女王様ではなく国王様
入ってきたフランシスと3mほど距離をとりながら落ち着いて話をすることにした。
「なぜ、そんなに離れる」
「いえ、離れてません」
フランシスが夏希に近寄るとその分だけ夏希が離れる。その繰り返しを続けるとフランシスはもう諦めて長椅子に腰を下ろして顔を向けるだけにした。
「では少し聞いてくれるか」
「鞭とかそういうのは勘弁です」
「・・は?」
埒が明かないといった様子でフランシスが溜息をついた。夏希に聞こえる深い溜息に夏希はむっとする。
なんで残念そうにされないといけないのだ。
たいそう遺憾に思うが黙って話を聞くことに集中する。もしかして変態と思っていた人物は工事中の穴に落ちた夏希を助けてくれた思いやりのある人物・・かもしれないのだ。
まあ、そんな考えは無かったが。
「まず始めに不肖の弟、アベルを救ってくれて礼を言う」
「いや、だから助けて・・」
ない、と言おうとするのにフランシスの銀色の瞳が黙っていろと訴える。
なんだよう、少しくらい話したっていいじゃないか。不満を顔に出すがフランシスは続ける。
「そして謝罪を。お前が寝ている間にアベルから全てを聞いた。あやつはお前に助けてもらったため、こちらの世界で礼を尽くそうと思って承諾なしにつれてきてしまったと」
「ちょっと待って。こちらの世界って?」
もう訳が分かりません、先生。この足りないおつむに新たな知識が入るスペースを下さい。そうしないと頭が爆発しそうです。
「この世界はお前が住んでいる世界とは違う。ここは動物が統治する世界だ」
「えっと、確かに動物はいたと思うんですが動物が統治してるって?」
「説明するよりみてもらった方がいいな」
そう言うとフランシスは徐に服を脱ぎ始めた。
「ちょ、やっぱり女王様なの!?その服の下に黒い衣装が?いえいえ、私はまだ正常なんです、正常でいさせてください」
手で顔を覆って新しい新境地など見たくないと首を振る。
だが何も起こらない、鞭のしなる音も聞こえない、何の物音もしないためこっそり指の隙間から覗いてみた。
そこには銀色の牡鹿がいた。
大きな角は天を向いていて、身体の斑模様はあちこちにあるのではなくて、まるで意志があるように整って真っ直ぐだ。銀色の瞳は賢さを讃えているし、耳は何一つ漏らさないというようにぴくりと動いている。
「きれい・・」
その言葉にゆっくりと牡鹿が尊大に夏希に近づいてくる。自分の美しさが分かっているように、もったいぶるように、だ。
瞳が訴えている。どうだ、例えようもない美しさだろう、と。
夏希は驚きのあまり固まっていたが鹿がこちらに近づいてきたのを見てにっこりして叫んだ。
「来ないでっ!!」
その言葉に銀色の鹿が歩みを止めた。
今、何と言ったと混乱しているように目が泳ぐ。そんなことは言われたことが無いのか戸惑っているようだ。
だがそんな鹿の様子を気にもとめないで夏希は尚も続ける。
「絶対によらないで。いい、そっから動いたら本気で許さないから」
そう言って壁に虫のように張り付く。そして壁に沿って歩きながら扉へと向かう。視線は鹿に釘付けだが、それは鹿の一挙一動を見守っているだけであって見惚れているわけではない。
扉に辿りつくと、ゆっくりと鹿を驚かせないように静かに扉を開ける。
最後まで睨み合いながら背中から出て行く、だが何か温かい物がお尻にぶつかった。右手で扉を閉めながら左手でそれを触ってみる。なんか硬い、けれど肌触りはいい。
何だろう、と振りかえってしまった。
そこには、あの扉の脇にいた熊さんが後ろにたっていた。それはもう、何の表情もなく。
「っつ、ふんにゃあああああああああ!!」
夏希は扉を閉めて中にこもって震える手で鍵をかけた。
なななな、何で熊さんが、いや先程もいたんだから当たり前だろうけど何で後ろにいたの?てか、触ってしまった、すごく毛並みが良かった・・・。