


 待て、待て待て俺。


 いけない。人として超えてはいけないラインを越えようとしている。童貞の下手なプライドかもしれない。だが、これを超えてしまったら、自分という存在が酷くゆがんでしまう気がする。


 落ち着こう。セレス様は優しい。知ってる。セレス様は無口だ。知ってる。セレス様はあまり可愛くなかった。知ってる。当初好きとはならなかった。知ってる。でも可愛くなった。知ってる。だから好きになりそう。知らない。これは知らない。知ってはいけない。


 踏みとどまれ、俺。駄目だ、駄目なのだ。


 今更好きになっても、駄目なんだ。


 「……………」


 本当に駄目なのか?いいんじゃないか、顔が綺麗になったから好きになったで。地味な女の子が頑張ってお化粧を覚えて綺麗になった努力を池田は認めないというのか。やはり女性はナチュラルが整っていないと許せないとでも言うのか。それは傲慢で狭量ではないか。だから童貞なのではないか。おい、それを言うな。あ、駄目。俺が俺に追い詰められていく。


 違う、落ち着け。セレス様の立場に立って考えてみるんだ。成人を迎え変態族の秘技か何かで容姿が変わった瞬間、今まで共に行動を取っていたにも関わらず何もしてこなかった男が急にアプローチを開始したら、どうだ。男はしょせん顔なのね、という結論に至り池田の株大暴落間違いなしではないか。連日のストップ安に信用高値で掴まされたホルダー達は阿鼻叫喚、そこに機関の空売りも入りもうどうしようもない状態。購入した金額以上の損を出すことはないから、株は安全とか言った奴出てこい。定年後、老後の資金を少しでも増やすため退職金諸々合わせて1億円株に注ぎ込んで、全部溶かしちゃったらどうするんだよ。死ぬよ。もう終わりだよ。塩漬けして再び浮上するのを待っている時間などないのよ。夫婦共々樹海への旅行か、海辺で練炭自殺待ったなしだよ。素人が興味本位で手を出すもんじゃないよ、まったく。

 

 結婚もそう。興味本位でしてはダメ。妥協してもダメ。そこいらを歩いている中年サラリーマンを見てみろ。大体が濁った眼で昔に戻りたい、帰りたいってつぶやいてウォーキングデッドしてるぞ。後悔するくらいなら結婚するなと言いたい。するのであれば、ブスでもデブでもいいから一緒にいて苦ではない人と結婚しろと。付き合うなら見た目、結婚するなら性格だろう。会社でも怒られ、家でも文句を言われた日には、そりゃあ目も濁ってくるわ。


 「………………」


 はっ。


 そうだ。池田の目標は付き合うことではなく、結婚することだった。だったら何故、見た目に固執したのか。性格は抜群に良かったのに。


 なんということでしょう。


 本当の意味で、池田は盲目だったのかもしれない。


 しかし。後の祭りである。


 童貞の池田には、ここから挽回する方法が分かりません。赤ペン先生、池田の答案に答えを、この先の道筋を、ご教授くだされ。


 「……99、100。はい、100万ペニーありますね。こちら頂戴いたします。残りはお返しします」


 受付の山羊女が幾分膨らみが減った皮袋をセレス様に手渡す。


 「ありがとうございました。お大事にどうぞ」


 会計を終え、受付から離れる。


 「あの、セレスティナさん」


 「……………話は後。とりあえず………宿に、戻る」


 「あ…はい」


 兎にも角にも、今までのことも含めて思いつく限りの感謝の言葉を浴びせようと思ったが、確かに他の人が見ている前ですることではない。


 教会を出て、宿へ戻ることとなった。


 


 ☆☆




 街中を進む。


 獣人国首都ビースト。一言で表現するならば、素晴らしい。これこそファンタジー。俺は今、もの凄くファンタジーを実感している。


 大通りは道幅が20m程あり、門から王城まで続く道に武器屋やら道具屋やら飲み屋やら宿屋やらの木造建物が左右にずらりと軒を並べている。

 

