沈黙の君【14】
「うぅむ……」
右手をグーパーする。違和感はない。むしろ好調、イケダさいこっちょーである。一応左手もグーパーする。当然こちらも感度良好。切られたのは右腕なのでオフコース。
スキル画面をチェックする。
【スキル】
ステータス:4
回復魔法:19
MP吸収:54
氷魔法:55
解読魔法:1
土石魔法:21
転移魔法:10
スキルポイント:0
「19・・・」
この値が高いのか低いのか分からない。唯一ハッキリしていることは、回復魔法レベル19で身体の欠損を完治できるということだ。しかも一瞬で。後腐れなく。現代医療も驚きの回復速度だろう。
改めて思う。魔法は凄い。
「………………」
もう1度右手をグーパーする。相変わらず普通に動くし指先まで感覚がある。一体全体どうなっているのか、回復魔法の原理が謎だ。
「うぅむ」
まぁ。
いいか。
考えたって分からんものは分からん。所詮おれはゆとり教育が産んだなんちゃって社会人なのだ。未だにどうしてテレビから映像と音が出力されるのかも理解できていないのに、回復魔法の原理や理論など分かるはずもない。
もしくは生誕2千年を迎えた元魔王様なら知っているかもしれないが。
まぁ、いい。回復魔法は"こういうもの"としておこう。その方が楽だ。うむ。
「よし」
おーけー。おーけー。
思考を放棄できるのもニンゲンの特権だ。
☆☆
「おはようございます」
リビングに下りると既に何名か食事を始めていた。
「おはよう」「おはよう~」「ちゃおす」
左からルシア、ルシアのお母さん、ルシアの妹だ。いわゆる金髪女騎士一家である。
ルシア母の正面に座ると早速料理が運ばれてきた。もちろん調理&配膳係はジャージ姿のセレス様である。
「…………どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
俺も食事を始める。まずサラダ、次に卵、そしてパン。どれもこれも代り映えしない朝食のはずだが飽きることは無く、そして美味い。
これぞ最高のブレックファースト。ちなみにブレックファーストの意味は「断食を壊す」らしい。どうでもいいけど。
ああ、うめー。サラダうめー。変な味のドレッシングうめー。
「ところでイケダ。相談、というか確認なのだが」
「え、はい」
ところで、って使い方合ってる?と思いつつ耳を傾ける。
「都市フィモーシスにおける我々マーガレット家と騎士団、並びにグリルスキャラバンの仕事はブリュンヒルデに一任されている、という認識で間違いないか」
「ああ、ええ。その認識で問題ありません。彼女から何か言われていますか?」
「うむ。商人達の護衛並びに宿屋の経営をやってほしいと。スターク家を下したことによりかの経済圏に参入したため、今後フィモーシスを経由する商人が増えるそうだ。概ね彼らの対応ということになる」
「なるほど」
適材適所だろう。
住民(魔物)では商人の相手は出来ないだろうし、護衛任務を任せられるほど強くもない。悪くない、むしろ最善であろう。
ただ1つ心配なのはたとえ見た目が弱そうでも魔物が跋扈する都市に商人が宿泊できるか、という点だが。
最初は難儀するかもしれない。だが彼らは敏い。そう遅くないうちに野宿するよりもずっとフィモーシスの方が安全と理解するだろう。
「イケダさん、私からも1つよろしいかしら」
「え、はい」
お次はルシア母らしい。こうして見ると母親というよりも末っ子だ。デブスの妹的な。若々しい見た目は種族:サキュバスが関係しているのだろうか。
「いつになるか分からないけど、この地にマーガレット家からの追手が訪れると思うの。その時は完膚なきまでに叩き潰して欲しいのだけど。あ、殺人は極力無しで。お願い~」
「はぁ」
両手を合わせてめちゃめちゃウインクしてくるんですけど。それが結構可愛いんですけど。サキュバスの魅力溢れ出てるんですけど。ああ、いかんいかん。
そういえば喧嘩別れしたとか言ってたな。過程は定かでないがルシアとセリーヌだけでなく母親まで出奔するあたり父親の業は深いと見える。
つまるところ家族を連れ戻すために兵を差し向けるということだろう。
いや、えー。
撃退は出来るだろうけども。厄介事であることに変わりない。あまり関わりたくないと言うのが本音である。
とはいえ目の前の3人を追い出す勇気はない。というかそんなことしたらヒルデさんに怒られる。人手を減らすなと。
ううむ。止むを得ない。
「お礼はするから。性的な意味で!ね?」
今度はルシアにウインクした。された本人は困惑顔を晒している。
「金か労働を対価とさせてくれ。もちろん父上の追手が訪れた際は私達も戦力として貴方の指揮下に入る」
「あーしのムラサメが火を噴くぜ」
「はぁ。まぁフィモーシスを攻撃されたらやり返すまでですが」
とりあえず、いつかマーガレット軍の襲撃があるかも?程度には心にとどめておこう。
と、話がひと段落したところで背後からちょんちょんと肩を触られた。
「セレスティナさん?」
振り返るとそこには幽鬼のように佇むジャージ娘がいた。
「………後で話がある」
「あ、はい」
ん?
