だってステレオタイプがあるんです
一人で動物に触ったことにあわあわしていると先程の落胆ぶりなど無かったように牡鹿が夏希を見ていた。
「・・駄目よ、駄目。本当に、半径5mは近寄ってはいけないというルールが私の中にはあるの、お分かり?」
涙ながらに訴える。
左手をぷるぷるとさせながら、その手をどうしていいか分からなく持て余している。
だが鹿は首を緩く振ると淡く光り出した。暖かな黄色い光が全身を包み込んで、人間の形を形成していく。
「うにゃあぁぁぁぁぁ!!」
銀色の牡鹿が人間になった瞬間、夏希は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ふ、服を着てぇ!」
細い割に筋肉質な身体がばっちりと目に入ってしまった。
急いで顔を背けるが、これは夢に出てきそうで嫌だ。
「すまない、つい忘れてしまう」
「もう着た?」
「ああ」
「本当?」
「ああ」
服を着たフランシスに何度も念を押して聞いた。
ようやく夏希は背けていた顔を戻した。
「で、分かったか?」
「あなたが変態ってこと?」
「違う!私達の姿は動物のものだと」
ちょっとした冗談だったのに力一杯否定された。そんな残念そうな子を見る目で見ないでよ。
「ま、まあね」
目の前で人間が動物になるのを見てしまっては否定できない。
まだまだ世界は広かったようだ。
ごめんね、精神を疑って。あなたの性癖を疑って。
「じゃあ私が助けた犬はアベルってこと?」
「だからそう言っているだろう」
呆れた顔で言われて腹が立つ。
仕方ないでしょう!私の世界の常識に動物は人にならないっていう固定観念があるんだから。
生まれてこのかた、信じられないことを言われても理解できないし、しようとしないのが人間の性ってやつだ。
夏希はおいおいと肩を竦めて壁に寄りかかり、格好いいポーズが決まったと思ったがあることにふと気付く。
「待って、じゃあ私の身体は?せっかく助けた私はどうなってんの!?」
「だから今からそれを説明するから落ち着け」
今にも掴みかかろうとする夏希の肩を押さえて自身の額に手をやる。わざとらしい仕草が似合っていてむかつく。
「全く、何でアベルはこんな娘を連れてきたんだか」
「ちょ、失礼でしょ」
また殴ろうとするが頭を押さえられ、前に進めない。
「ぬう」
「少しは落ち着け」
「山より深く海より高く落ち着いてます」
「逆だろう」
冷静に返すフランシスに苛立つ。くそう、私は子供じゃないんだぞ。
自分よ、落ち着け、落ち着くんだ。こんなところで騒いでちゃあ、子供と思われる。私は大人なんだ、大人はどんな時でも冷静に対処しなくてはならない。
だがそれはフランシスの言葉により、ぼろぼろに砕ける。
「大丈夫だろう。お前の身体は今頃、病院に運ばれているはずだ」
「・・は!?」
「外傷もなく、ただ寝ているだけだ。意識だけこちらに飛ばしたみたいだからな」
全く困った弟だ、苦悩が刻まれる顔は疲れているというのに美しさは壊れていない。だがそんな顔に見惚れることなく夏希は俯いて握りしめた拳を震わせる。
「ふ、ふざけんなぁ!私を家に返せ!!」
せっかくトラックを避けて病院送り、もしくは死を避けたというのに何で工事中の穴に落ちて病院送りにされなければならない。
犬を助けたことにより轢かれたという武勇伝ならまだしも助けた犬に穴に落とされたなんて格好悪すぎる。末代までの恥だ、いや私が病院にいる間に助けた犬に恩を仇で返された女として間抜けな話が学校に広まってしまう。
そんなのは女の意地を持って止めなければならない。
「お礼なんていらないから返して」
「しかしなあ」
「私に不名誉を与えると言うのか」
「連れてきたアベルしか返せない。そのアベルが珍しくやる気を出しているんだ。後数ヶ月は諦めるんだな」
「数ヶ月!?この動物地獄に1日だって耐えられないと言うのに」
もう私の命はここで果てるのかもしれない、いや駄目だ。私にはハンドボールがあるんだ。
皆でトップを目指すと約束したんだ。
こうなればその張本人に直談判をしようと部屋を飛び出した。