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沈黙の君【10】

 獣人国へ入り2日。


 橋の出口にも人、というか獣人が立っていたようだが、声を掛けられることはなかった。どうやら両国共に検問は入り口だけのよう。


 獣人国は紅魔族領と比べて木々が少ない。無いわけではない。ただ、日差しを遮るほど育ち切った草木は見られない。見えないけど。視界を圧迫される感じが皆無なので。

 

 魔物との遭遇戦にも違いがある。エンカウントは多いと言えず、質も何段階か下がるらしい。思うに紅魔族領が異質なのだろう。魔物出過ぎ。よく生きていられたものだ。


 セレス様に至っては獣人国へ入国後も歩みを止めることはない。まるで初めから答えを知っている迷路のようにスルスルと歩いて行く。


 獣人国は初めてのはずなのに。


 こいつ、大丈夫かと思ったのは数回で足らず。前例があるため不安は増すばかり。とはいえ、迷っても死ぬことはない。紅魔族領で実証済みである。今はただ、従者のごとく黙って従うのみ。


 池田は異世界に降り立ち泰然自若になった気がする。ほんの少し。


 「……………あ」


 セレス様が何かに気づいた。立ち止まる。


 「どうしました」


 「…………」


 「…………」


 「…………」


 「…………」


 「………………村が、ある」


 どうやら、獣人との初イベントが発生するようだ。

 


 ☆☆



 獣人の村へ入った。


 村は木柵で囲われ、木造建築が立ち並ぶザ・村といった様相を呈しているらしい。


 村の敷地へ足を踏み入れた途端、右からも左からも視線を感じた。どうやら注目を浴びているらしい。そりゃあ、異物が混入してきたら警戒もする。


 「旅人の方々ですか。ようこそ、ベア村へ」


 正面から声が聞こえた。村人が話しかけてきたらしい。獣人だろうか。


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 まずい。セレス様、何も言葉を返さない。どのような意図か定かではないが、これでは不審に思われる。


 仕方がない。ここは人見知りの池田が行くしかあるまい。やはり初対面が一番緊張する。


 「あー、その。……歓迎いただきありがとうございます」


 「あなた、目が……いえ、失礼。お客様は紅魔族領からいらっしゃったのでしょうか」


 早速質問ときた。声色からは少々の警戒が感じられる。


 恐らく見た目人間の男女が紅魔族領から渡ってきたことに懐疑心を抱いたのだろう。そうだな。セレス様は魔族っぽくなく、俺も醤油ベースのジャパンフェイス。紅魔族の要素は皆無である。


 「私は人間ですが、こちらの女性は魔族です」


 素直に答えし後、気づく。これ程に呆気なく個人情報を晒してよかったものか。相手は初対面。しかも外見は不明。少々軽率が過ぎたかもしれない。


 「ん?あ、あぁ。ではやはり、紅魔族領から来たのですね」


 「えぇ。獣人国の首都に用事がありまして」


 とは言っても。人と人との関係は信頼から始まる。余計な嘘をついてボロを出すくらいなら、正直に話したほうが良いと判断。


 「そうですか。首都まではまだかなり距離がありますから、この村で休んでいくのをお勧めしますよ。無料ではありませんが宿もありますし、雑貨や食料を売っているお店もあります。一息つくには最適の場所ですよ」


 「そうなんですね。いろいろ教えて頂きありがとうございます」


 「いえいえ、こちらも打算があってのことなので。実はすぐそこに居を構えている家、あれが村で唯一の宿でして経営者は私なのです。よかったら、後でいらしてください。では」