なんだろうか。
☆☆
ところ変わって紅魔族領。
「………………」
そう、この世界における原点と呼べよう紅魔族領である。
「………よかった」
お出かけ用の黒ドレスに着替えた灰髪ポニーテールの呟きが前方から聞こえた。彼女の視線の先にはポツンと一軒家、そうトランス家の実家である。
さほど外観に変化は見られない。周囲の草木は少々の成長を遂げているが家屋自体は健在だ。荒らされた様子もない。先程の呟きはそういう意味だろう。
そうなってくると逆に謎が生まれるものだ。周囲に魔物がウジャウジャいるのに荒らされぬ事があろうか。結界かそれに近い類を張っているのやもしれない。聞いたら答えてくれそうだが、まぁいいでしょう。家が無事、その事実だけでいい。
「…………ちょっと、お家の内外を掃除するから。その間は………周りの魔物を、間引いてくれる?」
「え?はい、分かりました」
久しぶりに別荘を訪れた家族か!と危うくツッコみそうになった。だが俺は別荘など持っていないので本来の会話など分からんし、お母さんが夫や息子に掃除しているあいだ魔物倒してこいなど言うはずもない。ツッコみを入れなくて正解だろう。そもそもツッコんだところで期待する反応が返ってくるとは思えない。
大人しく魔物を狩ろう。どのレベル帯の魔物が存在するか知らないが、覚醒前のセレス様が難なく倒せていたのだ。問題ないはず。
よし行こう。
☆☆
テキトーに魔物を狩って帰宅。レベルもいくらか上がった。
「ただいまです」
「…………おかえり」
トランス邸へ入る。胸に去来するは懐かしさ。異世界転移してから盲目になるまでの期間が短かったため見慣れたとも言い切れないが、ああこんな内装だったなと思う程度には記憶に残っている。
ここから始まったんだなぁ。
「………………ちょっと、待ってて。あと少しで……お昼ごはんできるから」
「はい」
台所に立つセレス様の背中を見つめる。
キッカケは彼女からの相談だった。「自宅が無事か確認したい」と。そういえば1年以上帰っていないことになる。周囲は魔物だらけ、もしかすると荒らされているかもしれない。セレス様の心配は当然であった。
軽く了承した自分だったが、まさか無断で行くわけにもいかない。らんこう都市フィモーシスの実質的支配者たるブリュンヒルデ氏に話したところ、「スターク家との騒動も落ち着きましたし、しばらくは混乱も生まれないでしょう。転移魔法を使用すれば今日中に戻って来れますよね?ならば問題ありません」とのこと。よって急遽帰郷することとなった。
転移魔法は何地点か経由した。水上都市マリス、城塞都市アリア、獣人都市ビースト、獣人国と紅魔族領の国境、セレス家と。どこも滞在時間は1分と無かったが、ビーストでは運悪く兵士に顔を見られ、「あ、指名手配の……」と言われたところに問答無用で転移した。危ない危ない。
「…………できた。運ぶの……手伝って」
「がってん!」
「……は?」
「あ、いえ。了解です」
料理が出来上がったらしい。配膳を手伝い共にちゃぶ台の前へ座る。
「………いただきます」
「いただきます」
献立は基本形。パン、スープ、肉野菜料理だ。食材は全てフィモーシスから持ち込んでいる。
うん。当然の如く美味しい。場所も相まって実家のような安心感だ。
大した会話も無く食事を終えた。
食器を水洗いする背中をボーっと見つめる。
「…………………」
なんか夫婦っぽいな。
悪くない。
食器洗いを終えたセレス様は水魔法と火魔法で作ったお茶をちゃぶ台に置いた。
「ありがとうございます」
1つ受けとりズズーっと啜る。ああ、うまい。食後は温かいお茶が最高。
セレス様も湯呑に口をつける。顔色は変わらない。フーフーもせず熱くないのだろうか。
「ふー」
「……………」
一息ついた。
この後はどうするのだろう。フィモーシスに帰還かな。
「あの、この後――――」
「話がある」
「え、はい」
強い口調で言葉を遮られた。珍しい。
どうしたというのか。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