 そしてこの通りには犬やら猫やら熊やら狼やらなんらかの動物の上半身に服を纏った二足歩行の獣人たちが自由気ままに歩いている。先程の山羊女同様、顔は人間に近い。そう、ほぼ人間なのだ。ともすれば獣人との結婚、ありだな。いや待てよ、この場合エロいことをしたら獣姦になるのか。…ならばよし。何も問題はない。


 しかし、明らかに俺とセレス様は浮いている。予想はしていたが、周囲を見渡したところで人間も魔族も見掛けること能わず。物珍しさで視線が集中するわけである。まぁ、視線の9割はセレス様が一身に集めているわけだが。


 と、街中の雰囲気に興奮していると背後―――王城の方角からなにやら喧騒が聞こえてきた。


 「どうしたのでしょうね」


 「…………さぁ」


 喧騒が近づくとともに、大きな何か、馬車形状の物体が大通りを介して近づいてきた。人の乗る部分は四角い箱のような形をしており、外から見えないように密閉されている。本来馬のいる箇所には二足歩行の狼が2人おり、人力車のように荷台の部分を牽いている。


 「………………」


 あれは見るからにお偉いさんだろう。皆、狼車を避けているのが証拠だ。


 俺もセレス様を連れて、いそいそと大通りの端っこに寄る。


 いくら眼が完治してテンションが上がっているとはいえ、自ら権力に立ち向かうことなどしない。26歳まで喧嘩1つしてこなかったチキン野郎をなめるなよ。

 

 狼車はトコトコと大通りを進み、俺たちの前を通り過ぎる。


 かに見えた。


 が、立ち止まった。


 そのまま動かない。周囲もざわざわとしている。


 何が起こるのだろうとソワソワしていると、喧騒に紛れ込む形で荷台の扉が開く音とともに、獣人が姿を現した。


 「………………」


 一言で表すならば、メタボリックブルドックメガネ。滅茶苦茶腹が出ていて顔はブルドックで眼鏡かけてる。髪型はもじゃもじゃ。あと腕とか首とかにすんごい煌びやかな装飾を身につけている。


 そいつがゆっくりとこちらに近づいてくる。そう、俺とセレス様がいる方向へと。


 あぁ、嫌な予感。外れるといいなぁ。


 と思ったのがいけなかったのか、獣人の歩みは俺たちの目の前で止まった。黄ばんだ歯を見せながら口を開く。


 「おい娘よ、わしについてこい」


 「…………………」


 周囲の声が耳に入ってくる。「おいやっぱりあれ、ブル伯爵だ」「またやってるよ女狩り」「今月でもう5回目だろ」「あの子可愛いからなぁ」「伯爵だし、逆らったら死罪もあるからな」「目を合わせない方がいいわよ。今度はこっちが標的にされるんだから」


 なぜこうなる。


 「娘、聞こえぬのか。ついてこいと言っておる」


 「…………いや」


 「ほう、わしの命令に逆らう気か」


 このまま宿に戻り獣人国または他の国でクソインドア野郎でも出来そうな仕事を探して、細々と稼ぎながらセレス様に借金を返す。その後も働き続けて、ゆくゆくは一軒家の主。そしてどっかから湧いてきた嫁。夢のマイホーム2人暮らし。ゆくゆくは3人暮らし。


 終了のお知らせである。


 恐らく、いや確実に、あと数十秒後にセレス様がブルドッグ伯爵に向けて怒りのファイヤーボールをぶっ放し、街中はてんやわんやの大騒ぎとなるだろう。その後セレス様は投獄、もしくは運よく逃げ果せても、もう二度と獣人国へ足を踏み入れることなど出来やしまい。細部まで定かではないが、貴族様に逆らうとはそういうことだろう。どの世界でも一部の特権階級の為すがままに我々は生かされているのだ。


 出来うるならば、この危機を回避したい。


 さりとてセレス様をなだめたとしても、この豚犬が問題である。簡単には、というか絶対セレス様を連れて行くまで引き下がらないだろう。顔とか挙動とか目茶目茶粘着そうだし。キャバクラで指名変えないタイプだろ。一途とかそういう綺麗な言葉では表現できない不気味な執着心を抱えているに違いない。


 そんな状況で。 


 俺のすること。決まっている。


 首都ビーストを訪れたのも、元はといえば俺の目を治療するためだ。となればこの状況を招いたのは俺の責任と言える。


 自分の始末は自分でつける。


 チキン野郎だった日本時代でも、それだけは守ってきた。言わば俺の信念でもある。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変にこの事態を収束させてみせる。