 と言って、足音が遠ざかっていく。


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「……………どうします?」


 「…………」


 「…………」


 「………………宿に、行く」


 おお、久しぶりに屋根のある場所で休める予感。ただし、最大にして致命的な問題を1つ抱えている。


 「え、でもお金がありませんよ」


 「…………ある。お父さんの、お金」


 なんだど。


 「ん?……あぁ、家から闇魔法で持ってきたんですね。ただ、なんでしょう。ええと、紅魔族領と獣人国では同貨幣を扱っているのですか」


 異なる場合はどこかで両替する必要がある。もしくは宿の主人が紅魔族領の貨幣でも支払OKと言うのなら話は別だが。


 「…………大丈夫。お金はどの国も……同じの使ってる…………って、お父さん言ってた」


 それは便利だ。アメリカやヨーロッパでも日本円で買い物ができるといった感覚か。


 「であれば宿も利用できそうですね。ただ、私はお金を持っていないのですが」


 「………………私が払う」


 「私のみ、変わらず野宿でも構いませんよ」


 「…………ばかなの?」


 え。


 「ば、馬鹿とはいったいどういう意味でしょう」


 「…………………私がここにいる意味、考えて」


 ああ。なるほど。


 盲目の池田は介護なしでは生きてゆけない。にも関わらず1人きりで外泊するなど常軌を逸していると。そう言いたいのだろう。これは俺のうっかり。てへぺろである。


 それにしても、初めて暴言を吐かれた気がする。ばかなのって。不覚にも興奮してしまったじゃないか。クール系女子のボソッと冷罵は100ドル以上の価値があろう。


 「軽率な発言、申し訳ありません。お言葉に甘えまして宿泊させていただきます。お金は後程、必ずお返ししますので」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」

 

 宿へ行くことと決めた。



 ☆☆



 カランコロン。セレス様が宿の扉を開けた。


 「いらっしゃい。何をお探しでですか」


 正面からはとうが立った女性の声。先ほど村の入口で邂逅した男性は不在のようだ。しかし探し物を尋ねるとはどういう了見だろう。


 「えーと、ここは」


 「雑貨屋を営んでいますよ、お客さん」


 「………………」


 何がどうなっている。


 「…………セレスティナさん?」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「……………………塩と、香辛料……それと、丈夫な布、数枚、欲しい」

 

 「え」


 「はーい、少々お待ちください」


 トコトコと店員が遠ざかる。


 何をナチュラルに買い物しているのだ、この娘は。あまりにも自然過ぎて、てっきり俺の思い違いかと焦ったがそんなことないわ。ついさっき宿に行くとかほざいてたよな、おい。


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 沈黙の続く中、店員が戻ってきた。


 「はい、お待たせしました。塩と香辛料、それと布5枚です。こんなもんでよろしいでしょうか」


 「………………うん。いくら」


 「全部で5000ペニーとなります」


 「………………」


 隣からジャラジャラと聞こえる。どうやらお金を取り出しているようだ。耳覚えのない音から察するに、いつの間にか収納魔法で財布を取り出していたようだ。


 「…………これで」


 「はい。ひぃふぅみぃ………ちょうどですね。ありがとうございましたー」


 カランコロンと、俺を連れ店の外へ出る。


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「…………次が、宿」


 「はい?」


 「………なに」


 「あ、いえ。何でもないです」


 嘘だろこの感じ。全く悪びれる様子がないぞ。まさか、本当に聞き逃していたというのか。宿の前に雑貨屋寄るからという一言を。


 ああ、そうか。そうだよな。いくらセレス様でも宿屋と雑貨屋を間違えるはずもない。十中八九、俺の難聴が原因だろう。視力を失いし後は一番に周囲の音を頼りに生きてきたとて。耳には自信があるとてなのだ。

 


 再び歩き出し数分後。無造作に建物へと入る。


 カランコロンと、聞き覚えのある鐘が俺たちを出迎えた。


 「はい、いらっしゃい。って、あなたたちは……」


 「………………」


 「………………」


 これはもう、揶揄われているとか思えないのだがどうであろうか。


 「念のため確認を取りますが、ここは雑貨屋、ですよね」


 「え、えぇ。そうですよ」


 セレス。おいセレス。


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………てきとうに、乾物見繕って。あと……歯ベラーシがあれば、4本ちょうだい」


 「あ、え、は、はい。少々お待ちください」


 店員が遠ざかっていく。


 こいつ。


 正気か。


 「セレスティナさん、1つお尋ねしてもよろしいですか」


 「…………駄目」


 「そこを何とか」


 「……うるさい」


 「迷ってますよね?」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「…………………私は、そうは思わない」


 どういう返答だよ。強がりにもほどがあるだろう。変な部分で強情なところがある。


 まぁ、嫌いではないが。そもそもセレス様に限っては嫌な部分が見つからないのが困る。このままだとマジで惚れてマウンティーがぶ飲みしちゃうだろ。紅茶の代わりにお小水を出されたとてがぶがぶ飲み干す所存。