ううむ。
こんなに長い沈黙は久しぶりのような気がする。当初はワンコミュニケーションに長時間を要していた。だが最近は他者との交流が増えたためか沈黙タイムは減少の一途を辿っていた。ちょっとだけテンポが悪いな程度である。
こう言ったら失礼かもしれないが、セレス様はだいぶ成長したと思う。特に他人とのコミュニケーションにおいて。一方の池田はどこか成長したところがあるかと言われると言葉に詰まるのだが。
ああ、いいのだ。今は池田の異世界道程などどうでもいい。ひとまず先を促してみよう。
「あの…」
「………もう、後戻りできないと…………思ったから」
「えぇ、はぁ」
このタイミングの悪さはなんだろうと思いつつ。ちゃぶ台の向かい側の彼女に視線を向ける。
すると彼女は立ち上がり、部屋の奥へとスタスタ歩いていった。
「えーと」
と思えばすぐに戻ってきた。右手には分厚い本を持っている。
本をちゃぶ台に置き、再び着座した。
「…………これ、読める?」
「んー?……いえ、読めませんね」
本をパラパラめくってみる。見た事の無い文字列だ。アラビア文字に近いだろうか。くねくねした字が紙いっぱいに綴られている。
もしかすると解読魔法が通用するかもしれないが、あいにくスキルレベルは1だ。圧倒的に足りない。残念無念。
「これは………トランス家の……………家伝魔法書」
「へぇ、これが。へぇ~」
家伝魔法か。たしかセレス様の必殺技「ダークワールド」も家伝魔法だった。
「この分厚い内容、全てが家伝魔法に関することなのですか?」
「………いや。半分、くらい。あとの半分は………初代様の……日記………のようなもの」
「日記。なるほど」
どうやら家伝魔法書はトランス家の初代が作成したようだ。そもそも初代様にとっては全編日記なのかもしれない。特殊な魔法の記載があったため二代目以降の人間が魔法書として取り扱ったのが正解じゃないかな。まぁ、何でもいいけど。
「それで、この家伝魔法書がどうかしましたか」
「…………………」
「…………………」
「………………………まず、初めに。今更だけど…………ごめんなさい」
「…………」
なんだろうか。既に思考が追い付いていないようだ。いきなりの謝罪に動揺を覚えつつ先を促す。
「どういうことでしょう?」
「………この書には、8つの魔法が記載されている。ダークワールドも……そのうちの1つ」
純粋に家伝魔法多いな。普通は1つか2つではないか?あくまで池田の常識に当てはめた場合だけど。
「ただ、8つ全て使える……わけじゃない。どういう仕組みか分からないけど…………2つまでしか、習得できない。それ以上覚えようとしても………無理、らしい。私は試してないけど……お父さんが、言ってたから。たぶん……本当」
「2つ、ですか」
渋ちんだな。この場合は初代様になるのか。どういう意図で縛りを入れたのか。小説や映画だと強大過ぎる力は己の身を亡ぼすとかそんな理由になりそうだけど。
「セレスティナさんは2つ使えるのですか?」
「………………うん。ダークワールドと……もう1つ」
「ほう」
なるほど。見えてきたぞ。目の前の魔法書、そして先程の謝罪。
つまりもう1つの家伝魔法が俺に災厄をもたらす、またはもたらしたのだろう。
「…………」
はて。セレス様に何か嫌な事をされた記憶はない。ということはこれから、になるのか。
ええ、一体何をされるの?
「あなたも知っていると思うけど…………私は、ずっと1人だった」
「ええ」
「お父さんとお母さんが死んでから……この家で10年間……………」
「ええ」
「…………生きていくだけなら、問題なかった。そう、何も問題は……ない。………………キッカケは何だったか、たぶん……とっても小っちゃいことだったと、思う」
「ええ」
「ちょうど2年くらい前だったと思う」
「ええ」
「私は、生まれてはじめて…………………………寂しい、と感じた」
「……………」
「だから、家伝魔法の………………召喚魔法に、手を出した」
「………………………」
ん?
