situation.8 日直
「おい、和田。お前さっきから人の話全然聞いてないだろ」
「いてぇ!」
隣にいた友人に、後ろからチョップを食らわされて思わずつんのめる。確かに、前の女子の太腿を眺めていたのは素直に謝ろう。しかし、殴る程でもないだろうが。和田は殴られた後頭部を押さえながら友人を見上げた。
「聞いてるよ。ほら、あれだろ? 俺が今日渡辺さんと日直だから、すっごく羨ましいって――――」
「そんな事誰も聞いてない。日曜日にどこか遊びに行くって話だったろ」
「ああ、そっちの話か」
適当に友人の会話を流しながら、和田は一人うきうきした気分で登校していた。何せ今日はクラスで一番の美人と称されている渡辺ありさと初めて日直を共にする日なのだ。こんなにも自分の苗字が和田で良かったと思う日は二度と来ないだろう。渡辺と仲良くなれるきっかけを、神が与えてくれたのも同然だった。
渡辺の事は入学当初から知っていた。男子の間でも美人だと好評だったし、スタイルも良い。お嬢様的雰囲気を醸し出すストレートの黒髪も充分魅力的だ。猿顔のおちゃらけた自分とは無縁の存在だと思っていた。高校生最後に同じクラスになるまでは。
「やべぇ、俺、もしかして渡辺さんと日直出来るかも」
クラス発表の紙が張り出され、自分の名前を見つけたのと同時に彼女の名前を発見するとは思いもよらなかった。それまで彼女に想いを募らせていたのかと聞かれると、そうではない。単に和田は美人な女子と交流できる事が嬉しいのだった。
初恋の相手は、保育園で同じクラスだったみくちゃん。ツインテールの可愛らしい女の子で、かまって欲しさに何度も嫌がらせをしたものだ。泣き虫のくせに往生際が悪く、最後は自分が謝り出す始末。結局好きとは告げられずに別の小学校に行ってしまった。幼心の恋が終わった瞬間だった。
それから小学校に上がっても、和田は可愛い女の子にちょっかいを出し続けた。今まで出会った可愛い女の子の名前は、全てフルネームで覚えている。自分の特技みたいなものだった。芸能人はおろかグラビアアイドル、はたまたAV女優の名前まで網羅していた。筋金入の女好きなのだろう。せっかく彼女が出来ても、和田は他の可愛い子を求めてさまよい続ける。二人の女子に自宅まで押しかけられた時は、流石に参ったが。
だから女と付き合うのは、自分の中では遊び感覚なのだ。本当に好きな人が現れるまでの繋ぎ。練習。可愛い女の子は常に手が届く範囲に置かせたい。一部の人間には嫌わやすい性格だったが、自分が楽しければそれでハッピーハッピーなのだった。
昇降口にたどり着いた和田は思わず心が弾んだ。渡辺がいる。下駄箱は名簿順で指定されていたので、必然的に和田の下駄箱は彼女の一つ上だった。
「渡辺さん、おはよう。今日日直だよね。日誌は僕が取りに行った方がいいかな?」
朝一で偶然出会えた事が嬉しくて、興奮を抑えられずに尋ねる。渡辺が一瞬、はっとした表情を見せてから引きつった笑顔で答えた。
「おはよう、和田君。そうか、もう私達にまで順番が回ってきたんだね」
「そうなんですよ。だから、今日一日よろしくね」
どさくさに紛れて握手を求める。渡辺が「はぁ」と生返事でその手を握り返した。ラッキー。
「日誌、私が取りに行くからいいわ。放課後までに適当に書いて先生に出しておくから」
それでは駄目だ。自分との交流が無くなってしまう。和田は何とか食いつこうと得意な弁明で攻めた。
「いやいや、渡辺さん一人に仕事を押し付けるような事、出来ないよ。放課後少し残って二人でぱっぱと終わらせた方が効率もいいし、どのみち黒板を綺麗にして帰らなくちゃいけないんだ。僕が取ってくるよ」
ここは日誌の所有権を自分が握っておいた方がいい。和田が靴を脱ごうと屈むと、渡辺が気付いて場所を譲った。彼女は靴を履き替えようとはせず、目のやり場に困ったように辺りをきょろきょろしている。
「どうしたの、渡辺さん?」
彼女の太腿を素早く確認してから見上げる。足フェチではないが、スカートから見える程よく肉の付いた白い足にはドキッとする。いつ見ても素晴らしい足だ。
「何でもない」渡辺が自分の視線に気付く事なく、前髪を払う。「じゃあ日誌、よろしくね」
自分と長居するのが嫌なのか、早く行けよと表情が訴えている。何だか怒っているようにも思えた。ちぇ、連れないなぁ。もしかして生理中か?
「じゃ、また教室で」
一先彼女と別れる。あわよくば一緒に日誌を取りに行けたらなとも考えたが、それは難しそうだ。和田は渡辺の態度に不信を抱き、そのまま横の階段を上がる振りをして途中で立ち止まった。こっそり階段の隙間から渡辺の様子を伺う。彼女は自分の下駄箱を素早く開けると、ほっとした表情を見せていた。
何だ? 下駄箱に何かあるのか? 渡辺の行動を不思議に思いながら、和田は日誌を取りに職員室へと向かった。