situation.9 放課後インダクション
日直の主な仕事は各授業の号令、日誌の記入、黒板の清掃だった。黒板の清掃は普段ならさぼる所だが、ペアが渡辺ともなるときっちりやりたくなる。渡辺はあまり男子とは交流したがらないし、何せくっつき虫の如く必ず成瀬がいた。成瀬とはたまに話すが、彼女は自分の事など眼中にない態度を見せるので面白くない。そろいも揃って二人とも自分を目の敵にしているように思えた。
あいつら、実は出来てんじゃねぇのか? 所謂レズってやつか。和田は一人想像を膨らまして楽しんだ。成瀬は可愛い部類の女子で、渡辺は美人な部類の女子。うん、いい絵面になりそうだ。そういう絡みのAV、誰か持ってねぇかな。
和田がクラスの男子に声をかけようときょろきょろ見渡すと、渡辺が丁度教室に入って来た所だった。席は近くないが、側に行く理由はいくらでも設けられる。和田は立ち上がると、彼女が席に着いたのを見計らって声をかけた。
「渡辺さん、日誌、僕が持っていていいかな」そして思いついたように発言する。「そうだ、号令はどっちが先にかけようか」
渡辺は困った顔をして「どっちでもいいわよ」と携帯電話を開いた。しめた、アドレスを聞けるチャンスかもしれない。和田はまず、彼女の携帯からぶら下がっているくまのストラップに目を付けた。
「可愛いストラップだね。友達とお揃いだったりするの?」
「……まぁ。安いゲーセンで取った奴だけど、他に付ける物もなかったし」
明らかにうざったい顔をされたが、そんな事で一々めげる和田ではない。
「友達って、成瀬さんと?」
「うん、由香里も付けているよ」
そう言ってちらっと背後を見る。木元由香里とは同じ剣道部なので、大いに面識があった。剣道部の副部長で部員の中でも一、二を争う実力の持ち主。大会に出れば何かしらいい成績を残していた。
自分は単に竹刀を持つのがかっこいいから、なんて不抜けた理由で剣道を始めたが、彼女は毎朝サボる事なく稽古に励んでいる。息抜きのスポーツ感覚で嗜む自分とは正反対だった。一緒につるむ渡辺や成瀬と比べると残念な女子で、せっかくのセーラー服もあのふくよかな体格では台無しだ。髪も短くて男っぽいが、性格は家庭的で面倒見がいい。一番母親に向いているタイプだろう。
「よっぽど仲がいいんだね。そう言えばバイト先も一緒って、本当?」
木元から聞いた情報を頼りに会話を食いつなぐ。渡辺が成瀬と一緒に駅前の喫茶店『フェリーチェ』で働いているのは既に知っていた。一度近くを通った際に店内を覗いたが、あの制服はどう見てもエッチだ。スマートで、ストレートヘアーの渡辺にピッタリの黒。スカートの丈は短くないものの、何処かメイドっぽい制服のチョイスに店長の趣向を伺いたい所だ。
「……ええ。美波と同じ所で働いているわ」渡辺が小さく声を漏らした。「あ、今日シフト入っていたかも」
「ええっ! そんなぁ」
思わず落胆した声を出す。せっかく放課後は二人っきりになれるチャンスだと心躍らせていたのに、渡辺が先に帰ってしまうならこの計画も頓挫されたものだ。渡辺が赤の可愛らしい手帳を開いて指でなぞる。
「今日は入ってないから、大丈夫そう。放課後残って掃除しなきゃいけないんだよね?」
「そうそう、その通りです」
よかった。自分一人でやらされるかと思ったぜ。和田が安心すると共にチャイムが鳴る。聞きなれたその音でさえも、自分の運が引き寄せたような気がした。
待ちに待った放課後。帰りのホームルームが終わると同時に、生徒達は廊下へ飛び出す。和田もすかさず渡辺に近付き、前の席を確保すると振り向いた。
「日誌、とりあえず書いてみたんだけどさ、これでいいかな?」
「え……う、うん」
渡辺が荷物を鞄にしまいながら、申し訳なさそうに呟く。あれ? 明らかに元気がない。
「ありさ、悪いけど今日バイトだから先に帰るね」成瀬が渡辺の肩を叩くと、目付きを変えて和田の方を見た。「和田君も日直お疲れ様」
「ありがとう。成瀬さんもバイト頑張ってね」
「ほーい」
適当な返事をかまして成瀬が教室を出ていった。後ろの席の木元も体操着を抱えて立ち上がる。邪魔者は早く帰った、帰った。和田は心の中で二人を追い払うと、仕切り直しとでも言わんばかりに日誌を開いた。
「でさ、渡辺さんもせっかくだから何か書くことない?」
「……何かって?」
「うーん、例えば皆に聞いてみたいこととか、先生に言いたいこととか……ほら、一昨日の奴なんて『日誌は学級委員長が書けばよろしいのではないでしょうか?』なんて提案しているよ」
今にも泣きそうな渡辺に気付かぬ振りをして話しかける。
「それに引き換えうちの学級委員長は…………お、『先生の古文は分かりやすくてためになります』だってさ。これ、明らかに媚売ってるよね」
気が付けば教室に二人っきりだと言うのに、会話が一向に弾まない。その気配さえ見えない。和田は渡辺の整った顔を注視した。長いまつ毛を生やした瞳は潤み、何かに怯えているかのように泳いでいる。自分とは決して目を合わせようとはしない。
「なぁ……何かあったのか?」
とうとう渡辺の態度に踏み込む。彼女は唇を微かに震わせただけで答えようとはしなかった。自分には言いたくないのか、面白くない。和田は日誌を勢い良く閉じた。
「さっきまで元気だったじゃねぇか。急にどうしちまったんだよ」立ち上がって渡辺を見下ろす。「俺に文句があるなら言ってくれ。はっきり言って自分でもうざいのは分かっているから」
演技を切り捨て、いつもの口調で語りだす。和田は相手が面倒臭くなった場合、媚を売るのを止めて投げやりな態度をとるのだった。
「違う……ごめん、そうじゃないの」
渡辺が引き止める仕草をしたので、和田は偉そうに座り直した。自分が原因ではなさそうだ。
「じゃあ、何があったんだよ」
「えっと……」
言いづらそうに俯き、両手を重ねた。人に話して良いものだろうか悩んでいるのだろう。だったらこちらから一押しさせればいい。
「話せよ、そうやって溜め込むのが一番良くないんだぜ。俺にも協力出来ることがあるかもしれない……そうだろ?」
極めつけに手を添えてやる。これで大概の女子は自分に心を開いたのだった。なんて罪深い男なのだろう。もしかしたら渡辺も自分を好いてくれるかもしれない。和田は期待を込めて白状してくれるのを待った。
「……無いの」渡辺がぽつりと呟いた後、溢れんばかりに大粒の涙を零した。「私の化粧ポーチが無いの!」
突然机に伏せて泣き出す。おいおい、たかがポーチ一つでそこまで悲しむものなのか? 涙を見せてくれるのは正直嬉しかったりもするが、こう唐突に見せられても困る。和田は困惑しながら立ち上がると、ぎこちない手付きで渡辺の背中を摩ってやった。
「いつ無くしたんだよ。俺も一緒に探してやるから元気出せって」
「場所は……ひっく、多分、下駄箱の中。きっとぐしゃぐしゃにされて、戻ってきているんだわ……」渡辺が涙を指ですくいながら顔を上げた。「前もそうっ、だったもの」
しゃくりながら渡辺が訴える。和田が朝の様子を思い出しながら眉を潜めた。
「どういう事だよ」