布巾
”人生とは壁であった。”
私にとって、壁を突き破ることはできなかった。落書きのような汚れができただろうか?
「手芸がお上手なんですね」
「新しい趣味だよ」
医学の進歩と食文化の発達は人間の寿命を延ばしただろう。人間の環境が変わったことにより、生活は多様化し、同時に連続して捨てることが増えてくる。
「今は機械ばっかりさ。でも、その中に。自分の手ぇで編むのもいる」
他人は人のそれを趣味と言うだろう。当人も趣味と自覚している。
水準に明るく差ができてきた。時にそれを負け犬とでも、落ち武者とでも、……。ただこの人にとってはそれは”いつまで?”と感じるのだろう。
明るい悪口より無色透明の無口の方が害悪だろう。今にして思えば
「もう暇でな。若い川中ちゃんにはまだわかんねぇだろう?」
「うーん。これは家庭料理とは違いますよね?」
「愛込めてんだったら同じだろうが。川中ちゃんのそれは生きるためだろ?それは違うな」
もうこの歳では勝負をするどころではなくなった。老人ホームの一室で同じ仲間や介護をしてくれる者達と喋りながら、息子に買って来てもらった手芸セットと手芸に関する本を見ながらなにかを編んでいく。
老人のやることじゃないが、ただ退屈を待つのは人間のすることじゃない。あくまで人間として生きるための、鍛錬のようなものだった。
「息子に老人ホーム連れてこられた時はショックだったがよ。まだ残りあることは自分でも分かるんじゃ」
満足に歩けないし、目もロクに見えない。耳も段々遠くなってきた。トイレに行く事すら、人に懇願しなきゃならないこと。おかしくなりそうなんだ。
これが老いだって分かっていても、人間じゃなくなっていく恐怖には耐えられない。眠ることがとっても怖くなっていく。
そんな時、自分が老いるまでに至った軌跡を振り返った。
「のんびりやるさ」
歳を重ねて失ってきた数々があった。でも、失ったものを埋めるように手にした物があった。
失って初めて大切だと気付くことというのは、自分がその時何も手に入れなかったからだった。人はなにかを得る必要がある。食事と同じように、自分で何かを得らなければならない。もう壁を破るような力がなくても、人間だって吼えられるその口の内にさ。
まだ人の手はゆっくりとであるにも関わらず、間違えながらも戻って進んでいった。亀のような足取りで、深海で泳ぐ生き物のように残りを振り絞ってやってきた。
キュッキュッ…………
数ヶ月後、あの人はいなくなってしまった。その理由を語るのは無粋だろう。
それでも、いなくなってから数ヶ月。誰もその人がいなくなったことには気付けなかった。
いつも近くにいるような感じ。この老人ホームではその名を一度くらいは目にするからだ。
「うん、綺麗に拭けた。なぜか市販の物より綺麗にできるね」
ただの布切れの合わせのような物であり、それは子供で作れるような代物であるのは明白だった。自分の苗字名前は、使用者の川中とはまったく別の物だった。漢字が難しくてひらがなにしてまで縫いこんだ。
壁を拭く物。床を拭く物。食器を拭く物。
それが最後に自分が残せた物だった。当人以外がどう思うが、それが最後の幕引きに相応しかった。
来世のために綺麗な壁を用意できるようにした布巾だった。