 ただ正直に申すと、今現在胸中を占める考えは眼の回復に付随したハイテンションにより導き出されたものだ。つまりは冷静さに欠ける策。これでいいのかという野党勢の声は少なからず聞こえてくる。とはいえ悠長に考え込む時間はない。


 これで行こう。やってやろうぜ。


 「………………」


 「おい、何とか言ったらどうだ、娘――――」


 ブルドック伯爵がセレス様に向けて手を伸ばした瞬間、逆に俺がブルドック伯爵の腕を握る。


 「あ?なんだ、貴様は」


 「その子から、手をひくつもりはありませんか」


 緊張せずに話せている。テンションに身を任せている証拠だ。


 「何を言い出すかと思えば。手をひくなどありえん。わしは手に入れたいものは全て手に入れてきた。もちろん、目の前の娘も手に入れる。これほどの美しさ、2、3年は飽きることもないだろう。分かったらさっさとその汚い手を離せ」


 「残念です」


 ステータススキル発動。



【パーソナル】

名前:ブル・ドッグ

職業:伯爵

種族:犬族

年齢:47歳

性別:男


【ステータス】

レベル:14

HP:230/246

MP:48/48

攻撃力:112

防御力:64

回避力:11

魔法力:26

抵抗力:43

器用:210

運:412 


 


 問題ない。


 俺が今使えるスキルは。

 


【スキル】

ステータス:4

回復魔法:10

MP吸収:54

氷魔法:32



 この4つ。


 まぁ、順当に氷魔法でいいだろう。


 如何せん盲目だったこともあってか、今まで一度も魔法を攻撃手段として使ったことはない。が、何とかなるだろう。


 要は一線を超える覚悟があるかどうか。そこだけだ。


 「ただ豚がブヒブヒと鳴いているのみであれば、私は何もせずに済みました。ですが犬の頭脳を持った豚は傍若無人な振る舞いを披露し、あまつさえ私の恩人まで毒牙にかけようとしている。私はこれを断じて見過ごすことは出来ません。あなたが伯爵だろうと権力を持っていようと関係ない。私はあなたを止めます」


 「き、貴様、儂を誰と心得る。儂は獣人国の伯爵にして辺境伯を父に持つ……」


 最後まで聞かずに、豚貴族の腕を握っている手に力を込める。


 イメージは氷の彫像。全身隈なく氷漬けにする。


 手のひらに魔力が集まるのが分かる。足元に大きな魔方陣が現れ、まるで生きているかのように秒間隔で形を変えている。なにこれすげー。ちょー格好いいじゃん。セレス様が魔法を使用していた際も魔方陣が出現していたのだろうか。そういや足元見てなかった。


 「き、貴様この」


 豚貴族が俺の手を振りほどこうとする。が、遅かった。



 キン。


 という音と共に、一瞬でブタドッグの氷彫刻が出来上がった。独り札幌雪祭りの開催である。


 「………………」

 

 うわ。


 やった、やったよ。僕にも魔法が使えたよ。


 『……………………』


 周囲から音が消える。


 数秒の静寂を経て。


 一気に爆発する。


 「うわ、なんだこれ!」「凍ってる、凍ってるよブル伯爵!」「あれ、魔法……か?」「見たことねぇ、一瞬で凍ったぞ!」「すげー!むえいしょうだ!」「でも、これまずくね?」「殺した……人殺しだ!」「おい護衛の奴!呆けてないで早くあいつを捕まえろよ!」「犯罪者!犯罪者!」


 そりゃあこうなりますよね。ええ。分かっていましたとも。


 呆然と立ち尽くしていたブル伯爵の護衛たちが、周囲の言葉に触発され一斉に動き出す。


 向かうは俺とセレス様のもと。


 今回に限っては、セレス様に咎はない。身柄を拘束されたとしても、俺との関係を確認される程度ですぐに釈放されるだろう。元凶のブル伯爵も動ける状態になければややこしい展開に持ち込まれることもあるまい。