「私は、ずっとお父さんとお母さんと一緒にいたから………他人と、どういう会話をすればいいか……分からなかった。あと、後から知ったけど……たぶん私は、口下手だから。近くの街に買い出しに行っても……だれかと、仲良くなったりは……しなかった。だから、自力は……無理だと、思った」
「えーと…」
「動物を、飼ってみたけど……。それでも………寂しさは、止まらなくて……。もう、どうしたらいいか分からなくなった時に……………家伝魔法を、思い出したの」
「つまりその、自分がそのあれ、あれなんですかね」
少々先走って意味不明な指示詞を多用してしまった。何故なら動揺しているから。心が揺れに揺れ動いている。
「そうだね、うん。そういうことに、なる」
「なるほど。なるほど」
「あなたは、私が召喚した」
「ええー!!!」
思わず立ち上がる。話を聞いていくうちに薄々そうではないかと思っていたが。
まさかかよ。
心臓バグバグしてる。
「なるほど、じゃないの?」
「いえ、なるほどはなるほどなのですが。言葉にされると思わぬ驚きがあったと言いますか。とにかく、ええと、色々確認したい事があるのですが」
自分の感情が分からない。もちろん驚きが1番だが嬉しさと悲しさも共存している。切なさと心強さもわずかにある。愛しさはない。
「なぜ、私だったのでしょう?」
「条件に、合致したから。条件に当てはまる中から選ばれたのは……偶然」
偶然かい。ちょっと寂しい。
「条件とは?」
「紅魔族に偏見がない。一定以上の優しさを備えている。執着心が薄い。この3つを設定して……召喚魔法を行使した」
まぁ、当てはまると言えば当てはまるのだろう。どの条件も違うとは断言できない。ただ今挙げられた条件に合致する人物はたくさんいるだろう。しかも俺は異世界人だ。いくつ世界があるか分からないが、抽出範囲が全世界だとしたら当選率はほぼ0%ではないだろうか。
まさかこんなビックイベントで運を使い果たすなんて誰が想像できよう。
「その条件だと私がセレスティナさんの元から逃げ出す可能性もあったのでは?現に獣人国で離れましたし」
「魔法書に記載があった。召喚された者は……一定期間、召喚した者から離れられない、って。どういう原理か、分からないけど………魔法書に、嘘はないってお父さんが言ってたから、たぶん本当」
なにそれ。シークレット部分多すぎないか?
「私にはその、魔法やらなんやらを使う力がある、というか芽生えたのですが」
「魔法書に記載があった。召喚された者には……この世界で生き抜く力が…与えられると。それが何か、私には分からなかったけど……あなたの氷魔法を見て、そうなんだと思った」
つくづく謎だな、トランス家の召喚魔法。初代様の力が異常だ。ハッキリ言ってチートである。まさかそいつも異世界人ではあるまいな。
「他に………なにかある?」
あるような気はするが思いつかない。頭が完全にショートしている。
ええと、なんだ。あれか?いや、えー。
「寂しさ、寂しさは、無くなりましたか?」
結局はそこだ。彼女の願いはかなえられたのか。俺は期待に応えられたのか。
セレス様の顔を見つめる。今は人目も無いので真・セレスティナのルックスだ。非常に美しく直視できない輝きがある。が、今だけは目を合わせねばなるまい。
彼女は1度視線を落とした後、噛み締めるかのように2度、3度頷き顔を上げた。
その表情はあまり見た事の無いものだった。
「寂しさは……無くなったよ。ありがとう。本当にありがとう。だから、そろそろ……解放してあげなくちゃって」
「それは良か…………ん?」
突然、足元が光り始めた。なんだろうと思っているうちに範囲も強さも大きくなっていく。
珍しく俺の本能が騒ぎ出した。この光はまずい、と。
とにかく光源から逃れねばと立ち上がる。が、膝が上がらない。
「あ?え?」
パニック。近年稀に見る混乱を曝け出し中である。
いったいなんなのだ。セレス様のカミングアウト中に何が起こったというのだ。膝上がらんし。ええいと足を殴りつけようとするが今度は腕が上がらない。ええ?どうなってるのこれ。
一方のセレス様はいつも通りのポーカーフェイスだ。とはいえ流石の彼女でもいきなり足元が光りだしたら驚きの1つや2つ見せるだろう。
つまり、そうなると、非常に厄介な現実と向き合う必要がある。
「………動けないでしょ。お茶に……麻痺薬、混ぜたから」
「え」
やはり。ということはこの光もセレス様の仕業だな。
「召喚魔法の使い道は…………2つ。1つは、条件に合致したヒトを……召喚すること。そしてもう1つは………召喚したヒトを……………………送り返すこと」
「うえ」
分かった。理解した。これはあかん流れや。