 トコトコトコ。店員が戻ってきた。


 「はい、お待たせしました。野菜、キノコ、果物、魚介と一通りの乾物を揃えました。それと、こちらが歯ベラーシ4本です。お間違いないでしょうか」


 「……………うん。お金は」


 「先程も購入いただいているのでちょっとサービスしちゃいます。1割引きで10000ペニーとなります」


 隣からジャラジャラ。


 「…………これで」


 「……うん、ちょうどですね。ありがとうございましたー」


 目的は果たしたとでも言うように、店を出ようとする。


 「あ、セレスティナさん少々お待ちください。あの、店員さん。この村にある宿への行き方を教えていただけますでしょうか」


 「?ここですよ?」


 「え?」


 「ここでは1階で雑貨屋、2階で宿屋を経営しているのですよ。ちなみに1階は夜になると酒場に変わり、飲食も可能となっております」


 「あ、そ、そうなのですね」


 「………………」


 なんということだ。


 セレス様、道に迷ってなどいなかった。失礼な態度をとってごめんなさいだ。


 ただ、俺の確認無しでは気づけなかったという面もある。そもそも宿屋を紹介した当の本人が不在という状況が解せない。ひいては紹介人の妻と思しき受付嬢の口から宿屋のやの字も出ずじまい。何というか、色々と不運が重なった結果ここに至れりといった感じである。


 セレス様は何故か相手に合わせた。俺は眼が見えなかった。主人は不在だった。その嫁は雑貨屋の体を為していた。つまりは皆に皆、少しずつ過失があった。そういうことであろう。


 「……………宿に、泊まる。2人」


 「あ、はい。お部屋は別々でよろしいでしょうか」


 「…………」


 「…………」


 「………………一緒で」


 なんと。旅先で女子と同室とか都市伝説じゃなかったのかよ。それでいいのか、本当にいいのかセレスティナ・トランス。


 「一緒、ですか」


 「……………1人で、生活できるなら、別々でも」


 「そうですね。すみませんでした。一緒のお部屋でお願いします」

 

 要介護1相当の俺が1人きりで過ごせるはずもなかった。


 「はい、ではツインの部屋おひとつで。何泊されますか?」


 「………………どうする?」


 「1泊で良いと思います。出来るだけ早く首都へ向かいたいので」


 「………じゃあ、1泊」


 「では御2人様1泊ツインのお部屋ですね。夕食、朝食つきで6000ペニーとなります」


 高いのか安いのか定かではない。ペニーが円と同価値であれば、破格の安さであろう。ド田舎のモーテルでも滅多に拝見できない値段設定である。


 「…………はい」


 「えーと……6000ペニーちょうどですね。こちら鍵となります。お部屋は2階に上がって左の角部屋となっております。夕食、朝食はここ1階でご提供しています。明確な時間帯は設けておりませんので、頂きたい時にお声かけください。では、ごゆっくりどうぞ」


 セレス様に手をひかれ、2階へ上がる。


 ようやく、一息つける運びとなった。



 ☆☆


 

 夕食は魚介具沢山のスープとパンっぽいものだった。セレス様には若干劣るが、それでも素晴らしい出来栄えであった。おいしゅうござった。


 その後。身体を拭いてもらい、トイレに連れて行ってもらい、歯を磨いてもらい、寝具まで誘導してもらい、貰い貰われもらもられ状態で就寝を迎える。その勢いで下半身の世話までも願う気持ちをグッと抑える。下手な真似をしてこの地に置き去りとされるのは御免被る。とはいえ異世界に降り立って以後、一度も慰めていない。そろそろ夢の中で暴発しても不思議ではない。嫌だなぁ、夢精したパンツをセレス様に洗われるの。母ちゃんにだって洗わせたことないのに。


 宿の部屋は、2人用にしては狭いというわけではなく。簡素だが丈夫そうなベット2つが大体を占めている、らしい。


 ベッドに横となる。セレス様も同様に横並びのベッドで身体を休めている。


 本日も中々の距離を歩いた。既に穏やかな眠気が訪れている。そのまま身を任せようか。


 …………………


 「…………………」


 寝返りを打つ。


 「……………」


 もう1度寝返る。


 「………」


 おかしい。寝れない。


 セレス様が隣で眠っているからという理由ではない。異世界当初より何度も夜を共にしているのだ。悪い意味で。いや、悪い意味ってなんだ。同衾はしていない。介護をしてもらってるだけ。ゆえに、基本的には熟年夫婦よろしく互いを気にせず眠れている。最近は何故か、なぜか意識してしまう夜もあるが眠りを妨げる程ではない。


