プロローグ
ブルーライトの画面をジッと見つめる。
場所はありきたりなオフィス。有楽町の片隅にあるビルの4階。
カタカタとタイピングの音だけが室内に響き渡る。
「池田君。ちょっと」
課長に呼ばれる。席を立ち、課長のデスクへ行く。
「池田君。今の作業、どれくらいで終わりそう?」
進捗は日報に載せている。そちらは確認いただけただろうか。確認いただけてなかろう。
「今日の17時までには」
「そっかぁ……だったら、この作業もお願いできる?」
ペラリと。メール文をそのまま印刷した用紙を渡してくる。件名には【緊急依頼】という文字が見えた。
果たして今回の【緊急】は緊急足りえるのか。誰とは言わないが、奴らは常に【緊急】の文字を件名に差し込む。作業内容からして緊急性を感じない案件においても。何だろう、奴らは緊急フェチなのだろうか。何時如何なるメールにおいても緊急を使わずにはいられないとか。であればこちらは返す言葉を持たない。
「……期限をおしえ」
「今日中に、できる?」
目の前の課長は日頃ニュースを見ていないのだろうか。俺が残業を苦に自殺したらどう責任を取るのだ。ほぼ毎日定時上がりをしている池田にとって、1時間以上の残業は死を意味するというのに。
だが、断れない。何故なら俺は、この会社でトップクラスの小心者ゆえ。ノミの心臓。断るリスクを考えると、夜も眠れぬほどの恐怖に襲われる。
この理不尽な要求、受け入れざるを得ない。豊臣に自分の妻を預けた諸大名も同じような気持ちだったのだろうか。
「……分かりました」
久しぶりの残業。
20時には帰れるといいな。
予定通り、20時に退社。21時に木造二階建てのアパートに帰宅する。
「ただいま」
…………
もちろん返事はない。返事があったらいいな、とたまに思う。
座敷わらし的な存在が家に住みついて、そこから始まるほんのり優しく切ないショートストーリー、的な。
実際に返事があるとすれば、泥棒か母親の線が濃厚だろうけど。
シャワーを浴びた後、スーパーで買った惣菜を平らげ、布団に寝ころびながら小説を読む。
「……………」
悪くない。悪くはない生活だと思う。
手取り25万の社内SE。コミュニケーション能力に難がある文系野郎の職業としては良い部類に入るだろう。
そこそこ苦労はした。最初の会社は人と話す系のIT企業だった。顧客の前でたびたびドモり、赤っ恥を掻いたこと多数。ゆえに、隙間時間にプログラミング言語を勉強し、極力人と話さない系会社への転職を決意。結果、今の会社でお世話になっている。運もかなり良いだろう。
ただ、これ以上はない。徐々に給料は上がるだろうが大した額ではないだろう。
でも、これでいい。ストレスの少ない仕事。ほぼ残業なし。いいじゃないか。
帰宅後は、小説を読んだり。ゲームをしたり。独り飲みに挑戦しようとするが結局意気地が足りず家飲みになったりと。ダラダラ過ごす。
これ以上は望まない。
あ、でもお嫁さんは欲しいかも。
あ、すぐ望んじゃった。
あ、眠くなってきた。寝よう。
☆☆
目が覚める。
おかしい。目覚めが悪い。
十中八九深夜帯だろう。目覚まし時計に目を向ける。
背景が真っ赤。
なんだ。なにが起きている。
というか熱い。暑いではなくて熱い。
「あつっ!!!!」
は?どういうこと。
目茶目茶大火事なんですけど。
布団燃えてる。というか俺以外燃えてる。
あ、俺も燃える。
あつあつあつあつあつ!
これ、ファラリスの雄?違うよな。俺のアパートが火事ってことだろう。これだから木造建築は。住処を家賃一択で選んでしまった1年前の俺を呪う。
というか、なぜこれ程になるまで気づかなかった、俺よ。神経狂ってるよな。布団にまで燃え移ってるんだぜ。こんな冷静に現状を分析している場合じゃないんだぜ。
意識を失いたくなる痛みが身体中を駆け巡る。だが熱さが意識を保たせる。声にならない叫びが焼け付いた喉から放出される。
ふぁらりす。たしかにこれは拷問として成立する。
熱い。死ぬ。怖い。熱い。熱い。あぁ、最悪。
耐えられないほどの熱さに強制的に耐えさせられて3分。
ついに俺の意識は落ちた。