situation.6 閉店後の店内
閉店時間を迎え、従業員も帰宅した午後十一時過ぎ。杉原は一人厨房でノートパソコンを開くと、彼女に記入してもらった在庫数を打ち込んでいった。カタカタとキーボードの定期的な音だけが、心地よく鼓膜に語りかけてくる。
あの子は採用して正解だったな。杉原は一人ほくそ笑みながら、煙草をくわえて換気扇の下で一服する。その手にはコーヒーの豆粕やら油やらが、皮膚の皺や爪の間にこびり付いていた。これらの汚れは何度洗っても落ちない。自分の中の悪しきものが目に見える形で現れているようだった。
この喫茶店は元々親父が十五年前に開いた店だ。自分が三年前にリフォームする前は、昭和の歌謡曲が常に流れている、時代に取り残されたような寂れた喫茶店だった。開店当初は夫婦で仲良く店を営んでいて、杉原自身も小さい頃は店のお手伝いをやらされていたものだ。駅前通りに面した立地条件も良い場所で、週末になると近所の商店街仲間が集う場所でもあった。あの時は上手く行っていたんだ。店も、家族も。
杉原の両親は既に他界していた。そう仕向けさせたのは紛れもない自分自身だったが。この手は既に汚れきっている。それに引き換え、あの子は美しい。汚れを知らない所に存在している。明らかに自分に好意を寄せている視線。それをひたむきに隠そうと頑張っている態度。可愛い子だ。
杉原は灰皿に煙草を押し付けると、冷蔵庫から残っていたアイスコーヒーを取り出し、氷と共にグラスに注いだ。今日の豆はグァテマラだったなと、ブラックで飲み干す。普通に美味しい。
「これならもっといい値段取れるかな」
一人冗談を言ってまたパソコンと向き合う。最近、レジの金額が合わないのに杉原は気付いていた。それも千円とか、五百円程度にだ。そういった誤差は時々生じるが、今月はやけに多過ぎる。
「まさか……な」
杉原は立ち上がると、鍵付きの引き出しからファイルを取り出して従業員の履歴書に目を通した。吉川、神田、新條、渡辺、成瀬の写真と学歴を見比べていく。考えたくはないが、この中に小銭をくすねているスタッフがいるかもしれない。いや、そうに違いない。
杉原はその中から成瀬の履歴書を取り出した。渡辺を追いかけるように四ヵ月前面接に来た子だ。
『アルバイトって、まだ募集していますか? あたし、渡辺ありさと同じ学校の者で、成瀬美波と申します』
確か最初の電話はこんな感じだった。成瀬はスタッフの中で一番明るく、そして一番読めない子だ。最近シフトに入って無い日までここへ出向き、勉強していく節がある。先程渡辺と在庫チェックをしている時も、成瀬がスタッフルームからこちらを伺っていた。あれは何だったのだろうか。
小銭とはいえ大事な金だ。杉原は厨房から出ると、客席からレジカウンターを眺めた。ハンディカメラなら持っているが、レジの上部に設置出来そうな場所はない。
「なぁ、何か知っているか?」
思わず振り返って姿鏡を見る。また仕事が増えそうだ。杉原は一人頭を抱えて厨房に戻った。