 ベッドが柔らかすぎる。


 なんだこれ。寝具として有り得ん。顧客の立場に立って物事を考えていない奴が製作したに違いない。寝具と男のあそこは硬ければ硬い方がいいと、どこかのワイドショーで主張していた気がする。まさにその通りであろう。この宿はあれだな、食事と雑貨屋で経営出来ているに違いない。部屋の質は最低ランクだろう。


 どうする。


 無理やり寝るか。寝ることに努力するか。


 「……………」


 いや。決めた。


 床で寝る。


 ベッドから上半身を起こし縁の方まで移動した後、床に手を伸ばす。そしてそのまま地面にダイブ。掛布団だけ引っ張り、使用することとする。


 あぁ、やっぱりこれだね。時代は床寝だろうな。この感触であれば寝られそう。


 よし、おやすみだ。



 翌朝、セレス様に「……………寝相、悪いね」と言われた。


 


 ☆☆



 

 村を出て数日が経った。俺たちは旅を続けている。


 結局ベア村において特筆すべき出来事はなかった。突発的なイベントは発生しないに越したことはないが、少々寂しさを感じる。


 村の名前から察するにクマの獣人が多数を占めていたのだろう。人間寄りなのだろうか。それとも獣寄りか。拝見したかった。


 ちなみに首都までの道のりは宿屋の主人に教えて貰えた。数分かけて地図まで書いてくれる親切心。クマは元来穏やかで優しい生き物なのかもしれない。


 そんなこんなで旅を続けている我々だったが、数刻前から違和感を感じつつあった。


 何かがおかしい。


 違和感を感じるは周囲の環境ではなく。戦闘でも食事でもない。もちろん自身に対するものでもない。


 恐らく、俺のヘルパーである彼女。


 セレスティナ・トランスの様子がおかしい。


 言動は変わらない。いつも通り無口。話しかけると答えてくれる。以前よりレスポンスが早くなった気がしないでもないが、そんなのは誤差の範囲である。


 池田の介護も嫌がらず続けてくれている。料理もいつも通り美味い。一見なにも変わったようには見えない。


 だが、俺は気づいた。気づいてしまったのだ。


 セレスティナは恐らく、アレの時期であると。


 果たして魔族の女性にアレがあるのか定かではないが、人のナリをしている以上ひと月に1度程度訪れたとて不思議ではない。もし本当にアレあれば、少々身体を休めた方が良いのではないか。だが勘違いであれば池田赤っ恥である。介護までして頂きながら恥ずかしいなど今更な話であるが。


 ふむ。


 ちょっと確認を取ってみるか。ちょうど夕食も終えて後は就寝するだけというタイミング。


 セレス様に話しかける。


 「セレスティナさん。あの、1つ確認させていただいてもよろしいでしょうか」


 「………………………なに」


 「セレスティナさんはその………最近、変わったことはありましたか」


 何だろうか。聞き方が少し抽象的だったか。このような時分に上手い言葉が出て来ない自分に少々ガッカリ。しょうがない、語彙力は積み重ねだ。


 「……………………」


 「……………………」


 「……………………」


 「……………………」


 「……………………」


 「……………………」


 「…………………………変わったといえば、変わった」


 俺の聞き方もおかしいが、セレス様の受け答えも大概だな。そういう意味ではお似合いの2人かもしれない。


 「具体的には、どのような感じに変わられたのでしょうか」


 あ、本当にアレだとしたら言いにくいよな。具体的にとか聞いちゃいかんよ。


 「………………」


 「………………」


 「………………」


 「………………ええと、ですね」


 「…………1歳」


 ん?


 「………………1歳、歳を重ねた」


 歳を重ねた。つまりはいつの間にか誕生日を迎えていたということだろう。それを生理と間違えるとか人として終わってんな、おれ。


 憶えるに旅の出発前、ステータスを確認した際は19歳だった。即ち20歳を迎えたということ。酒もたばこもギャンブルもやり放題という新世界。大人ぶらずに子供の武器も使える旬な時、それがハタチ。これはめでたい。めでたい限りである。


 しかしフィクションで拝見する異世界ファンタジーの住人は自身の誕生日を知らない、覚えていないケースが散見されるが、セレス様に限ってはそんなこともなく。毎年両親が誕生日を祝ってくれていたため覚えた、というパターンかもしれない。ちなみにこの世界も月は12月まであり、日は30日で固定だという。つまり1年間は360日。月の数え方は地球で言う1月から、ジャヌ、フェブ、マッチ、アプリル、マイ、ジューネ、ジュリー、アウグスト、セップ、オクト、ノーヴ、ディース、らしい。英語の前半をそのまま読んだ感じ。閑話休題。