何をどう思ったか分からないがセレス様が暴挙に出ようとしている。
なんとしてでも止めねばなるまい。しかし足は動かない。ちくしょう、動け、動けよ。
「セレスティナさん、お待ち――」
「たぶん……無理やりだったと、思うから。何もかも捨てさせられて…………ここに、来たと思うから。今更遅いかもしれないけど………………やっぱり、ケジメは必要だから」
「いや、待って、待ってください。私の意思は」
足元の光が徐々に形あるものと成していく。既に見慣れたと言っていいだろう、魔法陣だ。例の幾化学模様がグイングイン言っている。
そもそもの話。俺は日本の木造アパートで焼死寸前、もしくは焼死した後にこの世界へ転移している。つまり送り返されたところで俺の身体は存在するのか?という問題に直面する。
日本から紅魔族領に転移した際に当時26歳の池田ボディが存在したわけだから、紅魔族領から日本へ逆転移する際も、池田ボディは再構築されるかもしれない。ただこれは楽観的な予想だ。転移した瞬間に死ぬかもしれないし、そもそも転移に成功しないかもしれない。
いや、いい。むしろ転移に失敗して欲しい。やっとひと段落着いてこれからという時なのだ。
まだお豚さんの嫁ーズと会話していない。金髪女騎士をデレさせていない。デブスに一泡吹かせていない。年齢不詳には負けたままだ。ヒルデさんには何もしてやれていない。フランチェスカを組み敷きたい。レニウス帝国や黒魔族領にも行ってみたい。そして何より、セレス様と一緒にいたい。
つまり俺は、この世界に居続けたい。
――――しかし。
「ありがとう………本当に今までありがとう」
「いやだから、待ってください。待って、待てって!!」
この娘は聞く耳を持たない。強情すぎる。出会ったときからそうなのだ。美徳ではあるが今は厄介この上ない。
足は相変わらず動かない。というよりも活動可能なのは口だけだ。しかし俺の言葉は彼女に届かない。こいつこの状況に酔ってんじゃねえだろうな?
「セレスティナ!聞け、俺の話を。俺はこの世界が好きなんだよ」
「分かってる。分かってるから………向こうに行っても、忘れないでね」
駄目だこいつ。挙句の果てに泣いてやがる。両頬から伝う涙はあまりに美しく意識が持って行かれそうになるがここは我慢。美女の涙に気を取られている場合ではない。
――――そうこうしているうちに足元の魔法陣が七色に点滅し始めた。
徐々に点滅する間隔が短くなっていく。
これは、いけない。
「セレス!セレスぅ!お願いだからやめて!止めて!」
「うん……うん…………ありがとう…」
「せれ、せれれ、ああ、うおー!!!!」
光の点滅に気が急いてどうしていいか分からなくなり叫び出す。改めて俺は俺の人生を悔いる。もう少し語彙力だったり話し方だったりを勉強しておけばよかった。肝心な時にどうにもできないまま終わってしまうから。
どうする。もう時間は無い。どうすればいい。俺の声は届かない。言葉でどうこうできそうもない。ならばどうする。他にあるのは。身体が動かずとも出来ることはない。ないか。ない。いやある。あるぞ。魔法だ。使えそうなのはなんだ。氷魔法か、いや転移魔法か。魔法と向き合うか逃げるか。それともどちらとも選択するか。ええい、ままよ!
――――そして
――――七色の光に部屋中が埋め尽くされ
――――最後に見た彼女の顔は
――――とても笑顔で
――――とても悲しそうに見えた
「………………………………………………さよなら、池田」
パチッと。
目を覚まし。
ゆっくりと身を起こす。
「………………」
目前に広がるは鬱蒼とした森。見覚えがあるような無いような、ありきたりと言えばそこまでの景色だ。
「………さむい」
何故だろうか。周囲に冷気が立ち込めている。思わず両腕をさすると、これまた何故だか地肌の感覚である。長袖好きの俺がそう易々と半そで姿を晒すわけがない。そう思って腕から身体全身を見渡すと、本日3度目の何故だか、全裸ではないか。どおりで寒いわけだ。
「うぅ…」
とりあえず歩こう。歩いて体を温めよう。そう決心した俺は震える身体に活を入れ、足裏を傷つけないよう恐る恐る歩き出す。
日本か。異世界か。今のところ判断はつかないが。
「さむ」
とりあえずは火が欲しい。そう切実に思うのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
池田の物語はひとまず幕とさせていただきます。
少々中途半端になってしまったことはお詫びします。
続編やら外伝やらのプロットはありますが、少々書く意欲が減退しているため今すぐにということはありません。
いつになるか分かりませんが、再び舞い戻ってきた際はよろしくお願いいたします。