 だが俺は違う。良くて禁固刑、悪くて死刑といったところか。貴族の爵位制度に詳しくない俺でも、伯爵という言葉くらい耳にしたことがある。周囲の反応も併せて考えると、立場的にはかなり上の方だろう。そんな奴を、どんな理由があろうとも氷漬けにしてしまったのだ。有罪は免れないだろう。


 とはいえ、こんなところで第二の人生を終えるわけにはいかない。まだ俺にはやることがあるのだ。


 「………………」


 逃げるか。


 運の良いことに、裸一貫でこの世界に降り立った俺には迷惑をかける相手は1人しかおらず、その人に関しても今回の騒動による被害は微々たるものであろう。つまりは自身の行動が制限されることはない。加えて、今の俺には魔法がある。これさえあれば、最低限の命は保証されるだろう。


 ということで逃亡開始。護衛の兵士が近づいて来るのに少々ビビりつつ、その場にしゃがみこんで地面に手を当てる。


 イメージはアイススケートリンク。周囲一帯の地面を凍らせる。ただし、俺が今いる位置から出口の門までに人ひとり分歩ける幅の土による地面を確保する。


 できるかな。もっとイメージを鮮明に持つ必要があるか。でも時間がない。兵士が間近まで接近している。


 やれ。やっちゃえ。


 ほい。


 ―――――――シュン


 凍った。見事に凍った。辺り一面銀世界。獣人国首都へ無料のスケート場をご提供。町人も兵士もあのセレス様でさえも驚いた表情を浮かべている。


 こちらに接近していた兵士は地面が凍った瞬間、摩擦抵抗が極端に下がり、すってんころりんした。


 周囲の者達も、歩き出そうと足を踏み出せば転び、またその場から動かずとも両足の間に多少の体重移動があれば転び、を繰り返していた。


 やるな、氷魔法。自分の魔法ながら信じ切れてなかったわ。今後は己の魔法をさらに知る必要があると判断。まぁ、この場を切り抜けての話だが。


 そう、魔法の持続時間は限られている。それに少しずつではあるが、ぶっ転びながらも護衛の兵士達がこちらへと近づいて来ている。逃げなくては。


 上手く確保できた土の地面を一歩踏み出し、首都出口へ向かう。


 その前に。


 振り返って言葉を紡ぐ。


 「セレスティナさん、今までお世話になりました。私は貴女から受けた恩恵を絶対に忘れません。必ず、お返しします。お金はもちろんのこと………………えー、それ以外にも形に残るものでお返しします。そう、たとえば………あー、そうですね」


 まずい、考えが纏まらないうちに話し始めてしまった。これはグダグダになる。


 しかし悠長に話している時間はない。なんだ、なんて続ければいい。


 「あーえー、と、そうだ。そうです。セレスティナさんが今後の人生で寂しさを感じないように、私があなたのもとへお連れします。格好良くて性格が良くて強くて優しくて何でもできる魅力的な男性を。セレスティナさんを生涯愛してくれる男を、貴女のもとへ、貴女の家へ連れて行きます。その際に借りたお金も返します。ですから、最後の最後までお願いごとばかりで申し訳ありませんが、どうかお待ちいただけますでしょうか。必ず、必ずや私は戻って参ります。私は貴女に情けない姿ばかりお見せしましたが、責任は、自分のやるべきことは必ず果たします。だから」


 と、間近まで接近した護衛の兵士が俺に手を伸ばす。タイムリミットのようだ。


 何か言いたそうにしているセレス様に背を向けて、走り出す。


 走りながら叫ぶ。


 「今までありがとうございました!私は、この世界で貴女に出会えて良かったです!」


 万感の思いで。言い放つ。


 徐々にセレス様たちから遠ざかり、逆に門が近づいてくる。壁の外側にいたためか、門兵はこちらの騒動に気づいていないようだった。勢いそのまま門を駆け抜ける。


 後ろのほうで何か叫ぶ声と、近づいてくる足音が聞こえたが全てを無視して無心で走り続ける。


 走って、走って、疲れ始めたら自分に回復魔法をかけて、また走って、回復魔法をかけて。


 それを繰り返して。


 気が付いたら。




 見知らぬ場所に、1人で立っていた。



紅魔族編終了です。

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