 要するに20歳という人生の節目を迎えたゆえに雰囲気が変わられたのだろうか。盲目にもかかわらず違和感を感じるほどの変化を迎えたと。少々釈然としないが、他に理由が思い当たらなければそういうことなのだろう。


 しかし誕生日か。典型的なジャパニーズソウルの持ち主としては、何かプレゼントを贈りたいところだ。現状セレス様に何か贈呈できるモノはあるだろうか。所持品を思い浮かべてみる。


 ・スーツ一式

 ・腕時計

 ・ボールペン1本

 ・ハンカチ

 ・ちり紙

 

 平凡なサラリーマンスタイル。不要な物は一切持たないシンプルイズベスト。ただ1つ解せないのは、亡くなった際は寝間着姿だったにも関わらず異世界に降り立ったのはスーツ姿、これどういうことか。神からの宣告なのか。貴様は異世界でも社蓄であると。


 「……………それが、どうしたの?」


 「あ、ああ。えと。そのですね」


 そうだ、誕生日だ。誕生日プレゼントをあげないと。しかし手持ちの中で選ぶとしたら。


 「セレスティナさん。申し訳ありませんが闇魔法:収納から、私のスーツ……私が最初の頃に着用していた黒い服を取り出していただけませんか」


 「………………」


 「………………」


 「………………いいよ」


 よかった。ちなみに今の池田はスーツ姿ではない。下半身は茶色のブーツに茶色のズボン。上半身は黒コートの分厚い版みたいなのを着ている。お腹から胸にかけてたくさん紐があるやつ。セレスパパの御下がりを借用している。


 「…………はい」


 綺麗に折りたたまれた上下スーツを受け取る。手探りでスラックスのポケットをまさぐり、お目当てのものを取り出す。スーツはそのままセレス様に返却し、再び黒魔法で収納してもらう。


 「ありがとうございます。ではセレスティナさん、これを」


 セレス様に向けて右手を差し出す。


 手のひらには腕時計を乗せている。


 「………………なに」

 

 「受け取っていただけますか」


 「……………」


 「……………」


 「…………なんで?」


 「プレゼントです。遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 手のひらから重さが消えない。なぜだ、何かが足りないのか。


 「……あぁ」


 歌か。


 「セレスティナさんのお誕生日を祝して、池田歌います。はっぴばーすでぃとぅーゆー、はっぴばーすでぃとぅーゆー、はっぴばーすでーでぃあセレスティナー………」


 「…………………」


 「はっぴばーすでぃとぅーゆーーー」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 「……………」


 あ。


 手のひらから重さが消えた。


 「……………」


 「……………」


 「…………ありがとう」


 「いえいえ。ほんの気持ちです。それは腕時計といいまして、朝日が昇ったり夕日が沈んだりするタイミングを、ある程度教えてくれるものです。見たことは?」


 「……………時計塔の、大きいやつは見たことある。でも……腕に付けるものは、見たことない。………ありがとう」


 ふぅ。


 どうやら受け取り拒否の事態にはならなかったようだ。女性へのプレゼントなど母ちゃん以外に経験がなく、そのプレゼントもゴツゴツのアナログ時計となると不安で仕方がなかった。セレス様の優しさに感謝。


 これがギャルゲなら好感度上昇イベントに相当するのだろう。と言っても、如何せん池田は介護してもらったり、お金貸してもらったり、戦闘で守ってもらったり、シモの世話までしてもらったりなので、もはや好感度など存在しない。池田にとってセレス様は、既に母親を通り越しナイチンゲールの域に達している。看護師と病人。それ以下はあってもそれ以上はないだろう。


 ただ、失明していなかったらどうなっていたのだろうと思うこと少々。一つ屋根の下に男と女が暮らすのだ。男女2人夏物語が始まる予感しかない。当初は顔が好みでないと一蹴したが、なかなかどうして魅力的な女性だと理解が及んでいる。ただ現状の介護な関係からステップアップを図るのは絶望的に困難であろう。


 俺とセレス様が結ばれる未来。


 そんな明日が訪れないことを少しだけ残念に思った。


 

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